智者と愚者
2022-04-20
今日20日の御文章は「八万の法蔵章」です。
智者と愚者という言葉が対比されて出てきます。
キーワードは「後世を知る」で
「後世を知るを智者」といい
「後世を知らざるを愚者」といわれます。
私たちの社会常識では
智者とは知恵知識のある者で
愚者とは知恵知識のない者と見ますが
仏法の見方はある意味逆転しているのです。
智者といい愚者といい
仏法の教えの上での言い方で
「仏法を学ぶ聞く」ということと
「仏法に学ぶ聞く」ということの違いです。
仏法を学ぶという見方は
自分を中心に仏法を学問として
対象化して学ぶということで
学んだ習得度をテストをして見極めることで
智者愚者の区別ができるのでしょうか。
一方仏法に学ぶ聞くという見方は
仏教の教えに私のあり様ありのままの姿を聞くこと
私を聞くのです。
仏教の教えは鏡だという譬えです。
鏡は私の姿をそのまま見せてくれます。
私を知らせてくださる鏡です。
「鏡を見なさい」といわれて
鏡のデザイン形や大きさを見るのではありません。
鏡を見て鏡にうつる自分の姿を見るのです。
親鸞さまは阿弥陀仏の本願の鏡に遇って
ご自身のありのままの姿を
救われようのない地獄一定の煩悩具足の凡夫と
知らされたといわれます。
同時にこの地獄一定の私を
必ずそのまま救うとおはたらきの
仏さまがいらっしゃることを知らされるのです。
阿弥陀さまが南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
地獄一定の私をそのまま
往生一定の私にしてくださるのです。
阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきが
もう既に私のところに至り届けられていることを
聞かせていただきましょうといわれるのです。
浄土真宗のみ教えに
ありのままの私を聞かせていただき
そのまま救う阿弥陀仏の本願他力の仏法に
遇わせていただくのです。
仏法聴聞はこれだけ聞いたから大丈夫と
聞くのではありません。
ご縁ご縁に南無阿弥陀仏のいわれを
聞かせていただくのです。
お念仏を申すなかに今日一日も
お念仏に聞かせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.20)

暗闇を破る光明のはたらき
2022-04-19
朝が本当に明るくなりました。
いつも本堂に電灯をつけてから外に出て
6時の梵鐘を撞きますが
ちょっと前までくっきり見えていた本堂の灯りが
今は殆ど目立ちません。
一昨日は今の時期ピンクムーンという満月でしたが
6時の明るい空には月を見ることはできません。
光には闇を破るはたらきがあります。
明るい中ではロウソクの灯りは目立ちませんが
暗闇のなかではロウソクの灯り一つで
周囲を一気に明るくしてくれます。
仏さまにお供えするロウソクの灯りを
阿弥陀さまの智慧と慈悲の光明といただきます。
私の目には見えない心の奥底の煩悩の心を
そのまま照らし出してくださるのです。
私たちの日暮らしは自分の思い通りに行けば
それでいいのでしょうが
思うようにならないで悩み苦しみ迷う私がいます。
周りの者が自分の言うことを聞かない
自分の思うようにならないと
自分の都合に合わせて見るのが私たちだと
仏さまは教えてくださり
その原因を無明煩悩と言われます。
欲の心怒りの心愚かな心をわが身に具えて
暗闇の中に迷う私のありのままのすがたです。
阿弥陀さまは迷う私を放っておけず
智慧の光明で私を照らし
煩悩具足の凡夫と知らせて
慈悲のはたらきでそのまま摂め取ってくださるのです。
私たちはいつでもどこでも阿弥陀さまの
智慧と慈悲の光明の中に摂め取られているのですが
私たちは世間の虚仮不実の生活に迷惑して
阿弥陀さまの光明に遇うことが難しいのです。
季節が移り外が暗くなったら
本堂の灯りがまたくっきり見えてきますが
明るい中にも暗い中にも
阿弥陀さまの光明は常に私たちを照らし
護ってくださっていることを
今日の朝のひと時のなかに有難く思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.19)

