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お念仏を申す生活法話

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南無阿弥陀仏の声のあたたかさ(2009年アーカイブ)

2022-04-10
 今日は天皇皇后両陛下のご成婚50年の金婚式で
テレビ新聞等々で特集があっています。

 昭和34年4月10日のことです。
当時はまだ珍しかったテレビ中継があり
馬車のパレードを観た方も多かったと思います。

 もう50年になるのかなということで
この50年の歩みを記者会見で天皇陛下は
「妃殿下には大変苦労をかけた。
いろんなことがあった。
でもよく耐えてくれました」と。

 それに対して皇后さまは
「天皇陛下がいつもそばにいらっしゃったから
それが大きな支えになりました」と
述べていました。

 夫唱婦随といいます。
夫婦は二人で夫婦なんですね。
 50年といって
それこそ長い長い道のりで
いろんなことがあったと思います。

 これは私たち一人一人の50年でもあるわけです。
いろんなことがありました。
 そういうなかに私たちは
お念仏のみ教えに遇わせていただきました。

 昨日申しました和上さんのお話で
「この歳になって思うのは
お念仏のご法義は私たちにこうしなさいと
生き方を問わないが
私たちがご法義に遇うということは
<そうですね>と言える人間になることではないか」
と言われていました。

「そうですね」と言える。

 お話のなかで紹介されたことですが
俵万智さんのベストセラー『サラダ記念日』に
「寒いねと話しかければ
寒いねと答える人のいる
あたたかさ」と歌われています。

 「寒いね」と言ったら
「寒いね」という言葉が返ってくる。
 私たちの人生に重ねていえば
「大変やったね」と言ったら
「大変でしたね」と返ってくる。

 「寒い」と言っても
その寒い状況は一つも変わりませんが
「寒いね」と言葉が返ってくるところに
あたたかさがあるというのです。

 そこにあなたがいるということです。
あなたがいるから
その寒さにも厳しさにも耐えていけるのです。
耐えていけたのでしょうね。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申す
そこにあなたが
阿弥陀さまがいらっしゃいます。

 南無阿弥陀仏
そこに私たちのご先祖有縁の仏さま方がいらっしゃいます。

 だから私たちは生きて往けるのですね。

 生きていくことは
老いていく病んでいく
そして死んでいくことで
そこだけ見れば
見たくなく聞きたくない嫌なことです。

 いつまでも若くありたい健康でいたい
長生きしたいお互いですが
現実は生老病死の身を生きている私たちで
厳しく大変な人生を今日も生きているのです。

 「寒いね」と言ったら
「寒いね」と声が返ってくる。

 南無阿弥陀仏とお念仏申すと
そのまま南無阿弥陀仏の声が聞こえてきます。

 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のお喚び声になって
私と共に生きてくださっているのですね。
 老いていくなか病んでいくなか死んでいくなかにも
お念仏の声となってご一緒くださるご法義です。

 お念仏申して今日一日も日暮らしさせていただける
あたたかさ身のしあわせを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.4。10)

 


「この歳になって」(2009年アーカイブ)

2022-04-09
 昨日は別府別院の報恩講さまにお参りして
ご法話お聴聞させていただきました。

 浄土真宗のみ教え宗学を究められた勧学和上さまで
85歳ですがかくしゃくとして言葉もはっきりと
法味あふれるお取り次ぎをいただきました。

 「この歳になって」という言葉が
何度も何度も出てまいりました。

 「この歳になって」と
いよいよお念仏のご法義を味わわせていただく身に
ならせていただいたという慶びです。

 仏法聴聞とはしっかり聞くことは要らないと
おっしゃいます。

 私たちはどうかしますと
しっかり聞こうとします。
 お説教を一字一句聞き漏らすまいと
書き留めたり録音する人もいます。

 しっかり聞こうとしても忘れます。
そこで大事なことはこの身を
仏さまのご縁に浸すというのです。

 ご門徒さんが
「仏法聴聞のご縁をいただいても
何度も何度も聞いてもわからない」と言われます。
 これは皆さんの疑問かもしれませんね。
お寺にお参りしてお話を聞いてもすぐ忘れるし
何のことかさっぱり分からないと言われます。

