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お念仏を申す生活法話

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お念仏のおつとめ

2021-12-12
 今日は仏教壮年会の
この一年最後の12月の例会です。

 こうしてお朝事のご縁に
例会をもたせていただきます。

 このお朝事は毎朝6時半からお勤めをしています。
昭和52年にこの本堂が新築になったときに
前住職が思い立って始めました。

 お寺のお朝事のお寺それぞれでしていますが
ご門徒衆に呼びかけて
ご一緒にお勤めをしましょうと始めたものです。

 毎日毎朝のご縁です。
44年間です。
 お朝事同行の顔ぶれは変わってきますが
6時半のお朝事はずっと毎日続いています。

 こうしてお朝事のご縁に仏教壮年会の例会ができるのも
お念仏の先人の思い営みがあったからこそと
あらためて有難く思います。

 昨日一昨日といつものお朝事の決まった段取りが
できませんでした。

 毎日6時の梵鐘を撞く前にお仏飯を申して
本堂の仏さまにお供えしてから梵鐘を撞くのですが
炊飯器のタイマーを入れ忘れていて
ご飯がいつもの時間に炊けていなかったのです。

 私が小さい頃のわが家の生活を思い出します。
台所の土間に大きなかまどがありました。
 皆さんのお家もそうだったと思いますが
家の者が早朝から起きて朝の準備をしていました。

 6時半のお朝事に合わせたら
何時に起きていたのでしょうか.
 火をおこしてお湯を沸かしてご飯を炊いてと
一仕事ありましたね。
 4時半とか5時にはもう起きて
いつもの朝の事をしていたのでしょうね。

 今は炊飯器という便利なものがあって
坊守が前の晩にお米をといてタイマーを入れます。
 今回のことで有難いと思ったのは
坊守のお役があってのことだなということです。

 坊守だけではありません。
いつものお参りの皆さんそれぞれのお役があって
毎日のお朝事ができていることなのです。

 今日はストーブが入っています。
冬の寒い朝には欠かせないものです。
 私が入れたわけではありません。
皆さんの手がそこにかかっているのです。

 おつとめということです。
つとめに「お」がつきます。
 私たちのおつとめは
仏さまのお手伝いをさせていただくことなのです。

 こうして今日もお朝事の準備ができて
皆さんがお参りされました。
 皆さんお一人お一人のおつとめです。
阿弥陀さまの御仏前にこの身をはこぶという
おつとめです。

 おつとめをしなさいと言われるとしんどいですね。
仏さまのお手伝いですから
させていただくということです。

 お寺のお朝事のご縁で
いつもより早く起きて準備をして
お寺に参り御仏前に座って
皆さんとご一緒に
お正信偈さまのお勤めをさせていただき
お念仏が出てくださいました。

 お念仏のおつとめです。
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきの
お手伝いです。

 お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きて往ける
お念仏のおつとめの今日一日の始まりです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.12)


「善知識というは阿弥陀仏に帰命せよといえるつかいなり」

2021-12-11
 今日11日の『御文章』は「五重の義章」です。
蓮如上人は「宿善、善知識、光明、信心、名号」という
五重の義をもって
浄土真宗の法義のあり方を明らかにされました。

 善知識ということが再々でてきます。
善知識は「阿弥陀仏のご本願に帰しなさい」と
教えすすめる「つかい」ですが
「善知識ばかりをたのむべきである」という
「善知識だのみ」の異議が明らかになったのです。

 善知識を仏さまのように帰命すれば
そのお力でたすけていただると考えたのです。

 この「五重の義章」は蓮如さまが吉崎在住の頃の著述で
当時吉崎御坊には連日たくさんの方が
押し寄せるようにお参りされていたといわれます。
 蓮如さまが説かれる
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も救われる
お念仏のみ教えを聞くためだったのですが
そのなかに蓮如さまを仏さまのように帰命する人たちが
いらっしゃったのではないでしょうか。

