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お念仏を申す生活法話

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何がめでたい!

2025-01-08
 今年初めて会う方に
「明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします」と
ご挨拶します。

 新年を迎えてめでたいということですが
年齢が数え年だった昔は
正月に歳をとるということで
「誕生日おめでとう!」という意味合いが
あったのでしょうか。

 佐藤愛子さんのベストセラー・エッセイ集
『九十歳。何がめでたい』のタイトルでいうと
歳を重ねることが何でめでたいことなのかと
いうことなのでしょう。

 一休禅師(一休さん)は
正月に頭蓋骨を竿にさして町中を歩き
「正月は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」と
歌をよまれた逸話が伝えられます。

 歳をとるとは死が近づくことでもあると
この世の無常と命のはかなさを知ることで
日々を大切に生きることを
正月にあえて説かれたのです。

 浄土真宗のみ教えに
この人生の日々の営みは
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれる
往生浄土のお念仏の旅と聞かせていただきます。

 歳を重ねて老いや病に向き合い
思い通りに行かないことが
この身の上に次々と起こってきますが
苦しみ悲しみのなかにも
お念仏を申してお浄土への人生を生きて往けるのです。

 晩年京都に帰られた親鸞さまは
関東から届いた門弟の往生の知らせに
「往生めでたし」と便りを返しました。

 私たちはこの人の世を生きて命終えていきますが
南無阿弥陀仏の大きなおはたらきで
そのままお浄土に往き生まれ仏と成って
この迷いの世に還り来て衆生を救う
はたらきをさせていただくと
聞かせていただくのです。

 お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされてこれほどめでたいことはないと
今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.8)

お念仏のお粥をいただく

2025-01-07
 1月7日は一年で初めての節句「人日」といわれ
七草粥を食べる風習が古くから伝わっています。

 年末年始にご馳走を食べ過ぎて
不規則になった食生活を整えるということで
早春に芽吹く七草を入れた
胃にやさしいお粥をいただくことで
平生の規則正しい生活習慣に戻すということでしょう。

 お粥のイメージといえば病院食です。
入院手術後の食事で普通のご飯を摂れるまで
お粥食を順次摂っていきます。

 もう一つのイメージは精進食です。
肉食を断ち仏道修行に励むお坊さんの食事です。

 お念仏のお粥をいただくとイメージします。
阿弥陀さまがつくられた
南無阿弥陀仏の摂取不捨の食事です。
 摂め取って捨てない
お念仏のおはたらきをいただくことで
お念仏申す身にお育ていただくのです。

 七草粥はお米と春の七草でつくられます。
私たちは日々食事をして
栄養分を体内に摂って排泄物を外に捨てて
血や肉をつくり体調維持して生きています。
 人間の体がもっている
摂取して捨てる体の自然のはたらきです。

 さて阿弥陀さまの摂取不捨のお救いです。
食事のイメージではどんどんお腹が膨らんで
最後はパンクしてしまいそうですが
大丈夫です。

 いつでもどこでもどんな人も
必ず救うとおはたらきです。
すなわち今こここの私が救われるということです。
 生滅変化するこの私のいのちを
今ここでそのまま救うというのです。

 お念仏のお粥です。
何杯食べても胃にもたれたり太ったりしません。
 いつでもどこでもどんな人にも
用意されているお念仏のお粥です。

 南無阿弥陀仏のお念仏のお粥をいただいて
お念仏申す身にお育ていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に共々に
今日一日も心豊かに生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.7)

何か工夫しているか

2025-01-06
 今年の大河ドラマ『べらぼう』が始まりました。
江戸時代中期の吉原を舞台に
主人公は貸本屋から当時のメディア王になる
蔦谷重太郎です。
 誰もが知っている歴史上の有名人ではありませんが
庶民の日常人と人との関係が描かれるようで
どのような切り口のドラマになるのか楽しみです。

 初回の放送で若き蔦谷が老中田沼意次に
吉原で売れない遊女が栄養失調で次々に亡くなる窮状を
幕府の施策の間違いだと訴える場面で
田沼が「お前はこれまで何をやってきたのか。
自分で何ができるか工夫をすることだ」と説き
蔦谷が好反応します。

