国や民族言語を超えてつながるいのち
2022-04-07
今朝の地元紙の第一面に大きく
別府市がウクライナ避難民を受け入れると
載っていました。
社会面を読むと別府のAPU立命館アジア太平洋大学の
卒業生夫婦が難民受け入れの調整に
奔走したということです。
現在は長崎県壱岐市在住の
ウクライナ出身の妻と日本人の夫だといいます。
記事には2人は「別府は外国人に寛容な国際都市」で
「別府市がモデルとなり
他の自治体にも広がってほしい」とありました。
別府だけではなく外国の方を町中で見かけることが
日常的に多くなりました。
ただ私たち一般市民にとって
日常の交流とまでは行きません。
一昨日は林外務大臣がポーランドを訪問し
ウクライナの避難民20人を日本に連れて帰りました。
避難民は全部で300万人とも400万人ともいわれ
隣国ポーランドには多くの避難民が入国して
受け入れる側も大変な事態になっているそうです。
これまでも日本は難民の受け入れには慎重で
消極的な対応を国際的に評価されないところがあります。
日本は地理的に遠いということもありますし
生活習慣が欧米の国とは異なるところが多々あります。
言語も違うし世界の共通語といわれる英語も
日常会話ができる日本人がまだまだ少ないなかで
受け入れることの難しさと不安です。
日本で生活しているウクライナの方も多くいて
その方の家族親族を日本に呼ぶことは
まさに家に帰るということで安心です。
今回のことであらためて
日々の人と人との交流の大切さを思います。
私たちが分からないところで
民間の交流ができていることを知りました。
日本にロシアの方もたくさんいらっしゃいます。
今どんな気持ちで日暮らしされているのでしょうか。
積極的に戦争反対の声をあげたり
難民受入れ活動をサポートされている
ロシア人もいると思います。
民間外交の交流の力です。
民間では国籍の違いを超えて
人と人とのつながりがあるのに
何で国レベルで戦争になるのでしょうか。
ロシア軍が撤退した首都キーウ近郊の町で
殺害された民間人がたくさん見つかったという報道です。
何のための戦争でしょうか。
平和のためといって
みんなが平和になることではありません。
何もかも破壊し尽くして
後には深い悲しみと怨み憎しみしか残りません。
これほど愚かなことはありません。
私たち人間が為す罪業です。
そのただ中を今私たちが生きていることを
仏法に謙虚に聞かせていただき
私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.7)
親さまの御手回し
2022-04-06
昨日二件のお参りがありました。
一件はお母さんの百か日のご縁で
私と同年輩の三人の子どもさんがお参りでした。
一人は施主のお家の長男さんですが
あとの二人は亀川と朝地から9時の時間に合わせて
朝早く家を出たけれども渋滞にあったというお話でした。
もう一件はお母さんの祥月命日のお勤めで
大分の町中のご門徒さん宅にお参りしました。
毎年のことで10月はお父さんのご縁です。
二件のご縁とも
親の仏事を子どもがお勤めするということです。
大分のご門徒さんご夫婦は80歳前後の方で
数年前までは他の姉妹もお参りされていましたが
「もうみんな高齢になって
お参りできないようになりました」と言われます。
有り難いですね。
親のご縁に子どもたちが御仏前に集うのです。
家付きの施主だけではなく
親にとって子どもはみんな同じです。
仏さまのご縁です。
先に往かれたお父さんお母さんの仏さまが
御仏前に誘ってくださり仏法を聞かせていただけるのです。
南無阿弥陀仏のご縁おはたらきです。
歳を重ねる中に仏法に遇うことの
有難さを思うご縁になるようです。
昨日はお勤めの最後に拝読する御文章について
「聖典のどこに載っていますか」とたずねられました。
黒本の聖典に載っている箇所を教えて
他に記載の「拝読用法語」「まことのことば」も紹介し
節をつけなくてもそのまま読んでくださいと
お勧めしました。
お坊さんと一緒にお勤めをするのもご縁ですが
皆さんでお勤めするのも同じ仏さまのご縁です。
声に出して読んでくださいと重ねて言いました。
声に出すと聞こえてきます。
私だけではなく隣の人にも聞こえます。
お念仏の声です。
