そのまま救うと阿弥陀さまのお救いです(2012年アーカイブ)
2022-03-06
今年はオリンピックの年で
ロンドン五輪に向けて
選手選考が急ピッチで行われています。
一昨日はマラソンの最終選考レースの
琵琶湖毎日マラソンがあって
ダークホースの選手が日本人トップになって
有力候補になったということです。
その選手曰く、最後は
「ロンドンロンドン、オリンピックオリンピック」と
心に言い聞かせて
最後の最後で先行する選手を抜き去ったといいます。
今朝の新聞記事ですが
馬術競技の選手選考で
70歳の法華津選手が選ばれたということです。
この法華津選手が最初に五輪出場したのが
1964年の東京オリンピックで
私が小学校6年の時です。
次に出たのが2008年の北京オリンピックで
それ以来3度目の出場といいます。
ロンドンオリンピックの時には
71歳になっているということで
すごいなあと思いますが
上には上がいるもので
72歳でロンドン出場のスェ―デンの射撃選手は
1932年の五輪で銀メダルを獲っているといいますから
すごいを通り越していますね。
私たちは果たして70歳まで生きられるだろうかと
思うぐらいですからね。
オリンピックに出場する選手は
筋力隆々とした若くてハツラツとした選手を思い浮かべます。
より強く、より速く、より高くという
オリンピックのイメージです。
若い人に限られると思いがちですが
70歳の現役選手です。
要は日頃の鍛錬なんですね。
馬術といって自分が走るわけではありませんが
日頃の鍛錬なくしてはここまで現役で競技することは
至難の業です。
ライバルもたくさんいるわけですからね。
日頃ということの大切さです。
私たちの日常です。
誰しも強くてたくましくてすばらしくて
周囲から「あの人のようになりたい」と
憧れられる人ばかりではありません。
そうした限られた人ばかりではなく
今ここに6人の方がいますが
6人6様の生き方生活ぶりが違う私たちお互いです。
オリンピックに出場できるのも難しいなかに
金メダルに輝く選手は一人だけです。
到底私たちみんなが果たせるものではありません。
阿弥陀さまのお救いに重ねて思います。
阿弥陀さまはどんな人も
分け隔てなく救うてくださる仏さまです。
阿弥陀さまのお救いに条件がないから
この私も救われるのです。
阿弥陀さまのお救いは
あなたはあなたのままで
そのまま救うというのです。
ここは聞き違ってはいけません。
あなたのままでいいといって
自分の思いのままに欲望のままに
生きなさいといっているのではありません。
あなたはあなたのままで
あなたのいのちを輝かせて生きていきましょうと
私がいつも一緒だから大丈夫と
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに
なってくださったのです。
「南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよ」と
喚び通しに喚んでくださる仏さまです。
南無阿弥陀仏のお念仏となって
私のところに来てくださっている仏さまです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申しましょう。
「いつも私が一緒だよ」と
南無阿弥陀仏のお喚び声が聞こえてきます。
お念仏を申して阿弥陀さまとご一緒するなかに
私たちは人生の金メダルをいただけるのです。
私が獲ろう獲りたいと思って
獲れるメダルではありません。
「そのまんまでいいんだよ」といわれる日頃です。
今日もお念仏申す生活をさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.3.6)
人それぞれの人生にお念仏が寄り添ってくださる(2012年アーカイブ)
2022-03-05
東日本大震災から一年が経つということで
テレビ新聞等々で特集の番組や記事をよく見ます。
消防士の方のお話が紹介されていました。
民間の方ですが消防士の仕事は公務で
大震災の時も住民の避難誘導であったり
日頃の訓練の通りに公務を行ったといいます。
そのなかでたくさんの方が亡くなったといわれます。
任務にあたって、その人は助かったのですが
家族の奥さんや子どもを助けだすことができずに
今は一人で仮設住宅に住んでらっしゃるといいます。
亡くなった方今も行方不明の方
