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お念仏を申す生活法話

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一番安くて小さな贈りもの

2025-02-08
 この時期ならではの
スーパーの売り場の光景です。

 つい一週間前は恵方巻が色々と品を変え
所狭しと並べられていましたが
今はチョコレートのオンパレードです。
 2月14日のバレンタインデーに
チョコレートの贈りものです。

 チョコレートを贈って
自分の気持ちを相手に伝えるということです。
 いつでもどこでも伝えられたらいいことですが
2月14日です、チョコレートなんだそうです。

 先日新聞で
「手紙は一番小さな一番安く贈れるギフトかなと思う」
との記事を読みました。

 言葉は自分の気持ちを相手に伝える
一番分かりやすい手段です。
 手紙に思いを言葉にしたためて
おくります。
 ただネット社会の今は
SNSやLINEで日常的に言葉のやりとりができ
「手紙文化が消える?」という大きなテーマでの
問題提起でした。

 自分の気持ちといって
その時どき場面ばめんで揺れ動くもので
その思いは文字にした時とも移り変わっていきます。

 手紙に書かれた文字の背景には
目に見えないその移ろう思いが感じられ
何度読んでもさまざまな思いが巡ります。

 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の
ことばになった仏さまです。
 「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救う」と
ご本願をたてお名号を成就して
いつでもどこでもどんな人にもおはたらきです。

 今こここの私に届けられる
阿弥陀さまのお喚び声です。
 私のお念仏の声となって
「われにまかせよ必ず救う。
いつも私が一緒だから安心して生きて往こう」と
往生浄土のお念仏の道行きをご一緒くださるのです。

 お念仏は阿弥陀さまから私への
いつでもどこでも
称え易くて勝れて大きなおくりものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.8)

「無常」※転載

2025-02-07
 2月15日は、お釈迦さまが亡くなられた日と
伝わっています。

 お釈迦さまは80歳の頃
生まれ故郷に向かって旅を始めましたが
途中で力尽きます。
 弟子に、サーラの木々の間に寝床を作ってもらい
頭を北に、顔を西に向けて身を横たえられました。

 お釈迦さまは亡くなる直前、弟子たちに
「諸行は無常である。怠ることなく努力しなさい」と
語ったといいます。
 そしてお釈迦さまが亡くなると同時に
サーラの花びらがはらりと舞い落ちたそうです。

 「無常」とは、すべてのものは一瞬一瞬
変化しているということです。
 しかし私は、「人は亡くなる」ということは
頭でわかっていても
愛する人との別れを
なかなか受け入れることはできません。
まして私自身が死すべきことも。
 お釈迦さまはそれを
身をもって示してくださいました。

 阿弥陀如来という仏さまは私に
死んだら終わりではなく
浄土に生まれる命をを生きていることを知らせ
どんな時も南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
寄り添ってくださっています。

 だから私は、無常のこの世を安心して
精いっぱい生きることができるのです。

 ※『本願寺インスタ倶楽部』
    (隅倉浩信 本願寺派総合研究所研究員)より転載
      ー本願寺新報2025年2月1日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.7)

大寒波襲来

2025-02-06
 日本列島に大寒波が襲来し
全国各地から大雪の状況が伝えられています。

 一夜にして1mを超える積雪があり
町全体がすっぽり雪に覆われて
道路や家周り屋根などの除雪が大変です。

 大自然の中に生きているということです。
つい数か月前までは大熱波に包まれ猛暑の日々が続き
今度はこの大寒波です。
 寒暑が極端に厳しい昨今の大自然の有り様に
程よく中くらいであってほしいと思うのは
私たち人間の都合のいい我がままでしょうね。

 地球の自然環境問題が
世界の緊急課題として叫ばれる一方で
世界各国それぞれに自国中心の思惑が行ったり来たりで
同じ方向に足並みをそろえようとする気配が乏しく
大きな虚しさを感じます。

 大自然の大きないのちの営みのなかに
共に生かされて生きている私たちです。
 人間の都合でよかったり悪かったりと
大きな恵みに当たり前のように感謝しては
時として大きな脅威に不安におののく私たちです。

