「お元気ですか」
2022-01-03
今日からいつもの6時半からの
お朝事のお勤めです。
今年もよろしくお願いします。
元旦に年賀状が届きました。
ネット社会にあって年賀状の存在感が薄れていますが
年の始めの元旦に届く年賀状は
何かどこかに心待ちしていて
いいですね。
今は印刷物の年賀状が殆どですが
余白に書かれてある一言が楽しみです。
今年の年賀状には
「コロナが早く収束しますように」と
書かれたものが多く
「お元気ですか」と一言添えてありました。
コロナ禍の二年間
近くに居てもずっと会っていない方が多くいます。
遠方の方になるとそれ以上で
中には50年近くも会っていない方から
決まって毎年年賀状が届きます。
私の同年輩の方々でいいますと
仕事を退職されて家庭農園や趣味のことに精を出したりと
その人人の生活ぶりを想像しては微笑ましく思います。
一年一度のことですが
懐かしい方からの便りに
何か元気をいただきます。
このお朝事も便りをいただくご縁です。
親鸞さまから蓮如さまからの便りです。
その大本は阿弥陀さまの南無阿弥陀仏の便りです。
私たちのご先祖有縁の方々が往ってらっしゃる
お浄土からの便りです。
「お元気ですか」
「お念仏申して一緒に生きて往きましょう」と
毎朝お念仏の便りをいただける楽しさ有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.3)
お念仏のご法座のご縁です
2022-01-02
どなたも新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
今日は今年初めての初法座のご縁に
皆さんようこそお参りです。
南無阿弥陀仏の仏法に遇わせていただく
ご法座のご縁は
お念仏の先人が私たちに伝え届けてくださった
浄土真宗門徒の大切なたしなみです。
ご法座というと今日のような
お念仏のお同行がお寺に集うご縁を思い浮かべますが
皆さんのお家のお仏壇を中心とした
お念仏申す日々の生活の営みでもあります。
朝仏さまにお仏飯をお供えして
お灯明をあげお線香を焚いて
手を合わせお念仏申してお礼をさせていただくことが
そのままお念仏のみ教えに遇わせていただく
ご法座なのです。
お念仏を申す生活ですが
特に朝の時間はすることが多く時間も限られて
バタバタと一日を始める方が多いのではないでしょうか。
お念仏の先人は「朝夕のおつとめをかかさじ」と
お仏壇を中心に一日を始め一日を終えるという
お念仏を申す生活を身をもって実践され
私たちに伝えてくださっているのです。
お家のご先祖有縁の方々のご法事も
お寺の法要行事もご法座です。
円光寺では親鸞聖人の御命日の16日に
常例法座をお勤めし
毎朝お朝事のご縁をいただきます。
お朝事で「正信偈和讃」のお勤めをします。
毎日御和讃六首を日によって七首八首と繰り読みします。
ご讃題の御和讃二首です。
「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」
<本願のはたらきに出遇ったものは
むなしく迷いの世界にとどまることがない。
あらゆる功徳をそなえた名号は
宝の海のように満ちわたり
濁った煩悩の水であっても
何の分け隔てもない>
「如来浄華の聖衆は 正覚のはなより化生して
衆生の願楽ことごとく すみやかにとく満足す」
<阿弥陀仏の浄土の聖者がたは
さとりの花からおのずと生れ
あらゆる願いが速やかに満たされる>
インド中国日本に出られた七人の高僧方を讃える
『高僧和讃』の中の二首で
七高僧さまの二番目のインドに出られた
天親菩薩のご功績を讃えるものです。
お葬儀のお勤めで読誦させていただくご和讃で
皆さんも聞かれたことがあると思います。
阿弥陀さまのご本願「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきに遇ったら
空しくこの人生を過ごす人はいないというのです。
よかったですね、皆さん。
お念仏を申す身にさせていただく有難さです。
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のお救いの中に
生かされてあるとお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
南無阿弥陀仏のおはたらきは宝の海のように
どんな川の水も等しく引き入れて
みんな同じ一味にしてくださるといいます。
川は私たち一人一人それぞれの命の川です。
清らかな水もあれば濁った水もある色んな川です。
私たちの生活ぶりは
一人一人それぞれ違います。
どんなに仲の良い夫婦親子兄弟でも
同じ屋根の下に生活していても
みんな生活ぶりはそれぞれ違います。
お互いに見ることも知ることもできない
それぞれの思いをもって生きている私たちだからこそ
お互いに思い合って生きることが大事なのですが
どこまでも自分の思い通りに生きたい私たちは
互いにぶつかり合ったり背中合わせにもなります。
自分の都合に合ったら良くて
自分の都合に合わなかったら悪いのです。
それぞれ自己中心の思いが違う私たちが生きる社会は
いつも居心地が良いものとは限りません。
みんなそれぞれ違う私たちを
阿弥陀さまは分け隔てなく救うと
宝の海のようなご本願のおはたらきで
