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お念仏を申す生活法話

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文化の日です

2021-11-03
 今日は文化の日です。

 この時期恒例の秋の叙勲の発表を
昨日の新聞で知りました。
 黄綬褒章、藍綬褒章という
長年一つの専門事業や社会の福祉に貢献のあった方々に
日本国から贈られる勲章です。

 大分県内で9人いらっしゃって
その中の3人がわが町三佐の関係者でした。
 三人とも60代のよく知っている人ばかりです。
ごく身近なすごい話題で、びっくりしました。

 勲章はこちらから欲しいといって
もらえるものではありません。
 長年この道一筋に努力精進してきた方で
周囲の誰もが認める方に授与されるものです。

 天皇陛下の名前で表彰され
皇居に招待されて勲章をいただくということで
大変名誉なことです。

 さて文化です。
元々の意味はカルチャー、耕すということです。
 文化は私たち誰もが享受できるもので
物があふれ便利な社会生活の中にあって
心豊かに生き生きと生きる営みです。
 私たちでいったらお念仏の文化生活です。

 仏教文化といわれ
全国各地に仏教に因んだ行事や生活習慣が残っていますが
仏教には心田を耕すという意味があります。
 心の田を耕し法水という仏法の水を流すということで
仏法を聞いて心豊かに生きる文化生活です。

 勲章をいただける人は極々限られた人で
みんながみんな勲章をもらっていたら
勲章の価値はありません。

 私たちがみんな勲章をもらえるわけではありませんが
阿弥陀さまは私たちを誰一人漏らさず必ず救うと
お念仏のおはたらきをしてくださっているのです。

 お念仏は阿弥陀さまの文化カルチャーです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
私の閉ざされた頑なな心の田を耕してくれて
そのままお念仏を申す身にさせてくださるのです。

  「我にまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏のおはたらきが
私に至り届きこの口からお念仏が出てくださいます。

 お念仏の文化の薫りといって
お念仏申させていただくそのままが
お念仏の薫りをなって隣の人隣の人に届けられます。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申して
私たちはこの人生を生き抜かせていただき
誰もがお念仏申すこの身そのままで
阿弥陀さまのお浄土に招かれて往けるのです。
 
 文化の日の今日一日も
お念仏に薫る心豊かな一日でありたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.3)


だんご汁をいただきました

2021-11-02
 昨日の夕食で今年の秋はじめて
だんご汁をいただきました。

 小麦粉をこねただんごに野菜がいっぱい入った
みそ仕立てのお汁で
大分の代表的な郷土料理の一品です。

 だご汁と呼ばれる九州他県のものや
全国各地にも同じようなものがあるようです。

 大人数の食卓にも重宝する
栄養満点でお腹も膨れるみんなの大衆料理です。
 お家お家で代々受け継がれてきた味があり
私の小さい頃はばあちゃんがそして母になって
今は妻が作ってくれます。

 おいしいです。
特にこれから寒くなると
あったかいだんご汁は最高です。

 仏法聴聞に重ねて味わいます。
食べることは聞くことに通じるというお話です。
 食べたものを忘れても私の血となり肉となるように
お念仏のみ教えを聞いて忘れても
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきは
そのまま私のお念仏申す身になってくださるのです。

 私が食べるという私の行為ですが
そのまま多くの命をいただくのです。
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお心おはたらきで
南無阿弥陀仏の大きないのちをいただいているのです。

 それは私だけのことではなくて
隣の人も隣の人もみんな
阿弥陀さまの大悲の中に生かされて生きてあるのです。

 食べることを欠かす人はいません。
お念仏を申す日々の日暮らしの中に
南無阿弥陀仏のいのちを今日もいっぱいいただいて
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.2)


「仏法には明日と申すことあるまじく候。仏法の事はいそげいそげと仰せられ候なり」

2021-11-01
 11月になりました。

 10月からずっと藤田徹文先生の著書
『蓮如上人のお言葉』を順次拝読させていただきました。

 1998年に『蓮如上人五百回遠忌法要』がお勤まりで
その前の1992年に出版されたものですが
今読んでも色あせていません。

 1992年からではなく蓮如上人の時代
今から五百有余年前からです。

 蓮如さまのお言葉が直接聞こえてくるようで
今日の御文が最後になります。
「仏法のことは急げ」とタイトルがついています。

 私たちは人の世に生まれ今生きていますが
「何のために人間に生まれてきたのか」
「何のために生きているのか」という
人間存在の根本的な問いに
答えてくれるのが仏法なのです。

 人生の宿題といってもいい一大事ですが
私たちは日々生きることに精いっぱいで
人生の一大事をこれまで横に置いて
後回しにしてきたのではないでしょうか。

 食べるために働いて生きるのです。
忙しくて仏法を聞く暇がない
お寺参りはもっと歳をとってからの先の話と
思い定めていませんでしたか。
 その私が今ここ御仏前に座らせていただいているのです。

 蓮如上人は
「仏法には明日と申すことあるまじく候。
仏法のことは急げ急げと仰せられ候なり」と
おっしゃいました。

 仏法には明日はないというのです。
今日今ここを聞きなさいと言うのです

 私のこの命今ここを生きています。
私の予定表には12月のご法事の予定が入っていますが
その日まで元気で生きているかどうか
明日の命さえ誰もわからない
絶対大丈夫という保証はどこにもありません。

