漏れる私を漏らさず救う南無阿弥陀仏のご法義です
2021-11-29
昨日は御正忌報恩講法要の御満座で
お内陣のお荘厳もいつものすがたにかえって
今日から平生のお朝事のお勤めになります。
日々の移ろいの中に私たちは歳を重ねていきます。
このたびの三日間の御正忌報恩講法要は
私の従兄の急な往生で遠方にお参りし
通夜葬儀火葬そして初七日をお勤めすることで
初日は留守をさせていただき
何かバタバタしたご縁になりました。
コロナ禍で御講師も私の方で手勤めさせていただき
次から次へとすることも多く重なって
昨日は皆さんにお手伝いいただき後片付けをして
何とかいつもの段取りを済ませて安心していましたが
電話があって配り物の「円光寺通信」に
ミスプリントがあったということでした。
何度もチェックしたつもりでしたが
こんなことです。
これで大丈夫と
私たちは完璧に物事を行うように努めますが
あれもこれもとバタバタするなかに
忘れたり漏らすものって結構あります。
私たちを漏らさず等しく救うてくださる
南無阿弥陀仏のお念仏のご法義です。
漏れるところがある私たちだからこそ
阿弥陀仏さまはこの私のことをいつも思い取って
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。
「どんなことがあっても私がいつも一緒だからね。
大丈夫だよ」って。
日々お念仏を申す生活をさせていただきます。
今日から門徒報恩講ということで
皆さんのお家の報恩講をお勤めさせていただきます。
日々の移ろいの中に
共々にお念仏申させていただけることを
お朝事のご縁でまた有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.29)
「いつも私が一緒だから大丈夫」
2021-11-28
御正忌報恩講法要のお朝事のご縁です。
昨日大逮夜の夜のご縁が済んで
テレビでプロ野球日本シリーズの中継を観ていたら
最後の延長12回までいって11時を過ぎていました。
シリーズ7戦中の第6戦ですが
毎試合接戦の試合展開で目が離せません。
昨日は1対1の同点からヤクルトが12回表に1点を取り
最後は抑え投手がきちっと抑えて勝って
優勝を決めました。
この抑え投手は外国の選手ですが
このシリーズ2回抑えを失敗して
チームが負けているのです。
でも高津監督はこの投手を抑えに使い続けました。
監督自身も同じ抑えの投手で
ほぼ完璧な内容で輝かしい戦績を残していますが
打たれて負けることもあって
抑えに失敗した投手の心情がよく分かるんでしょうね。
初戦にサヨナラ本塁打を打たれて負けた時に
監督自らその選手に
「あなたにまかせている」と言ったそうです。
すごい言葉です。
就任二年目の高津監督は
去年最下位のチームを日本一にしたということで
高津マジックというそうです。
スタンドのファンが「絶対大丈夫」の言葉を掲げて
応援する光景を見ます。
どんなピンチにあってもどんなチャンスの時でも
「絶対大丈夫」ってプレーしようということです。
「絶対大丈夫」という思いをもってプレーに集中し
今持てる力ベストを尽くすということでしょう。
もし結果が失敗しても
責任は監督のこの私がとるよって
まさにまかせるということです。
阿弥陀さまのお救いです。
「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで
この私を喚び通しに喚んでくださっているのです。
今日の御文章さまです。
「十人は十人ながら百人は百人ながら」と
一人も漏らすことがない阿弥陀さまのお救いです。
私たちはみんなそれぞれ生活ぶり
その生き方人生は違います。
私たちはその違いを善悪の判断で見ようとしますが
阿弥陀さまはその一人一人を思い取って
すべてのものを分け隔てなく救うと仰せなのです。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
「いつも私が一緒だから大丈夫」といただきます。
南無阿弥陀仏
これほど力強い言葉はありません。
真実信心まことの言葉です。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏を申す身にお育ていただき
