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お念仏を申す生活法話

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Nobody is perfect 完璧な人間は誰一人いない

2024-07-23
 パリ五輪が目前に迫って
日本のメダル獲得有望種目を中心に
連日テレビ新聞で報道がなされています。

 4年に一度の五輪です。
これまでに金メダル絶対と言われた選手が
むなしく敗退していった姿を
私たちは何度も目にしてきました。

 生身の人間がすることであり
その時どきの体調や精神面のコンディションなど
色んなことが左右しての結果です。

 周囲の期待に押しつぶされるように
思うような結果を出せない選手がいます。
 結果は結果として
どんなに才能がある選手でも
日頃の鍛錬がないと栄光を勝ち取ることはできません。
 
 みんなが金メダルというわけにはいきません。
多くの選手は失意のうちに競技を終えますが
その人その人で精いっぱい
練習を重ねての結果ということで
すべての選手に敬意を表します。

 「Noboby is perfect
(完璧な人間は誰一人いない)」です。

 このことは五輪選手だけでなく
私たちが人生を生きるなかで
どんな人にも言えることです。

 人間に生まれて生きることは
老いていくこと病んでいくこと
そして死んでいくことと
日々刻々と変化する生死の身を生きることで
一瞬たりとも自分の思い通りに完璧に
コントロールできるものではなく
まさにコントロールできない迷いのなかに
生まれては死に生まれては死にを繰り返していると
仏さまは私たちを見抜かれたのです。

 大きな不安と背中合わせに生きていることで
苦しみ悩みが尽きない私に
阿弥陀如来は「まかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏と喚んでくださり
「いつも私が一緒だから大丈夫安心して
共に生きて往こう」とおはたらきです。

 お念仏申して安心して
私にできる精いっぱいのことを
させていただきましょう。
 その人それぞれの人生であり
唯一無二のあなたのいのちの金メダルです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.23)

火葬待ち

2024-07-22
 7月19日NHK朝のニュースから
昨年全国で亡くなられた方が
これまで最高の159万人になり
これからも年間150万人の死亡者が見込まれる
多死社会にあって
首都圏を中心に火葬待ちの状況があるとの
レポートです。

 年間1000件ほど葬儀を請け負う葬儀社では
3割ほどが一週間待ちで
これまで最長13日の火葬待ちがあったといいます。

 火葬場が込み合う状況はどうすることもできず
火葬までドライアイスで対応しますが
今はご遺体を冷蔵庫で保管するホテルもあるそうです。

 火葬までお別れの時間をゆっくり共有できる
ということですが
こんなに長くなると
ご遺族の心境も複雑なものがあるようです。

 家族葬という葬儀のあり方が
首都圏から全国に一気に広がって
今は一般的になった大きな理由が
この火葬待ちにあります。

 遠方の親族縁者に何度も集まってもらう不便があり
家族だけで葬儀を済ませ
初七日に始まる中陰のお勤めも
葬儀の際に式中初七日なるものをお勤めすることで
後は満中陰のお勤めになるそうです。

 仏事の簡素化簡略化です。
こうした傾向は私たちの地方にもすぐ伝わって
今は従来の葬儀をお勤めしないで
亡くなって直ぐ火葬場に送る直葬が
増えているといいます。

 自治体公設の火葬場で火葬されます。
諸般の事情があるのでしょうか
以前は昼の1時の葬儀でその後の火葬が通例でしたが
同じ時間に火葬が重なりパンク状態になり
今は火葬の時間が先に決められて
葬儀の時間が決まることになっています。

 葬儀のあり方が問われます。
誰もが火葬されて遺骨と遺灰になることで
「人間死んだらゴミになる」と
受け入れられるものでしょうか。

 一人の人間がこの世に生まれて生きて亡くなっていく
共にいのちの尊厳を讃えあう葬儀の厳粛な営みです。

 大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきます。

 人間死んだら終いではなくて
お念仏申して往生浄土の人生を生きて
命終わるときそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏に成ると
浄土真宗のみ教えを聞かせていただきます。

 その人の生きざま死にざまがどうであれ
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
生きても死んでもお慈悲の中と
今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.22)

わが人生の目的

2024-07-21
大きないのちのつながりのなかに共々に生かされて生きる
 日々歳を重ねていくなかで
ふと立ち止まりため息をつくことってありませんか。
 何かと忙しい時はすっと経って行った時間が
今は何かむなしく過ぎ去っていくようです。

 お釈迦さまは
この人生の実相を生老病死といわれました。
 人間界に生まれた私たちは
どんな人も老いて病んで死んでいくという
本当のことですが
そのままわが身のことと聞こうともせず
どこまでも若くて健康で長生きしたいと願い
努めて生きています。

 身近な家族との別れがあり
友人知人有縁の方の訃報に接することも
多くなりました。
 私もそういう歳になったということですが
まだまだ大丈夫と頑張って生きています。

 はて? 私は何のために
この人間界に生まれ来て生きているのでしょうか?

