円光寺は生きとるぞ!
2024-08-26
今日は小学校の二学期の始業式だそうです。
数年前から夏休みを一週間前倒しにして
二学期を早く始めるということです。
全国どこの学校もそうかと思ったのですが
都道府県や市町村で違うようです。
学校の週五日制が定着するなかで
突発的な自然災害や事故などに対応して
学習時間を確保するためのものらしいのですが
子どもたちからしたら
「夏休みが減って残念!」ということでしょうね。
お盆が過ぎて夏休みも終わってと
秋が近づき少しは涼しくなってもと思いますが
まだまだ連日猛暑日の天気予報です。
子どもたちの夏休みの過ごし方は
どんなだったのでしょうか?
私たちの頃は「夏休み 子どもは 元気に 外遊び!」と
昆虫採集や海水浴に出かけた楽しい思い出がありますが
今は子どもも大人も「不要不急の外出は危険!」と
冷房の効いた部屋に閉じ籠っていたのでしょうか。
ともかく今日から学校ということで
登下校の子どもたちがお寺の周辺を行き来します。
子どもの声が聞こえます。
町が生き返ったようでいいものです。
お念仏の声が聞こえるお寺は
ただの風景ではなく生きています。
円光寺の朝は6時の梵鐘で始まります。
6時半のお朝事のお勤めに合わせて
ご門徒のお同行がお参りされます。
「ピンポーンピンポーン」と
本堂のチャイムが賑やかに鳴ります。
喚鐘が「カンカンカーン」と屋外遠くまで鳴り響き
住職導師の「帰命無量寿如来」の発声に続いて
「南無不可思議光」とお同行の声が重なります。
さまざまな音声のなかに
お寺の日々の生活が始まりますが
すべてがお浄土からの南無阿弥陀仏のお喚び声
阿弥陀如来のご本願のお心おはたらきと
聞かせていただきます。
「生きとし生けるものすべてを
分け隔てなくそのまま救う」と
いつでもどこでもどんな時でも
この私に寄り添ってご一緒くださる阿弥陀さまです。
円光寺は生きとるぞ!
南無阿弥陀仏のご法義が生きています。
お念仏申して阿弥陀さまのお慈悲のなかに生かされて
今日一日もあなたと私皆共に始めさせていただける
身の幸せを有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.26)
次の100年へ
2024-08-25
今朝の地元紙第一面に
「伝統の舞 次の100年へ」の見出しで
昨夜行われた<本場鶴崎踊大会>の記事がありました。
戦国時代から460年以上の歴史を持つとされる
鶴崎踊りの継承に取り組む鶴崎踊保存会の
創設100周年を記念し踊りの輪ができました。
毎年盆明けのこの時期に催される伝統行事で
私たちのお寺もご門徒有志で
コロナ前3回程出場させていただきました。
100周年の大きな節目です。
先日まで高校野球で賑わった阪神甲子園球場も
今年が開場100周年ということで
テレビ新聞等々で記念の特集がされていました。
これまでの100年を振り返り
これからの100年を思うことです。
これから100年後
私たちはこの世に生きていないから
関係ないではありません。
100年後の人たちに何を伝えていくかを考え
今できることをさせていただく
それが今を生きる私たちの責任です。
時代社会の変わり様は益々早くなり
追いつけないほどです。
仏教は諸行無常の理で
私も周りのものごともすべて
一瞬たりとも止まることなく
日々刻々と移り変わっていくと説かれ
だからこそ真実変わらないものを
当て頼りにして生きて往きなさいと
教えてくださいます。
親鸞さまは「念仏のみぞまこと」と
往生浄土のお念仏の道を歩み往かれ
私たちに「この道をご一緒しましょう」と
南無阿弥陀仏の仏法聴聞をお勧めです。
100年前にお念仏の先人がいて
この私にお念仏のみ教えを伝えてくだされ
100年後のあなたにお念仏を届けていく
南無阿弥陀仏のおはたらきに遇って
あなたも私も皆共に
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きていると聞かせていただきます。
お念仏申してあなたも私も共々に
お念仏の道をご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.25)
タイブレーク
2024-08-24
夏の甲子園は決勝初のタイブレークで
京都国際高校の初優勝で幕を閉じました。
近年の猛暑と選手の健康管理を考慮して
いろんな対策が講じられています。
連戦にならないように休養日を設けたり
試合中にクーリングタイムを入れたりですが
試合時間の短縮ということから導入されたのが
延長10回から無死一二塁で始まるタイブレークです。
得点が入りやすいケース設定で
勝敗が決しやすく
今大会も数々のドラマが生まれました。
夏の炎天下での試合で選手の疲労度は増し
選手生命にも大きな影響を与えるということで
暑い時期を避けた屋内球場での開催や7回戦の導入など
