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お念仏を申す生活法話

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日々の生活の節目にお念仏を申しましょう

2021-09-01
 9月になりました。
新しい月です。
 毎月一日の月の初めには
気分一新して新たな気持ちで始めようということですが
コロナ禍が一年半以上も続き
これまでの生活が随分変わりました。

 節目という言い方をします。
人生の様々な節目にあって
私たちはこれまでの人生を振り返り
これからの人生を思い描いて生きてきました。

 人それぞれの個々の節目もあれば
所属する地域社会や会社等組織の行事も
私たちが生きる人生の大きな節目になります。

 私たちは人それぞれに生活ぶりは違いますが
他の人と共に取り組む行事に向き合い
共通の目標を立ててそれぞれの生活をやりくりしながら
お互いに準備を進め実行していきます。
 そして目の前の行事を終えて次の行事に向かうという
共通の行事が節目節目にあって
私たちそれぞれの日々の生活があります。

 ところが今はそうした節目の行事や活動ができなくなり
何を当面の目標にするのかが人それぞれにバラバラで
わからなくなってきたのではないでしょうか。

 学校もコロナ感染対策で授業形態が随分変わり
それぞれの家庭の日常生活が大きく変化しました。
 通常は二学期が始まる9月1日の大きな節目にあって
新たな気持ちでみんな一緒に始めようということですが
感染対策を講じた変則的な日常の中にあって
何かずるずると毎日が過ぎ去っていくような感じです。

 人生の節目日々の生活の節目がないままに
日々が過ぎ行き今日で一年の三分の二が過ぎて
今年も後四カ月になりました。

 個々の節目もそうですが
共通した節目がないなかでの人生の道行きです。
 一人一人がその日その日を暮らしていくのですが
自分一人で生きているのではなく
そこに他の人がいるということです。
 私の隣に人がいて
同じ目標に向かって生きていける日々の生活の節目です。

 このお朝事を日々の生活の節目のご縁と
いただいたらどうでしょうか。
 阿弥陀さまのお浄土に向かって共に生きて往く
お念仏を申す生活の節目です。

 阿弥陀さまのご尊前にご一緒させていただき
お念仏を申すなかに今日の一日を
お浄土への人生の道行きを始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.9.1)


8月31日夏休み最後の日です

2021-08-31
 8月31日です。
小学生の頃夏休みの最後の日で
あまり良い思い出がありません。

 宿題で済ませていなかった工作を
最後の最後になって言い出して
家族中に夜遅くまで手伝ってもらい
「何で早うしとかんかったの」などと
叱られながら涙ながらにした思い出です。

 楽しかった夏休みの最後はほろ苦い思い出で終わり
明日9月1日の始業式を迎えます。

 31日の御文章さまは「大聖世尊章」です。
お釈迦さまがこの無常の世にあって
人間に生まれたのは仏法に遇うためだよと
阿弥陀如来の本願を信じ
お念仏を申す身にさせていただくために
人間に生まれて来たんだよと仏法聴聞をお勧めです。

 人間に生まれたからにはどんな人も
いつか必ず命を終えていくけれども
人の命終えて死んだら終いではなくて
阿弥陀如来のお浄土に生まれさせていただけると
仏法を聞いて本断を信じてお念仏申す身になってくれよと
重ねてお念仏をお勧めなのです。

 お浄土に生まれたらそのままさとりの仏さまとなって
この迷いの世に還って来て有縁のものを救う活動をすると
南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに
先に往かれた人も後に遺った人も共々に
生かされて生きてあるんだよと聞かせていただきます。

 長くて楽しい夏休みのなかに
泣く泣く過ごした8月31日もまた過ぎて
明日は9月1日は久しぶりに学校で先生や友だちにまた会えます。

 それぞれ苦楽の人生を生きるなかに
私たちは共々に阿弥陀さまのお慈悲の中に
これからもずっとつながってあるということです。

 この人生日々の日暮らしは何か繰り返しのようですが
今年の8月31日です。
 もう幾つになりましたか?

