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お念仏を申す生活法話

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仏法をしっかり噛みしめてこの身に味わう

2021-10-27
 仏法を聞くとは、経文に説かれた仏さまのお話を聞いて
覚えることではありません。
 自らの身に当てて味わわせていただくのが
仏法聴聞という仏さまの思し召しです。

 仏法を覚え知っているだけでは
仏法は全く生きる力になりません。
 身にかけて問い、身にかけて聞くとき
仏法は何よりも強い力となって
わが「いのち」を支えてくださいます。

 蓮如上人は「かむとはしるとも
呑むとはしらすなといふことがあるぞ」
<食物でもしっかり噛んでその味を十分に味わうことが
 大切であるということを教え
 鵜吞みせよと教えてはならない>と言われ
「妻子を帯し、魚鳥を服し、罪障の身なりといひて
さのみ思いのままにはあるまじき」と
<仏法をしっかり噛みしめて味わえば
 罪の深い人間だから、悪人だからといって
 勝手気ままな放逸無慚の生活などできるはずがない>と
言われたのです。

 蓮如さまが何度も繰り返しおっしゃることですが
阿弥陀さまのご本願のお救いは
悪いことをしたものでも救うと聞いて
悪いことをしましょうということではありません。
 阿弥陀さまの大悲のお心を聞けば聞くほど
私にできる御恩報謝の生活を
精いっぱいさせていただきますと
聞かせていただくのが仏法聴聞だというのです。

 今こここの私に届けられた阿弥陀さまの
南無阿弥陀仏の仰せといただいて
仏法をたしなみお念仏を申す生活を
今日一日もさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.27)


仏法聴聞は一つ事を聞き抜くことです

2021-10-26
 私たちは同じ話より違った話が聞きたがります。
その時その時に違う話を聞くのは心楽しいですし
新しい事を知ることで知的満足を得ることもできます。
 しかしそれはそれだけのことであって
何も残らないというのです。

仏法を聞くとは
お話を聞いて楽しかった
知らないことを聞いて嬉しかったということではなく
一つ事をこの身にしみこむまで
繰り返し聞くことなのです。
 一つ事を、この身にしみこむまで聞くことで
この身の血や肉になるまで、一つ事を聞き抜くのが
仏法聴聞なのです。

 一つ事とは、「どんなことがあっても
私を捨てることのない」阿弥陀如来の確かなお心です。

 あるお同行が蓮如上人に
「どんなことがあっても私を捨てることのない
阿弥陀如来がましますと聞かせていただき
阿弥陀如来におまかせするだけで
間違いなくお浄土に生まれさせていただくのだと
お聞かせいただいていますが
このような領解でいいのでしょうか」と尋ねた時に
周りで聞いていた人が
「そのようなことは、いつも聞いていることではないか。
もっと変わったことを尋ねたらどうか」といったそうです。

 それを聞いて、蓮如上人は
「それぞとよ、わろきとは
めづらしき事を聞きたくおもひ、しりたく思うなり
信のうへにては、いくたびも心中のおもむき
かように申さるべきことなるよし」
<それが一番わるのです。
 それとは、変わった話を聞きたく思う心です。
 一つことをいくたびも、この身にしみるまで
 聞くのが仏法聴聞です>と
厳しく注意されたといいます。

 仏法聴聞はいつも同じ話の繰り返しのようですが
阿弥陀さまはちゃんと私の心根まですべてお見通しで
仏法を聞いても他人事のように聞いてすぐ忘れるし
自分の都合のいいように聞いて
自己中心に生きているこの私が心配だからこそ
繰り返し繰り返し何度も何度も
「念仏申して、われにまかせて浄土に生まれて来いよ」と
南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
喚び通しに喚んでくださってあると聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.26)


「木像よりは絵像、絵像よりは名号」

2021-10-25
 蓮如上人のお言葉に
「他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。
当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」
とあります。

 浄土真宗のご本尊です。
三つのおすがたがあります。
 お寺のご本尊はお木像の阿弥陀如来さまです。
皆さんのお家のご本尊はお木像もありますが
絵に描かれたご絵像の阿弥陀さまです。
 もう一つのおすがたが
南無阿弥陀仏のお名号のご本尊です。

 三つありますと
どれが一番いいんですかと聞かれます。

 蓮如さまのお言葉を改めていただきますと
浄土真宗以外の他流のご本尊は
「名号よりは絵像、絵像よりは木像」といわれます。

 この目に見えるお木像やご絵像の
仏さまのお姿をおがむことによって
仏を念じ、仏を見て、仏に遇うといいます。
 ですからより具体的なお姿である
お木像が一番いいのです。

