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お念仏を申す生活法話

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「新年になると仏教に関する本を開きたくなる」

2022-01-06
 お朝事の前に時間を見ることもあって
テレビをつけます。
 天気情報を各地の便りとともに伝えるコーナーで
今週はお寺からの中継のようで
今日は朝の座禅会をしているお寺からでした。

 先日の新聞のコラムに
「新年になると仏教に関する本を開きたくなる」
と書かれてあり、ちょっと嬉しかったです。

 新年になるとということで
日頃は中々開く機会がないのでしょうね。
 たまに開くということでも
仏教に興味があるということでしょう。

 仏教は仏さまの教えであり
教えを聞くのは私たちで
仏教は常に私たちに開かれています。

 私たちの日常世間のものの見方とは違う
ものの見方が仏教にはあって
新鮮で興味をひかれるのでしょうが
逆に世間の見方で仏教を見ている人が殆どです。

 コラムには「日常の言葉のあれこれが
実は仏教由来だと教えてくれる」と
「有頂天」「無常」「精進」などの仏教用語を
解説していました。

 他にも日常使っている仏教用語はたくさんありますが
浄土真宗にとって大切な「他力」や「往生」など
仏教で本来意味するものとは違った
使い方をされることが多くあります。

 こうした日常よく使い聞く仏教用語の意味を学ぶなかに
仏教浄土真宗の教えを聞かせていただく
仏法聴聞のご縁になればと思います。

 今日6時過ぎに中継があった禅宗のお寺さんです。
いつもこの時間にお寺を開いて
座禅会をしているのでしょうか。
 この周辺もお寺さんがたくさんありますが
円光寺が有難いのは
朝6時の梵鐘を撞く頃には本堂に灯りが点いて
この冬の暗い中に明るい本堂が浮かび上がって見えます。

 仏さまが待っていらっしゃる明るいお寺に
お朝事のお同行がお参りされます。
 この時間に円光寺を外から見る人も
殆どいないと思いますが
いいですよ。

 明るい本堂を見ると寒い中もほっとします。
阿弥陀さまの明るい智慧の光と
あたたかいお慈悲のおはたらきが
どんな人にも届けられているのです。

 南無阿弥陀仏のお念仏の声となって
朝から聞こえてまいります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.6)


世代間の断絶

2022-01-05
 世代間の断絶といわれます。
断絶とは衝撃的な言葉です。
 若者世代との関係で親子の関係で
ものの見方考え方価値観が違うもの同士が
同じ社会を共に生きているということです。

 戦争を境に大きな価値観の変化があり
戦後生まれが主流の日本社会となって
昭和・平成・令和と時代の変遷とともに
アナログ社会からデジタル社会へと
今は多様な価値観の時代になりました。

 人それぞれに価値観が異なるなかで
その人人のものの見方考え方が
見えづらくなってきました。

 世代間の断絶という大きな括りではなく
個と個の隔たりが見えにくく
理解しようにも理解できない
不安定な関係性のなかで
今の社会ができているといった感じです。

 仏さまの教え仏さまのものの見方は
すべてのいのちはこれまでも今もつながって
これからもずっとつながっていく
と聞かせていただきます。

 縁起の法です。
私がどうこうというはからいを超えて
真実まことの真理です。

 仏さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちを一つのいのちと見て取って
そのまま引き受けてくださっているのです。
 私たちは南無阿弥陀仏の
大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きてあると聞かせていただきます。

 私のいのちあなたのいのちと
自己中心の思いでいのちを分断しているのが
世代間個々間の断絶という見方です。

 私たちはどこまでも個々それぞれに
諸行無常諸法無我の真理の法に生かされて
生きているのであり
人の命が終わるときに
南無阿弥陀仏のおはたらきで個から解き放たれ
南無阿弥陀仏のいのちになるのです。
 涅槃寂静の真理です。

