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お念仏を申す生活法話

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末法濁世の凡夫の仏道

2021-11-16
 今日から『高僧和讃』の第5祖
中国に出られた善導大師のところに入ります。

 最初の第一句です。
「大心海より化してこそ 善導和尚とおはしけれ
末代濁世のためにとて 十方諸仏に証をこふ」
<海のように大いなる阿弥陀仏の慈悲の心によって
 善導大師はこの世にお出ましになった。
 さまざまな濁りに満ちた
 末法の世のもののために『観経疏』を著し
 その内容が仏のお心にかなっていることの証明を
 すべての世界の仏がたに請われた>とあります。

 大心海とは阿弥陀さまの別名で
親鸞聖人は七高僧さますべてにいわれることですが
善導大師を阿弥陀仏の化身とみられたのです。

 善導大師が生まれた時代は末法の世で
玄中寺に道綽禅師をたずねて
曇鸞大師の他力浄土門のお念仏の教えを伝え聞き
末法に生きるものが等しく救われる道を
明らかにしてくださったのです。

 道綽禅師善導大師が生きた時代も末法濁世でしたが
法然聖人親鸞聖人の時代も蓮如上人の時代も
そして私たちが生きている現代もまた末法濁世なのです。

 末法濁世にあって「ただ念仏のみぞまこと」と
親鸞さまが法然さまから聞かれた教えは
お釈迦さまから七高僧さまを通じて伝え届けられた
浄土真宗だったのです。

 法然さまは善導大師が『観無量寿経』を註釈された
『観経疏』に出遇って選択本願念仏のみ教えを開かれました。
 阿弥陀仏の本願による念仏一つで
どんな人も等しく救われる
末法濁世に生きる凡夫のための仏道でした。

 これから善導大師の御和讃26首をたずねてまいります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.16)


阿弥陀さまがお浄土から私たちに開いてくださった広くて大きなお念仏の道です

2021-11-15
 今日のご和讃の一首をいただきます。
昨日から第4祖の中国の道綽禅師のところに入っています。

 「末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも
ひとりの証をえじとこそ 教主世尊はときたまへ」
<末法というさまざまな濁りに満ちた世に生きるものは
 聖道門の行を修めても一人として
 さとりを得ることはないと釈尊は説き示された>です。

 昨日拝読した道綽禅師の最初のご和讃
「本師道綽禅師は 聖道万行さしおきて
   唯有浄土一門を 通入すべきみちととく」
<道綽禅師は、さまざまな行を説く聖道門ではなく
 ただ浄土門だけがさとりに至ることができる道であると
 説かれている>と重ねて味わわせていただきます。

 道綽禅師のご功績は
仏教を聖道門と浄土門に分けられたことです。
 第1祖の龍樹菩薩が仏教を難行道と易行道に分けました。
第3祖の曇鸞大師は自力と他力に分けられました。

 自力聖道門の難行の教えと
他力浄土門の易行の教えといいます。

 阿弥陀仏の本願念仏のお救いの法は
お浄土から阿弥陀さまが南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
十方衆生を分け隔てなく救うという
他力浄土門の易行の教えです。

 末法濁世に生きる煩悩具足の凡夫を
南無阿弥陀仏の他力のおはたらきで
そのままお念仏申す身にさせて
浄土に往生させさとりの仏にしてくださるのです。

 仏のさとりを目ざして
自ら厳しい仏道修行に励まれている修行僧がいます。
 大変尊いことで
本当に有り難いことです。

 ただこの私が行ずる仏道はといったら
自力聖道の道でしょうか
他力浄土の道でしょうか。

 親鸞さまは比叡山で20年間
自力聖道門の仏道修行を積まれましたが
煩悩を断ち切ることができず深く悩まれて
比叡山を下りて法然聖人の門下に入られます。

 法然さまの教えは
どんな人も念仏一つで救われるという
阿弥陀さまが開いてくださった
他力浄土門の仏道でした。

 親鸞さまは「雑行を棄てて本願に帰す」と
お念仏の道に帰入されたのです。

 阿弥陀さまがお浄土から私たちに開いてくださった
広くて大きなお念仏の道です。

 「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と
親鸞さまのお言葉をいただいて
今日一日もお念仏を申して日暮らしさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.15)