 蓮如上人は
「それはちょうどザルで水をすくうようなものだ」
とおっしゃいました。
 しっかり聞こう覚えようというのが私の心で
ザルでいくら水をすくおうとしてもすくえないと言われ
そのザルを水に浸せばいいとおっしゃるのです。

 水に浸すように仏法聴聞のご縁に身を置けば
お念仏のご法義おはたらきが自然にそのまま
わが身にしみ込んできてくださるというのです。
 私の力は一つも要らなかったのです。

  阿弥陀さまの他力のおはたらき一つで
この私がそのまま救われていくお念仏のご法義です。

 宗学を究められて勧学さんがこの歳になって
「しっかり聞かなくていい」と言われるのです。

 風呂に入るのにしっかり温まろうと
しっかりお湯に浸かってと思って入って
温まる人がおるかと言われます。
 ぼやーっと入ったらいいと言われます。
ぼやーっと入ってもしっかりという思いで入っても
同じだろうと
それだったらぼやーっとしとったらいいと言われるのです。

 仏法聴聞もぼやーっと聞いておったらいいというのです。
味わい深いお話で
やっぱり「この歳になって」ということでしょうね。

 この和上さん最後にこうおっしゃいましたよ。
どうぞ歳をとってくださいと
歳をとっていよいよ仏法聴聞のご縁を重ねてくださいと
そして阿弥陀さまのお慈悲をいっぱいいただいて
この限りある人生を
共々に生かされて生きてまいりましょう
と結ばれました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009.4.9)

「みんな生れたね!あなたに遇えて本当によかった」

2022-04-08
 今日4月8日はお釈迦さまの御誕生をお祝いする
花まつりの日です。

 お釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけて
お誕生をお祝いしますが
この誕生仏のおすがたは
私たち一人一人が誕生したすがただと言われます。

 右手は天上を指し左手は天下を指して
「天上天下唯我独尊」と宣言されたおすがたです。
<天の上にも下にもただ我独り尊し>と
あらゆる世界の中でたった一つの
かけがえのない命を恵まれて
この世に生まれてきたというのです。

 みんなそれぞれオンリーワンのいのちを
生きている私たちだということです。
 かけがえのない尊い命を生きる私たちお互いが
この同じ社会に共に生かされて生きて
「みんな生れたね!あなたに遇えて本当によかった」と
お釈迦さまが開かれた仏法に聞かせていただきます。
 
 境内の桜も花びらは散ってしまいましたが
若い葉が出てきて光の中に輝いてきれいです。 

 花開き緑輝く4月です。
今日は多くの学校で始業式です。
 4月8日は新たな始まりの日で
希望いっぱいにちょっぴり不安を抱えて
スタートラインに立つ思いです。

 この一日の始まりです。
今日も生きていきます。
 どこに向かって?
お釈迦さまは「阿弥陀さまのお浄土だよ」と
教えてくださいました。
 「南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよ」と
阿弥陀さまが喚んでくださっています。

 4月8日花まつりの日です。
お釈迦さまのお誕生に思いをはせ
お念仏申して生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.8)


国や民族言語を超えてつながるいのち

2022-04-07
 今朝の地元紙の第一面に大きく
別府市がウクライナ避難民を受け入れると
載っていました。

 社会面を読むと別府のAPU立命館アジア太平洋大学の
卒業生夫婦が難民受け入れの調整に
奔走したということです。
 現在は長崎県壱岐市在住の
ウクライナ出身の妻と日本人の夫だといいます。

 記事には2人は「別府は外国人に寛容な国際都市」で
「別府市がモデルとなり
他の自治体にも広がってほしい」とありました。

 別府だけではなく外国の方を町中で見かけることが
日常的に多くなりました。
 ただ私たち一般市民にとって
日常の交流とまでは行きません。

 一昨日は林外務大臣がポーランドを訪問し
ウクライナの避難民20人を日本に連れて帰りました。
 避難民は全部で300万人とも400万人ともいわれ
隣国ポーランドには多くの避難民が入国して
受け入れる側も大変な事態になっているそうです。