 価値観の多様化した現代の社会を生きるヒントを
仏さまのみ教えに聞かせていただくときに
お互いの個の違いを認めることから始めましょう。

 私たちは自分の価値観を大切にしますが
同じように他の人も自分の価値観を大切に生きてきたし
これからも生きていくのです。

 私の世界に閉じこもってしまいがちな私たちですが
お互いの価値観を尊び敬い合うことで
支え合うことができるのです。
 決して自分の価値観を
押し付けるようなことはしないように
私が押し付けられる立場ならきっと嫌だと思います。

 そういうなかに私たちが共に生きる社会があると
教えてくださるのが仏法です。

 みんなそれぞれ違うからいいのです。
十が十完璧な人間はどこにもいません。
それはもう仏さまです。

 お互いに私が私がという自我の思いをもって
煩悩をいっぱいこの身につけた凡夫です。
 私にできないことは補ってもらえばいいのです。
支えてもらったらいいのです。
 自他ともに心豊かに生きることのできる社会です。

 お念仏を申したら何もかもうまく行く
ということではありません。
 うまく行く時もあればうまく行かない時もあります。

 お念仏を申して
阿弥陀さまのお心を聞かせていただくなかに
「ああそうやったな」と
今まで見えなかったことが見えてくる
今まで聞こえなかったことが聞こえてくる
南無阿弥陀仏の社会に共々に生きる
私たちの今日一日の営みでありたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.5)


お念仏の「いい湯だな」

2022-01-04
 正月三が日が過ぎて今日4日から
仕事始めの方も多いのではないでしょうか。

 昨日はちょっとゆっくりさせてもらい
別府の方に出かけました。
 色んなホテルが開業ラッシュということで
ホテル巡りを思い立ちました。

 別府には別府タワーの近くに本願寺の別府別院があり
私事で32歳から12年間別院にお勤めしていました。
 それ以前からも別院に行く用事が多く
別院を辞めてからもいろんなお役をいただいて
別院通いが私の日常の大きな営みでした。

 2年前にお役を引いてすぐコロナ禍になり
この二年間全く別府に行っていません。
 それでこのたび2年ぶりに別府に行って
別府の駅周辺の景観がすっかり変わっていることに
びっくりしました。

 町中に大きな高層ビルのホテルが建ち並び
海岸沿いのホテルも大きく様変わりしています。

 どんなホテルかミニ見学しようと行きました。
あるホテルは自由に出入りさせてもらって
フロントの方も声をかけてくれて
飲み物までご馳走になりましたが
あるホテルはロック式の玄関で
とてもホテルの中に自由に入れるような
雰囲気ではありませんでした。

 ホテルは異空間の世界で非日常の空間です。
だからホテルに宿泊する人だけの世界と
いうことでしょう。
 セキュリティの問題があります。
誰でもどうぞお入りくださいといって
どんな人が入ってくるか分かりません。

 別府は元々温泉旅館街歓楽街の町でした。
周りのお土産屋さんや飲食店ともつながって
別府全体にオープンなところがありました。
 夜になったら浴衣がけの人が町の界隈に出て回って
遅くまで賑わっていたということです。

 ところが今は外部と一切遮断して
外のものを受け付けないといった感じです。
 大勢の団体客が減って
個人客ビジネスマン相手の洋室個人部屋のホテルです。
 コロナでワーケーションということが提案され
別府のホテルも変わるのかなと
ちょっと寂しく思います。

