仏事のことはお寺さんに相談しましょう
2021-12-24
昨日私が留守の間にお寺に電話があって
坊守が対応しましたが
浄土真宗の初めてのご門徒さんからでした。
ご法事のときのおつつみの仕方についてのお尋ねでした。
基本的には「御仏前」と「御布施」ですが
お寺お寺によっておつつみの仕方が色々と違います。
そのことを含めて丁寧に対応しますが
必ず「お家のお寺さんに相談してください」と言います。
坊守もそう言ったそうですが
「お寺さんには聞けません」という返事だったといいます。
何かわかるような気がします。
日頃からのお寺とご門徒さんとの関係つながりです。
日頃からご院家さんや坊守さんにお話する
機会があればと思うのですが
日頃がないと仏事のことでも聞くのは中々難しいと思います。
「こんなことを聞いたら笑われる」ということを聞きます。
いつもお寺で話していることではないか
何を聞いているのかなどと叱られるとでも
思っているのでしょうか。
仏事仏さまのことについて学校では教えてくれません。
仏事の本を読んでも本によって見方が違っていて
逆に迷うことにもなりかねません。
お寺にお参りされてお話を聞くなかで
質問してくれたらと思いますが
お寺は普段の生活の中で遠い存在になっているようです。
一体お寺って何だろうかと思います。
お寺は皆さんがお参りされてくださってのお寺ということです。
お寺が皆さんがお参りしやすいお寺になっているかとの問いかけです。
お参りしやすいような手立て方便を考え工夫しますが
方便に力が入ると方便そのものが主になってしまいます。
浄土真宗のお寺にとって一番大事な阿弥陀さまのご法義が
横に置かれるようでは
お寺の意味がわからなくなってしまいます。
ただ「お参りしてください」と言うばかりでなく
お寺の方から積極的に発信していくことが大事になってきます。
今はお寺や仏事のこともネット情報がたくさん出回って
ネットを見たら気軽に何でもすぐ分かるといいますが
ネットはネットです。
お手や仏事のことはお寺さんに聞くことが肝要です。
聞かれる側として様々な課題に対応できる提案が必要です。
ご本尊の阿弥陀さまが中心のご縁ということを
お互いに確かめながら仏事の相談を通して
仏法聴聞のご勝縁になればと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.24)
光といのちの仏さま
2021-12-23
私たちの阿弥陀さまは無量寿無量光の仏さま
限りないいのちと光の仏さまといいます。
光といのちの南無阿弥陀仏のおはたらきです。
今日もこれから太陽が昇ってきます。
光をいっぱい浴びて私たちは日々生かされて生きています。
この光は人人を区別することなく至り届いて
すべての生きとし生けるものを
分け隔てなく照らし育んでくださいます。
阿弥陀仏のご本願が私たちの救いの大本です。
阿弥陀さまが願いを起こされたのです。
私たちすべてを等しく救うという願いです。
阿弥陀さまは私たちのありのままの姿をご覧になったのです。
自己中心に生きて苦しみ悩み迷っている私たちです。
阿弥陀さまは私たちをご覧になった時に
悲しまれたといいます。
大きな悲しみの中にご本願をたてられ
たゆまない修行を積まれて本願成就の南無阿弥陀仏の仏さまに
成ってくださったという浄土真宗のご法義です。
無量光の限りない光のおはたらきです。
私のいのちに入り満ちてくださり
南無阿弥陀仏と私の口から出てくださるお念仏となって
「われにまかせよそのまま救う」と
喚び続けてくださっているのです。
私が申すお念仏ですがそのまま
阿弥陀さまのお喚び声のお念仏と聞かせていただきます
私たちは不安と苦悩の迷いの中に生きています。
生きていかねばなりません。
阿弥陀さまは苦悩の私を徹底的に肯定してくださいます。
そんなあなたでは駄目ですと否定し裁く仏さまではなくて
悪いことをする私であっても
この命をそのまま引き受けてくださるのです。
阿弥陀さまはこの私がどんな状況にあろうとも
いつも寄り添ってご一緒してくださる
本当に強い私のいのちの味方です。
私たちはこの人間界に生まれて
「何のために人間に生まれたのか」と問われ
「幸せになるためだよ」と答えます。
誰しも不幸になるような人生は望みません。
