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お念仏を申す生活法話

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思い通りにならない人生も見直すことができる

2022-02-16
 北京オリンピックの話題で連日持ちきりですが
メダルを獲った選手悔しい思いをした選手それぞれです。

 4年に一度開催されるオリンピックで
前回は韓国で行われました。
 前回メダルに届かず悔しい思いをした
ジャンプの小林選手は今回見事に結果を出しました。

 昨日はスピードスケート女子団体決勝があり
前回金メダルの日本チームは連覇を狙いましたが
惜しくも悔し涙にくれました。
 頂点に立って追われる立場もしんどいですね。
4年間なお一層厳しい練習を積み重ねても
残念な結果に終わることもあります。

 3連覇を目指して今回4位に終わった
フィギアの羽生選手が競技後の会見で
「報われない努力だったかもしれないけど」と
話していました。

 過去の実績だけで結果を残せるわけでもないし
トップ選手でも日々のたゆまぬ努力があって
結果が付いてくるということです。

 やるべきことをやって結果は後からついてくるとか
メダルはこれまでの努力のご褒美とも言われます。

 私たちの人生に重ねて思います。
こうしてこうしてこうしたらこうなると
自分の思い通りの人生だったらいいのでしょうが
お釈迦さまは「人生は苦なり」と
人生は思い通りにならないものだと教えます。

 仏教は迷いの私がさとりの仏に成る
成仏道を説く教えで
誰にでも開かれた教えです。

 こうしてこうしてこうしたらこうなると
お釈迦さまの説かれた教えを信じ修行してさとりを目ざす
自力聖道門の仏道がありますが
誰にでも修めることができる道ではなく
難行道といわれます。

 一方お念仏の仏道は
私がこうしてこうしてこうしたらこうなると
私が自らの力をたのみ励む仏道ではありません。

 自らの力で仏道成就することが難しいばかりか
全く仏法を聞く気もない仏さまに背中を向けた
私のことを思いはかって
阿弥陀さまの方で
すべてのものが救われる道を開いてくださった仏道が
他力浄土門のお念仏の仏道です。

 他力とは阿弥陀如来の「必ず救うまかせよ」の
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「自力の心をすてて他力に帰す」そのこと一つで
どんな人も救われる道と説かれます。

 どこまでも自分の思いはからいをもって生きる
私たちには易しいようで難しい道ですが
私が私がと小さな自分の世界に閉じこもって
悩み苦しみ迷う私だからこそ
救わずにはおかないと
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
大きな仏の世界お浄土に生まれて来いよと
喚び続けてくださっているのです。

 男女、老少、善悪、賢愚を選ぶことなく
どんな人も分け隔てなく必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
お念仏申すにお育ていただき
お浄土に生まれて仏にさせていただきます。

 今こここの私を目あての
本願念仏のお救いです。
 お念仏申して今を生きるということです。

 自分の思い通りにならない人生も
やり直すことはできませんが
お念仏の視点で見直すことができます。

 仏法を聞かせていただくと
ふっと「ああそうやな」と
人知を超えて知らされ気づかされる世界があります。
 仏さまのものの見方をいただくのです。

 その大本の仏さまは阿弥陀さまですが
私たちのご先祖有縁の仏さまです。
 迷いの世界にあって苦悩して生きる私を
仏さまのご縁に遇わせて
お念仏申す身にお育てくださる仏さまです。

 お念仏を申すなかに仏さまと共に
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.16)


2月15日は涅槃会です

2022-02-15
 今日2月15日はお釈迦さまが涅槃に入られた日で
涅槃会という法要をお勤めして
お釈迦さまのご遺徳を偲びます。

 涅槃とは煩悩の火が吹き消された
「さとり」のことですが
お釈迦さまは35歳の時に
すでにおさとりを開かれているので
完全な涅槃大般涅槃に入られたといいます。

 お釈迦さまは私たちと同じこの人間界に生まれ
生老病死の身を生きて命終えていかれました。
 80歳でお亡くなりになるまで45年間
インド各地に伝道の旅を続けられ
人々に仏さまのみ教えを説かれました。