 人生の宿題は済みましたか?
お念仏を申して仏さまと共々に
お浄土への人生を生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.31)


夏の高校野球決勝戦から

2021-08-30
 未だ収束の兆しが見えないコロナ禍のなかに
オリンピックパラリンピックが続き
昨日は夏の全国高校野球の決勝戦がありました。

 奈良の智弁学園と智弁和歌山の
甲子園ではおなじみの兄弟校同士の
いつもの同じようなチームの対戦で
あまり興味がなく時々チャンネルを変えて観ていました。

 ただ今朝の新聞を読むと興味深い記事でした。
優勝した智弁和歌山の中谷監督は元プロ野球阪神の選手で
キャプテンで出場した甲子園で全国優勝し
その時の有名な高島監督が3年前に引退して
中谷さんが監督に就任したということです。

 もう一つは去年あのイチローさんが
智弁和歌山高校に指導にみえたということです。
 今はプロアマの隔てが段々となくなって交流が進み
元プロ野球選手でもアマチュア野球の指導ができるのです。
 イチローさんからは野球の技術だけではなく
野球に取り組む心構えを教わったという記事です。

 9回の最後の守備に向かった智弁和歌山の内野手が
片ひざをついて手のひらで丁寧に土をならし
定位置に就いたという記事です。
 グラウンドが荒れるたびに繰り返し行われた
大会を通じての光景といいます。

 グラウンドがあっての野球です。
このたびの大会は雨天で日程が7日間順延変更になり
今までで一番遅い決勝戦になったということです。
 ある試合では降りしきる雨の中で強烈なゴロが
大きな水溜まりに止まって記録はヒットになりました。

 野球といって人人がすることですが
そこにグラウンドがあって炎天下の甲子園ですね。
 大会期間中選手にコロナ感染者が出て
やむなく試合を辞退したチームが二校ありました。
 さまざまな自然社会の環境の中に
私たちの生活があり
周りの方々をはじめいろんなおかげさまのなかに
一人一人一つ一つのドラマがあるということです。

 パラリンピックもそうです。
私たちはメダルを獲ったとか金か銀か銅かということに
目が行きがちですが
たとえメダルに届かなくても
それまでの人生の過程においてそれぞれのドラマがあり
そこには多くの方々の支えがあるということに
気づかせていただくことこそ
人生の金メダル大きな宝ものと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.30)


子どもさんの50回忌のご法事です

2021-08-29
 昨日は50回忌のご法事のご縁がありました。
通常は祖父母の50回忌が殆どで
今は長寿で父母の50回忌の多くなりましたが
子どもさんの50回忌でした。

 昭和47年に5か月でご往生された子どもさんで
今お父さんは90歳になります。

 一周忌から3回忌、7、13、17、25、33回忌を経て
50回忌までお寺からご通知をしますが
実際に50回忌をお勤めするところは少なくなりました。

 会ったことがないとかよく知らないからと言われますが
ご先祖は私の命の大恩人です。
 その一人でも欠けたらこの私は今ここに居ないからです。
今ここ阿弥陀さまのご尊前に座らせていただき
手を合わせてお念仏申させていただける有難さを思います。

 戦後間もない時代食糧不足と医療の脆弱で
小さなお子さんが亡くなることが多かったのです。
 お家の過去帳を書かせていただくとき
毎年のように何人も続けてというお家もあります。

 子どもに先立たれる親の悲しみは
いかばかりかと思います。
 ただ私たちのお念仏のご法義は
愛する人と死別する悲しみのご縁をそのまま
仏さまのご縁としてくださると教えてくださいます。