再び佐々木投手
2022-04-18
先週の月曜日にプロ野球ロッテの佐々木朗希投手が
28年ぶりに完全試合をしたお話をしましたが
昨日は中6日の予告先発でテレビ中継があって
ついつい最後まで観入ってしまいました。
「令和の怪物以上の怪物」と実況されていましたが
本当に凄いですね。
相手投手までも「ワクワクして楽しかった」と
言わせるまでに圧巻でした。
何と8回まで一人のランナーも出さない
パーフェクトピッチングを続けて
9回佐々木投手はマウンドに上がらず
2試合連続の完全試合達成は成りませんでした。
両チーム無得点で球数も100球を超えてと
昨夜のスポーツ番組や今朝の新聞の解説をみても
総じて正しい判断だったと
好意的に受け止められています。
球場につけかけた満員のファンやテレビ観戦の人の
大きな期待はあったと思います。
2試合連続の完全試合なんて
とてもとても考えられない
夢のまた夢のようなことですから
歴史的な瞬間に立ち会いたいという思いはわかります。
佐々木投手のことをずっと傍で見てきた
監督コーチはじめ球団関係者のその時の判断です。
人間ですから限界があります。
どんなにすごい球を投げていても
球数が増えれば当然球速も落ちてくるし
無理をして後々肩を壊し故障して
早く引退する選手が
今までも何人もいました。
科学の力です。
これまでの積み重ねがデータとなって
その選手に合ったトレーニング体力づくりをしてきて
今年でプロ3年目の20歳です。
まだまだこれから大記録に挑戦するチャンスは
いくらでもあるということです。
佐々木投手のエピソードで思い出すのでは
夏の高校野球岩手県予選の決勝戦です。
準決勝で佐々木投手が完封勝ちして決勝に進出
あと1勝で甲子園出場が決まるという試合でしたが
監督は決勝戦に投げさせなかったのです。
当時は賛否両論ありましたが
今になって思えば
将来を考え連投して故障を防ぐためにという
監督の英断でした。
スポーツ根性論が言われる時代がありました。
今できることを100%否120%出してとにかく頑張れ
後悔しないようにとにかく頑張れといわれたものです。
頑張れと言われて頑張っても
頑張れない私がいます。
私たち個々の能力はそれぞれ違って
限られたものです。
阿弥陀さまのお救いのご法義を重ねて思います。
「あなたをそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきのご法義です。
私たちの能力にかかわらず
すべてのものをそのまま救うというのです。
私たちがこれまで歩んできた人生の道行き
生活ぶりは人それぞれに違います
野球選手もそれぞれ能力が違い
野球の楽しみ方も違います。
プロ野球選手になって活躍する人もいれば
歳を重ねる中に野球を楽しむ人生を送る人もいます。
阿弥陀さまは人それぞれの違いを超えて
今ここに生きるこの私をいつも見守ってくれて
「我にまかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のお喚び声となって
私と共に生きてくださる
仏さまになってくださったのです。
私が私がと頑張って生きてきた私たちですが
私のすぐ傍で私のことをいつも思うてくださる方々に
支えられ生かされて生きてきたのですね。
「どんなことがあっても私が一緒だから大丈夫」と
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞かせていただき
今日一日もお念仏申して生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.18)

<おでかけ法話会>の試みです(2015年アーカイブ)
2022-04-17
昨日は大分市のコンパルホールで
法話会のご縁をもちました。
ずっと夢のように描いていた
初めての企画試みです。
浄土真宗のお寺は聞法の道場と言われ
お念仏のご法座を開く大きなつとめがあります。
お念仏のみ教えを私が聞き
あなたに伝えるご縁であり
