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お念仏を申す生活法話

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母の涙

2025-01-16
 今日は母の一周忌法要のご縁で
ご門徒親族有縁の皆さんとご一緒に
お勤めをさせていただき
母のエピソードをお話しました。

 よく泣く母でした。
悔し涙うれし涙、喜びの涙悲しみの涙
いろんな涙だったのでしょう。
 思い返せば私の人生の節目節目に
泣いていたように思います。
 私が泣かせていたんでしょうね。

 私が小学校の6年生の頃のことです。
その日は居残りでクラスの友だち数人で作業をして
いつもより遅く帰宅しました。
 その友だち皆で帰ってから
一緒に遊ぶ約束をして気持ちよく帰ったのです。

 すると母から急に
「今から門徒さんのお家に月忌参りに行ってほしい」
と言われました。
「えっ何でどうして」と反発する私です。
それでも母はいつものようにやさしく私をなだめて
頼むように言います。
 私は私でますます逆上して最後は
「わかった。お参りすればいいやろ!」と言い放って
バタバタ衣に着替え
鬼のような形相で何度も悪たれをつく
私の様子をじっと見ていた母がついに
「そんな顔してもう参らんでもいい!」と
きつく言いました。

 その言葉を振り払うように
バターンと戸を閉めて
私は自転車でお参りに出ました。
 まだまだ怒りはおさまりません。
意地っ張りの私が考えたのは
「よーし困らせてやれ」ということでした。

 子どもの浅知恵です。
お経をいつもより3倍も4倍も
もっと遅いペースで読みました。

 何件か参るうちに
辺りはすっかり暗くなっていました。
 最後のお家にお寺から迎えが来ていました。
それでもゆっくりゆっくりお経をあげて
帰宅しました。

 「これしてやったり!」と得意満面に帰った私に
母は何を言ったか覚えていませんが
泣いていたと思います。

 帰りを心配しての涙でしょうか
情けない我が子を嘆く涙でしょうか。

 阿弥陀さまは大悲の涙から
立ち上げってくださった仏さまです。
 わが一人子を泣きながら
そのまま抱きかかえてくださる親さまです。
 
 鬼の心をもった私です。
さるべき業縁がととのえば
人を責める鬼の言葉となり鬼の形相になるこの私を
決して見捨てることなくそのまま抱き取って
お念仏のご縁に遇わせてくださるのです。

 母のご縁に今日もゆるされて
阿弥陀さまの御仏前に座らせていただき
お念仏申す身にさせてくださいました。

 先に往かれた父母有縁のお念仏の先人をたずねて
往生浄土のお念仏の道をご一緒させていただける
ご法事のご縁の有難さ尊さです。

 今日の母の涙はきっとうれし涙です。
「ようこそようこそお参りなさいました。
これからも円光寺をよろしくお願いいたします」と
母のお念仏の声が聞こえてきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.16)

「まるごと救う仏さま」※転載

2025-01-15
 ある日、お母さまを亡くされたことをご縁に
仏さまのお話を聞かれるようになった方が
悩みを打ち明けてくださいました。

「仏さまのお話を聞いても
ちっともきれいな心になりません。
むしろ、欲や怒りの心ばかりが
次々と沸き上がってきてしまうのです。
こんな私が、仏さまの教えを聞く意味なんて
あるのでしょうか」

 その言葉に、私は思わず答えました。
「実は、私も同じです。
だからこそ意味があると感じています。
阿弥陀さまは私たちに
『きれいな心になりなさい』とはおっしゃいません。
むしろ、きれいな心になれずに苦しむ私たちを
『見捨てることができない』と立ち上がり
ありのままの私たちをまるごと救うと誓われました」。

 阿弥陀さまは、私たちの心がどれだけ欲や怒り
妬みで満ちていようとも
決して見捨てることなく引き受けてくださいます。
 わがままな人はわがままなまま
怒りっぽい人は怒りっぽいまま
阿弥陀さまは「あなたをまるごと救う」と
おっしゃるのです。

 そのことを思うと
阿弥陀さまの前では無理に自分を変えなくていいんだと
肩の力がふっと抜けます。

 ※『本願寺インスタ倶楽部』
    (野田 茜 本願寺派布教使)より転載
      ー本願寺新報2025年1月10日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.15)

災難に遭う

2025-01-14
 昨夜日向灘を震源地とする地震があり
大分も震度4の揺れでびっくりしました。

 目立った被害はありませんでしたが
この数十年で必ず起こると言われる
南海トラフのこともあり
いつ起こるかわからない
今起こっても不思議ではないということで
不安なはずですが
平生はまあ大丈夫といった不確かな安心の中に
日々生活しているようなことです。

 地震などの自然災害は起こる時には起こるもので
一々心配していては生活がままならないといって
地震が起こって直接被害に遭ったら
たまったものではありません。

 良寛さんは自ら住む越後で大地震に遭い
見舞いをくれた知人へ
「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候」と
お礼の返事をしたためたと言われます。