今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
今日は10時から御満座のお勤めをさせていただきます。
お誘いあわせお参りください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.28)
「久しぶりやなあ」
2021-11-27
御正忌報恩講法要お朝事のお勤めです。
昨日からの法要ですが
私は従兄の葬儀で一昨日から昨日にかけて
福岡の方にお参りさせていただき
新院が代わってお勤めしました。
久しぶりにJRのソニックに乗りました。
コロナ感染が大きくなって以来です。
一昨年の2月まだ大騒ぎしていない頃に
京都のご本山に会議で行き
大阪で大学時代の先輩に会ったことです。
早めに大分駅に着いて待合室で座っていたら
後ろの席から「久しぶりやなあ」という話が
聞こえてきました。
こちらもJRで久しぶりに遠方に出かける
人のようでした。
感染者が少し落ち着いて人の流れも
徐々に回復してきたということでしょうか。
「久しぶりやなあ」ということですが
私は何かあまり久しぶりという感じがしませんでした。
お寺のお役をいただいて
若い時分から京都のご本山や九州各地に
度々出張することが多くありました。
楽しみもありました。
会議や会食で人に会って興味深い話を聞いたり
議論したりすることもありました。
しんどく思うこともありました。
ちょうどお役を引いたタイミングで
この2年近くずっと家に居ました。
家の生活お寺の生活です。
会う人は大体決まっています。
でも退屈はしません。
有難く思うことが多くあります。
今日のお朝事のご縁もそうです。
いつものメンバーいつもの皆さんです。
同じ中心をいただいていることの有難さです。
今日も御仏前のいつもの指定席に座らせていただき
ご一緒にお勤めお念仏申させていただきました。
お念仏は生きる依りどころ死して帰るところ
南無阿弥陀仏の生死の帰依処です。
この人生いろんなことがあります。
いろんなことがありました。
そしていずれこの私も
命終えていかなければなりません。
思い通りにならないことがこれからもたくさん
この身にこの身のまわりに起こってまいります。
でもね
南無阿弥陀仏とお念仏を申す身にさせていただいて
何か安心できるというか落ち着くところがあるというか
「久しぶりやなあ」と思うなかに
いつものことのように受け止められて有難いです。
南無阿弥陀仏のお念仏のご法義です。
お念仏に遇わせていただいて
大変なことがこれからもあるでしょうが
お念仏申してそのまま乗り越えていける力おはたらきを
南無阿弥陀仏といただいていることを思います。
今日明後日二日間の御正忌報恩講のご縁になりますが
ご門徒皆さん共々にお勤めさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.27)
絶対大丈夫の仏さま南無阿弥陀仏のそのまんまです
2021-11-25
昨日の朝電話がありまして
私の一つ上の従兄が急に亡くなったという連絡でした。
えっと思いました。
びっくりしました。
電話口の奥さんの声が別人のように
呆然と沈んでいる様子が浮かびました。
突然のことです。
詳しい事情はわかりませんが
いつものように朝食を食べてということでした。
急も急、この命終わるという急です。
生死の身を生きていることを思います。
昨日11月24日は私の母前坊守の96歳の誕生日でした。
今は病院施設にお世話になっています。
コロナ禍で面会もままなりませんが
昨日は坊守と一緒に久しぶりに面会できました。
わずかな時間でしたが
コロナ禍で思うようにならない身の上のことが
次々に口に出ます。
看護士さんの話では
今日は大分機嫌がいいということですが
急に落ち込むことが多くなっているとのことです。
96歳の身を生きるのです。
ちょっと様子がおかしいと自己診断しては
もう死んでしまうのではないかと思い詰める不安です。
胸が痛くてもう死ぬ間際だったという話を
何度もしていました。
先日は遠方の妹がコロナ以来初めて面会に来たことを
最期のお別れに来たんじゃないかと
落ち込むようなことです。
96歳の歳になって
死ということを意識します。
生きたいという生への執着です。
96歳まで生きたいと思っても