声に出してお念仏申しましょう。
聞こえますね、仏さまの声が。
声の仏さまの大本は阿弥陀さまですが
先に往かれたお父さんお母さんの仏さまの声です。
若くて忙しい時分は御仏前に座ることがなかったこの私が
親のご縁で御仏前に座らせていただけます。
仏法を聞きたい聞こうという気持ちが
少しですが起こってくるということです。
大事な大事なお念仏相続の親さまの御手回しのご縁に
遇わせていただきました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.6)
日々お念仏を申す同じルーティンの私たち
2022-04-05
毎朝のルーティーンがあります。
何時に起きてということから
私のことでいうと梵鐘を撞いて
お朝事のお勤めということですが
このコロナ下でルーテイーンが一つ増えました。
毎朝体温を測っています。
これが習慣になると一日でも測らなかったら
何か大事なものを置き忘れたような感覚です。
体重計に乗ります。
50代で体調を崩してずっと毎朝体重を測っています。
体脂肪率も同時に測れるということで
年齢を設定するのですが
ずっと60歳のままです。
設定し直したらいいのですが
今度いつかと思いながら今日まできてしまいました。
50代から測って今69歳で
70歳になったら設定し直そうと思っています、がです。
私のルーティーンです。
皆さんもそれぞれルーティーンがあって違います。
それぞれ違うルーティーンをもった者同士が
この御仏前に座ってのお朝事のお勤めは
同じルーテイーンです。
一処に集うことができる
一緒に声を出すことができる
すごいことだと思います。
朝のこの時間にどこかで大きな声がしたら
何が起こったのかということですが
円光寺から皆さんのお念仏の声があがるというのは
この地域の朝のルーティーンになっていると思います。
今は土曜日曜はお休みにしていますが
これも大分定着したのではないでしょうか。
お念仏の声です。
阿弥陀さまの本願成就の
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお喚び声です。
お念仏の声を聞かせていただくなかに
この私の口からお念仏の声が出てくださるようになりました。
それぞれ違うルーティーンの日々の生活のなかで
私たちは同じお念仏を申させていただきます。
南無阿弥陀仏のいのちの依りどころを共にいただいて
お念仏を申して今日もまた
お浄土への人生をご一緒させていただける
身のしあわせを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.5)
ほんもののファン
2022-04-04
春本番です。
昨日は花まつりの会が終わって
平和公園にお花見に行きました。
人がいっぱいでした。
駐車場に入る車が列をつくって渋滞していました。
初めて見るような光景でびっくりしました。
コロナ感染者はまだまだ高止まりで安心できませんが
皆さんそれぞれ感染対策をし工夫して
この春を大いに楽しんでいるようです。
春になって色んな楽しみがありますが
プロ野球が開幕して3カード9試合が終わりました。
明暗がくっきりしています。
セリーグでは阪神が何と開幕9連敗の新記録だそうです。
そして話題の新庄日本ハムも1勝8敗ということで
昨日はNHKのスポーツニュース番組に
落合博満さんが出演しておれ流の解説をしていました。
新庄ビックボスの就任会見では
「優勝を狙わない」と言って周囲をびっくりさせましたが
優勝云々どころが先行きおぼつかないことです。
落合さんの発言で注目したのは
「ファンは宝物」という新庄さんの信念に
落合さんも同意見でしたが
宝物とは勝つ野球をすることでファンは喜び
球場に来たファンは楽しく家路に帰り
テレビを観ているファンは家族団らんの時間が持てる
ということでした。
どの監督もそうですが
落合さんは特に優勝目指して
勝つ野球にこだわった監督です。
勝負に対する考え方が
極端に違うように思いました。
勝負には勝ち負けはつきものです。
ひいきのチームが勝ったら一日が楽しいです。
勝ったら周囲もほめたたえます。
ところが負けが込むとそれこそくるっと背を向けるように
冷たくなるのが私たちこの私の見方です。
