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お念仏を申す生活法話

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わが信心往生浄土の表明

2022-03-08
 今日の御和讃は『高僧和讃』の
第二祖天親菩薩のお徳を讃嘆するところで
明日から第三祖曇鸞大師のところに入ります。

 親鸞聖人は天親菩薩が著述された『浄土論』と
その註釈書の曇鸞大師の『往生論註』を
大変重んじられています。

 天親菩薩は『浄土論』の初めに
「世尊我一心 帰命尽十方無碍光如来 願生安楽国」
<世尊、われ一心に
 尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて
 安楽国に生ぜんと願ず>とお述べになっています。

 世尊お釈迦さまに
十方の無数にある世界のすべてに
如来の光が障りなく満ち満ちて
すべてのものを分け隔てなく救うというおはたらきの
阿弥陀仏に帰命して安楽国のお浄土に生まれたいと願うと
天親菩薩は宣言されるのです。

 親鸞聖人の『正信偈』の最初の二句です。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
(無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる)
<限りない命の如来に帰命し
 思いはかることのできない
 光の如来に帰依したてまつる>と
自らの信心を高らかに表明され
私たちに阿弥陀仏のご本願のみ教えを勧められます。

 そしてお勤めの最後は
「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」
(願わくはこの功徳を以って 平等に一切に施し
 同じく菩提心を発こして 安楽国に往生せん)
<お経に説かれた阿弥陀如来のお徳を
 平等にすべてのものといただき
 ともに救われて仏に成る道を
 阿弥陀如来の浄土に向かって歩んで行こう>
と結びます。

 お釈迦さまそして親鸞さま祖師方のお勧めをいただいて
「阿弥陀さまのお浄土に往生させていただきましょう」と
御仏前にお参りした一同で唱和する決意表明です。

 私たちは阿弥陀さまの御仏前でお勤めをしますが
その心もちはもうすでに阿弥陀如来のお慈悲の中に
生かされてあることの仏德讃嘆の御礼のお勤めです。

 阿弥陀さまの大きな願いに生かされて
今日も一日お念仏申して生きて参りましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.8)


仏事のあり方は変わっても真実変わらない仏さまのご縁です

2022-03-07
 昨日は日曜日ということもあって
3件の仏事のお勤めがありました。

 9時半からお葬式です。
お骨葬というお遺骨になられた後のお葬式でした。
 ご自宅のお仏壇の御仏前でお勤めしました。
ご遺族親族の4人がお参りでした。

 次にお寺の本堂で満中陰四十九日のお勤めをし
最後はお家で七日日のご縁でした。

 お葬式ご法事七日日と三件それぞれお勤めが違い
私が身につける袈裟衣も違います。
 通常お葬式はご法事はこのようにお勤めするといった
イメージが皆さんのなかにもあると思いますが
変わってきました。

 核家族でお仏壇のないお家が多くなったことで
お家お家の事情で仏事のあり方が変わるということです。
 そうした変化のなかに
お寺の方も様々なケースに対応することも必要になって
昔からこうしているからこうしなさいと言って
以前は「分かりました」ということが
今は「それだったらもう結構です」と
お寺とご門徒との関係つながりが
切れてしまうことにもなるのです。

 いつもお話していることですが
平生日頃のご縁が大切です。
 日頃から仏さまのご縁に遇わせていただく
仏さまのみ教えを聞かせていただくことです。

 仏事のあり方はお家お家のご事情で変わっても
お葬儀ご法事をお勤める意味は変わりません。
 変わってはいけないというか
真実変わらない仏さまのみ教えです。

 お寺を中心に
南無阿弥陀仏のみ教えにつながった
私たち僧侶であり門徒です。
 お念仏を申し聞かせていただくなかに
私ができる精いっぱいのことをさせていただくことで
仏事のあり方もこれからも変わってくると思いますが
お念仏を申す私たちの生活は変わりません。

 そこが変わってしまったら
お寺僧侶は形ばかりのものになり
門徒といっても名ばかりの門徒になってしまいます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.7)

そのまま救うと阿弥陀さまのお救いです(2012年アーカイブ)

2022-03-06
 今年はオリンピックの年で
ロンドン五輪に向けて
選手選考が急ピッチで行われています。

 一昨日はマラソンの最終選考レースの
琵琶湖毎日マラソンがあって
ダークホースの選手が日本人トップになって
有力候補になったということです。

 その選手曰く、最後は
「ロンドンロンドン、オリンピックオリンピック」と
心に言い聞かせて
最後の最後で先行する選手を抜き去ったといいます。

 今朝の新聞記事ですが
馬術競技の選手選考で
70歳の法華津選手が選ばれたということです。

 この法華津選手が最初に五輪出場したのが
1964年の東京オリンピックで
私が小学校6年の時です。
 次に出たのが2008年の北京オリンピックで
それ以来3度目の出場といいます。