そのまま受け入れてくださり
同じ一味にしてくださるのです。
煩悩いっぱいの私たちを一人残らず
等しく引き受けてくださる南無阿弥陀仏のおはたらきで
私はそのままお浄土に生まれさせていただくのです。
そして「如来浄華の聖衆は」とご和讃が続きます。
浄らかな華となってお浄土に生まれさせていただくのです。
お内陣に白い蓮の華が描かれています。
お念仏のひとを白蓮華と讃えるのです。
阿弥陀さまの本願力のおはたらきで
泥田の中に清らかな白蓮の華を咲かすと
お念仏のお救いを聞かせていただきます。
「正信偈和讃」で親鸞聖人が
「御文章」で蓮如上人が私たちに
阿弥陀さまの真の心真実信心をいただけよとお勧めです。
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
お念仏を申す身にさせていただきましょう。
阿弥陀さまの本願力南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩いっぱいの身をかかえた私が
そのままお念仏を申す身にさせていただけるのです。
今こここの私を目あてのご本願のお救いです。
死んでから後のお話ではありません。
今聞けよ今聞けよと
南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。
今聞けよとご法座のご縁です。
お仏飯をお供えしてお灯明をつけてお線香を焚いて
御仏前に座りましょうと
座らせていただいたのです。
「ここに座れ」と南無阿弥陀仏のおはたらきで
御仏前に座らせていただいて
手が合ってこの口からお念仏が出てくださり
お礼ができました。
すべてが阿弥陀さまのお手回し
本願力回向のおはたらきです。
阿弥陀さまのご本願を信じ
お念仏を申す身にさせていただいて
この人生を生き抜かせていただき
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただく
この身この命を大切に
この一年もどうぞご縁ご縁にお寺にお参りしてください。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.2)
お念仏申す身にさせていただきましょう
2022-01-01
どなたも新年明けましておめでとうございます。
こうして皆さんご一緒にお正信偈さまのお勤めをし
除夜の鐘の中をお念仏を申して
新しい年を迎えさせていただくことの有難さを思います。
いつもお勤めさせていただくお正信偈ですが
「正信偈和讃」といって御和讃を拝読します。
親鸞聖人がおつくりになった仮名まじりの和語で
仏さまのお徳を讃嘆ほめたたえるものです。
五百首余りの御和讃から三百数十首ほどを
毎朝お朝事のお勤めで53日間にわたって
繰り読みしていきます。
今日のご和讃はお寺のご法座やお家のご法事のご縁で
いつもお勤めさせていただく
「弥陀成仏のこのかたは」で始まる六首です。
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまヘリ
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり」
<阿弥陀仏が仏と成ってから
すでに十劫の時を経ておられる。
さとりの身から放たれる光はどこまでも果てしなく
迷いの闇にいるものを照らすのである>とのご和讃です。
浄土真宗のご本尊の阿弥陀仏です。
お正信偈に「法蔵菩薩因位時」とあるように
阿弥陀さまが法蔵菩薩の時にご本願をおこされたのです。
私の自己中心の願いではなく法蔵菩薩の願いです。
十方衆生すべてのものを救いたいとの大きな願いです。
すべてのものと聞いて私のことです。
この私を救いたいと法蔵菩薩が願いを起こされたのです。
法蔵菩薩は迷いの世界で苦悩の海に沈む私を見てとって
必ず救うと願いをたてられ自ら修行を積まれて
本願を成就されお立ち姿の阿弥陀仏に成って
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださっているのです。
迷いの凡夫の私を見た時に座っちゃおれんと立ち上がり
私のところに来てくださって摂め取って捨てないと
おはたらきです。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
十方衆生すべてのものを分け隔てなく救うという
おはたらきです。
私の口から南無阿弥陀仏とお念仏がでてくださいます。
阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の力強いおはたらきが
今こここの私に届いているのです。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
法蔵菩薩が阿弥陀仏に成られたいわれを
聞いてくれよというのです。
十劫という遥か遠い遠い昔に
法蔵菩薩が阿弥陀仏に成られ
智慧の光明を放って大きなお慈悲の中に
私たちを摂め取って捨てないとおはたらきです。
十劫という遥か昔から私のことを
ずっと思い取ってくださってあるというのです。
私は今年で70歳になりますが
私たちがこの人間界に生まれてからではなく
この人間界に生まれる前からずっと迷いの世界にあって
