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お念仏を申す生活法話

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ご開山親鸞聖人

2022-01-16
 今日1月16日は親鸞聖人の新暦の祥月の御命日です。
ご本山京都西本願寺では9日から七昼夜にわたって
親鸞聖人のご恩徳に報謝する
御正忌報恩講法要が勤修され
今日がご満座です。

 この時間もご本山でお朝事ご晨朝のお勤めがあり
その後10時からご満座のお勤めです。

 親鸞聖人のご法事で
今年が760回忌になります。

 親鸞聖人のことをお念仏の先人は
ご開山と親しくよばれてお慕いしてこられました。

 開山とは山を開くと書きます。
山は真実変わらない教えのことで
一宗一派の教えを開かれたということで
お敬いの心でご開山と呼ばせていただくのです。

 皆さんはお大師さんといったら
どなたのことを言っていますか。
 弘法大師です。
真言宗を開かれた弘法大師空海さまです。

 お大師さんといったら弘法大師のことですが
高僧方は皆さん大師号を天皇からいただいていますから
皆さん「お大師さん」なのです。

 天台宗を開かれた最澄さまは
法然さまは円光大師親鸞さまは見真大師です。

 ご開山もそうです。
各宗派を開かれた高僧方は皆さん「ご開山」なのです。

 「お大師さん」といえば空海さまで
「ご開山」といえば親鸞さまと言われるように
お念仏のみ教えを開いてくださったことに
お念仏の先人は親鸞さまをお慕いしてこられたのです。

 親鸞さまが主著『教行信証』の「教の巻」の冒頭に
「大無量寿経 真実の教 浄土真宗」とあって
『大無量寿経』に説かれる教えが「真実の教え」であり
そのことを浄土真宗と示されています。

 「動かざること山のごとし」と
戦国の武将甲斐の国の武田信玄は
「風林火山」の旗印にうたっています。

 山は動かない変わらないといい
真実変わらない教えといただきます。
 大無量寿経に説かれた真実の教えは
阿弥陀さまの本願を要とし名号を本質として
南無阿弥陀仏の救いの法を示されるのです。

 私たちは日々生滅変化する事象のなかにあって
自己中心の心は目まぐるしく動き回り
落ち着くところがありません。

 そのあり様を迷いと見られた阿弥陀さまは
迷いの中に苦悩するものを必ず救うと本願をたて
南無阿弥陀仏の名号となっておはたらきなのです。

 真実変わらない南無阿弥陀仏のみ教えを
開いてくださったご開山親鸞聖人です。

 今日は10時から親鸞聖人祥月御命日の
常例法座をお勤めします。
 どなたもお参りください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.16)


阿弥陀さまがご一緒くださる私の人生です

2022-01-15
 昨日は体操の内村航平選手の
現役引退会見がありました。

 キングと世界中の選手から
尊敬の念を込めて親しく呼ばれていたといいます。
 10年余りずっと世界選手権そしてオリンピックと
チャンピオンに君臨した
内村選手だけに与えられる称号です。

 引退の理由は「世界一の練習ができなくなった」と
「これからも好きな体操を楽しみたい」とも
言っていました。
 人間業とも思えない技を生み出し演じ切るには
大変な練習も困難もあって
きついしんどいつらいことが多かった
と思うのが私たちですが
体操するのが楽しみで楽しかったとさらっと言われて
もう達人の域です。
 33歳です。

 大相撲では玉鷲が昨日
絶対王者の横綱照ノ富士に勝ちました。
 37歳です。

 30歳代で一つの人生を究めるということです。

 今は人生100年時代といわれます。
内村さんも玉鷲さんも
これからの人生まだまだ長い人生です。

 人生の値打ちということについて
「人間は生きているということに
まず一番目の値打ちがあるのであって
生きている間に何を成し遂げたか
どのような人生を送ったかということは
二番目三番目の問題として考えてもいいのじゃないか」
ということばに遇いました。

 人と生まれてこの身を生きるなかで
その人生観価値観は人それぞれに多種多様です。
 ただどんな人も今を生きていることは確かなことです。
そして私だけではなくすべてのいのちがつながって
共に生かされて生きているのです。

 どんなに頑張っても内村選手には誰もなれませんが
私になれるのです。
 私は私のいのちを生きています。
確かな真実です。
 お念仏のご法義でいうならば
南無阿弥陀仏のいのちに生かされて生きているのです。

 どんな生き方をしようとも
自分の思い通りのことができなくても
いつでもどこでも阿弥陀さまがご一緒くださる
私の人生なのです。

 そしてこの命終えていきますが
南無阿弥陀仏のいのちと成って
これからもずっと生きていくのです。

 しんどいのではありません。
私が頑張ることではないのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つであり
阿弥陀さまの楽しみ喜びなのです。

 一人でも多くの方にお念仏のみ教えに遇うてほしい
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに
この人生を生き抜いてほしいと
阿弥陀さまのお喚び声南無阿弥陀仏のお念仏が
この身に届けられ
この口からお念仏が出てくださるのです。

 今日一日もお念仏を申して
お浄土への人生を生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.15)


スマホで弔辞?

