また一つ増えました
2025-01-11
歳を重ねるなかで
身体のあちこちに異変がでてきます。
日常的に気になるようになり
いよいよ思い立って
病院に行くことにしました。
以前眼に支障があって眼科に行ったところ
医師から「これは歳のせいです」と診断され
これはもう若いときのように治るのではなく
上手に付き合っていくしかないのかと思ったものですが
老いることは病むことだなとまた思い知らされて
また一つ病院の診察券が増えました。
歳をとるということは
自分の思い通りに行かなくなる
この身を生きるということで
ここまでようこそ
この身がうまくやってくれていたんだなと
思います。
この身体(みからだ)の自然のはたらきです。
まさに人知の及ばない不可思議な世界に
生かされて生きているということです。
自然のおはたらきのままに
この身を生きていけばいいことなのですが
どこまでも若くて健康でありたいと
自然のおはたらきをそのまま受け入れることができず
抗う私がいます。
お念仏は「まかせよ救う」の
阿弥陀さまのおはたらきです。
お念仏申し南無阿弥陀仏のおはたらきに
この身をそのまままかせて
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.11)

母の一周忌祥月命日
2025-01-10
今日は母の一周忌の祥月命日です。
1年前の1月10日に母が往生しました。
満98歳1か月と17日の生涯でした。
母の人生もまた喜び悲しみいろんなことがあり
私も知らないわからないことが
多々あったことだと思います。
往生の日からこの一年
母が生前遺した文書や写真など整理することもなく
あっという間に過ぎて行きました。
その人人の生きた証を
本人が自ら表現することもあれば
後に遺った者が何かにまとめることもあるでしょう。
それはこれから徒然にということで
今は日々の生活の中で
ご縁ご縁に母をたずねていきたいと思います。
私もこれから歳を重ねるなかで
母が教えてくれるものがたくさんあると思います。
ずっといつも母のことを思って
生きているわけではありませんが
折々にふっと母のことを思い出します。
父もまたそうですが
父も母もずっとこれからも
私のお父さんお母さんであり続け
72歳になった私は今もこれからも
親に心配かけ通しの子どもです。
父も母も人の命は終えましたが
お念仏の声の仏さまとなって
今も私のすぐそばにいてくださいます。
父母はじめお念仏の先人をたずねて
往生浄土のお念仏の旅を共々にさせていただける
浄土真宗のみ教えに遇えて本当によかったと
またお念仏申させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.10)

お念仏のご法義のお手伝い
2025-01-09
毎月寺境内のあんのん館で
法話会やサロンのご縁をいただきます。
浄土真宗のご本尊
阿弥陀如来さまのご尊前に
有縁の方々が集うお念仏のご縁です。
阿弥陀さまにお念仏お礼申し
ご法話お取り次ぎさせていただいて
皆さんご一緒にご法義談義です。
お茶(コーヒー)をいただきながら
日頃思っていることなど
それぞれにお念仏の味わいを話されます。
現代の社会の有り様に対する意見もあり
一人でも多くの人にお念仏をお届けしようとする
皆さんのあつい思いが伝わってきます。
本願寺八代宗主蓮如上人は
お念仏の興隆を願って
全国各地の惣村に名号本尊をおくり
お念仏の講を開いて人々に寄合と談合を促しました。
その講が自主的な組織のお念仏の道場となり
浄土真宗のお寺の原型になったといわれます。
お念仏の思いをもった人たちが
お寺を拠点にお念仏申す日々の生活を
営んでこられたのです。
お念仏の先人の生活ぶりはそれぞれ違いますが
共に往生浄土のお念仏の道を歩む同行として
私たちにお念仏のご法義を伝え届けてくださったのです。
ご法義はお念仏のおはたらきです。
そのおはたらきのご縁づくりをしてくださった
お念仏の先人の思いです。
どうか仏法に遇ってお念仏申す身にお育ていただき
お念仏申す人生を歩んでほしいとの願いです。
時代社会の変遷とともに
お寺のあり方が大きく変わるなかで
お念仏の先人をたずねて
真実変わらないお念仏のご法義のおはたらきの
お手伝いをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.9)

何がめでたい!
2025-01-08
今年初めて会う方に
「明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします」と
ご挨拶します。
新年を迎えてめでたいということですが
年齢が数え年だった昔は
正月に歳をとるということで
「誕生日おめでとう!」という意味合いが
あったのでしょうか。
佐藤愛子さんのベストセラー・エッセイ集
『九十歳。何がめでたい』のタイトルでいうと
歳を重ねることが何でめでたいことなのかと
いうことなのでしょう。
一休禅師(一休さん)は
正月に頭蓋骨を竿にさして町中を歩き
「正月は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」と
歌をよまれた逸話が伝えられます。
歳をとるとは死が近づくことでもあると
この世の無常と命のはかなさを知ることで
日々を大切に生きることを
正月にあえて説かれたのです。
浄土真宗のみ教えに
この人生の日々の営みは
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれる
往生浄土のお念仏の旅と聞かせていただきます。
歳を重ねて老いや病に向き合い
思い通りに行かないことが
この身の上に次々と起こってきますが
苦しみ悲しみのなかにも
お念仏を申してお浄土への人生を生きて往けるのです。
晩年京都に帰られた親鸞さまは
関東から届いた門弟の往生の知らせに
「往生めでたし」と便りを返しました。
私たちはこの人の世を生きて命終えていきますが
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきで
そのままお浄土に往き生まれ仏と成って
この迷いの世に還り来て衆生を救う
はたらきをさせていただくと
聞かせていただくのです。
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされてこれほどめでたいことはないと
今日一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.8)

お念仏のお粥をいただく
2025-01-07
1月7日は一年で初めての節句「人日」といわれ
七草粥を食べる風習が古くから伝わっています。
年末年始にご馳走を食べ過ぎて
不規則になった食生活を整えるということで
早春に芽吹く七草を入れた
胃にやさしいお粥をいただくことで
平生の規則正しい生活習慣に戻すということでしょう。
お粥のイメージといえば病院食です。
入院手術後の食事で普通のご飯を摂れるまで
お粥食を順次摂っていきます。
もう一つのイメージは精進食です。
肉食を断ち仏道修行に励むお坊さんの食事です。
お念仏のお粥をいただくとイメージします。
阿弥陀さまがつくられた
南無阿弥陀仏の摂取不捨の食事です。
摂め取って捨てない
お念仏のおはたらきをいただくことで
お念仏申す身にお育ていただくのです。
七草粥はお米と春の七草でつくられます。
私たちは日々食事をして
栄養分を体内に摂って排泄物を外に捨てて
血や肉をつくり体調維持して生きています。
人間の体がもっている
摂取して捨てる体の自然のはたらきです。
さて阿弥陀さまの摂取不捨のお救いです。
食事のイメージではどんどんお腹が膨らんで
最後はパンクしてしまいそうですが
大丈夫です。
いつでもどこでもどんな人も
必ず救うとおはたらきです。
すなわち今こここの私が救われるということです。
生滅変化するこの私のいのちを
今ここでそのまま救うというのです。
お念仏のお粥です。
何杯食べても胃にもたれたり太ったりしません。
いつでもどこでもどんな人にも
用意されているお念仏のお粥です。
南無阿弥陀仏のお念仏のお粥をいただいて
お念仏申す身にお育ていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に共々に
今日一日も心豊かに生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.7)