 お寺のことを重ねて思います。
お寺もセキュリティということを
考えないといけないようになりました。

 仏教のみ教え阿弥陀さまのお救いは
誰でもどうぞのお寺の発揮です。
 どんな人も分け隔てなく救うというのですから
誰でもどうぞです。

 ところがお寺に対する一般的な見方が
大分変わってきました。
 私たち門徒のお寺という思いが薄くなり
ご門徒もお寺を外から見ているといった感覚です。

 入りにくい今のホテルの話をしましたが
入りにくくなった以上に
外から眺めるお寺になってしまっているようで
何か寂しく思います。

 平素日頃からのお寺のご縁です。
このお朝事のご縁です。
 お朝事から始まるお寺の日々の営み
お念仏の声が朝から聞こえるお寺です。

 葬式法事の時だけ用事のあるお寺だったり
お坊さんになっていませんかと
問われていることでもあります。
 行事のある時だけ門を明けて
不断は締め切っているお寺になっていませんか。

 色々とお寺も考えていかねばならない
コロナ後のお寺のあり方です。

 別府の町を久しぶりに散策しながら
ふらっとみんなで温泉につかって
「いい湯だな」とふっと声が出るように
阿弥陀さまのあたたかいお慈悲の中に
ふっとお念仏が出てくださるお寺でありたいなと
思いました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.4)


「お元気ですか」

2022-01-03
 今日からいつもの6時半からの
お朝事のお勤めです。
 今年もよろしくお願いします。

 元旦に年賀状が届きました。
ネット社会にあって年賀状の存在感が薄れていますが
年の始めの元旦に届く年賀状は
何かどこかに心待ちしていて
いいですね。

 今は印刷物の年賀状が殆どですが
余白に書かれてある一言が楽しみです。

 今年の年賀状には
「コロナが早く収束しますように」と
書かれたものが多く
「お元気ですか」と一言添えてありました。

 コロナ禍の二年間
近くに居てもずっと会っていない方が多くいます。
 遠方の方になるとそれ以上で
中には50年近くも会っていない方から
決まって毎年年賀状が届きます。

 私の同年輩の方々でいいますと
仕事を退職されて家庭農園や趣味のことに精を出したりと
その人人の生活ぶりを想像しては微笑ましく思います。

 一年一度のことですが
懐かしい方からの便りに
何か元気をいただきます。

 このお朝事も便りをいただくご縁です。
親鸞さまから蓮如さまからの便りです。
 その大本は阿弥陀さまの南無阿弥陀仏の便りです。
私たちのご先祖有縁の方々が往ってらっしゃる
お浄土からの便りです。

 「お元気ですか」
「お念仏申して一緒に生きて往きましょう」と
毎朝お念仏の便りをいただける楽しさ有難さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.3)


お念仏のご法座のご縁です

2022-01-02
 どなたも新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

 今日は今年初めての初法座のご縁に
皆さんようこそお参りです。

 南無阿弥陀仏の仏法に遇わせていただく
ご法座のご縁は
お念仏の先人が私たちに伝え届けてくださった
浄土真宗門徒の大切なたしなみです。

 ご法座というと今日のような
お念仏のお同行がお寺に集うご縁を思い浮かべますが
皆さんのお家のお仏壇を中心とした
お念仏申す日々の生活の営みでもあります。

 朝仏さまにお仏飯をお供えして
お灯明をあげお線香を焚いて
手を合わせお念仏申してお礼をさせていただくことが
そのままお念仏のみ教えに遇わせていただく
ご法座なのです。

 お念仏を申す生活ですが
特に朝の時間はすることが多く時間も限られて
バタバタと一日を始める方が多いのではないでしょうか。

 お念仏の先人は「朝夕のおつとめをかかさじ」と
お仏壇を中心に一日を始め一日を終えるという
お念仏を申す生活を身をもって実践され
私たちに伝えてくださっているのです。

 お家のご先祖有縁の方々のご法事も
お寺の法要行事もご法座です。
 円光寺では親鸞聖人の御命日の16日に
常例法座をお勤めし
毎朝お朝事のご縁をいただきます。

 お朝事で「正信偈和讃」のお勤めをします。
毎日御和讃六首を日によって七首八首と繰り読みします。

 ご讃題の御和讃二首です。
「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」
<本願のはたらきに出遇ったものは
 むなしく迷いの世界にとどまることがない。
 あらゆる功徳をそなえた名号は
 宝の海のように満ちわたり
 濁った煩悩の水であっても
 何の分け隔てもない>
「如来浄華の聖衆は 正覚のはなより化生して
 衆生の願楽ことごとく すみやかにとく満足す」
<阿弥陀仏の浄土の聖者がたは
 さとりの花からおのずと生れ
 あらゆる願いが速やかに満たされる>