「浄土にうまるる 因も果も 往くも還るも 他力ぞと ただ信心を すすめけり」

2021-11-14
 毎日お朝事には『正信偈和讃』のお勤めをしています。
お正信偈御和讃とも親鸞聖人が著述されたものです。

 御和讃は毎日繰り読みといって
『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』の順番に
53日間で一通り繰って読んでいきます。

 今日拝読の御和讃は
インド中国日本に出られた七人の高僧方を讃嘆する
『高僧和讃』の中で第三祖の中国の曇鸞大師の和讃四首と
道綽禅師の和讃二首をいただきました。

 この『高僧和讃』は全部で119首ありますが
そのうち曇鸞大師の和讃が34首あり最も多いのです。
次に多いのは善導大師の26首で源空聖人は20首です。

 数だけでいうわけではありませんが
親鸞さまがいかに曇鸞大師に
思いを寄せていたかと思います。

 「親鸞」の名前の由来です。
「親」の字は天親菩薩から
「鸞」の字は曇鸞大師から頂いたものです。

 天親菩薩が書かれた『浄土論』を註釈されたのが
曇鸞大師が書かれた『往生論註』です。
 お師匠さんの源空(法然)聖人からのご教授ですが
『浄土論』『往生論註』が親鸞さまの思想信仰の
大きな基盤になっているということが伺えます。

 お正信偈の中にも七高僧のご功績が書かれています。
七人の高僧方の名前が出てきますから
注意して読んでください。

 その中の曇鸞大師について書かれた
「本師曇鸞梁天子」から
「諸有衆生皆普化」までの12句の中に
「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
   往還回向由他力 正定之因唯信心」
<天親菩薩の『論』を註解して
 報土の因果誓願に顕す
 往還の回向は他力による
 正定の因は、ただ信心一つである>とあります。

 現代語訳は
「曇鸞大師は天親菩薩の『浄土論』を註釈して
浄土に往生する因も果も
阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし
往相も還相も他力の回向であると示された。
浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである」です。

 浄土真宗の教えの根幹が端的に示された御文で
他力ということです。
 他力とは阿弥陀さまの本願力といって
阿弥陀さまがこの私を必ず救うと成就された
ご本願の力はたらきです。

 本願成就の南無阿弥陀仏となって
私のところに来てくださって
この私の口から南無阿弥陀仏と
お念仏が出てくださるといただきます。

 南無阿弥陀仏の他力のおはたらき一つで
阿弥陀さまが建立された阿弥陀さまのお浄土に
往生させていただくことを往相といいます。

 往くといって今ここはお浄土ではありません。
この命終えてそのままお浄土に生まれることを
阿弥陀さまの方でもうすでに決めてくださったのです。

 お浄土に生まれてさとりの仏さまに成らせていただくと
すぐこの世に還って来るといいます。
還相といいます。
 迷いの世界に還って迷う人々を救うというのです。
これも南無阿弥陀仏の他力のおはたらきです。

 この後『浄土真宗の教章』を皆さんで唱和しますが
「教義」の項目に端的に記されています。

 お正信偈の意訳勤行に『しんじんのうた』があります。
先に述べたところに
「天親の論 釈しては 浄土に生まるる 因も果も
往くも還るも 他力ぞと ただ信心を すすめけり」
とあります。

 私の父昭然前住職の往生のご縁で
中陰の四十九日間の期間中山門掲示板に
この意訳のことばを書かせていただきました。

 人の命終えてもこれからもずっと
私たちは南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きることができる
お念仏のお救いに遇わせていただきます。

 お念仏が私のところに届けられて
今日は仏教壮年会の例会で皆さんとご一緒にお念仏申して
南無阿弥陀仏の御声がたくさん大きく
「浄土にうまるる 因も果も 往くも還るも 他力ぞと」
頼もしく有難く聞こえてきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.14)


共にこの道を往く

2021-11-13
 今朝の御和讃の一首です。
『高僧和讃』「曇鸞讃」の
「安楽仏国にいたるには 無上宝珠の名号と
   真実信心ひとつにて 無別道故とときたまふ」
<阿弥陀仏の浄土に往生するには
 この上ないすばらしい宝の玉のような名号と
 そのはたらきによる真実の信心の他に
 別の道は何一つないと説かれている>です。

 阿弥陀さまがこの私を必ず救うと願いをおこされ
私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏に成就されて
私に回向してくださってあるとお聞かせいただきます。