 ロンドンオリンピックの時には
71歳になっているということで
すごいなあと思いますが
上には上がいるもので
72歳でロンドン出場のスェ―デンの射撃選手は
1932年の五輪で銀メダルを獲っているといいますから
すごいを通り越していますね。

 私たちは果たして70歳まで生きられるだろうかと
思うぐらいですからね。

 オリンピックに出場する選手は
筋力隆々とした若くてハツラツとした選手を思い浮かべます。
 より強く、より速く、より高くという
オリンピックのイメージです。

 若い人に限られると思いがちですが
70歳の現役選手です。
 要は日頃の鍛錬なんですね。
馬術といって自分が走るわけではありませんが
日頃の鍛錬なくしてはここまで現役で競技することは
至難の業です。
ライバルもたくさんいるわけですからね。
 日頃ということの大切さです。

 私たちの日常です。
誰しも強くてたくましくてすばらしくて
周囲から「あの人のようになりたい」と
憧れられる人ばかりではありません。

 そうした限られた人ばかりではなく
今ここに6人の方がいますが
6人6様の生き方生活ぶりが違う私たちお互いです。

 オリンピックに出場できるのも難しいなかに
金メダルに輝く選手は一人だけです。
 到底私たちみんなが果たせるものではありません。

 阿弥陀さまのお救いに重ねて思います。
阿弥陀さまはどんな人も
分け隔てなく救うてくださる仏さまです。
 阿弥陀さまのお救いに条件がないから
この私も救われるのです。

 阿弥陀さまのお救いは
あなたはあなたのままで
そのまま救うというのです。

 ここは聞き違ってはいけません。
あなたのままでいいといって
自分の思いのままに欲望のままに
生きなさいといっているのではありません。

 あなたはあなたのままで
あなたのいのちを輝かせて生きていきましょうと
私がいつも一緒だから大丈夫と
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに
なってくださったのです。

 「南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよ」と
喚び通しに喚んでくださる仏さまです。
 南無阿弥陀仏のお念仏となって
私のところに来てくださっている仏さまです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申しましょう。
「いつも私が一緒だよ」と
南無阿弥陀仏のお喚び声が聞こえてきます。

 お念仏を申して阿弥陀さまとご一緒するなかに
私たちは人生の金メダルをいただけるのです。
 私が獲ろう獲りたいと思って
獲れるメダルではありません。
「そのまんまでいいんだよ」といわれる日頃です。

 今日もお念仏申す生活をさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.3.6)


人それぞれの人生にお念仏が寄り添ってくださる(2012年アーカイブ)

2022-03-05
 東日本大震災から一年が経つということで
テレビ新聞等々で特集の番組や記事をよく見ます。

 消防士の方のお話が紹介されていました。
民間の方ですが消防士の仕事は公務で
大震災の時も住民の避難誘導であったり
日頃の訓練の通りに公務を行ったといいます。

 そのなかでたくさんの方が亡くなったといわれます。
任務にあたって、その人は助かったのですが
家族の奥さんや子どもを助けだすことができずに
今は一人で仮設住宅に住んでらっしゃるといいます。

 亡くなった方今も行方不明の方
あわせて二万人ともいわれます。
 そこには一人一人の人生がありました。
それはその人だけの人生ではなく家族の人生でもあり
二人三人四人と今も深い悲しみのなかにあるということです。

 私たちはそれぞれの人生を
それぞれ精いっぱい生きてきました。
 そして今日を生きています。
ただ私の思い通りに生きてきたかというと
決して思い通りの人生ではなく
何があるかわからない
思いがけないことにも遭遇することもある
人生だということです。

 仏教で諸行無常と教えます。
この世の中のすべての事象は日々刻々と移り変わって行き
止まるものは一つもないという真理の法です。

 ただ無常と言われても納得がいかない
まさに不条理なことに遭遇しながら
今も悶々と生活をしている私たちではないでしょうか。

 何で私だけが生き残ったのだろうかと
何度も問いかけては自己嫌悪になる方もあるそうです。

 辛いけれども悲しいけれども苦しいけれども
私たちは生きていかねばなりません。

 阿弥陀さまは悲しみ苦悩する私たちを見抜かれて
あなたの悲しみは私の悲しみ
あなたの苦しみは私の苦しみと
ずっとあなたに寄り添い見捨てることはないと
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに
なってくださったのです。

