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お念仏を申す生活法話

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ホットミルクと乳がゆと七草粥と

2022-01-08
 乳業団体が年末年始に生乳が大量に余って
このままでは廃棄処分するしかないと
テレビ等でSOSを出していました。

 何か使い道はないかとの呼びかけに
ローソンがホットミルクを半額にし
売り上げが大きく伸びたという新聞のコラムです。

 牛乳には栄養価もさることながら
心を落ち着かせる作用があると書かれてありました。

 ふとお釈迦さまのことを思い起こします。
お釈迦さまは29歳で出家されて
35歳の時におさとりを開かれますが
6年間大変厳しい修行をされたといわれます。

 人間業とは思えない極限まで体を痛めつけたり
一切の飲食を何日間も断つ断食といった苦行でした。
 すっかり瘦せ細り元気のなくなったお釈迦さまは
身体を苦しめるだけの修行の間違いに気づかれ
村娘のスジャーターから乳がゆを供養されて
体力を回復し菩提樹の下で瞑想に入られ
12月8日の暁におさとりを開かれたというお話です。

 乳がゆです。
牛乳を連想してください。
ホットミルクです。
 私も思いついて昨日から牛乳をチーンといわせた
ホットミルクをいただいてこのお朝事のお勤めです。

 昨日は正月7日で七草粥をいただきました。
坊守が家庭菜園で収穫したもので作ってくれました。
 先人から伝えられた生活の知恵です。
年末年始とご馳走をいただき不具合な体調を整えて
普段の生活に戻すということです。

 お釈迦さまの乳がゆのお話に習って
七草粥でそしてホットミルクで体を整えて
このお朝事のご縁から
今日一日を始めさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.8)


東京情報と私たちの生活

2022-01-07
 昨日は東京で4年ぶりに大雪警報が出され
昼からのニュースは降雪に関するものが殆どでした。

 私たちが住んでいる大分のことではなく
東京のことですが
日本の中心地で沢山の方が
住んでらっしゃるということです。

 大分は雪も降っていないし路面も凍結していません。
いつものように人や車が行き来しています。

 昨日のニュースでは
「明日は多分路面が凍結しているから
通勤通学の人は十分気をつけてください」と
滑りにくい履物で歩幅も狭くしっかりと地面を踏みしめて
ゆっくり歩いてくださいなどと
丁寧な説明までありましたが
今日は至る所で
人が転倒したり車が立ち往生したりという映像が
何度も流れるのでしょうね。

 雪国の人から見たら
どう思われるのでしょうか。
 雪国では雪下ろしの作業で毎年何人もの方が
亡くなられるということです。

 東京情報はどうしても注目されます。
コロナの情報もそうです。
 コロナ感染者がまた沖縄東京大阪と
急に増えてきています。
 東京の情報です。

 ただコロナと今回の降雪情報が違うのは
コロナについては東京で起こっていることが
私たちの生活に直結するということで
要注意の情報です。

 私たちの日常生活は
色んな情報が満ち溢れています。
情報に振り回されるのではなく
必要な情報を選り取って
今何をすべきか行動することが大事です。

 お念仏を申す生活です。
お念仏のお心を聞かせていただきます。
 阿弥陀さまのお心にかなう視点で
今ある情報をしっかり整理整頓して
私にできる精いっぱいのことを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.7)


「新年になると仏教に関する本を開きたくなる」

2022-01-06
 お朝事の前に時間を見ることもあって
テレビをつけます。
 天気情報を各地の便りとともに伝えるコーナーで
今週はお寺からの中継のようで
今日は朝の座禅会をしているお寺からでした。