あわせて二万人ともいわれます。
そこには一人一人の人生がありました。
それはその人だけの人生ではなく家族の人生でもあり
二人三人四人と今も深い悲しみのなかにあるということです。
私たちはそれぞれの人生を
それぞれ精いっぱい生きてきました。
そして今日を生きています。
ただ私の思い通りに生きてきたかというと
決して思い通りの人生ではなく
何があるかわからない
思いがけないことにも遭遇することもある
人生だということです。
仏教で諸行無常と教えます。
この世の中のすべての事象は日々刻々と移り変わって行き
止まるものは一つもないという真理の法です。
ただ無常と言われても納得がいかない
まさに不条理なことに遭遇しながら
今も悶々と生活をしている私たちではないでしょうか。
何で私だけが生き残ったのだろうかと
何度も問いかけては自己嫌悪になる方もあるそうです。
辛いけれども悲しいけれども苦しいけれども
私たちは生きていかねばなりません。
阿弥陀さまは悲しみ苦悩する私たちを見抜かれて
あなたの悲しみは私の悲しみ
あなたの苦しみは私の苦しみと
ずっとあなたに寄り添い見捨てることはないと
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに
なってくださったのです。
東日本大震災のことを
私は現地に行って具に見てきたわけではなく
多くは報道で知ることですが
新聞テレビ等では中々伝わってこない
被災された方々一人一人
それぞれの人生があることを
決して忘れてはいけないと思います。
3月11日は来週の日曜日です。
円光寺でもこのお朝事の時間に
一周忌の法要をお勤めさせていただきます。
皆様には一人でも多くの方に呼びかけられて
ご一緒にお参りされ思いを共にして
お念仏を申させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.3.5)
「早く戦争が終わってほしい」と世界の祈り
2022-03-04
浄土真宗は「祈りなき宗教」といわれ
宗教一般でいう「祈る」ということを言いません。
阿弥陀如来の本願力回向の教えの特徴ですが
私が仏に祈願請求するのではないのです。
私の願いを神仏といった絶対者に託して
神仏の力で私の願いを成就してもらおうと祈るのです。
浄土真宗は阿弥陀仏の本願を主とした教えで
この私を必ず救うと本願成就された
南無阿弥陀仏の名号のいわれを
聞かせていただくことが要です。
私が仏に祈る願うのではなく
阿弥陀仏から願われている私なのです。
今回ロシアのウクライナ侵攻の戦争の事態に
私に一体何ができるだろうかと思ったとき
「戦争が一刻も早く終わってほしい」と祈る私がいます。
親鸞聖人もご生涯のなかで
そうした局面にあわれたことを述懐しています。
念仏禁制で越後に遠流され赦免されて
関東に赴く旅の途中で
鎌倉時代で土地を支配する武士や地主の圧政と
毎年のように起こる天変地異で食べ物がなく
苦しい生活を強いられる人々をみて
親鸞さまは衆生利益のために「浄土三部経」を
一千部読もうと思い立たれたのです。
しばらくしてこれは阿弥陀さまのご本意ではないと
思い直して中止したということですが
今回のウクライナのことで何もできない私は
ただただ戦争を止めてほしいと祈らずにはおれません。
テレビの情報番組もウクライナのことばかりで
コメンテーターの意見も日に日に先鋭化して
昨日はロシアの侵攻戦争を止めるには
プーチン暗殺しかないとまで堂々と言い出す人がいて
何とかこの惨状を回避してほしいという気持ちは
わかっても共有できません。
今はロシア以外の世界中のメディアが
プーチンが悪いロシアが悪いといった論調ばかりです。
誰が善い悪いといって
その人の置かれている立場でものの見方は全く違うし
緊急の問題は戦争を止めてほしいということばかりです。
ウクライナの方はこう言ってます。
今度はじめて世界がウクライナの方を向いてくれて
支援してくれるけれども
以前から特にクリミア併合からは
ウクライナとロシアは一触即発の関係で
今回の事態もいつ起こってもおかしくないことだったと
そのことを世界に訴えてきたけれども
これまでは何も取り合ってくれなかったと。
プーチンさんにしても
世界の首脳たちにウクライナのことを言ってきたが
誰も何も取り合ってくれなくて今回の事態になったと
言うのです。
連日テレビの情報番組は
