「お寺にお参りしますから」と外出の許可をいただきました
2021-12-29
納骨壇の正月飾りにお参りされた方が
玄関にたずねてこられました。
老人ホームに入所されている方です。
娘さんと一緒に来られて
「やっと来ました。2年ぶりです」と言われます。
コロナ禍で外出も家族との面会も
ままならないということです。
感染者が次第に減少する中で
今はオミクロン株とよばれるものが流行の兆しです。
「よく外出できましたね」と言いましたら
「お寺にお参りするといったら許可が出ました」との返事です。
有難いことですが
何故お寺のお参りは許可されるのかと思いました。
お寺に人が集まるという発想がないのかなと思ったり
お寺にお参りすることはとても大事なことだと
施設の方が配慮してくださったのかなと思います。
コロナ禍で不要不急の外出はやめましょうと
何度もアナウンスされてきました。
お寺の法要行事も中止になったりということですが
そもそもお寺参り自体を不要不急なことと思っている人が
多いのではありませんか。
年を取ってから暇ができたらと
いつでもお参りできるぐらいに思っていませんか。
ところがお寺参りは中々どころじゃない
一生お寺にご縁がないままに命終えて行く方が殆どです。
お寺にお参りするからと外出の許可が下りたと
いいですね。
これから外出したい時は
「お寺にお参りしますから」と言ったらどうですかと
ちょっと要らんことを言いました。
浄土真宗のお寺は阿弥陀さまのいらっしゃる所です。
阿弥陀さまがいつも立たれて
私たちのお参りを楽しみに待ってらっしゃる所です。
そうしたお寺のご縁をお正月を迎えるなかで
またいただけることの有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.29)
いろんなことがあってお念仏申す身にお育ていただいたことに感謝です
2021-12-28
昨日坊守と話をしていて
門徒台所の整理をしていたら大きな業務用の鍋や
たくさんの耐熱コップやコーヒーカップが
出てきたということです。
何に使っていたのかと聞かれて
私が大学の頃だったと思いますが
当時父がいろんな事業をするなかで
大分商業高校の40m産業道路をはさんだ斜め前に
「富士ボウル」という大きなボーリング場があって
そこのレストランを経営していて使っていたものです。
当時は日本中どこもここも大変なボウリングブームで
朝から晩までたくさんの人で賑わっていました。
ボウリングの順番待ちの方が多く
30分待ちはまだいい方で
混む時は一時間二時間待ちもあって
そういう人たちの行き場になって結構繁盛していました。
カレーやサンドイッチ、コーヒーなどの軽食中心で
専門のコックさんはいましたが
お客さんの接待やその他の雑用は父が知り合いに頼み
私も妹も手伝いに駆り出されることもあり
特に母は全般的な責任者といったようなことで
今から思うと本当に大変だったと思います。
とにかく父のひと声で
いろんなことが日々展開していくようなことで
そういうなかにこの円光寺の歴史もあるのです。
その後この本堂を新築することになって
父もお寺の活動を率先してするようになります。
歳を重ねる中でこの年の瀬に
いろんなことを思い出します。
はっきり覚えているわけではありませんが
とにかく色んなことがあったこれまでの人生です。
皆さんの人生もそれぞれそうではありませんか。
振り返ればいろんなことがあったなかで
今のこの私があるということです。
自分にとって都合の良いことも悪いことも
思い通りに行ったことも行かなかったことも
成功したことも失敗したこともです。
いろんなことがあって今のこの私です。
世間の見方はそれぞれです。
思い出したくないことも悔やむことも色々ありますが
どうしようもありません。
やり直すことはできませんが
見直すことができると仏法は教えてくださいます。
誰にも真似できないいろんな経験をするなかで
今の私があるということです。
今この御仏前に座らせていただく
私があるということです。
これまでのいろんなことを
一切合切そのまま引き受けてくださって
そのまま救うとおはたらきの
阿弥陀さまの御尊前に
お念仏申してご一緒させていただくこの私です。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
お浄土への人生をこれからも生かされて
生きて往けると聞かせていただき
お念仏を申す身にお育ていただいたことに感謝します。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.28)
一週間の始まりは日曜日か?月曜日か?