サッカーの大分トリニータです。
今季はJ2に落ちて一年でJ1復帰をと言っていたのが
昨日も負けて開幕からずっと低迷しています。
去年の12月は大分が大いに盛り上がりました。
全日本選手権で決勝まで行く大活躍で
日頃はあまり関心がない私も注目して
準決勝決勝とテレビの前に座り込みました。
これをにわかファンというのですね。
本当のファンではありません。
本当のファンは勝っても負けても
熱い応援と共に厳しいことも言うけれども
共に戦いどこまでも支えてくれるのが
ほんもののファンだということをあらためて思います。
私たちはよい時にはふっと寄り付き
都合が悪くなるとふいっと逃げるのです。
私たちの日々の日暮らしのなかでも思います。
善い悪いといって要するに
自分の都合に合わせて善いとか悪いとか
言っているだけなのです。
善い悪い好き嫌いといった揺れ動くものの見方の中で
私たちこの私は生きています。
勝っても負けても善くても悪くても
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちをそのまま救うてくださるのです。
プロ野球も始まったばかりで
まだ百何十試合も残っていますからね。
これからどんな展開になるのか分かりませんよ。
今しっかり批判していたものが
ペナントレースの終盤になって
逆にほめたたえるようなことになるかもしれません。
これも人間この私のすがたと
見せていただくといいかなと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.4)
これからのお寺お仏壇お墓はどうなる?(2012年アーカイブ)
2022-04-03
町の中でも過疎化現象が起きているといいます。
この大分市のなかのことです。
昔は数十戸の集落だったところが
今は6軒になり住んでいる人が9人という話です。
全ておじいちゃんおばあちゃんの世帯だといいます。
どちらか一人亡くなると独り暮らしになるということで
6軒で9人の集落です。
ではその子どもさんお孫さんはどこにいるのかというと
すぐ近くの同じ地域の中心部に
家を建てて暮らしているといいます。
そんなに離れていませんから
日頃の行き来はあるということでしょうが
世代世代で持ち家が違うという話です。
ちょっと昔でしたら
同じ家に二世代三世代の家族が一緒に同居して
おじいちゃんおばあちゃんが亡くなると
お父さんお母さんの世帯になり
お父さんお母さんが亡くなると
子どもの世代が家を継いでいくことが当り前でした。
ところが今は家を継ぐということが
珍しくなったのです。
そして問題がでてきました。
家を継ぐ人がなくなって
後に残るのがお仏壇でありお墓なのです。
先祖代々のお仏壇やお墓を誰がみるのか
守っていくのか継いでいくのかが
大きな深刻な問題になってきています。
今までお仏壇やお墓を守ってきた
おじいちゃんおばあちゃん世代のなかで
自分たちが亡くなった後は
お仏壇やお墓をお寺に返すなり処分して
子どもたちには迷惑をかけたくないと
考えている人が増えているというのです。
東京大阪の都会では
一人二人だけの納骨所が増えてきたといいます。
子どもや孫に迷惑をかけたくないという
親心なんでしょうが
迷惑なもののなかに
お仏壇やお墓が入っているとしたら
お寺にとっても深刻な問題です。
お念仏の声です。
お念仏を伝えてきてくださったご縁の中心は
お寺であり皆さんのお家のお仏壇であり
お墓ということだったと思います。
お寺にお仏壇にお墓にお参りして
見よう見まねで手を合わせ
南無阿弥陀仏とお念仏を申したのではありませんか。
お念仏を申すご縁が日々の生活のなかから
なくなってしまうのではないかと心配です。
ムラから町への人口移動といった
現代の社会情勢そのものを変えることはできません。
大家族から核家族へ家族の形態が大きく変化した現代
日常の社会生活のあり方が変わっていくなかで
私たちのお寺はお仏壇はお墓は
これからどうあるべきか
私たちの先人が命がけで伝えてくださった
尊いお念仏のみ教えを聞かせていただくなかに
子や孫の世代にいかに伝えていくのか
問われるところです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.4.3)