 同じ地球の大自然の中に共に生きる視座に立って
これからの地球環境を考え工夫して
今私たちにできることをさせていただくことが
肝要です。

 お念仏のご法義です。
あなたと私皆共に南無阿弥陀仏のいのちのつながり
大きなお慈悲のおはたらきに生かされて
お念仏申して生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.6)

今牛若丸

2025-02-05
 華麗なショートの守備で
「今牛若丸」の異名をとった
プロ野球阪神タイガースの吉田義男さんが
お亡くなりになりました。

 1985年に阪神が初めて日本一になったときの監督で
バース・掛布・岡田の甲子園バックスクリーン
三連発のホームランは
今も語り草になっています。

 私は西本願寺近くの宿舎のフロントロビーで
その時のテレビ中継を観ました。
 大勢の人が集まって大歓声を上げていました。
対戦相手は阪神の宿敵巨人です。
 関西で圧倒的に阪神ファンが多く
4月のことでしたが
もう優勝したかのような大興奮状態でした。

 この年は私の人生で大きな転機の年でした。
宗派機関の大分教区教務所に勤めることになり
その日は全国の新任職員研修の初日でした。

 お寺に生まれ育った私ですが
本格的に宗義や勤行作法の勉強をしたわけでもなく
キャリアといえば仏教青年会の活動ぐらいで
寺関係で縁故の人も殆どなく不安でしたが
ただ思いばかりは大きく強くあって
今思い返せば「まあ何とかなる!」と
怖いもの知らずの思い上がり一直線でした。

 あれからちょうど40年です。
今年は昭和100年、戦後80年、阪神淡路大震災そして
オウム真理教の地下鉄サリン事件30年と
大きな節目の年になりますが
この3月には住職継職法要を控えて
私にとって新たな転機の年になりそうです。

 これまでの人生を振り返るとき
幾度となく人生の岐路があり
その都度人生の選択をして
今こここの私を生きています。

 まさに選びの人生というか
「よかった」「悪かった」と
「たられば」で思い返す人もあると思いますが
これまでいろんなことがあったけれども
今の私があることを愛おしく思えるのは
これも「いい歳になった」ということでしょうか。

 「ようこそ あなたと ナモアミダブツ」と
お念仏のみ教えに遇わせていただき
あなたに遇えて本当によかったです。

 これからも人生の岐路に度々出くわすことですが
南無阿弥陀仏とお念仏申して阿弥陀さまにまかせて
大きなお慈悲の中に往生浄土のお念仏の道行きを
ご一緒させていただける有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.5)

他力のお念仏の仏道の旅

2025-02-04
 人生を旅にたとえて言われます。
歳を重ねて旅を続けていくなかに
一緒に旅する人も違って
見える風景も変わってきます。

 学生の頃は
ぼんやりした夢を持ちながらも
行くあてのないその日暮らし的な
のんびりした旅だったでしょうか。

 社会人になって
こうしてこうしてこうなってと
社会の仕組みの中で具体的計画的に
生活を積み重ねていく旅だったでしょうか。

 そして仕事を終えて今
あなたの人生の旅は
どこにいてどこを目ざして旅していますか。

 仏教は転迷開悟の仏に成る道を説きます。
成仏という確かな目的のある旅です。

 親鸞さまは9歳で出家し比叡山で20年間
仏道修行に励みましたが
仏の悟りを開くことができないばかりか
到底救われようのない煩悩を抱えたわが身に
悩み苦しむ悶々とした日々を送っていたといわれます。

 そして29歳のときに法然さまに出会い
どんな人もただ念仏一つで救われるという
専修念仏のみ教えに出遇われたのです。

 親鸞さまにとって
たった一度の人生の大転換でした。

 自力で学問修行を積んで
この世で悟りを開く仏道ではなく
法然さまが説かれる専修念仏の仏道は
阿弥陀仏が本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩を抱えたまま浄土に救われ仏に成る
他力のお念仏の仏道でした。

 自己中心の思いはからいで生きて
思い通りに行かないなかで苦悩し迷う人生の旅ですが
「まかせよそのまま救う」南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩具足の凡夫の私をそのまま摂め取って
お浄土に連れて往ってくださる
他力のお念仏の仏道の旅と聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏と喚ばれて往く人生の旅を
あなたもご一緒しませんか!

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.4)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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