 東日本大震災のことを
私は現地に行って具に見てきたわけではなく
多くは報道で知ることですが
新聞テレビ等では中々伝わってこない
被災された方々一人一人
それぞれの人生があることを
決して忘れてはいけないと思います。

 3月11日は来週の日曜日です。
円光寺でもこのお朝事の時間に
一周忌の法要をお勤めさせていただきます。

 皆様には一人でも多くの方に呼びかけられて
ご一緒にお参りされ思いを共にして
お念仏を申させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.3.5)




「早く戦争が終わってほしい」と世界の祈り

2022-03-04
 浄土真宗は「祈りなき宗教」といわれ
宗教一般でいう「祈る」ということを言いません。

 阿弥陀如来の本願力回向の教えの特徴ですが
私が仏に祈願請求するのではないのです。
 私の願いを神仏といった絶対者に託して
神仏の力で私の願いを成就してもらおうと祈るのです。

 浄土真宗は阿弥陀仏の本願を主とした教えで
この私を必ず救うと本願成就された
南無阿弥陀仏の名号のいわれを
聞かせていただくことが要です。

 私が仏に祈る願うのではなく
阿弥陀仏から願われている私なのです。

 今回ロシアのウクライナ侵攻の戦争の事態に
私に一体何ができるだろうかと思ったとき
「戦争が一刻も早く終わってほしい」と祈る私がいます。

 親鸞聖人もご生涯のなかで
そうした局面にあわれたことを述懐しています。

 念仏禁制で越後に遠流され赦免されて
関東に赴く旅の途中で
鎌倉時代で土地を支配する武士や地主の圧政と
毎年のように起こる天変地異で食べ物がなく
苦しい生活を強いられる人々をみて
親鸞さまは衆生利益のために「浄土三部経」を
一千部読もうと思い立たれたのです。

 しばらくしてこれは阿弥陀さまのご本意ではないと
思い直して中止したということですが
今回のウクライナのことで何もできない私は
ただただ戦争を止めてほしいと祈らずにはおれません。

 テレビの情報番組もウクライナのことばかりで
コメンテーターの意見も日に日に先鋭化して
昨日はロシアの侵攻戦争を止めるには
プーチン暗殺しかないとまで堂々と言い出す人がいて
何とかこの惨状を回避してほしいという気持ちは
わかっても共有できません。

 今はロシア以外の世界中のメディアが
プーチンが悪いロシアが悪いといった論調ばかりです。

 誰が善い悪いといって
その人の置かれている立場でものの見方は全く違うし
緊急の問題は戦争を止めてほしいということばかりです。

 ウクライナの方はこう言ってます。
今度はじめて世界がウクライナの方を向いてくれて
支援してくれるけれども
以前から特にクリミア併合からは
ウクライナとロシアは一触即発の関係で
今回の事態もいつ起こってもおかしくないことだったと
そのことを世界に訴えてきたけれども
これまでは何も取り合ってくれなかったと。

 プーチンさんにしても
世界の首脳たちにウクライナのことを言ってきたが
誰も何も取り合ってくれなくて今回の事態になったと
言うのです。

 連日テレビの情報番組は
専門家をゲストにコメンテーターの意見も添えて
ああやこうやと言ってることを
気楽に観ている私がいます。

 プーチンさんが核兵器使用を言いだしたら
日本も核兵器を共有するという話になってきています。
 この緊急時にどさくさに紛れて
極端な論理が先行する怖ささえ感じます。

 今ネットやSNS上で
ロシアは本当に悪い国でロシア人は悪い人だという
ヘイト差別偏見がたくさん上がっているといいます。

 立場を変えて見ましょう。
とんでもない本当にいわれのないことが
私たちの身近な生活の中で起こっています。

 みんなどの国の人も
一人一人それぞれ思いをもって生きています。
 そういうなかに「さるべき業縁のもよほさば
いかなるふるまひもすべし」と
縁がそろえば何をしでかすかわからない
私がいるということでしょう。

 仏法をもってしてもお念仏申しても
この事態を収束することは難中の難です。
 お釈迦さまがこの世に現れて
解決してくれることでもありません。

 今を自己中心に生きる私たちが
積み重ねてきた罪悪深重の業であり
解決は私たちに課せられています。

 今は「一刻も早く戦争が終わってほしい」と
祈り強く念うばかりです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.4)


円光寺
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