本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

お念仏の道ありて今ここに(2004年アーカイブ)

2022-01-30
 昨日(1月29日)神崎の教尊寺さまの一尺屋の支坊の法要に
お説教のご縁をいただきお参りしました。

 今は佐賀関の海岸沿いを車で20分ほどで行けますが
昭和30年頃までは一尺屋に行くのに
神崎から船で渡っていたということで
その前は大志生木から山越えして
お参りしていたというお話を聞きました。

 親鸞聖人から800年蓮如上人から500年と
長い長い時間をかけて
お念仏のみ教えが私たちのところに届けられたのは
お念仏の先人のあつい思いと
大変なご苦労があったからです。

 お寺のご院家さんだけでなく
一尺屋のご門徒の皆さんも船でそして山越えして
神崎の本坊にお参りしていたと思います。

 それこそ何時間もかけてまさに命がけで
お念仏の道をたずねて行かれた
身近なところにもお念仏の歴史があります。

 仏教がインドのお釈迦さまから始まって
中国に伝来し朝鮮半島を経て日本に入ってくる過程で
多くの方々が命を落とすようなこともあったでしょうし
大変なご苦労があったなかで
お経さまを伝えてくださったことに思いを巡らせます。

 今こうして私たちがお念仏を申せることの有難さです。
有ること難き尊いご縁といただいて
いよいよお念仏申す日暮しをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2004.1.30)

阿弥陀さまは私のいのちのホームドクターです(2002年アーカイブ)

2022-01-29
 月参りのお家で
病院の話になりました。
 昔はかかりつけの町医者とよばれる
小さな病院が多かったのですが
今は総合病院といった大病院になっています。

 大病院になると医療設備や技術も充実して
一つの病院で大方の診療ができる利点があります。

 一方で「今の医者は病気をみて病人をみない」
という話を聞きます。
 診察室でパソコンの画面ばかりみて
病人に向き合うことなく診察されるといいます。

 お医者さんは医療の専門家ですから
それぞれの病気の処方は的確にしてくださいますが
病気になって苦悩している生身の人間を見ることに
欠けているのではないかという指摘です。

 歳を重ねていくと病気になることが多くなり
病院にお世話になるのですが
平素からホームドクターという
かかりつけのお医者さんをもちなさいといわれます。

 大病院に行くとその日その日で
担当医が変わることがあります。
 患者の病歴カルテを診て診察するので
どの先生でも大丈夫ということでしょうが
日頃から気になることを聞いて答えてくれる
ホームドクターがいると安心です。

 かかりつけのホームドクターは
私の体のことを一番よく知っているお医者さんですが
阿弥陀さまは私のいのちのホームドクターです。

 体調が悪い時は病院に行きます。
病気になったら専門のお医者さんにおまかせです。

 では阿弥陀さまはというと
南無阿弥陀仏とお念仏を申すところに
いつも私の身に寄り添って
ご一緒してくださっているのです。

 私のいのちをそのまま引き受けてくださる
南無阿弥陀仏のかかりつけのお医者さまです。
 私が頼んでも頼まなくても
阿弥陀さまの方から勝手に私のところに来てくださって
「まかせよ救う」とおはたらきです。

 いつもこの私のことを案じてくれて
南無阿弥陀仏と喚んでくださっているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.29)

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

2022-01-28
 今年のNHK大河ドラマは三谷幸喜さん脚本の
『鎌倉殿の13人』で面白く観ています。
 これまでも『新撰組!』や『真田丸』の作品があり
他にも映画やテレビで異彩を放っています。

 歴史上の事実に三谷流の脚色が随所に
織り込まれて作られています。
 平安時代の貴族政治から鎌倉時代の武家政治へと
日本の歴史の大きな転換期で
平家から源氏の時代になって鎌倉幕府の成立という
血なまぐい権力闘争の歴史の事実です。

 伊豆に流されていた源氏の御曹司源頼朝が
いよいよ平家打倒ののろしを上げるところです。
 前回興味深く観たのは夢告
夢のお告げです。
 当時は夢のお告げが大きな意味をもっていたと
ナレーションにありました。