幸せになるためにいろんな努力もしていく私です。
その思いや努力が全てかなえられれば
それこそ幸せかもしれませんが
願いがかなわない思い通りにならないなかで
苦しみ悩む私をそのまま引き受け救うてくださるのが
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきです。
今のあなたのままでいいんだよと
「あなたをそのまま引き受けたから
あなたはあなたのいのちを精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こう」と喚んでくださりご一緒くださる
阿弥陀さまの大悲のお心おはたらきにまかせて
今日一日もお念仏申して日暮らしさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.23)
今日は冬至です
2021-12-22
今日は冬至です。
今朝6時の鐘を撞いて西の空高く
ほぼ満月が輝いていました。
暗い中で月の光がきれいで有難いです。
冬至は昼の時間が一年で一番短く
夜の時間が一番長い日です。
冬のこの時期暗い夜が長いというのは
寒々しく何か寂しくもの悲しいものですが
これからは夜の時間が短くなって
昼の時間が長くなると考えると
何か楽しみです。
気象的には今から一層寒くなって
暗くて寒い中を皆さん毎日ようこそお参りです。
こうして皆さんと共々に
お朝事のお勤めができて
お念仏を申すなかに今日一日を始めさせていただける
これほどの贅沢はありません。
一人でお勤めするということではなく
いつも皆さんがご一緒してくださいます。
毎朝定刻に皆さんが円光寺にお参りされて
顔と顔を合わせて「おはようございます」と
朝の挨拶ができるということです。
当たり前のようですが
この上ない有難いことと感謝いたします。
できたら一人でも多くの方に
ご縁に遇ってもらいたいものですが
チャンスはあります。
こうしてご縁を続ける限りは
チャンスはあります楽しみです。
そうした楽しみももってこれからも
日々明るくなるなかに
いよいよお念仏を申して
日暮らしさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.22)
大分県が健康寿命全国一位になりました
2021-12-21
今朝の合同新聞に
大分県が健康寿命で全国一になった
という記事が載っていました。
健康寿命とは介護や寝た切りにならないで
何とか一人で日常生活を送れる年齢です。
寿命というと平均寿命を思います。
平均寿命と健康寿命の差を縮めていくことを目標に
大分県が取り組んできた成果ということですが
健康寿命が男性で73歳女性で76歳といいます。
一方平均寿命と健康寿命の差は
全国平均で男性で8歳女性で12歳といいます。
単純に言いますと
8年12年を寝たきりなどの要介護で
過ごすということでしょうか。
昨日の新聞のコラムで
介護の現実ということで老々介護の問題を
取り上げていました。
息子さんが長く介護していたお母さんを
殺したという事件です。
今は福祉の制度が充実していますが
そのシステムを知らなかったということを含めて
福祉のお世話にならなかったことで
経済的な理由も十分考えられますが
自宅で介護していたといいます。
一方東京では80代の妹さんが介護していた
80代のお姉さんを殺したという事件です。
福祉関係の方に施設の入所や生活保護の受給を
勧められても受け入れなかったといいます。
世間に迷惑をかけることで申し訳ないという理由です。
一方は世間と断絶した関係のなかでのことで
一方は世間を拒否したものです。
今母が施設にお世話になっています。
医療福祉の従事者がその人に合ったプランを立てて
事細かに実践してくださいます。
自宅で家族が介護することがよいのでしょうが
中々思うように行かないところが多く大変助かります。
ここは広い意味で
社会にお世話になったらいいと思います。
ところが私たちは社会といって人を見るのです。
周囲の目世間の目です。
具体的に誰々の目です。
どんな風に思われているのかと
どんなことを言われているのかと気になるのです。
人人で見ると
あの人にはお世話になりたくないとか
あの人にはお世話したくないとか
の見方になってしまいます。
親子といって兄弟といって夫婦といって