 ご高齢になり旅の途中で重い病気になられて
クシナーラの沙羅双樹の下に横になり命終えていかれます。
 その時の様子を描いた涅槃図が伝えられています。

 頭を北に顔は西を向き右脇を下にして横になった
頭北面西右脇のおすがただったといわれます
 
 涅槃図にはお釈迦さまの周りで悲しむ弟子とともに
さまざまな動物たちが描かれているものがありますが
仏教が人間だけではなくすべてのいのちの尊さを
説かれたことを意味するもので
お釈迦さまの死を多くの方が悲しまれる様子を見守るように
たくさんの菩薩さまが描かれているものがあります。

 その菩薩さまの表情が微笑んでいるのです。
愛別離苦の悲しみのご縁に
これはどういうことでしょうか。

 お釈迦さまが仏法を説くために
仏さまの国から生まれて来て
80年のご生涯を通し私たちに仏法を明らかに教え
仏さまの国に還って往かれたことに
お敬いの心いっぱいに感謝申し上げ
お釈迦さまが入滅した後も
仏法がいよいよ盛んになることを楽しみに喜ぶ心から
微笑まれているというお話を聞きました。

 親鸞さまは晩年京都に帰られ
関東の門弟が往生されたとの便りに
「往生めでたし」と送ったお手紙が残されています。

 大切な方との今生の別れです。
悲しみに暮れる凡情そのままですが
浄土真宗のご法義は
お念仏の人は死んだらお終いではなく
命終えてそのままお浄土に往き生まれ
南無阿弥陀仏の仏さまとなって
私たちの迷いの世に還って来ると
聞かせていただきます。

 今日も私の口から南無阿弥陀仏と
阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきが届けられ
お念仏が出てくださいました。

 先に往かれた仏さまもご一緒に
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。

 今日一日もお念仏申して
お慈悲の中に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.15)


十方の諸仏諸菩薩がほめたたえるお念仏の声です

2022-02-14
 今『浄土和讃』を拝読させて頂いてますが
阿弥陀如来とその浄土のお徳を讃嘆したものです。

 今日は「自余の九方の仏国も」より始まりました。
昨日の最後の和讃には
「東方恒沙の仏国より」とありました。

 東方以外の九方ということで十方です。
東西南北の四方その間の八方、上下があって十方です。
 すなわちあらゆる仏の国々から
無数の菩薩方が阿弥陀仏の浄土に往かれて
すぐれたはたらきがきわまりない阿弥陀仏を仰ぎ
そのお徳をほめたたえられると讃嘆されるのです。

 第17願の「諸仏称名の願」に
十方世界の諸仏方が阿弥陀仏のみ名を称揚して
阿弥陀さまのお徳をほめたたえるとあります。

 十方世界の諸仏諸菩薩がほめたたえる
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお徳おはたらきは
私たちの思いはからいを超えたものであり
十方衆生を救うというのです。
 十方衆生と聞いてこの私のことです。

 この私一人を救うために
阿弥陀さまが立ち上がってくださり
本願成就された名号のお徳を
十方の諸仏諸菩薩がほめたたえて
私一人の救いを証明してくださるのです。

 これほど安心できることはありません。
南無阿弥陀仏のお心を聞いて
お念仏申す身になってくれよと
親鸞さまのお勧めです。

 今日もこの口から
南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださいました。
「必ず救うまかせよ」の阿弥陀さまのお喚び声であり
十方世界の諸仏諸菩薩方がほめたたえる
頼もしい声でもあります。

 南無阿弥陀仏と
ようこそ私のところに至り届いてくださって
今日は月曜日で一週間の始まりです。
 お念仏を申す一日を始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.14)


御仏前に俱会一処のご縁です(2014年アーカイブ)

2022-02-13
 昨日の夜<百華のつどい>のご縁をいただきました。
浄土真宗門徒の基礎学習講座と銘打って
一年12回の連続法座のご縁です。

 今年は三組の会ができて
同時進行していますが
昨日のご縁は三佐地区外の
明野、明治、三川のご門徒さんがメンバーの会です。

 暗い中寒い中を皆さん車でいらっしゃっています。
一組の方はタクシーでいらっしゃったと後で聞きました。
 本当に有難いなあと思います。
ご一緒にお聴聞させていただけるご縁です。