 お釈迦さまは
生死流転(しょうじるてん)の迷いに苦悩する私たちに
生死の帰依処となる真実さとりの仏法を
開いてくださいました。
 仏法を依りどころに生きてくれよとのご教示です。 

 私たちはこの仏法に遇うために
人間界に生まれ来て生きていると教えて
仏法聴聞を勧めてくださるのです。

 人それぞれに思い通りにならない私たちの人生も
すべては仏さまの大きなお慈悲の中に
生かされてある人生と聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきのご縁をいただき
この世に生まれ仏法に出遇い
お念仏申す身にお育ていただき
人の命終えてそのままお浄土の仏さまとなって
あなたも私も
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きて往けるのです。

 私たちの人生は
それぞれに良いも悪いもある人生ですが
「お念仏に遇えて本当によかった」とお念仏申して
ご一緒に往生浄土の人生を生きてまいりましょう。

 お念仏聴聞の尊いご縁に遇わせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.21)

寺離れが進む

2024-07-20
 「これが寺離れが進むってことですね」と言われて
はっとしました。

 お寺のご法座のお参りが少なくなりました。
これまでお参りの中心だった世代が高齢化して
次の世代に変わって行く過渡期ともいえますが
新しい顔ぶれは殆ど見受けられません。

 コロナ禍の影響も大きいと思います
コロナ以前からお寺参りが減ってきたり
葬儀が家族葬になってきていたものが
コロナ禍で決定的に大きく変わりました。

 日々の生活のなかで
仏さまのご縁にあうことが少なくなりました。
 日頃からのお寺とのご縁つながりが
希薄になってきたことで
法事や月参りなども減ってきました。

 お寺の護持という観点でいえば
一大事です。

 さてこうしたお寺の現状
傾向と課題についての対策です。
 浄土真宗のお寺はお念仏聞法の道場といわれ
法要儀式のお勤めもそうですが
ご門徒有縁の皆さんが仏法聴聞のご縁に遇って
お念仏申す身にお育ていただくことが肝要です。

 お参りが減ってきたからといって
ご法座を減らすのではなく
お参りの数が多い少ないというのではなく
一人でもお参りの方がいれば
ご縁を開くことが大事なのです。

 日頃からお念仏のご縁づくりを
させていただくことです。
 ただご縁を開けばいいというのではなく
皆さんがお参りしやすい工夫です。

 蓮如上人は
暑い時には冷たいお酒を、寒い時には熱燗のお酒をと
お参りの方々をもてなしたと言われます。
 その時どきその人ひとに応じた対応ですし
今流でいえば音楽会や落語会をして
お寺に馴染んでいただく工夫です。

 ただ蓮如上人は『御文章』で
「寄合のときは、ただ酒飯茶なんどばかりにて
 みなみな退散せり。
 これは仏法の本意には、しかるべからざる次第なり」
(寄合に、飲み食いだけして帰って行くのは
 仏法の本意にかなっていません)といい
「寄合の由来は、なにのためぞというに
 さらに他のことにあらず
 自信の往生極楽の、信心獲得のためなるがゆえなり」
(寄合のご縁をいただくのは何のためかといえば
 自身が浄土に往生する、その信心を得るためです)と
「信をとれ信をとれ」と信心獲得を勧められるのです。

 日頃から多くの人が行き来するお寺であって
いつもお念仏の声が聞こえるお寺になるように
ただお寺で待っているだけではなく
お寺から出かけていくような工夫も大切だと思います。

 今私にできるお念仏のご縁づくりを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.19)

ペットボトルのふたが開かない

2024-07-19
 小さなペットボトルの容器が必要になって
近くの自動販売機で求めました。

 急いで蓋を開けようとしましたが
堅くてすぐ開けることができず
やっとの思いで開けることができました。

 決して大袈裟な話ではなく
最近身近な生活のなかで
不便なことが次々に起こってきています。
 こんなことができないようになったなどと
つい周りの者に愚痴をこぼしたりすると
「もうそんな歳になったんですよ」などと言われて
また落ち込むような始末です。

 今はネット社会で
スマホ一つで買い物や旅行の手配など
何でもできる便利な世の中になったと言われますが
スマホ一つ自由に扱えないものには
宝の持ち腐れで返って不便を感じるようなことです。

 仏法聴聞させていただくと
歳を重ねるなかにものの見方が変わって
今まで見えなかったこと気づかなかったことが
見えてきたり気づくことがあって
人生がより豊かになるというお話を聞きます。

 私たちの人生は良くも悪くも
自分中心のものの見方考え方に偏って
物事を真実ありのままに見ることができず
そこに私たちの苦悩があり迷いがあると
聞かせていただきます。

 今までできていたことが
思うようにできなくなりました。
 過去の若かった頃のことが懐かしく思い出されたり
周りのできる人を見て羨ましく
嫉妬するようなこともあります。
 私のそうした思いはともかく
どんなにあがいても私は私であり
今の私でしかないのです。

 今の私をそのまま見てとり守ってくださる
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「まかせよ救う」とありのままの私を
そのまま受け入れ救うとおはたらきです。

 阿弥陀さまの仰せにそのまま信じまかせて
できることをできるときに
精いっぱいさせていただきましょう。

 私一人で生きることはできません。
できないことは周りの人に助けてもらって
私にできることをさせていただきましょう。

 阿弥陀さまの本願のお心おはたらきを信じまかせて
お念仏を申す生活です。
 日々の日暮らしの出来事一つ一つに
阿弥陀さまのお慈悲を味わわせていただいて
これほど豊かな人生はないと思います。

 お念仏申して今日も一日
阿弥陀さまのお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.19)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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