 そのことに気づかれたのでしょうか
蓮如さまは吉崎坊舎に4年ほど居て大坂に退出します。

 帰命すべき阿弥陀仏をないがしろにして
善知識ばかりをたのむことは大きな誤りです。

 蓮如さまは御文章を通して
私たちに他力の信心を勧められます。
 それは「聖人一流のご勧化のおもむきは
信心をもって本とせられ候」という
親鸞聖人のお心であったのです。

 南無阿弥陀仏のお心を聞いて
お念仏を申す身になってほしいとのお心を
これからも御文章さまを拝読するなかに
いただいてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.11)


毎日の日課の中心

2021-12-10
 毎日の日課です。
日々の決まった営みです。

 特に朝の日課は
短い時間の中ですることがたくさんあります。
 朝起きて次から次にすることが
決まっているのですが
今日はそのなかでちょっと手間取ることがあって
次の段取りが後手後手になってしまいました。

 結果毎朝6時に撞く梵鐘が2分程遅れました。
いつもは梵鐘を撞く前にお仏飯を申して
本堂の仏さまにお供えするのですが
今日は本堂が真っ暗な中での梵鐘つきでした。

 梵鐘が遅れたといって
皆さんの生活に影響はないと思いますが
いつもの時間にお寺の梵鐘が聞こえないので
「どうしたんやろうか」と思われた方も
いらっしゃったのではないでしょうか。

 毎朝夕6時に撞く円光寺の梵鐘を
聞いてらっしゃる方が多いというお話です。
 お寺の鐘が聞こえてくるんですね。

 そんなこんなでバタバタする中で
このお朝事のご縁です。
 毎朝6時半のいつものお朝事です。

 今日はご和讃が最初に返って
「弥陀成仏のこのかたは」からです。
 かえるところがある有難さです。
それぞれの毎日の日課のなかで
同じ中心をいただいている有難さです。

 皆さん朝起きてそれぞれの日課をするなかで
6時半にお寺の本堂御仏前に座って
ご一緒に「帰命無量寿如来」から
「南無不可思議光」と声を重ねて
正信偈和讃のお勤めをさせていただきます。

 それぞれ生活ぶりが違う皆さん私たち一人一人が
こうして共々にお念仏申させていただいて
今日の一日を始めさせていただける有難さを
心強く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.10)


80年前の戦争が今私たちに投げかけること

2021-12-09
 昨日12月8日は日本の真珠湾攻撃で
太平洋戦争が始まった日で80年が経ちました。

 昨日は真珠湾攻撃をめぐる新聞記事を読み
同じ内容のテレビ番組を観ました。

 真珠湾攻撃というと戦闘機によるアメリカ艦船への
襲撃がすぐ目に浮かびます。
 空母など艦隊も出動しましたが
海中を進む特殊潜航艇5隻も参加したといいます。

 大きな潜水艦ではなく2人乗りの爆薬を積んだ
小さな潜水艦です。
 特別に訓練された兵士が乗り込み
敵の艦船を攻撃するのです。

 戦死した乗組員は「九軍神」とたたえられ
戦争遂行の神としてまつられます。
 英霊です。
戦死を遂げた人はすぐれた霊としてまつられるのです。

 兵士は2×5で10人ですが
九軍神に1人いません。
 残る一人は生き残って米軍の捕虜になったのです。
「日本人の捕虜第1号」とアメリカで紹介されましたが
日本では当時10人が写った写真が一人だけ塗りつぶされて
その人のことはずっと伏せられたといいます。

 捕虜になるのは日本軍人の恥だと叩きこまれた彼は
収容所で「死にたい殺してくれ」と
何度も懇願したそうです。

 テレビでは収容所で浄土宗の僧侶に出会って
死を思い止まるようになったといいます。
 日露戦争で捕虜になった同じ境遇の方で
元捕虜に対する差別を受けるなかで
日本からハワイに渡り仏道に帰したといわれます。