生れては死に生まれては死にを繰り返してきた
私のことをです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
必ず救うそのまま救うというのです。
南無阿弥陀仏のお心を聞いて
阿弥陀さまの真実信心をいただき
お念仏を申す身にさせていただきましょう。
今日もこの口から南無阿弥陀仏のお念仏が
出てくださいました。
お念仏のご利益です。
いつまでも若くて健康で何不自由ない生活ができるとか
自分の都合にあったご利益ではありません。
これ以上無いすごいご利益です。
迷いの凡夫の私が南無阿弥陀仏のおはたらきで
さとりの仏さまにさせていただくのです。
南無阿弥陀仏のご利益をいただいた
私の口から出てくださるお念仏は
阿弥陀さまの御恩に報謝するお礼のお念仏ですが
南無阿弥陀仏のお念仏の声は私にも
私の周りの人にも届けられるのです。
この耳に聞こえるぐらいで結構ですから
南無阿弥陀仏と声に出してお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏の「必ず救うまかせよ」の声が
そのまま聞こえてきます。
今年の11月の御正忌報恩講のご縁で
住職を継職いたします。
この一年が住職としてのラストイヤーになります。
何か特別こうしましょうということではありません。
一つ一つていねいに一日一日を大切に
お念仏を申すなかにこの一年も皆さんと共々に
お浄土への人生を歩ませていただきたいとと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.1)
一年間ようこそのお参りでした
2021-12-31
今日で2021年令和3年が終わります。
一年365日こうして毎朝お朝事のお勤めを
ご一緒にさせていただけました。
円光寺は毎日朝からお念仏の声が聞こえるお寺です。
お同行の皆さんがお参りされて共々にということで
有難く御礼申し上げます。
今日は大晦日で夜12時前から
本堂で除夜会続いて元旦会のお勤めをさせていただきます。
同時に鐘楼で除夜の鐘撞きをさせていただきます。
今日も朝から風が強くて寒いです暗いです。
コロナということもありますので
どうぞ気をつけてお参りください。
なおいつものように
このお朝事は1月1日は元旦会で
1月2日は初法座で10時からのお勤めです。
1月3日から通常の6時半からの
お朝事のお勤めをさせていただきます。
一年間ようこそお参りなさいました。
ありがとうございます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.31)
諸仏諸菩薩の南無阿弥陀仏のおはたらきです
2021-12-30
毎年のことですが
昨日29日にお鏡つきをして正月飾りを整え
今日12月30日は先々代16世照哲住職の祥月命日です。
諸仏諸菩薩の南無阿弥陀仏のおはたらきを念います。
大本はご本尊の阿弥陀如来さまです。
阿弥陀さまのお浄土に先に往かれた仏さまが
還相の菩薩となってこの迷いの世に還って来て
私たち衆生を救うてくださるおはたらきです。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきの
お手伝いをしてくださるといいます。
私たちの日々の生活の中に
菩薩さまのおすがたおはたらきとなって
この私を護り救うてくださるのです。
今朝梵鐘を撞きに鐘楼に向かう時に
南東の空高く三日月がきれいに観えました。
この前は西の空にまん丸お月さまでした。
日々の移ろい変化の中に生きてることを思います。
世の習い無常の理です。
喚鐘を打つとき真正面に工場の煙突が目に入ります。
今日も煙が出ています。
風のない時は空にまっすぐ緩やかですが
天候次第で海の方に山の方にとたなびいて見えます。
工場は年末年始も休むことなく動いているのです。
そこで働く人もみんな生きているのです。
昨日総代さんが幕を張り仏旗を掲げて
準備をしてくれましたが
今日は朝から風が強くて
山門の幕がバタバタと吹き上がっていました。
すべてのものが動いています。
みんな生きているな
大きないのちのおはたらきのなかに
生かされているなと思います。
この目で見耳で聞き体に触れて
五感いっぱいに感じて思うのです。
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
私にとって都合の良いことも悪いこともすべて
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
この身に来てくださって
今日もこうして私の口からお念仏が出てくださるのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
祖父が亡くなったのが昭和41年で
55年経ちました。
56回忌のご縁です。
年月は経って遠くなりましたが
仏さまのおはたらきとなって来てくださって
いよいよ近くなりました。
「間違いないぞ。お前の往生は
阿弥陀さまが決めてくださっていることだから。
間違いないぞ。お念仏を申して聞いてくれよ」と
今日もお朝事のご縁のなかに有難くいただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.30)