 これまでも日本は難民の受け入れには慎重で
消極的な対応を国際的に評価されないところがあります。
 日本は地理的に遠いということもありますし
生活習慣が欧米の国とは異なるところが多々あります。
 言語も違うし世界の共通語といわれる英語も
日常会話ができる日本人がまだまだ少ないなかで
受け入れることの難しさと不安です。

 日本で生活しているウクライナの方も多くいて
その方の家族親族を日本に呼ぶことは
まさに家に帰るということで安心です。

 今回のことであらためて
日々の人と人との交流の大切さを思います。
 私たちが分からないところで
民間の交流ができていることを知りました。

 日本にロシアの方もたくさんいらっしゃいます。
今どんな気持ちで日暮らしされているのでしょうか。
 積極的に戦争反対の声をあげたり
難民受入れ活動をサポートされている
ロシア人もいると思います。

 民間外交の交流の力です。
民間では国籍の違いを超えて
人と人とのつながりがあるのに
何で国レベルで戦争になるのでしょうか。

 ロシア軍が撤退した首都キーウ近郊の町で
殺害された民間人がたくさん見つかったという報道です。

 何のための戦争でしょうか。
平和のためといって
みんなが平和になることではありません。
 何もかも破壊し尽くして
後には深い悲しみと怨み憎しみしか残りません。
 これほど愚かなことはありません。

 私たち人間が為す罪業です。
そのただ中を今私たちが生きていることを
仏法に謙虚に聞かせていただき
私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.7)


親さまの御手回し

2022-04-06
 昨日二件のお参りがありました。

 一件はお母さんの百か日のご縁で
私と同年輩の三人の子どもさんがお参りでした。
 一人は施主のお家の長男さんですが
あとの二人は亀川と朝地から9時の時間に合わせて
朝早く家を出たけれども渋滞にあったというお話でした。

 もう一件はお母さんの祥月命日のお勤めで
大分の町中のご門徒さん宅にお参りしました。
 毎年のことで10月はお父さんのご縁です。

 二件のご縁とも
親の仏事を子どもがお勤めするということです。

 大分のご門徒さんご夫婦は80歳前後の方で
数年前までは他の姉妹もお参りされていましたが
「もうみんな高齢になって
お参りできないようになりました」と言われます。

 有り難いですね。
親のご縁に子どもたちが御仏前に集うのです。
 家付きの施主だけではなく
親にとって子どもはみんな同じです。

 仏さまのご縁です。
先に往かれたお父さんお母さんの仏さまが
御仏前に誘ってくださり仏法を聞かせていただけるのです。
 南無阿弥陀仏のご縁おはたらきです。

 歳を重ねる中に仏法に遇うことの
有難さを思うご縁になるようです。
 昨日はお勤めの最後に拝読する御文章について
「聖典のどこに載っていますか」とたずねられました。
 黒本の聖典に載っている箇所を教えて
他に記載の「拝読用法語」「まことのことば」も紹介し
節をつけなくてもそのまま読んでくださいと
お勧めしました。

 お坊さんと一緒にお勤めをするのもご縁ですが
皆さんでお勤めするのも同じ仏さまのご縁です。
 声に出して読んでくださいと重ねて言いました。
声に出すと聞こえてきます。
私だけではなく隣の人にも聞こえます。

 お念仏の声です。
声に出してお念仏申しましょう。
 聞こえますね、仏さまの声が。
声の仏さまの大本は阿弥陀さまですが
先に往かれたお父さんお母さんの仏さまの声です。

 若くて忙しい時分は御仏前に座ることがなかったこの私が
親のご縁で御仏前に座らせていただけます。
 仏法を聞きたい聞こうという気持ちが
少しですが起こってくるということです。

 大事な大事なお念仏相続の親さまの御手回しのご縁に
遇わせていただきました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.6)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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