専門家をゲストにコメンテーターの意見も添えて
ああやこうやと言ってることを
気楽に観ている私がいます。
プーチンさんが核兵器使用を言いだしたら
日本も核兵器を共有するという話になってきています。
この緊急時にどさくさに紛れて
極端な論理が先行する怖ささえ感じます。
今ネットやSNS上で
ロシアは本当に悪い国でロシア人は悪い人だという
ヘイト差別偏見がたくさん上がっているといいます。
立場を変えて見ましょう。
とんでもない本当にいわれのないことが
私たちの身近な生活の中で起こっています。
みんなどの国の人も
一人一人それぞれ思いをもって生きています。
そういうなかに「さるべき業縁のもよほさば
いかなるふるまひもすべし」と
縁がそろえば何をしでかすかわからない
私がいるということでしょう。
仏法をもってしてもお念仏申しても
この事態を収束することは難中の難です。
お釈迦さまがこの世に現れて
解決してくれることでもありません。
今を自己中心に生きる私たちが
積み重ねてきた罪悪深重の業であり
解決は私たちに課せられています。
今は「一刻も早く戦争が終わってほしい」と
祈り強く念うばかりです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.4)
一生懸命と一所懸命
2022-03-03
先ほど6時半の喚鐘を撞く時に
あらためて外が明るくなったなと感じました。
これから日に日に日の出が早くなり
朝が明るくなってまいります。
今日3月3日は桃の節句ひなまつりです。
季節の移ろいの中に
私たちは日々生きています。
一日一日を大切に一生懸命生きましょうと
親や人生の先輩に言われ
子どもや周りの人に言ったことがあります。
恵まれたいのちを大切に
一生懸命に生きることは本当に尊いことです。
一生懸命は一所懸命ともいいます。
どちらも「物事に命がけでする様子」をあらわす意味で
一生懸命は物事に対して全力に取り組む様であるのに対し
一所懸命は「一所」は「一か所」ということで
一つのことに力を尽くすというニュアンスにもとれます。
一生というといつもということで
一所というと今ということかなと思ったりします。
懸命とは命を懸けるということで
すごい言葉です。
一生を懸命に生きることは
中々できそうにありませんが
一所だったら何かできそうだと
皆さんはどう思われますか。
一所懸命に
今この時ここを命を懸けて生きることの尊さです。
一所は一処ということで
阿弥陀さまのお浄土を俱会一処の世界と
お経さまにご教示です。
コロナ禍が続きステイホームの生活が身について
今孤立孤独という問題がクローズアップされています。
私の居場所はどこですかという問いです。
わが家と答える人が多いと思いますが
高齢者や若者世代に独居暮らしが増えてきて
一日誰とも話さない生活実態があったなかで
このコロナ禍です。
ウクライナの戦争で故国の家を追われて
他国に避難する人がたくさんいらっしゃいます。
これほど悲しくて辛いことはありません。
かえる家がある安心です。
私たちが人の命終えて帰る一処を
阿弥陀さまがお浄土とつくってくださった
お念仏のご法義です。
阿弥陀さまは私たちに一所懸命に生きなさい
という仏さまではありません。
一所懸命なのは実は阿弥陀さまの方で
まさに命がけでこの私を必ず救うと
南無阿弥陀仏のお名号となって
お浄土から喚びかけてくださっているのです。
わが名を称えてくれよわが名を聞いてくれよと
南無阿弥陀仏と喚び続けてくださり
いつでもどこでもどんな状況にあろうとも
「私がいつも一緒だから大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
生きて往きましょう」とおはたらきなのです。
南無阿弥陀仏とお念仏申すところに
私の居場所をこしらえてくださってあるのです。
そこは阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲の中で
あなたも私も共々に生かされてある
と聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.3)
私のよき友親友
2022-03-02
日々刻々と移り変わるウクライナ情勢のニュースに
世界中が注目しています。
今まさに私たちが生きているこの同じ地球上で