 またアメリカの文化思想にも触れるなかで
「生きたい」と変わっていったといいます。

 4年後終戦になり翌年日本に帰って来ますが
みんなから歓迎されることもなく
アメリカで身につけた英語を使う職業に就き
家族と共に生きたといいます。

 戦争について家族に話すことはなかったといい
息子は「お前のオヤジ、捕虜1号だろ」と言われて
戦争のことは聞いてはいけないと思ったといいます。

 手記を残しています。
去年初めて父の手記を読み通したといいます。
「死んだら神に、生き残ったら存在を消し去る戦争は
やっぱりおかしい」と
父の思いをこれから伝えていきたいと
今朝の新聞で読みました。

 戦争は80年前の出来事ではありません。
80年の時間を経てこれからもずっと
私たちに大きな問いを投げかけています。

 私も皆さんも戦争体験者ではありませんが
戦争の真っただ中に父母や祖父母は生きてきました。
 戦地に赴いた方もいます。
空爆に遭ったとかひもじい思いをしたとか
幾多の悲惨な体験をして生きてきたのです。

 戦時中の生活を想います。
お寺の生活です。
 戦争下にあってお寺は住職は
どんな役割を担ってきたのでしょうか。

 ご門徒を戦地に送り
遺骨もなく戦死したご門徒のお葬式を執り行っています。

 戦死された方は英霊です。
捕虜になって異国の地で収容生活を送られた方も
いらっしゃいます。

 戦争でその人人の人生が大きく変わり
私たちのいのちにつながっているのです。

 80年経って真珠湾を体験した人が
アメリカでそして日本でもう100歳を超えています。

 遠い昔の出来事ではありません。
今も戦争体験の証言が語られています。
 忘れたいと思っていたことが
鮮明な記憶となって語られています。

 私の知らないことが
まだまだたくさんあります。

 12月8日はお釈迦さまの成道の日
菩提樹の下で仏教のおさとりを開かれたのです。

 真実まことの仏さまのみ教えに
虚仮不実のわが身を聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.9)


先人のご苦労があって

2021-12-08
 門徒報恩講で昨日一昨日と4区遠見地区の
お参りをさせていただきました。

 寒くなるこの時期2軒のお家で
海苔の製造で忙しかったことのお話を聞きました。
 昭和20年30年代の頃です。
冷たい海に入って海藻類をつんで
板状の海苔を製造します。

 三佐の沖の海苔は特別美味しいという評判で
ご門徒から海苔をもらって火鉢であぶって
いただいた焼きのりを思い出します。

 この時期に寒ければ寒いほど
海苔の出来は良いといわれ
男衆は海に漁に出て主に女衆の仕事で
大変な重労働だったといいます。

 私のちょっと上の世代の当時の娘さんのお話です。
この寒い時期に海苔の製造を手伝わされるのが苦痛で
今から思い出しても嫌だったということです。
 今は養殖技術や機械化が進んで結構な収入源ですが
当時は手作業が主で効率も生産性も悪く
何でこんなしんどいことをしてという
思いで見ていたのでしょう。

 沖の海苔製造も昭和30年代半ばからの
大分市新産業都市計画の工場誘致で
遠浅の海岸が埋め立てられ
出来なくなりました。

 昨日御仏前でそんな話ができることを
有難く思いました。
 そうした先人の大変なご苦労があって
今の私たちの生活があることを思ったからです。

 御仏前に共々に座ってご一緒にお勤めができ
この口からお念仏が出てくださることの有難さです。
 ご先祖有縁の先人もまた
ご本尊の阿弥陀さまにお礼をして
日々の生活に勤しまれていたことを思い起こします。

 先人のご苦労が私たちのいのちとなり
お念仏の声を届けてくださって
子や孫の次の世代にお念仏の声が伝えられていく
南無阿弥陀仏のおはたらきの尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.12.8)


円光寺
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