 ではどうして蓮如さまは
「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と
言われたのかということです。

 この部分だけ切り取って
浄土真宗のご本尊は本来お名号なのに
お寺のお木像やお家のご絵像の阿弥陀さまは
間違いで偽物だと言われる方がいますが
この三つのご本尊のおすがたは共に
阿弥陀さまのおはたらきを表すものなのです。

 「どんなことがあってもあなたを必ず救う
我にまかせよ」と南無阿弥陀仏のみ名になって
くださったおはたらきです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきが私に届けられて
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださるのです。

 阿弥陀さまはどこに?と聞かれて
この目で見たらお木像やご絵像のおすがたですが
そのお心おはたらきは南無阿弥陀仏となって
もうすでに私のところに届いていますよと
名号本尊の尊さを言われたのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.25)


「一度のたしなみが一期のたしなみなり」

2021-10-24
  蓮如上人のお言葉です。

 「一度のちがひが、一期のちがひなり。
一度のたしなみが、一期のたしなみなり。
そのゆへは、そのままいのちをはれば
一期のちがひになるによりてなり」です。

 ちがひとはあやまちということで
私たちは他の人のあやまちは中々許しませんが
自分のことになると
「人間一度や二度はあやまちはするものだ」と
いとも簡単に許します。

 蓮如さまは先のお言葉で
<一度のあやまちが一生のあやまちになることがあるといい
 反対に、一度心がけたたしなみが一生のこころがけとなり
 たしなみになる>といい
<一度あやまちをおかしたまま寿命が尽きれば
 そのあやまちをやり直すこともできず
 取り消すこともできないから
 一生のあやまちになる>と教えてくださるのです。

 大変厳しい思し召しですが
お言葉の中に
「一度のたしなみが一期のたしなみなり」
とあります。

 たしなむということは蓮如さまのお言葉の中に
再々でてまいります。
 お念仏を申す身にさせていただき
お念仏をたしなむ生活をさせていただくということです。

 お念仏申す身にさせていただく一度のたしなみが
そのまま一期のたしなみになるというのです。

 縁があれば何をしでかすか分からないこの私に
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでもご一緒してくださるのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩具足の凡夫の身を生きる私を
そのままお念仏を申す身にさせてくださり
この人生を生き抜かせていただきます。

 そしてこの命終えますが
南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき
阿弥陀さまと同じ南無阿弥陀仏のおはたらきの
仏さまに成らせていただくのです。

 何もかもが阿弥陀さまのおはたらき一つで
お念仏をたしなむ身にさせていただくと
私がどうこうといって取り消しがつきません。

 阿弥陀さまのおはたらきにおまかせするそのままで
必ず救うてくださるのです。

 自分の一度のあやまちが
他の「いのち」をどれほど傷つけ損なってきたかと
思いを致し
お念仏にたしなむ生活の中で
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.24)


「わが妻子を勧化せぬは、あさましきことなり」

2021-10-23
 蓮如上人のお言葉です。

「わが妻子ほど不便なることなし。
これを勧化せぬは、あさましきことなり。
宿善なくばちからなし。
わが身ひとつ。
それを勧化せぬものがあるべきか」です。

 私たちは家族と共に日々生活をしています。
親であったり妻や夫、子や孫、兄弟姉妹という
いつも自分の身近にいる家族のことが気になります。

 私たちは他の誰よりも
わが家族の幸せを願って生きています。
 この願いを実現するために
お金や物を提供さえしておればと思っているならば
それは的外れです。

 生活する上でお金や物は確かに大切なもので
家族のことを大事に思うからこそなのですが
蓮如さまが言われるのは
お金や物はいつかは無くなる当てにならないもので
確かな生きる依りどころにはならないというのです。

 それより大切なものは
世の中がどう変わろうが
この身の上に何が起ころうが
ビクともしない確かな「いのち」の依りどころです。

 それは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる
お念仏のみ教えだよと勧めてくださるのです。

 家族を不便に思ってお念仏を申せよと勧めても
自分自身がお念仏をよろこび申す身にならなかったら
一番身近で私を見ている家族は
口先だけのことかといぶかしく思い
真剣に仏法聴聞する気にならないことにもなるでしょう。

 蓮如さまのお言葉のお心です。
「本当に妻子を思うならば妻子にみ教えを勧めるべきです。
それをしないほど悲しいことはありません」といわれて
「そのためにもまず自分自身が
み教えに遇わせてもらうことが何より大切です」
と教えていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.10.23)


円光寺
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