 自然にしたがいあるがまま受け入れてこそ
かえって心の平穏を保てるということなのでしょうか。

 人として生まれたからには
どんな人も生死の苦悩を逃れることはできず
現実そのままに向き合いあるがままに受け入れて
自分にできることをさせていただいて生きていくと
仏さまのみ教えに聞かせていただきます。

 自然の大きな力はたらきは
私の都合に良くも悪くも
私がどうこうしようにも力及ばないことで
自然のはたらきにまかせるしかありません。

 親鸞さまは88歳のときに
阿弥陀仏の本願力にまかせてあるがままに生きる心境を
「自然法爾(じねんほうに)章」に記されています。
 南無阿弥陀仏の「まかせよ救う」のおはたらきに
お念仏申してそのまままかせて生きることですが
救われるとは自分の都合の良いように行く
ということではありません。

 救いとは安心です。
自分にとって良くも悪くも
いつでもどこでも
嬉しい時も悲しい時も
阿弥陀さまがご一緒してくださっている
確かな安心です。

 南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなか
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
私一人だけではなくあなたも私も皆共に
生かされて生きていることの安心です。

 災難に遭って命終えることもあるかもしれませんが
生きても死んでもお慈悲の中と
お念仏申してこの人生を生き抜き
命終えてそのままお浄土の仏と成ってこの世に還り
衆生を救う南無阿弥陀仏のおはたらきを
させていただけるのです。

 今生この世で私にできることは
不完全で限りがありますが
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
私にできる精いっぱいのことを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.14)

仏法を味わう

2025-01-13
 歳を重ねて
食事をする楽しみが
変わってきたように思います。

 テレビのグルメ番組で
有名タレントが紹介する
どこどこの有名レストランのあの一品といった
ご馳走を食する楽しみではありません。

 若い時分ならともかく
この歳になると
グルメ料理は総じて高たんぱく高カロリーで
何より高価格で敬遠します。

 ご飯に味噌汁魚に豆腐があれば十分です。
ゆっくり時間をかけて味わい食する楽しみです。

 いのちをいただく
法味愛敬(ほうみあいぎょう)です。

 南無阿弥陀仏とお念仏申して
お念仏の仏法を味わいます。
 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きる楽しみです。

 阿弥陀さまがご一緒です。
ご一緒にお念仏申すあなたがいます。
 あなたと私皆共にお念仏申していただく
お念仏の食卓です。

 これほど贅沢な食事はありません。
一口一口ゆっくりゆったり
お念仏申して南無阿弥陀仏のお徳おはたらきを
味わい感謝申していただきます。
「おかげでごちそうさまでした」

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.13)

お寺の経営コンサルタント

2025-01-12
 テレビの人気番組『がっちりマンデー』で
お寺の経営コンサルタントのことが
紹介されていました。

 経済情報番組で今注目の有望企業を取り上げ
「がっちり!儲けています!」を売りにするものです。

 お寺の経営相談を依頼された
外部のコンサルタント会社が
現状を調査分析し課題を整理して
今後の経営戦略を行っていく仕事です。

 この数十年来首都圏ではお墓の需要が高まり
お寺の経営手段として
納骨堂事業が広がっているといいます。
 既存の墓地はどこもいっぱいで
墓碑を建てるにも大きなお金がかかり
継承者の問題もあって
永代供養を視野に入れた
個人や夫婦二人といった納骨のケースが多いそうです。

 設備投資に莫大な費用がかかりますが
お寺の境内地に余裕があり宗教法人の利点もあって
あとはどのように販路を拡大していくか
まさに専門の経営コンサルタントの出番です。

 ただ通常の会社の経営ではありません。
納骨堂を売って儲かればいいという話ではありません。
 お遺骨を預かる施設としてだけの納骨堂ではなく
納骨堂の使用者とお寺との関係が仏さまのご縁となって
仏法聴聞を勧めるご縁になることが第一義です。

 お寺の護持はただ建物を維持管理する
ということではありません。
 なぜお寺が建てられたのか
先人の思いに寄り添うなかで
人人が多くお寺にお参りされ
仏さまのご縁をいただいてほしいとの願いです。

 仏法は人から人へと伝わっていきます。
その人が見えない大きな伽藍だけのお寺になると
それは風景だけのお寺になってしまうということです。

 都会と地方のお寺では全く事情が違いますが
地方では門徒檀家の寺離れが急速に進み
存続の危機にあるお寺が増えてきました。

 コアな意味でのお寺の経営です。
お寺の意義を今一度見直すなかで
昔からその地域に根ざした
それぞれのお寺独自のスタイルで
ご法義繁盛の手立てを考え営むことです。

 その営みが小さなご縁であろうとも
そこに人がいて
お念仏の法灯が受け伝えられていくことで
お寺の役割を果たしていけるのではないでしょうか。

 お念仏のご縁をいただく
門徒の私が僧侶の私が
それぞれの役割を担うなかで
お念仏のコンサルタントに相談して
今私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.12)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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