 南無阿弥陀仏のお名号は「必ず救うまかせよ」の
阿弥陀さまのお心おはたらきで他力といいます。
 そのお心おはたらきが
そのまま私に届いたすがたですから
他力の信心といい他力のお念仏というのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきは十方衆生に届けられ
生きとし生けるものすべてが
分け隔てなく無条件に救われるのです。

 「わが心を信じさせ、わが名を称えさせて
わが浄土に生まれさす」と
真実の世界お浄土から阿弥陀さまが開いてくださった
お浄土への道はただこの道一つで
他に別の道はありません。

 私一人だけでなくどんな人にも開かれた道ですから
南無阿弥陀仏の他力のおはたらきで
みんな共々に往けるお浄土への道です。

 今日も私たちのこの口から南無阿弥陀仏と
お念仏が出てくださいました。
 阿弥陀さまのおはたらきがこの身に満ち満ちで
お念仏申すままに救われていくこの道を
今日も一日ご一緒しましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.13)

瀬戸内寂聴さん

2021-11-12
 瀬戸内寂静さんが往かれました。
作家で僧侶で皆さんもよくご存知の方ですが
私は一編も瀬戸内さんが書かれた
小説や評伝を読んだことがありません。

 テレビ新聞雑誌などマスコミによく取り上げられ
短いエッセイや対談を聞きかじった程度のことですが
交友関係が広く文学界や芸能界からも
お悔やみのコメントがたくさん寄せられています。

 瀬戸内晴美のペンネームで一躍人気作家となります。
戦中に結婚され戦後まもなく離婚
4歳の娘を残して家を出て行きます。
 自由奔放な生き方に世間の厳しい風当たりのなかも
何度も恋愛しては破局を繰り返し51歳で出家されます。

 法名「寂聴」を名乗りその後も作家活動を続けられます。
住職になられた岩手天台寺での青空法話会の映像が
今でも大変印象に残っています。
 老若男女多くの方が押し寄せるように
お寺の境内を埋め尽し寂聴さんの法話に
思い思いに立って座って聞き入っていました。

 親鸞さまが初めて法然さまの吉水の庵を訪ねたとき
貴族も武士も農民も皆共に法然さまが説かれる
「念仏一つでどんな人も等しく救われる」み教えを
聴聞されている光景を重ねて想いました。

 近年では東日本大震災の後被災地を回って
お話をされていたことや
京都嵯峨野の寂庵での法話会のようすを観ていました。

 お寺の本堂でいつもの型通りのものではなく
皆さんの顔が見える所からマイクをもって
ユーモアを交え軽妙にお話をされます。
 うっとりと聞き入っている人もいれば
頭をうなだれ考え込むように聞いている方もいます。

 波乱万丈の人生でいろんな経験をしてきた方ですが
皆さんの顔を見ながら聴いているんですね。
 法名の「寂聴」は仏教の三法印(真理)の一つ
「涅槃寂静」のおさとりの世界の仏さまの教えを
聴くという意味でしょうが
独り寂しく生きる私たちの思いを受けとめて
「あなたの苦しみ悩みわかりますよ。うんうん」と
頷きながら聴きながら寄り添いながら
優しくお話をしているように思います。

 寂聴さんのご法話は
難しい仏教用語を使うわけではありません。
これこれこうだからこうだよと
一方的に話すことでもありません。

「無常」ということを何度も話されていました。
この世のすべてのものは常がなく移り変わって行くという
「諸行無常」「諸法無我」の真理です。

 お説教で無常というと
生きることはこの身が移り変わるということで
どんな人も老いて病気になって命終えていくんですよと
聞いている方が殆どだと思いますが
寂聴さんが話す無常は
「今はどん底でもこのままということはありません。
移り変わって行くのだからあきらめないでね」と
肯定的にお話をされて
孤独をかかえ絶望の中にいる人に向かって
「今が一番のどん底だからね。
朝が来ない夜はないというように
きっと明かりが見えてきますよ」と
発信し続けていかれました。

「あなたの人生なんだから
あなたはあなたのままでいいよ」と
生そのものをそのまま受けとめ生き抜かれた
寂聴さんの言葉にどれだけの人が
勇気づけられたかと思います。

 「『死』は無になるのではなく
『他界』に移るような気がしてきた」と
最近書かれていたそうです。

 この命いつか必ず終えていきますが
死んだらお終いではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往かせていただき
さとりの仏に生まれてこれからも
南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに
先に往かれた方も後に遺った私たちも
共々に生かされて生きて往けると安心して
今日も一日お念仏を申す生活をさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.11.12)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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