 「平家にあらざれば人にあらず」と
栄華を極めていた平清盛と相通じていた後白河法皇が
仲違いして源頼朝の枕辺に夢に出てきて
「平家打倒をたのむ」と頼朝に促すのです。
 配役が西田敏行など癖の濃い人ばかりで
コミカルに歴史の大転換を描いて面白かったです。

 挙兵することは命がけのことで
中々決心できるものではありません。
 平家打倒といってわずかな手勢ですが
夢告という帝の後ろ盾を得て兵を挙げ
結果は弟義経の活躍もあって
壇ノ浦で平家を滅亡させるわけです。

 夢告と聞いたときに
親鸞聖人の夢告を思い出します。
 京都の六角堂で観音菩薩が夢枕に立って
お告げをいただき
20年間の比叡山での修行を捨てて
法然聖人の下に入門された
お念仏の人生の大きな転機です。

 親鸞聖人の時代と今度のドラマの時代が
ちょうど重なります。
 ドラマを観ながら親鸞聖人はこの頃どこで
どうしていたのかなどと
思いをはせるのも興味深く楽しみです。

 皆さんも夢を見るでしょう。
私もよく見ます。
 夢の内容はすぐ忘れますが
夢の中に思っていた決心がついて夢から覚めます。

 日頃から私たちは思いをもって生きています。
ただその思いをすぐ行動に移すことができなくて
何日もあれこれ行ったり来たり考え悩みます。

 そういう私が一大決心をするときに
夢告といった背中を押してくれるものが
あるということではないでしょうか。

 夢告に頼るということではなく
日頃から思い考え悩んでいることに
真摯に向き合うことの大事です。

 「困ったときにはお念仏に相談しなされや」と
お念仏の先人は言われます。
 南無阿弥陀仏とお念仏申して
阿弥陀さまの仰せに聞かせていただきましょう。

 これからのドラマの展開を楽しみにしつつ
皆さんにもお勧めしたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.28)


土曜日曜のお朝事のお勤めをお休みします

2022-01-27
 コロナ感染者が昨日は全国で7万人を超え
一昨日の6万人超えの最多を再更新したといいます。

 感染力の強いオミクロン株の感染は止まることを知らず
短期間で急激に増えています。
 まん延防止等重点措置が
今日から大分県にも適用となり
来月2月の20日までということです。

 深刻なのは若年層子どもの感染拡大で
学校の学級閉鎖や保育園の休園が増えていることです。
 子どもが感染すると家族が濃厚接触者となり
自宅観察で外での仕事ができなくなって
社会活動が滞る事態になります。

 昨日あるお家に電話しましたら
おじいちゃんが感染して家族が濃厚接触者になって
ずっと家に居るということでした。

 コロナ感染がすぐそこまで来ていて
身近な問題になっていることの悩ましさです。

 いつまでこうした状況が続くのでしょうか。
いつになったらコロナの終息宣言が出るのでしょうか。

 海外からは次の新型の兆しがあるといった情報が
伝えられているそうです。

 こうした不安な社会生活の中にあって
お念仏のみ教えを聞かせていただきます。

 時間はかかってもいつかは必ず収束するということ
今は私にできることをさせていただくことに尽きます。

 私たちは思いをもってそれぞれ頑張って生きています。
大変尊いことですが
頑張って頑張っても思い通りにならないことが
次から次にこの身に起こって
頑張れない私がいることも
教えてくれたのが
コロナ下のこの2年間であり
これからコロナ後に向けての生活ではないかなと思います。