 今の現状を憂いて政治が悪い経済が悪い何が悪いと
評論家のようなことを言ってみても何も始まらない
要はその現場にいる人間がどうしたら良くなるのか
考え工夫することだということです。

 少子高齢社会で核家族化が進み都市への人口移動で
お寺を護持する門徒が減少している現状についても
これは大きな社会現象でどうしようもないことだと
言ったところでどうしようもないということです。

 お寺それぞれに現場の違いはありますが
ご法義大事のお寺のあり方でいうと
今まで通りのことを踏襲していっても
社会は変わるし人は動いて行くもので
ご法義繁盛のために何ができるのか
どう工夫すればいいのか考えることです。

 住職が一人頑張って
ただ現状を憂いているばかりでは
ますますご法義の行き場は限られてしまいます。
 広く心あるご門徒衆の思いを寄せて
今何ができるか考え工夫することだと思います。

 ご法義は人から人へと伝わります。
小さな一歩が大きな歩みとなっていく
お念仏のおはたらき広がりです。

 ご法義をまもるのではなく
ご法義にまもられている私たち一人一人が
ご法義の邪魔をすることなく
ご法義がはたらきやすい工夫をすることです。

 これまで握りしめてきたものを手放しても
この私を捨てず放さずまもってくださる南無阿弥陀仏
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.6)

いのち華やぐ

2025-01-05
 正月三が日を終えて
4日5日が土曜日曜で
今年は九連休の方が多かったようです。

 いつもの日常とは違う生活で
その人人で過ごし方はそれぞれですが
帰省された方も旅行に行かれた方も
生活の拠点に戻り
いつもの生活が始まります。

 年々に歳を重ねて行くなかに
おぼつかないわが身の有り様を実感し
わが心のむなしさを覚えます。

 岡本かの子さんの歌です。
「年々に わが悲しみは 深くして
いよよはなやぐ いのちなりけり」

 この人生を生きることは
喜びもあり悲しみもあり
いろんなことが次々とこの身に起きてきます。
 自分に都合のいいことばかりだったら
いいのでしょうが
そういうわけにはいきません。

 自分の思い通りに行って喜ぶことがあれば
思い通りに行かなくて悔し涙し
他人の成功を羨み妬み怒ることもあります。

 すべては私の思いはからいのままに生きて
自他共に生きる真実ありのままのことが
見えないことにあると
仏法に教えていただきます。

 岡本さんは仏法聴聞されて
お念仏のみ教えに
煩悩具足のわが身の有り様を見抜かれた
阿弥陀さまのお慈悲の中に救われている喜びを
聞かせていただき
歳を重ねていよいよ南無阿弥陀仏のおはたらきで
あなたと私皆共に大きないのちにつながり生かされて
お浄土に心華やいで生きて往くわがいのちを
歌われたのでしょうね。

 この一年もいろんなことがあると思いますが
お念仏申して心豊かに生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.5)

年賀状終い

2025-01-04
 お正月に年賀状が届きます。
殆どはいつもの人からの便りですが
楽しみにポストを見に行きます。

 お互いに歳を重ねるなかで
身の周りにいろんなことが起こってきますが
元気なことを確認します。

 さて今年の年賀状ですが
随分減ったように思います。
全国的にも去年の34%減という報道です。
 昨年の郵便料金の大幅な値上げが
影響しているとのことですが
3年前に比べて半分以下になったということです。
 
 お歳暮やお中元の減少ということにあわせて
虚礼廃止やコスパという考え方がいわれます。
 ネットで即座につながる現代社会にあって
紙媒体が敬遠されるということなのでしょう。

 今年届いた年賀状の数通に
「誠に勝手ながら本年をもちまして
賀状による年頭のご挨拶を
失礼させていただきます」と書かれてありました。
 諸事情を鑑みて
年賀状終いということです。

 きれいに写真印刷された年賀状に
一筆添えられた「ひとこと」の重みを改めて思います。
 これが最後になるのかと思うと少し寂しいですが
ご縁ご縁にこれからも便りを送りたいと思います。

 お念仏のご縁つながりです。
あなたと私皆共に南無阿弥陀仏のおはたらき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中につながって
これからもずっと生かされて生きて往ける
有難さ尊さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.1.4)


円光寺
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