 ただ確かに分かっていることはただ一つ
私が今ここに生きているということです。
 ここ今この私を目あてに仏法
南無阿弥陀仏のおはたらきが届けられているのです。
 そのことを聞いてくれよ
そのことに目覚めてくれよというのです。

 今こここの私をそのまま
阿弥陀仏のお慈悲の光明の中に摂め取って捨てないと
南無阿弥陀仏のお救いの法です。

 「仏法のことは急げ」と
他力の信心をいただいて
お念仏申す身になっておくれと
蓮如さまのお勧めです。

 今日は10時から昭然前住職の23回忌の
祥月命日の御法座をお勤めします。

 22年前です。
お朝事の喚鐘をつく準備をしていたときに
往生の連絡が入りました。

 今日喚鐘をつきながら
「仏法のことは急げ急げ」と聞こえてきます。
 仏法を聞けよ
仏法を聞くためにこの人間に生まれて来たんだよとの
度重なるご催促です。

 今日もいつもの指定席に座らせてもろうて
皆さんとご一緒にお正信偈のお勤めをして
声高らかにお念仏申させていただけたことを
本当に有り難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.1)

「その籠を水につけよ。我が身をば法にひてておくべき」

2021-10-31
 「仏さまのお話を聞かせていただいても
聞かせていただいたことをすぐ忘れてしまいます。
こんなことでいいのでしょうか」という人がいます。

 蓮如上人の頃にも
そんなことを尋ねられた方がいらっしゃったようで
「我がこころはただかごに水を入れ候やうに
仏法の御座敷にてはありがたくもたふとくも存じ候が
やがてもとの心中になされ候」
<私の心は竹で編んだザルのようなもので
 聞いている時は「有難いお話、尊いご縁」と
 よろこばせていただきますが
 やがて、水がザルの隙間から抜けるように
 聞いた話がどこかに消えてしまいます>
と尋ねられたそうです。

 そのお尋ねに対して蓮如さまは
「そのかごを水につけよ。我がみをば法にひてておくべき」
<ザルのように隙間が多ければ多いほど
 そのザルごと水につけておけば
 水は内外ともにしたしてくれますよ>
と答えられたのです。

 忘れることを気にせずに
一度でも多くみ教えを聞かれることが大切ですよ
とのお諭しです。

 食事をする食べるということに
重ねて味わいます。

 私たちは毎日食事をして生きていますが
これまで食べたものを忘れたからといって
その栄養分が身につかないということではありません。
 食べたものを覚えていなくても
身につくものはちゃんと身についてくださっています。

 仏法の御座のご縁で聞かせていただく仏さまのみ教えは
私がしっかり聞いて覚えなくても
忘れてもいいのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきが
そのまま私の身についてくださって
この私の口から今日も南無阿弥陀仏とお念仏が
出てくださるのです。

 仏法の御座に座らせていただき
仏法聴聞させていただいて
お念仏を申す身にさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.31)


「物をいへ物をいへと仰せられ候」

2021-10-30
 蓮如上人のお言葉です。

 「物をいへ物をいへと仰せられ候。
信不信ともにただ物をいへと仰せられ候。
物を申せば心底もきこえ、又人にもなをさるるなり。
ただ物を申せ」
<黙っていると自分の聞き違いなり
 理解不足を直してもらうことができません。
 ものをいって、自分の意見を言い張るのではなく
 みんなに直してもらうことが、何ごとにつけても大切です>
と言われています。

 今もこうして皆さんにお話をさせていただいています。
一方的にといいますか、私が話し皆さんは聞く人です。

 通常私たちの日常の会話もそうですが
人の話を聞いて、それをどう受け止めるかは
その人人によって違います。
 話し手の思いがそのまま伝わっているかというと
中々そうは言い切れないところです。

 仏法という真実の教えのお話ですが
人が言葉をもって話すとそこにその人の思いが入って
聞き手からいうと聞き違いや不審も生じるのが
私たちの言葉の世界です。

 ものを言えというのは
不審に思うこと分からないことは
尋ねなさいというのです。

 ものを言えばその人の心底も明らかになるといいます。
分かったつもりになっているのが一番危ないのです。
 分かったつもりのことを言葉に出すことで
間違いを直されることにもなるのです。

 話し手も聞き手も私たちはみんな
同じ南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくのです。
 南無阿弥陀仏という畢竟依
生死の帰依処を互いに確かめさせていただくのです。

 蓮如さまが御文章さまにしたためられた
「聖人一流のご勧化のおもむき」です。

 日々の日暮らしの中で様々な困難にあうときも
南無阿弥陀仏とお念仏申して生きて往ける
私たちのお念仏のお救いのご法義です。

 「聖人一流のご勧化のおもむきは
信心をもって本とせられ候」と
今日も御文章さまに何度も何度も
他力の信心をお勧めです。

 この私を「必ず救うまかせよ」と阿弥陀さまの仰せに
「おまかせします阿弥陀さま」と信順して
南無阿弥陀仏とお念仏申して
今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.30)
円光寺
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