 子どもさんのご縁があって
お寺とのご縁が仏さまのご縁ができたということです。

 分家のお家にはお仏壇は殆どありません。
お家の方が亡くなって仏さまのご縁ができて
はじめてお家にお仏壇を申すのです。

 49年前からお家の中心にお仏壇をご安置できて
南無阿弥陀仏とお念仏を申す生活を
されてきたということです。

 「先立つ子は善知識」といいますが
子どもさんが善知識として仏さまのご縁に
導いてくださったといただきます。

 仏さまのご縁に遇うというのは
自らはいっと手を挙げてお寺参りを始めたり
お仏壇を申すことでは中々ありません。

 殆どの方が有縁の方を亡くされる悲しみの中に
仏さまのご縁をいただくのです。
 悲しみのご縁をそのまま仏さまのご縁と
いただける有難さです。

 仏さまのご縁に遇ってお念仏を申す身になってくれよと
仏さまの願いの中にお念仏のみ教えを聞かせていただきます。

 90歳のお父さんが
「そろそろわしもあっちに往くようになった」
とぽつりをおっしゃいました。
 いずれ私たちもみんなその時が来ます。
お念仏申してお浄土参りさせていただきます。

 お浄土は俱会一処(くえいっしょ)の世界とお聞きします。
お浄土に生まれて子どもさんの仏さまと再会したときに
「父ちゃんよう50回忌まで勤めてくれたね
ぼくのことを最期まで忘れないでくれてありがとう」と
きっと子どもさんが言ってくれるでしょう。

 お念仏申すなかにお浄土に生まれて
先に往かれた方々と再び共に会うことができるのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先にお浄土に往かれた方も後に遺った私たちも
みんな一つにつながってあると教えていただく
お念仏のご法義の有難さ尊さを
深く深く味わわせていただきました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.29)


お念仏の声を聞きまかせ信じて生きる

2021-08-28
 パラリンピックの陸上競技を注目して観ました。
一つは走り幅跳び一つはトラック競技です。

 色んな障碍があってその程度(ランク)も違いますが
昨日は視力障碍者の競技でした。
 目が不自由で一人では競技できません。
走ることについてはガイドランナーという伴走者がいます。

 興味深かったのは女子の走り幅跳びでした。
コーチの声と拍手にタイミングをとって跳躍するのです。
 選手は手をあげてスタートを合図し
「1,2,3,1,2,3」のコーチの声と拍手に合わせて
助走し踏み切って大きくジャンプします。

 声をかける掛け声です。
声を聞いて動作を起こすのですが
声を聞くそのままに信じて走り出します。

 耳で聞いて頭で理解してという猶予はありません。
瞬時に全身で聞いてそのまま全身で反応するのです。
 聞くそのままを信じて行動です。

 目が見えない暗闇の世界にあって
どこに飛んで行くのか
この目で確かめることはできません。

 全身で飛んでどこに着地するのか
私がどうなるのか
聞こえてくる声を信じて
まかせる命をあずけるということです。

 大丈夫「まかせろ」「まかせた」という
お互いの信頼関係のなかで
真っ暗闇の中を光に向かって飛んでいけるのです。

 私たちのご法義に重ねて思います。

 私たちが生きるこの世界は
まさに真っ暗闇の迷いの世界だと仏さまは教えます。
 そんなことあるものか
この目で明るい世界が見えているじゃないか
どこが迷いかということですが
私が私がという我執に閉ざされた心の闇の世界です。

 自己中心の欲の心怒りの心愚かな心の
煩悩に絡み取られ縛られた私なのです。
 無明煩悩の迷いの闇の世界を生きる私に
阿弥陀さまの声が聞こえてくるのです。

 南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「私がいるよ大丈夫だよ
決してあなたを見捨てないから
我にまかせよ必ず救う」と
声がかかっているのです。

 弥陀招喚のお喚び声に乗じて
迷いの中を私たちは生きていけるのです。

 南無阿弥陀仏の声の仏さまです。
聞くということはそのまま信じることと
聞かせて信心いただくお念仏の世界なのです。

 声をかけてくださる方がいます。
一人じゃないということです。
 二人だけでもありません。
この目に見えない多くのご先祖有縁の仏さま方が
ご一緒してくださっているのです。

 迷いの闇の世界をお念仏申して
お浄土から開かれた明るい光の世界に
生きていけるのです。

 聞即信ということ
阿弥陀さまのご本願のお心を聞くことは
そのまま信じることだよと教えていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.8.28)


円光寺
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