 先日の新聞のコラムに
「新年になると仏教に関する本を開きたくなる」
と書かれてあり、ちょっと嬉しかったです。

 新年になるとということで
日頃は中々開く機会がないのでしょうね。
 たまに開くということでも
仏教に興味があるということでしょう。

 仏教は仏さまの教えであり
教えを聞くのは私たちで
仏教は常に私たちに開かれています。

 私たちの日常世間のものの見方とは違う
ものの見方が仏教にはあって
新鮮で興味をひかれるのでしょうが
逆に世間の見方で仏教を見ている人が殆どです。

 コラムには「日常の言葉のあれこれが
実は仏教由来だと教えてくれる」と
「有頂天」「無常」「精進」などの仏教用語を
解説していました。

 他にも日常使っている仏教用語はたくさんありますが
浄土真宗にとって大切な「他力」や「往生」など
仏教で本来意味するものとは違った
使い方をされることが多くあります。

 こうした日常よく使い聞く仏教用語の意味を学ぶなかに
仏教浄土真宗の教えを聞かせていただく
仏法聴聞のご縁になればと思います。

 今日6時過ぎに中継があった禅宗のお寺さんです。
いつもこの時間にお寺を開いて
座禅会をしているのでしょうか。
 この周辺もお寺さんがたくさんありますが
円光寺が有難いのは
朝6時の梵鐘を撞く頃には本堂に灯りが点いて
この冬の暗い中に明るい本堂が浮かび上がって見えます。

 仏さまが待っていらっしゃる明るいお寺に
お朝事のお同行がお参りされます。
 この時間に円光寺を外から見る人も
殆どいないと思いますが
いいですよ。

 明るい本堂を見ると寒い中もほっとします。
阿弥陀さまの明るい智慧の光と
あたたかいお慈悲のおはたらきが
どんな人にも届けられているのです。

 南無阿弥陀仏のお念仏の声となって
朝から聞こえてまいります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.6)


世代間の断絶

2022-01-05
 世代間の断絶といわれます。
断絶とは衝撃的な言葉です。
 若者世代との関係で親子の関係で
ものの見方考え方価値観が違うもの同士が
同じ社会を共に生きているということです。

 戦争を境に大きな価値観の変化があり
戦後生まれが主流の日本社会となって
昭和・平成・令和と時代の変遷とともに
アナログ社会からデジタル社会へと
今は多様な価値観の時代になりました。

 人それぞれに価値観が異なるなかで
その人人のものの見方考え方が
見えづらくなってきました。

 世代間の断絶という大きな括りではなく
個と個の隔たりが見えにくく
理解しようにも理解できない
不安定な関係性のなかで
今の社会ができているといった感じです。

 仏さまの教え仏さまのものの見方は
すべてのいのちはこれまでも今もつながって
これからもずっとつながっていく
と聞かせていただきます。

 縁起の法です。
私がどうこうというはからいを超えて
真実まことの真理です。

 仏さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちを一つのいのちと見て取って
そのまま引き受けてくださっているのです。
 私たちは南無阿弥陀仏の
大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きてあると聞かせていただきます。

 私のいのちあなたのいのちと
自己中心の思いでいのちを分断しているのが
世代間個々間の断絶という見方です。

 私たちはどこまでも個々それぞれに
諸行無常諸法無我の真理の法に生かされて
生きているのであり
人の命が終わるときに
南無阿弥陀仏のおはたらきで個から解き放たれ
南無阿弥陀仏のいのちになるのです。
 涅槃寂静の真理です。

 価値観の多様化した現代の社会を生きるヒントを
仏さまのみ教えに聞かせていただくときに
お互いの個の違いを認めることから始めましょう。

 私たちは自分の価値観を大切にしますが
同じように他の人も自分の価値観を大切に生きてきたし
これからも生きていくのです。

 私の世界に閉じこもってしまいがちな私たちですが
お互いの価値観を尊び敬い合うことで
支え合うことができるのです。
 決して自分の価値観を
押し付けるようなことはしないように
私が押し付けられる立場ならきっと嫌だと思います。

 そういうなかに私たちが共に生きる社会があると
教えてくださるのが仏法です。

 みんなそれぞれ違うからいいのです。
十が十完璧な人間はどこにもいません。
それはもう仏さまです。

 お互いに私が私がという自我の思いをもって
煩悩をいっぱいこの身につけた凡夫です。
 私にできないことは補ってもらえばいいのです。
支えてもらったらいいのです。
 自他ともに心豊かに生きることのできる社会です。