2022-01-14
 昨日お葬儀があって
ちょっとびっくりしたことがありました。

 お勤めの間にご親族の方が「御礼のことば」を
御仏前で読まれました。
 通常弔辞などを読まれることですが
紙に書かれたものではなく
ポケットから取り出したのはスマホだったのです。
 スマホを見て読まれたのです。
えっと思いました。

 後で新院にそのことを話したら
今はそういうこともありうる時代だ
というようなことでした。

 私も後でスマホで検索したら
弔辞や挨拶の文例が載っていました。
 その文例に少しその人の人柄や
思い出などを添えて述べるわけですが
前後の文章はほぼ決まった同じものです。

 今の時代といえばそうかもしれませんが
弔辞は先に逝かれた方へのお手紙であり
御仏前にお供えするものです。

 23年前の父の葬儀の弔辞は
今も残っています。
 あらためて読むということではありませんが
父への手紙はそのまま遺った私たちに
届けられたものでもあるのです。

 このお朝事のご縁に毎日拝読させていただく
正信偈和讃と御文章は
親鸞さま蓮如さまからのお手紙便りです。

 これもスマホにすれば
いつでも読まれるもので便利ですが
このお朝事のご縁に皆さんとご一緒にお勤めをし
拝読させていただける有難さを思います。

 その人人の受け止め方はそれぞれですが
何か違和感とともに寂しく思いました。

 今のお葬儀は家族を中心とした
身内だけの小規模葬が一般的になって
有縁の方のお参りや弔辞は殆ど無くなりました。
 これからもお葬儀のあり方は変わってくるでしょう。

 お葬儀だけではなく
コロナということもあって
いろんな行事の見直し簡素化が言われますが
自分たちの都合だけの見方でなく
それ本来のお心意味をたずねていくことの大切さを
あらためて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.14)


南無阿弥陀仏のいのちにつながってこの道を往く

2022-01-13
 このお朝事の前のほんのわずかな時間ですが
今日或ることから坊守とKKさんの話になりました。
 今は施設に入られていますが
元気にされているとお聞きします。

 その話からKSさんのことをふっと思い出して
話になりました。
 明後日15日が三回忌のご法事のご縁になります。
ご往生されて2年です。

 KSさんもKKさんも常朝事のお同行です。
今日のような暗くて寒い日も暑い日も
風の日も雨の日も毎日
それぞれ生活ぶりは違いますが
この時間にお参りされいつもの席に座られて
ご一緒にお勤めされたお姿を思い出し
懐かしい声が聞こえてくるようです。

 坊守とそんな話をするうちにピンポーンと
本堂のチャイムが鳴りました。
 朝一番にMYさんがお参りされ
HMさんTSさんが続き声が聞こえてきます。

 このお朝事は父の代から
ずっと毎朝お勤めしていますが
お同行の顔ぶれが変わってまいります。

 世の中の移ろい人ひとの営みは変わっても
真実変わらないまことのお念仏のみ教えを
共々に聞かせていただいて
皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをさせていただくなかに
今日一日を始めさせていただきます。

 お浄土の阿弥陀さまから開かれた
往生浄土のお念仏の道です。

 お念仏申して「この道を来い」と
阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただき
「この道を往け」とお釈迦さまがお勧めくださって
お念仏の道を歩ませていただきます。

 私一人ではありません。
ご一緒に歩んでくださるお同行の皆さんと共に
お念仏の先人をたずねてこの道を往きます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.13)


お念仏の声が聞こえてくる

2022-01-12
 昨日ご門徒の方が亡くなられて
お昼前に臨終勤行にお参りしました。

 お勤めの後でご臨終のご様子を伺いました。
朝方亡くなったということですが
その前に入院先の病院にお姉さんが
携帯で電話したといいます。

 電話をしてお話ができたかというと
殆どお姉さんが一方的に話すことで
言葉が返ってくることはなかったといわれます。

 人が命終わる時
目、耳、鼻、舌、皮膚の五官で感じる
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感のうち
聴く感覚が最後まで残るという話を
聞いたことがあります。

 最後まで聞こえるんですね。
力なくして終わるのですから
声を出す力もおぼつかないのですが
耳にはそのまま聞こえてくるのでしょうね。

 親鸞聖人のご臨終の様子を
「念仏の息絶え終わりぬ」と伝えてくださっています。

 南無阿弥陀仏のおはたらきを思います。
南無阿弥陀仏は声の仏さまです。

 南無阿弥陀仏のお喚び声となって
「われにまかせよ必ず救う」と
今日も何度も何度も私の口から
お念仏が出てくださいました。

 臨終の時にお念仏の声にならなくても
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつでもどこでもどのような状況にあろうとも
この私とご一緒してくださるのです。

 南無阿弥陀仏が先手のお救いです。
私がこの世に生まれる前からずっと私のことを思い取り
南無阿弥陀仏となって必ず救うとおはたらきです。

 お念仏の声が聞こえてきます。
南無阿弥陀仏のお喚び声です。
 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
私たちは共々に生かされてあると
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。

 「まかせよ救う」と聞こえてくるお喚び声に
「おまかせします」と安心して
そのままお浄土参りをさせていただけるのです。

 何もかも阿弥陀さまの独りばたらきと
尊く有難くいただいて
南無阿弥陀仏とお礼のお念仏を申させていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.1.12)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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