突然命終えていくことです。
人生の仕事を成し終えて
もういつ死んでも心残りはないと
覚悟ができていると思うのは
周囲のものの見方であって
やはり生きたいんですね。
そういう私もそうです。
まだまだ生きたいし
やり残したことがあるかどうかもわかりませんが
とにかく生きていれば何かができるぐらいに
思っているのが私たちではないでしょうか。
ただこの生死ほどままならないことはないのです。
いつどんな形で命終えていくのか
周りの者も私本人もわかりません。
だからこそそこに大きな不安を抱えて
苦しみ悩むのです。
親鸞さまは生死の迷いを超えていく道を
お浄土への念仏の道と明かしてくださいました。
「どんなことがあってもいつも私が一緒だから大丈夫。
あなたを決して見捨てませんよ
お念仏申してご一緒しましょう」と
南無阿弥陀仏阿弥陀さまのお喚び声のままに
生死の道を生き抜かせていただき
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏さまに成らせていただく
南無阿弥陀仏のお救いです。
今プロ野球の日本シリーズをやっていますが
ヤクルトが優勝に大手で今日勝ったら日本一です。
去年最下位のチームが優勝という
まさにミラクル物語です。
高津監督がずっと選手に声かけしている言葉が
「絶対大丈夫」です。
どんなことがあっても
ピンチでもチャンスでも大丈夫ということです。
私たちの仏さまは絶対大丈夫の仏さまです。
「あなたのいのちそのまま引き受けたよ。
大丈夫だから私にそのまままかせなさい」と
喚んでくださっているのです。
阿弥陀さまにまかせたから
長生きできるのか
病気が治るのか
金回りがよくなるのか
自分に都合のよいことばかりが
起こるということではありません。
どんなことがあっても私が一緒だから大丈夫
たとえどんな形で命終えようとも
いつも私が一緒だから大丈夫だよとのおはたらきが
南無阿弥陀仏です。
今日もこの口から南無阿弥陀仏と
お念仏が出てくださいました。
南無阿弥陀仏のそのまんまです。
どこかに忘れるものではありません。
いつでもどこでも
私に引っ付いて離れないのです。
お念仏を申す身にさせていただいて
欲も出ます怒りも出ます愚痴も出ます
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださるのです。
命終わるときもそのまんまです。
いつものそのまんま
南無阿弥陀仏のそのまんまです。
欲が怒りが愚痴が出るのは生きてるということです。
「生きとるあいだは生きとるぞ」
南無阿弥陀仏そのまんまです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.25)
ご門徒衆のたのもしい力です
2021-11-24
昨日は御正忌前の仏具のおみがきを
ご門徒衆たくさんの方にお手伝いいただき
お内陣のお荘厳がほぼととのいました。
この前の大掃除といい
ご門徒皆さんの力を有難く頼もしく思います。
これはお寺だけに限ったことではありません。
一般の地域社会の行事活動もそうです。
私一人ですることできることではありません。
一人一人の力が集まって大きな力になるのです。
その力の源泉は皆さん一人一人の思いです。
皆さん一人一人のお寺への思いが
一つになって力になるのです。
浄土真宗のご門徒皆さんの思いは
私が私がということではありません。
阿弥陀さまの思い大きな願いから発ったものです。
阿弥陀さまの願いが私のところに
南無阿弥陀仏と届けられおはたらきいただいて
力となり形になってお内陣の荘厳といただきます。
ただお荘厳をととのえても
そこにお参りをする方がいらっしゃらなかったら
もったいないことです。
お荘厳をととのえるまでの過程も大事ですが
ととのえられたお浄土の荘厳のなかで
今日一番に皆さんと共にお朝事のご縁をいただき
親鸞聖人のお正信偈をお勤めさせていただいたことは
これほどの慶びこれほどの贅沢はありません。
明後日26日からの御正忌報恩講法要のご縁ですが
どうぞ皆さんお誘い合わせお参りいただき
一人でも多くの方にお念仏のご縁に遇ってほしいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.24)