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お念仏を申す生活法話

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友からの便り

2024-08-21
 友からの便りです。
便箋2枚いっぱいに近況やいろんな思いが
綴られていました。

 高校の同級生で70歳を過ぎ退職されての生活です。
病気と向き合う思い通りにならない様子を
初めて知りましたが
楽しみを見つけて前向きに生きながら
私のことを気にかけ励ましてくれて
大変力強く思います。

「友あり遠方より来る、また楽しからずや」
(同学の友人が遠くから一緒に研鑽しようと
 訪ねて来てくれた。
 本当に楽しいことである)
『論語』の言葉を合わせて思います。

 実際に会うことではありませんが
便りのなかで共に会って
一緒に学ばせていただいているんですね。
 本当に有り難いことです。

 毎日お朝事のお勤めで
『正信偈和讃』『御文章』を拝読させていただきます。
 親鸞さま蓮如さまからの便りです。
「阿弥陀如来の本願を信じまかせて
往生浄土のお念仏の道を一緒に歩んでゆきましょう」と
今日一日も如来の大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.21)

甲子園の大声援

2024-08-20
 日本の夏の風物詩ともいわれる
全国高校野球選手権甲子園大会で
昨日の準決勝でベスト4が出そろいました。

 いつもの常連校が多く残っているなかで
今大会一際注目を集めているのが
島根県代表の大社高校です。

 出雲の国の出雲大社で有名ですが
高校野球も1917年夏に初出場を果たし
春夏通算11回出場の名門校です。
 今大会は初戦兵庫報徳学園、二回戦長崎創成館
三回戦では東京早稲田実業に延長11回タイブレークで
劇的な勝利を挙げました。

 「甲子園には魔物が住む」といわれます。
劇的な試合が続き何が起こるかわからないなかで
無名の弱小校が強豪校を破ったりということを
いうそうです。

 大社高校の快進撃に
甲子園球場に詰めかけた観客から応援の
大声援が上がります。
球場全体が大社ファン一色になったような状態で
後押しします。

 判官びいきという言葉があります。
弱い立場の者に同情し肩を持つことで
甲子園は今は全国から有望選手を集めた
私学の常連校が多い中で
大社高校のように
地元のメンバーでチーム編成する県立高校に
肩入れし応援することです。

 応援が多くても実力が伴わねばということですが
実力以上の力を発揮し番狂わせの結果を生むのも
甲子園に魔物が住むということなのでしょう。

 大社高校は準決勝で鹿児島神村学園に敗れましたが
その活躍ぶりは今大会を象徴するものでした。

 甲子園の大声援は球場全体に轟き渡り
大きな力となって選手たちのプレーを後押しします。
 何が起こるかわからない不安な中に
大きな安心と勇気を与えてくれます。

 南無阿弥陀仏のお念仏の声です。
「まかせよ救う」の阿弥陀如来のお喚び声です。
「どんな時もいつでもどこでも一緒だよ」と 
敵味方関係なく私たちに寄り添い
応援してくださいます。

 お念仏の声に支えられ安心して
今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.20)

「さて、今日はどうする何をする?」

2024-08-19
 蒸し暑い朝になりました。
空はどんより曇り空で
今日は久しぶりに雨の天気予報です。

 8時過ぎ、雨が降り出しました。
連日の猛暑酷暑で
冷房の効いた部屋から出る気力もなく
もう人間も植え物も息絶えだれの状態です。

 今日は月曜日でゴミ出しの日です。
雨の中を傘を差さずに外に出てゴミ出しをしました。
何か新鮮で心地よい気分です。

 さて、今日も一日が始まります。
「さて、今日はどうする何をする?」
 予定が入っておれば
「では、始めましょう!」と行動開始ですが
取り立てて予定がないときは
「さて、どうする?」と
あれこれ思案を廻らします。

 今日の目標生きる目的です。
今日行く所があるということで「教育」
今日用事があるということで「教養」というそうです。
 
 人生是れ教育教養です。
人と生まれて何も知らない分からない
赤ん坊の頃からずっと
周りの方々に教え養われ育てられてきました。
 これまでもそしてこれからもです。

 仏教は仏さまの教え
迷いの私がさとりの仏に成る教えです。
 阿弥陀如来の本願力回向の
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにどんな人も救われて
往生浄土の人生を生きて仏にさせていただく教えです。

 仏法聴聞させていただく
お念仏の道場が浄土真宗のお寺です。
 お寺にお参りしましょう。
仏さまのみ教えを聞いて
お念仏申す身にお育ていただきましょう。

 「今日はどうする何をする?」
私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが
今日も一日南無阿弥陀仏のお心はたらきにまかせて
お念仏申して共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8、19)
 

「比べることから離れよう」※転載

2024-08-18
 次のような昔話を聞いたことがあります。

 ある人がお隣の家を見て
「障子が破れているのに何カ月も貼り替えていない。
なんてズボラなんだ」と言うのですが
当の本人は、自分の部屋の破れた障子から
お隣を覗いていたというのです。

 このように、私たちは
自分のことになかなか気づけないのかもしれません。

 さらに言えば
自分を見つめるのは勇気がいるでしょう。

 家族の誰かが手を滑らせて湯飲みを床に落とした場合
ケガの無かったことを確認して一緒に片づけたとしても
頭の中では「(家族の誰それが)湯飲みを割った」という
言葉が思い浮かぶのではないでしょうか。

 ところが自分が湯飲みを落とした時には
「湯飲みが割れた」と
湯飲みがひとりでに落ちたようにつぶやいて
反射的に他のせいにするのですね。

 今日はネットを通じて自分以外のことを
容易に大量に知ることができます。
 かといってスマホを手放す生活など
容易ではありません。

 せめてときどきは
本願寺インスタグラムを見ながら
他との比較を離れた仏さまの言葉に触れて
自分自身を見つめていたいと思います。

※『本願寺インスタ倶楽部』
   (本願寺派総合研究所 高田未明副所長)より転載
    ー本願寺新報2024年6月20日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.18)

平和を願う鐘つき

2024-08-17
 私たちのお寺では
毎年8月15日の終戦記念日に
「全戦没者追悼法要」をお勤めし
正午から「平和を願う鐘つき」をしています。

 戦争に勝者も敗者もありません。
戦勝国といったり敗戦国といったりしますが
戦争で亡くなられた人の命は
勝って名誉の死と讃えられ
負けて辱められるものでもありません。
 みんな同じ仏さまに願われた
尊いいのちであると聞かせていただきます。

 梵鐘には「響流十方 南無阿弥陀仏」と
刻印されています。

 『大無量寿経・讃仏偈』に
「正覚大音 響流十方」
(さとりの声は高らかに、すべての世界に響きわたる)
と説かれています。

 十方衆生を分け隔てなく必ず救うと
南無阿弥陀仏のお喚び声おはたらきです。
 すべての世界の生きとし生けるもの
私たちに等しく届けられている
阿弥陀如来のお心です。

 戦場で亡くなられた人だけでなく
空襲でそして原爆で亡くなられた人
全ての戦没者を追悼し
「二度と過ちは繰り返しません」と
平和を願い誓って梵鐘を撞きます。

 親鸞さまは
「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と
述べられています。

 仏法がひろまるところ
世のなかが安穏になると聞かせていただきます。
 仏法聴聞させていただき
お念仏申す身にお育ていただくなかに
私にできる仏恩報謝のお手伝いを
精いっぱいさせていただきましょう。

 今年も燃えるような猛暑のなかに
9人のお同行で平和の鐘つきをいたしました。

ご一緒に、お念部t申しましょう。(2024.8.17) 
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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