2021-12-27
年の暮れです。
この時期来年のカレンダーを方々からいただきます。
そして毎年私専用のシステム手帳を買い求めます。
カレンダーや手帳を見てふと思うのは
一週間が日曜日から始まるのか
月曜日から始まるのかということです。
今日は月曜日です。
いつもと違う特別な気持ちで月曜日を迎える方が
いらっしゃるのではないでしょうか。
月々のカレンダーは日曜日から始まるものが多いのですが
週間単位の手帳は概ね月曜日から始まります。
仕事の予定を中心に使うビジネス手帳です。
月曜日から始まって週末土曜日曜は休日という括りです。
今の太陽暦のカレンダーは西洋から入ってきたもので
キリスト教の伝統文化が背景にあります。
日曜日は安息日で家族で教会に行き
教会のミサにお参りして心の汚れを洗い流して
新たな気持ちで一週間始めましょうということで
一週間は日曜日から始まるという人人の生活の営みです。
それぞれの国や地域昔からの伝統生活習慣の違いで
カレンダーをはじめものの見方違うということです。
今は週休二日が当たり前の社会になっています。
学校や会社など土曜日曜が連休になって
旅行や催し物など土曜日曜をワンセットで捉え
次の月曜日が一週間の初めということです。
このお朝事は毎日のご縁です。
一日が朝から始まって日中があり夜になって
また次の日の朝が来るという生活の営みです。
一日の営みが七日で一週間、31日で一か月
365日で一年です。
毎日一日一日の積み重ねです。
もっと言えば今今今の連続です。
今を生きるという事実です。
今を大事に生きましょうと
宗教は教えます。
宗教とは私が宗とする教えであり
私の生きる依りどころです。
私たちは生きる依りどころを
浄土真宗のみ教えに聞かせていただくなかに
安心して共々に生かされて生きることができるのです。
今を大事にお念仏申して生きて
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
阿弥陀さまの大悲のおはたらきをいただき
私にできる精いっぱいのことをさせていただく
日々の営みお念仏の生活でありお浄土への人生です。
今年最後の月曜日です。
お念仏申して今日一日を始めさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.27)
サンタさんは今どうしてる?
2021-12-26
今朝の新聞のコラムに
クリスマスのことが二題書かれていました。
一つはクリスマスが終わって
サンタさんは今何をしているのかというお話です。
フィンランドの絵本作家に聞くと
「1月6日まで冬休みに入ります」という答えです。
世界中をトナカイのそりに乗って
子どもたちにプレゼントを配って回って
大変だったでしょう。
一年一番の大仕事を終えて
ゆっくりお休みくださいと納得です。
もう一つは「クリスマスの翌日はサンタさんに
『ありがとう』を伝える日」ということばです。
サンタクロースは現実にいるかどうかの話は
昔も今も永遠のテーマです。
小学校の低学年まではサンタさんがいてという
お話に夢見る子どもたちの様子が浮かびますが
大人になると現実的なものの見方になってきます。
理屈でものごとを考えることが身についた私たちですが
理屈では到底語ることができない物語が
クリスマスのお話ではないでしょうか。
サンタさんが「いる」「いない」の問題を超えて
クリスマスが私たちに語ってくれている真実の物語です。
キリスト教の教えに基づく
今の私たちに本当に伝えたいことです。
私たちはこの目で見たこと耳で聞いたことをはじめ
五感で経験したことを検証するなかで
ものごとを本当のことと理解しますが
この目が本当に確かかというと
自己中心に自分の都合でものごとを見ている目です。
仏教の智慧を如実知見といって
ものごとを真実ありのままに見る見方を
仏さまのさとりというのです。
仏さまのおさとりが説かれたものがお経さまです。
仏教を究める基本はお経さまを学問することですが
知識として習得することではなく
「行間を読め」とのお言葉のように
仏さまのお心をたずねていくことなのです。
どうしても私の思いはからいで読むことで
仏さまのお心をいただくことが難しいのです。
浄土真宗は阿弥陀仏の本願念仏のお救いのみ教えで
本願成就の南無阿弥陀仏のお心を
聞かせていただくことが肝要です。
仏教を開かれたお釈迦さまは実在した人物ですが
阿弥陀さまは歴史上の人物ではありません。
阿弥陀さまは『大無量寿経』の説かれた