お寺そしてご門徒皆さんのお家の
阿弥陀さまの御仏前のご縁です。
現代社会のあり方を思うとき
お寺やお仏壇の存在は私たちの日々の生活の
異空間になっているようです。
葬儀や法事に御仏前に座るご縁は
まだまだ残っているものの
日常お寺やお仏壇にお参りすることは
殆どないのではないでしょうか。
核家族でお仏壇の無いお家で生活している人が多く
古里を離れてお手次のお寺は距離的に遠くなりました。
そこで考えました。
お寺に皆さんが参られるのを待つのではなく
こちらから出かけて行こうと思い立ちました。
大分の町中<大分市コンパルホール>を会場に
毎月一度の仏さまのご縁をいただこうと
昨日初めて<大分まちなか法話会>の
お念仏のご法座を開きました。
ご本尊の阿弥陀さまをご安置した
小型のお仏壇をお供してのご縁です。
円光寺報『ようこそ』を発信している
ご門徒有縁の皆さんに呼びかけて
昨日は15名の会になりました。
他のお寺のご門徒さんも
私の学校時代の友人も参加してくれて
お互い初めての者同士もあって
これからの展開が大変楽しみです。
昨日は大分駅ビルのオープンの日でした。
何かが始まる何かを始めようと
大分町中からお念仏の声をお届けしたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2015.4.17)
★「大分まちなか法話会」は現在も毎月第3金曜日に
大分市コンパルホールで続いています。
ご案内詳細はHPでご覧ください。

新たな試み工夫です(2015年アーカイブ)
2022-04-16
昨日は別府別院の報恩講に
お参りさせていただきました。
16日の今日が御満座で
昨日は大逮夜というご縁でした。
報恩講は毎年親鸞聖人の御命日をご縁に
私たち浄土真宗門徒がお勤めさせていただく
最も大切な親鸞聖人のご法事です。
大逮夜はお通夜のお勤めの習わしで
夜を通して親鸞さまのご遺徳を門徒衆で偲ぶものです。
ご本山では通夜布教といって
翌日の朝まで夜を通して全国の布教使の方々が
次々にご法話お取り次ぎをされるご縁があります。
昨日は初夜勤行の後で
親鸞聖人のご一生を説かれた『御伝鈔』の御文を
拝読いただきました。
お寺の報恩講には向かって左余間に
親鸞聖人のご一生を絵に描いた
『御絵伝』をご安置します。
この『御絵伝』とあわせて『御伝鈔』を
ご門徒中で拝読させていただくのが
先人から伝えられてきた御正忌報恩講の習わしです。
一年一度の有難いご縁ですが
見ても読んでもわからないことが多く
お説教で聞きなさいということですが
昨日はパソコンのプロジェクター機能を使って
大きな画面に御絵伝を映し分かりやすい説明を添えて
『御伝鈔』を拝読させていただいたことです。
工夫です。
今の時代今の人に伝えていく工夫です。
昔からこうしていると
昔流儀のことを続けていても
人に伝わりにくいものがたくさんあって
今もそしてこれからの時代にも
どんどん遅れていくようなことです。
このお朝事は先人が伝えてくださった
仏法聴聞お念仏のご法座の尊いご縁です。
今日16日は親鸞さまの御命日で
毎月16日には常例法座をお勤めしています。
皆さんのお家にも月参りやご法事の
お念仏のご縁があります。
昔から伝えてこられたことを
今まで通りに続けていくことも大事ですが
工夫して新たに取り組むことも大事です。
時代社会のあり方が変わる中で
お寺のあり方も変わっていく新たな試み工夫です。
今日は大分の駅ビルがオープンということです。
新しい時代の幕開けを予感します。
私たちは新しいものにすぐ心ひかれますが
駅ビルも一日で新しくなったわけではありません。
古い時代があって昔からの伝統のなかに
先人のご苦労があって新しいものです。
その時代時代に工夫があったと思います。
これまでの歴史と伝統を訪ねていくなかに
いよいよお念仏のみ教えが一人でも多くの皆さんに
伝わるように工夫して
できることから実践させていただきたいと思うことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2015.4.16)