 コロナ下でお寺の活動も中止や変更が続いていますが
このお朝事はずっと毎日欠かさず
毎朝6時半からお同行の皆さんとご一緒に
お勤めをさせていただいてきました。

 お寺の住職として日々のおつとめの第一歩であり
先代から受け継いだお念仏のバトンを
次の世代に伝えつつ
ご門徒衆と共にお浄土への人生を歩むことでした。

 私にできることをさせていただくことですが
歳を重ねてどこかで少し頑張るところが多くなり
しんどく感じたり体調を崩すこともでてきました。

 そこで少し前から思っていたことですが
ご法事が重なる土曜日曜のお朝事を
しばらくの間お休みさせていただこうと思います。

 先代から44年間一日も休まないことを
一つの目標にしてやってきましたが
お参りされるお同行の皆さんの顔ぶれも変わり
コロナ禍ということだけではなく
この世のものは常に移り変わって行くという
諸行無常の教えに生きている私たちですから
ここは少し変えて行ってもいいのかなと思います。

 皆さんもそれぞれ思いをもって
このお朝事に毎日お参りされているということで
住職の一存でという言い方には
ちょっと抵抗もあるかもしれませんが
ここはしばらくということでお許しください。

 土曜日曜のお朝事のお勤めはお休みします。
梵鐘は撞きますが、本堂の灯りはつけません。
喚鐘ももちろん撞きません。

 そういうことで多分近所の方が
「お寺に何かあったのでは」「ご院家さんは大丈夫か」
などと心配されるかもしれません。

 そういう声が皆さんに届いたら
これこれこういうことでとお話をして
月曜から金曜まではいつものように
お朝事のお勤めをしていますので
どうぞお参りしてください
ご一緒にお参りしましょう
とお誘いしていただければと思います。

 よろしくお願いいたします。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.27)


仏さまに一番のお供えは何でしょう?

2022-01-26
 中陰の期間七日参りのご縁に
ご遺族ご親戚の方がたくさんお参りです。

 お仏壇がきれいにお荘厳されています。
お仏飯がお供えされお菓子や果物などもあがって
お灯りをつけお線香を焚いて
ご一緒にお勤めをさせていただきます。

 お仏壇のお飾りのお話をするなかで
「今日もこうしてきれいにお供えができていますが
一番のお供えは何だと思いますか」と質問しました。

 一番のお供えと尋ねられて
皆さんだったらどう答えられますか。

 「お経ですか」と
小さな声が返ってきました。
 私の答えとはちょっと違いましたが
お経と聞いてああそうやなあと思いました。

 お経をあげるということで
お経をお供えするという言い方もできますが
お経はお釈迦さまのみ教えで
私が聞かせていただくのですから
一番のお供えはこの私なのです。

 私をお供えするのです。
何か変なことを言っているようですが
御仏前に私のこの身を置くということです。

 お仏壇のお荘厳お飾りをするのは私です。
私がじっとしていてお飾りができたのではありません。
私がお飾りをしたのです。

 ただお飾りをしたこの私が
御仏前に居なかったら
何の意味もないもったいないことで
仏さまに背を向けることにもなってしまいます。

 仏さまのお手回しのおはたらきで
この私が御仏前に身を置くことができたのです。
 お仏壇をきれいにお飾りお供えしてくれよと
仏さまのご催促があって
この私が御仏前に身を置かせてもらうのです。

 仏さまのお手回し南無阿弥陀仏のおはたらきです。
仏法を聞いてお念仏を申す身になってくれよと
阿弥陀さまが御仏前にこの私を座らせるために
こしらえてくださった手立てです。

 お供えしないといけないお参りしないといけないと
私のところに力が入ると
私が私がと自己中心のいろんな思いが出てまいります。

 阿弥陀さまの御仏前に身を置かせていただくなかに
南無阿弥陀仏のおはたらきを
そのままいただければいいのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきをいただいて
今日もお勤めができました。
 手が合わさりました。
南無阿弥陀仏とこの口からお念仏がでてくださって
阿弥陀さまにお礼ができました。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
煩悩具足の凡夫の身がそのまま
お念仏を申す身にお育ていただくのです。

 お念仏申してこの人生を生き抜き
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏と成りこの迷いの世に還って来て
有縁の人を護り救うはたらきをさせていただくと
聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏の大きないのちの物語です。
今日もこうして御仏前に身を置かせていただいて
お念仏を申しお念仏のお心を聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.26)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
5
5
6
1
8
TOPへ戻る