 お念仏を申したら何もかもうまく行く
ということではありません。
 うまく行く時もあればうまく行かない時もあります。

 お念仏を申して
阿弥陀さまのお心を聞かせていただくなかに
「ああそうやったな」と
今まで見えなかったことが見えてくる
今まで聞こえなかったことが聞こえてくる
南無阿弥陀仏の社会に共々に生きる
私たちの今日一日の営みでありたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.5)


お念仏の「いい湯だな」

2022-01-04
 正月三が日が過ぎて今日4日から
仕事始めの方も多いのではないでしょうか。

 昨日はちょっとゆっくりさせてもらい
別府の方に出かけました。
 色んなホテルが開業ラッシュということで
ホテル巡りを思い立ちました。

 別府には別府タワーの近くに本願寺の別府別院があり
私事で32歳から12年間別院にお勤めしていました。
 それ以前からも別院に行く用事が多く
別院を辞めてからもいろんなお役をいただいて
別院通いが私の日常の大きな営みでした。

 2年前にお役を引いてすぐコロナ禍になり
この二年間全く別府に行っていません。
 それでこのたび2年ぶりに別府に行って
別府の駅周辺の景観がすっかり変わっていることに
びっくりしました。

 町中に大きな高層ビルのホテルが建ち並び
海岸沿いのホテルも大きく様変わりしています。

 どんなホテルかミニ見学しようと行きました。
あるホテルは自由に出入りさせてもらって
フロントの方も声をかけてくれて
飲み物までご馳走になりましたが
あるホテルはロック式の玄関で
とてもホテルの中に自由に入れるような
雰囲気ではありませんでした。

 ホテルは異空間の世界で非日常の空間です。
だからホテルに宿泊する人だけの世界と
いうことでしょう。
 セキュリティの問題があります。
誰でもどうぞお入りくださいといって
どんな人が入ってくるか分かりません。

 別府は元々温泉旅館街歓楽街の町でした。
周りのお土産屋さんや飲食店ともつながって
別府全体にオープンなところがありました。
 夜になったら浴衣がけの人が町の界隈に出て回って
遅くまで賑わっていたということです。

 ところが今は外部と一切遮断して
外のものを受け付けないといった感じです。
 大勢の団体客が減って
個人客ビジネスマン相手の洋室個人部屋のホテルです。
 コロナでワーケーションということが提案され
別府のホテルも変わるのかなと
ちょっと寂しく思います。

 お寺のことを重ねて思います。
お寺もセキュリティということを
考えないといけないようになりました。

 仏教のみ教え阿弥陀さまのお救いは
誰でもどうぞのお寺の発揮です。
 どんな人も分け隔てなく救うというのですから
誰でもどうぞです。

 ところがお寺に対する一般的な見方が
大分変わってきました。
 私たち門徒のお寺という思いが薄くなり
ご門徒もお寺を外から見ているといった感覚です。

 入りにくい今のホテルの話をしましたが
入りにくくなった以上に
外から眺めるお寺になってしまっているようで
何か寂しく思います。

 平素日頃からのお寺のご縁です。
このお朝事のご縁です。
 お朝事から始まるお寺の日々の営み
お念仏の声が朝から聞こえるお寺です。

 葬式法事の時だけ用事のあるお寺だったり
お坊さんになっていませんかと
問われていることでもあります。
 行事のある時だけ門を明けて
不断は締め切っているお寺になっていませんか。

 色々とお寺も考えていかねばならない
コロナ後のお寺のあり方です。

 別府の町を久しぶりに散策しながら
ふらっとみんなで温泉につかって
「いい湯だな」とふっと声が出るように
阿弥陀さまのあたたかいお慈悲の中に
ふっとお念仏が出てくださるお寺でありたいなと
思いました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.4)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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