十方衆生を分け隔てなくそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきになった仏さまと
聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のお心です。
いつも私のことを心配して
「われにまかせよ必ず救う」と喚び通しに喚んでくださり
いつでもどこでもご一緒くださる仏さまに成ってくださったのです。
「いつも私が一緒だから大丈夫
あなたはあなたのいのちを精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往きましょう」と
只今拝読の御和讃(現世利益和讃)にも
「南無阿弥陀仏をとなふれば~よるひるつねにまもるなり」
と何度もいただきました。
お念仏を申すところに
私たちのご先祖有縁の仏さま方が
南無阿弥陀仏のおはたらきを届けてくださり
私と共に生きてくださると聞かせていただきます。
お念仏申してこの人生を生き抜き
命終わるときにそのまま阿弥陀さまのお浄土に
生れさせてくださり南無阿弥陀仏のいのちの仏さまとなって
この世に還って来て後に遺った人人を
護り救うおはたらきを始めさせていただくのです。
お寺の新聞をいただきました。
姉妹で妹さんが重い病気で亡くなりますが
「ながいあいだ、ずっと、そばにいてくれたこと
ほんとうにありがとう。
こんどは、わたしがみまもるばん」と
姉さんに手紙を残してくれてたといいます。
「お母さんは南無阿弥陀仏の仏さまに成って
これからもいつもあなたと一緒だからね。
お母さんのことを思うときには
南無阿弥陀仏とお念仏を申しておくれ」と
お母さんが子どもに遺した言葉です。
私たちは生死を超えて
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きているのです。
人の命は終えますが
先に往かれた大切なお方がいらっしゃる
同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれて
南無阿弥陀仏のいのちの仏さまと成って
懐かしい仏さま方と再会させていただくのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちの物語です。
そのまま聞かせていただきましょう。
すぐ隣の方に伝えてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.26)
よく当たる宝くじ店とよく当たらない宝くじ店の違い
2021-12-25
昨日柳通を大分の方に向かって車を運転していましたら
海原橋を過ぎた所でちょっとした渋滞になりました。
昨日は年末ジャンボ宝くじの販売最終日で
三川のよく当たるお店に最後の日に駆け込んで
宝くじを買われる方が多いのです。
実は私もその一人で何回か経験があるのですが
一車線の路上にさっと駐車したり
臨時駐車場があるものの
駐車場に入ることが中々大変な事態です。
よく当たる店といわれます。
もう随分前に立て続けに大きな金額が当たり有名になって
以来皆さんがそのお店に集中するのです。
よく当たるといって確率的には買う人が多ければ
それだけ当たる人が増えるということです。
よく当たる宝くじ店は逆にいったら
よく当たらない宝くじ店でもあるのです。
当たった人が出ればよく当たるということでしょうが
当たらなくても「当たるはずがない」などとあきらめて
「当たるといって当たらないではないか」と
文句を言う人はいないのではないでしょうか。
どの店で買っても当たる時は当たって
当たらない時には当たらないと
皆さんどこかで分かっているのですが
何か依りどころが欲しいのです。
私の居場所です。
自分の都合で右往左往する自己中心のものの見方で
真実本当のことが見えないままに
苦しみ悩み迷う愚かな私を見て取って
阿弥陀さまが「お前の居場所はここだ」と
喚び通しに喚んでくださっているのです。
「お前の居場所はここだ」と
今日のご縁でいったらこの御仏前です。
この御仏前に皆さん思いをもってお参りさせていただき
それぞれのお家に帰り日々の生活が始まります。
自分の都合に合わせた生活ですが
私の居場所があることの安心です。
迷う私をそのまま救う確かな依りどころがあることの
有難さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.25)