様々な改善案が提案されていますが
高校野球は夏の甲子園という根強い意見があるなかで
今後の大きな検討課題ということでしょう。
従来してきたことを変えることについては
これまでの意義をとなえて消極的になりがちですが
変えることで変わらない原点を
再確認することができるということでもあります。
野球ゲームのあり方は変わっても
投げて打って守って走るという
野球の原点は変わりません。
一個の白球をめぐるゲームの楽しみです。
試合となれば勝負を決することになりますが
勝者敗者共に野球を楽しむ原点は変わりません。
お寺のあり方も変わります。
時代の流れ社会の動きに応じて変わって行きますが
お寺の原点は変わりません。
「お寺は何のためにあるのですか?」
僧俗共にお寺の意義を再確認するなかで
真実変わらないお念仏のご法義を
聞かせていただきます。
「いのちあるものすべてを分け隔てなくそのまま救う」
南無阿弥陀仏のご法義に生きていますか?
お念仏申してあなたも私も共々に
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.24)
往くも還るもお慈悲の中
2024-08-23
智慧と慈悲の二つのお徳を
かねそなえたお方を仏さま
真実をさとられた覚者といいます。
智慧とは如実知見といって
ものごとの真実をありのままに知見することです。
一方私たち人間の知恵は
自分の都合に合わせて知見することがあり
真実とは言い難いものです。
阿弥陀如来は私の真実ありのままを
「煩悩具足の凡夫」と見抜かれて
そのまま放っておけず
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
私に寄り添い真実の浄土に往生させようと
いつでもどこでもどんな時でも
ご一緒してくださっているのです。
お慈悲のおはたらきです。
私のことを慈しみ共に悲しんでくださる
南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。
迷いの凡夫の私を浄土に往生させて
真実さとりの仏にさせるとおはたらきです。
南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏申して浄土に往生し仏になって
すぐさま再びこの世に還って来て
衆生を救う阿弥陀さまのお手伝いをさせていただくと
聞かせていただきます。
浄土に往くも迷いの世に還るも
すべてが南無阿弥陀仏のおはたらきです。
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
あなたも私も共々に生かされて
今日一日も生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.23)
候補者乱立
2024-08-22
岸田首相の不出馬表明を受けて
自民党総裁選挙が候補者乱立の様相です。
自民党裏金事件究明の過程で
岸田さんは派閥解消を宣言し
今回の総裁選挙では
閣内大臣の立候補容認発言をするなどして
これまでとは違った総裁選挙になりそうです。
これまでは党内派閥の力関係で
派閥の領袖の意向に沿う形で
立候補者が早々に予想され
選挙前から票読みができて
当落もほぼわかっていましたが
今回は派閥の足かせがなくなったことで
志ある者が手を挙げる選挙本来のあり方になって
早速これまで知名度が低かった
若手議員が名乗りを挙げました。
派閥といった私たちの日本社会に
昔から根強くある枠組みです。
同志という仲間でグループをつくり
長いものに巻かれろ寄らば大樹の陰で
その中に入って自らの地位を確保し安住することで
生き延びていくことです。
派閥の中にあって
敢えて異論を唱えない忖度の体質が見え隠れします。
異論を唱えれば
グループから排除されることさえあるのですから。
一国の首相をめざそうと国会議員になった
政治家先生たちの
数の論理にからめとられ
自分の主義主張を発揮できない何とも情けない話です。
私たちの身近な社会生活のなかにも
こうした傾向があります。
果たしてお寺社会にもと
狭い人間関係の小さな社会に生きて
ああやこうやと互いに忖度し
自ら苦悩する迷いの凡夫の姿です。
阿弥陀さまは苦悩の有情を捨てずしてと
立ち上がり「まかせよ救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで
「大きな世界に生まれて来いよ」と
喚んでくださっているのです。
お念仏申して
あなたも私も阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
共々に生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.8.22)