 空調設備の整ったあんのん館でのご縁です。
4年程前にあんのん館を建てた時の思いです。
 いろいろなご縁をいただくなかで改めて思うのは
お互いに顔と顔が見えるなかで
ご一緒にお念仏のご法義に遇わせていただく
有難さ尊さです。

 今はネット社会でスマホやパソコンで
家に居りながら一人で自由自在に
いろんな情報を得ることができます。

 仏事についても知識や情報を知り得ますが
仏さまのご縁は私のこの身を仏さまの御前に
御仏前にはこぶことが肝心要だと思います。

 最近皆さんに俱会一処のお話をよくします。
俱会一処とは阿弥陀さまのお浄土のことで
阿弥陀経さまに説かれてあることですが
まさにこのお朝事のご縁が
俱会一処のご縁といただきます。

 俱(とも)に一処で会うと
二つも三つもあったら迷う私をご存知で
阿弥陀さまが一つ処と決めてくださっているお浄土です。

 このお朝事のご縁です。
毎朝6時半に円光寺の本堂の御仏前と
決めてくださっているから
今日も皆さんと会うことができました。

 ところがこの身をはこぶことが中々難しいです。
自己中心に自分の都合に合わせて生きているお互いです。
 今日も皆さん都合をつけて万障繰り合わせて
この御仏前に身をはこんでくださったんですよね。

 ただここに座ってみるとどうでしょう。
私が私がじゃなかった
仏さまがこの私にしてくださったといただきます。
 それも私一人ではなくて隣の人も
あなたもあなたもあなたも皆さん一緒にというご縁です。

 これこそが俱会一処
阿弥陀さまの御仏前にご縁をいただくということです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2014.2.13)


小さなお同行がご法事にお参りです(2011年アーカイブ)

2022-02-12
 昨日は建国記念日の祝日でご法事があって
小さなお同行の子どもさんがお参りでした。

 お参された大人の皆さんと同じように聖典をお配りして
お正信偈さまのお勤めを一緒にしてくれました。
 漢字のふり仮名を追っていっては
大きな声で読んでくれます。
 大人は中々声が出ませんが
子どもはそのままです。
 そのことがその場の雰囲気を和らげて
賑やかで有難いご法事のご縁になりました。

 年回のご法事は悲しみのご縁で始まります。
大切な方とお別れするこれほどの悲しみはないご縁です。
 悲しみのご縁ですが
そのまま先に往かれた方をお浄土の仏さまと仰ぎ
ご一緒に阿弥陀さまのお徳をほめたたえる
仏德讃嘆のご縁といただきます。

 仏さまのご縁です。
先に往かれた仏さまがこの身を御仏前に座らせて
手を合わさせお念仏申す身にさせてくださるのです。

 駐車場の道沿いのフェンスにかけた横断幕に
「いのち みんな つながって ひとつ」と掲示しています。
 親鸞聖人750回大遠忌法要に向けて
円光寺のスローガンです。

 日頃は私が私がと自己中心に生きる者同士が
仏さまの御仏前に一緒に座ることができる
仏さまのご縁です。

 ご法事のご縁で浄土真宗のみ教えを
聞かせていただきます。
 お念仏申して阿弥陀さまのお浄土に
生まれさせていただく真実まことの教えです。

 生活ぶりはそれぞれ違う私たちですが
お浄土一つの世界に共に往生させていただく
お念仏の道を阿弥陀さまが開いてくださり
親鸞さまが明らかにしてくださったのです。

 それは死んでから後のことではなくて
今こここの私に開かれた道です。
 お念仏申して来いよと阿弥陀さまのお喚び声を聞きつつ
日々お念仏を申す生活をさせていただきます。

 先に往かれた方のご法事で
御仏前に有縁の皆さんが一堂に集い
小さなお同行の大きな声につられて
ご一緒にお念仏申させていただいた
尊い仏さまのご縁になりました。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.12)


円光寺
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