関係が深いからこその愛憎です。
だからこそ社会のお世話になればいいのです。
母がお世話になっているヘルパーさんや福祉の関係者の
人となりまで知りません。
昨日は自宅で面談がありましたが
「一切飲食等お茶もお断わりします」と言われました。
お世話になっているからこれをどうぞというのも駄目です。
一切お断りでいいのです。
そこにいろんなものが入ってくると
あの人はあの家族はいいけれどもあの人は悪い
といった見方になってしまうのが
私たちのものの見方なのです。
福祉介護には細かすぎるほどの料金規定があります。
お金がかかります。
ヘルパーさんも生活者で給与をいただくのです。
それでいいのです。
善意のお世話が一番厄介です。
善意でしてあげたのにという慢の心が
すぐ頭を持ち上げるのです。
それなりにお金がかかるシステムなのです。
ここは国の出番です。
国のいろんなお金の使い方に批判がありますが
本当に困っている人にシステムが運用できるように
お金を出せばいいと思います。
お寺です。
お寺は本来社会に広く開かれた場でありました。
お寺とご門徒さんはお互いに顔が見える関係で
その生活ぶりも見えます。
お寺の住職にはお世話になりたくないのではないのです。
阿弥陀さまに共にお世話になるのです。
お世話になればいいのです。
私もそして皆さんもです。
阿弥陀さまのお念仏のお心です。
共々に聞かせていただくなかに
お互いにできることをさせていただくのです。
お寺という社会です。
お念仏の社会です。
お念仏のお心を聞いて
自他ともに心豊かに生きることのできる社会です。
お念仏の社会をめざして
一つでも何かできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.21)
大分トリニータ天皇杯準優勝
2021-12-20
朝6時西の空の中空に真ん丸お月さんが見えました。
月の清かな明かりがこの寒い時期にとってもいいですね。
昨日は大分トリニータが天皇杯の大きなタイトルをかけた
決勝戦で惜しくも敗れ準優勝でした。
一週間前の準決勝で絶対王者の川崎に大金星をあげ
決勝でも鹿島相手に最後まであきらめない試合展開の大接戦で
国立競技場の5万7千人の大観衆を大いにわかせました。
この二試合を楽しませてもらった私は
にわかトリニータファンです。
トリニータは来シーズンはJ2降格が決まっており
J 1 復帰は中々難しいところです。
トリニータの奮闘ぶりに
1994年クラブチーム結成以来のサポーターの声がありました。
トリニータは地方チームが抱える経営難で
選手を育てても優秀な選手は有力なクラブに移籍するということで
決勝の対戦相手の鹿島のゴールキーパーの西川選手も
大分県宇佐市の出身でトリニータで活躍した選手です。
主力選手が毎年のように移籍するなかで
チーム作りをされる監督の手腕が讃えられますが
この監督も今シーズンで辞任ということです。
私のようなにわかファンは
いつもの日頃がないその時だけのファンです。
何か注目される時だけ
それこそ大分の地元チームとして応援するのです。
応援のしようも色々で
経営難の中では財的な支援が一番ですが
それもできていないのがにわかファンです。
でもいいですね。
にわかであっても応援できるチームがあるということです。
お寺のご門徒さんのことでも思います。
お寺を支えてくれるご門徒ですが
住職としてはご門徒にお寺にお参りしてもらいたいのです。
中々思うようにいきません。それぞれの生活がありますからね。
門徒であるということについては
お手次ぎのお寺があるということです。
たのみ寺ともいいます。
何をたのむのか
お葬式でありご法事であり、何かの時です。
ただ南無阿弥陀仏をたのむのです。
「われにまかせよ必ず救う」と阿弥陀さまがおはたらきだと
聞かせていただくのです。
にわか門徒であっても
阿弥陀さまから見れば一番の救いのめあてなのです。
あなたのいのちの古里をお浄土と用意しているからね
お念仏申して帰っておいでと
寒い中も暑い中も暗い時も明るい時も
いつもお立ちになって待ってくださっている阿弥陀さまです。
今日一日もお念仏申して阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.20)