本当に起こっている事実です。
映画でもゲームでもない
架空のものではない現実です。
市街戦になって市民が日暮しする町中に
銃弾が飛び交う恐ろしい様相です。
そのなかで人々が負傷し死んでいく
悲惨な姿が見えてきません。
何百何千人という方が亡くなったといいますが
その人それぞれに家族がいて友人がいて
大変多くの方々が大きな悲しみの中にあるのです。
戦争はこの地球上で唯一人間だけが行う
本当に愚かな罪悪です。
敵味方に分かれて戦争当事者双方といいますが
今回はロシア軍が一方的に
ウクライナ国内に侵攻したことで
ロシアは世界中から非難されることになり
四面楚歌もいいところです。
世界の国々から強い非難の声があがり
経済的な制裁も次々に出されていますが
プーチン大統領は核使用にまで言及し
世界の動きを牽制して
戦争を止める気配すらありません。
一人の人間に権力が集中することの
怖さ危うさです。
政治の力は人々を幸せにすることに行使されるもので
自国民だけでなく他国とのつながりのなかで
バランスの取れたものでないとうまくいかないのに
軍事力という武力で自分の思い通りにしようとする様は
独裁者の仕業にみえて本当に不気味です。
プーチン大統領は今の状況の中にあって
自分のおかれている立場を
どう理解しているのでしょうか。
ウクライナを武力で制圧したところで
その後のことをどのように考えているのでしょうか。
全くわからない。
正気では考えられない狂気の沙汰だと見る向きも
広がってますます不安です。
プーチンさんに意見をする人がいないのでしょうか。
側近といわれる方の力量が問われますが
側近ほどプーチンさんのことをよくご存知で
本当のことが言えないのでしょうか。
傍から見たら何か裸の王様のようですが
こういう時こそ本当のことを言ってくれるのが親友です。
誰一人として完璧な人間などいません。
人間それぞれに長所もあれば短所もあり
不完全な人間同士が互いに支え合うなかに
私たちの社会が成り立つのです。
自分に見えないところを見せてくれて
自分に不都合な聞きたくないことを
言ってくれる人です。
今現にウクライナで戦争が行われている事実を
世界中の私たちはそのまま見ています。
その事実に立って
本当のことを言ってくれるのが真の友人です。
親鸞さまは『正像末和讃』に
「他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば
すなはちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまふ」
(他力の信心を得る人は、仏の教えを敬い信じて喜ぶので
釈尊はこのものを、わたしのまことの友である
とおほめになっている)と讃嘆しています。
お釈迦さまは仏法を敬い信じるものこそ
まことの友であるとほめたたえるのです。
南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えに
同じく生きるものです。
お念仏のみ教えを聞かせていただくと
この私の本当のすがたをズバリ教えてくださいます。
五濁悪世の末法の世に生きる
煩悩具足罪業深重の凡夫の身と知らせてくださって
念仏こそが私たちが救われていく唯一の道であると
お念仏を勧めてくださるのです。
煩悩多く罪深きものの
「さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまひもすべし」
この身を知らせてそのまま救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
昨日今日と続いて
「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まる
現世利益和讃を拝読させていただきました。
南無阿弥陀仏とお念仏申すところに
本当のことを言ってくださる阿弥陀さまがご一緒です。
私にとって都合の悪い
聞きたくないことかもしれませんが
私に本当に幸せになってほしいと願い
私のことをいつも思い案じて
ご一緒してくださる安心です。
今のウクライナの状況を見て
私に何ができるだろうかと思うばかりですが
お念仏を申していよいよ南無阿弥陀仏のお心を
聞かせていただきたいと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.2)