 インド中国日本に出られた七人の高僧方を讃える
『高僧和讃』の中の二首で
七高僧さまの二番目のインドに出られた
天親菩薩のご功績を讃えるものです。

 お葬儀のお勤めで読誦させていただくご和讃で
皆さんも聞かれたことがあると思います。

 阿弥陀さまのご本願「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のお救いのおはたらきに遇ったら
空しくこの人生を過ごす人はいないというのです。

 よかったですね、皆さん。
お念仏を申す身にさせていただく有難さです。
 阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のお救いの中に
生かされてあるとお念仏のみ教えを聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきは宝の海のように
どんな川の水も等しく引き入れて
みんな同じ一味にしてくださるといいます。

 川は私たち一人一人それぞれの命の川です。
清らかな水もあれば濁った水もある色んな川です。

 私たちの生活ぶりは
一人一人それぞれ違います。
 どんなに仲の良い夫婦親子兄弟でも
同じ屋根の下に生活していても
みんな生活ぶりはそれぞれ違います。

 お互いに見ることも知ることもできない
それぞれの思いをもって生きている私たちだからこそ
お互いに思い合って生きることが大事なのですが
どこまでも自分の思い通りに生きたい私たちは
互いにぶつかり合ったり背中合わせにもなります。

 自分の都合に合ったら良くて
自分の都合に合わなかったら悪いのです。
 それぞれ自己中心の思いが違う私たちが生きる社会は
いつも居心地が良いものとは限りません。

 みんなそれぞれ違う私たちを
阿弥陀さまは分け隔てなく救うと
宝の海のようなご本願のおはたらきで
そのまま受け入れてくださり
同じ一味にしてくださるのです。

 煩悩いっぱいの私たちを一人残らず
等しく引き受けてくださる南無阿弥陀仏のおはたらきで
私はそのままお浄土に生まれさせていただくのです。

 そして「如来浄華の聖衆は」とご和讃が続きます。
浄らかな華となってお浄土に生まれさせていただくのです。
 お内陣に白い蓮の華が描かれています。
お念仏のひとを白蓮華と讃えるのです。
 阿弥陀さまの本願力のおはたらきで
泥田の中に清らかな白蓮の華を咲かすと
お念仏のお救いを聞かせていただきます。

 「正信偈和讃」で親鸞聖人が
「御文章」で蓮如上人が私たちに
阿弥陀さまの真の心真実信心をいただけよとお勧めです。

 南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
お念仏を申す身にさせていただきましょう。

 阿弥陀さまの本願力南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩いっぱいの身をかかえた私が
そのままお念仏を申す身にさせていただけるのです。

 今こここの私を目あてのご本願のお救いです。
死んでから後のお話ではありません。
 今聞けよ今聞けよと
南無阿弥陀仏のお喚び声となっておはたらきです。

 今聞けよとご法座のご縁です。
お仏飯をお供えしてお灯明をつけてお線香を焚いて
御仏前に座りましょうと
座らせていただいたのです。

 「ここに座れ」と南無阿弥陀仏のおはたらきで
御仏前に座らせていただいて
手が合ってこの口からお念仏が出てくださり
お礼ができました。

 すべてが阿弥陀さまのお手回し
本願力回向のおはたらきです。

 阿弥陀さまのご本願を信じ
お念仏を申す身にさせていただいて
この人生を生き抜かせていただき
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただく
この身この命を大切に
この一年もどうぞご縁ご縁にお寺にお参りしてください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.2)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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