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お念仏を申す生活法話

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今日はにゃんの日?

2022-02-22
 今日2月22日はニャンニャンニャンの<ねこの日>で
2022年と2が合わせて6つで
<スーパーねこの日>だそうです。

 1ではなくて2
二番目ということで№2という言い方をします。

 会社でいうと№1が社長で
№2は副社長でしょうか。
 №1は組織の代表
顔であり責任者です。

 ただ№1が一人で組織を取り仕切っているわけではなく
大きな組織の取り仕切り役は実は№2で
№1を直に支える№2の存在は欠かせないものです。

 あえて№1にならないで
№2の妙味に生きる人がいます。
 参謀とか黒幕とかいった
暗いイメージもありますが
スポーツチームでいうと
№1が監督で№2がヘッドコーチということでしょうか
№1と№2の関係がその組織の浮沈を決めます。

 22日は夫婦の日でもあります。
夫婦という連れ合いパートナーの関係です。
 2と2が並びます。
1と1ではありません。

 2と2だからいいのです。
2は1を立てます。
 お互いに認め合い支え合うという関係です。

 さて仏さまは私たちを
どう見てくださっているのでしょうか。
 仏さまの見方に№1も№2もなく
私たちをすべてオンリー1と見てくださっているのです。

 私たちは人それぞれ顔が違うように
性格も生活ぶりもみんなそれぞれ違います。
 みんなが№1にはなれませんが
「みんな違ってみんないい」と
みんなそれぞれがオンリー1で生きていけるのです。

 猫の世界もそれぞれです。
ニャンニャン2と2の関係で
オンリー1のいのちを共に生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.22)


お念仏のお救いに万が一はありません

2022-02-21
 17日間の北京冬季オリンピックが閉幕しました。
カーリング女子の銀メダルの活躍で
最後の最後まで日本中を楽しませてくれました。

 そのなかで土曜日の新聞のテレビ欄に注目しました。

 NHKの夜の放送案内に
「カーリング女子準決勝の結果
万が一日本が3位決定戦に進む場合~中継予定」と
番組変更の表示がありました。

 ベスト4になって金曜日の夜の準決勝で
勝ったら日曜日の朝の決勝に進むわけですが
万が一負けた場合は
土曜日の夜の時間に3位決定戦があるわけです。

 準決勝の結果が判明しないなかでの新聞発行で
その意図はわからないわけではありませんが
案内の最後に
「日本が決勝に進んでいることを願っています」とあって
公共放送のNHKのあからさまな日本びいきの表現です。

 準決勝に勝って決勝に進んでほしいという
日本国民の思いいっぱいを代弁したかたちですが
勝負は時の運で勝つこともあれば負けることもあります。

 それを「万が一(負けた時は)」と表現したところが
対戦相手チームには失礼なことですが
何か微笑ましかったです。

 万が一ということで
私たちの阿弥陀さまのお念仏のお救いを思います。

 親鸞聖人は『高僧和讃』の源信讃に
「専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり
   雑修のひとをきらふには 万不一生とのべたまふ」
(源信和尚は、念仏をもっぱら修める人をほめ
 真実の浄土に往生できないものは
 千人に一人もいないと教え
 さまざまな行を修める人を嫌い
 真実の浄土に往生できるものは
 万人に一人もいないといわれた)
と述べられています。

 一万人の中に一人でも救いに漏れる人がいたら
阿弥陀さまの本意ではないのです。

 御文章さまに蓮如上人は
「十人は十人百人は百人ながら」と
阿弥陀さまのお救いを述べられています。

 百人いて99人が救われたらいいのではないのです。
残る一人こそが阿弥陀さまの救いのめあてなのです。

 その一人こそこの私と聞かせていただくのが
南無阿弥陀仏のお救いです。

 お念仏のお救いに万が一はありません。
「大丈夫安心なさい。われにまかせよ必ず救う」と
阿弥陀さまはいつも喚んでくださっているのです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
今日一日も日暮らしさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.21)


ライバル以上の友人(2018年アーカイブ)

2022-02-20
 オリンピックでメダルをとった選手の人生に
スポットライトが当たります。
 その人の人生いのちの物語です。
 
 スピードスケートの小平選手です。
千mで銀メダルそして五百mで金メダルをとりました。

 皆さんはどんな思いで
テレビを観ていましたか。
 日本の選手は頑張ってほしい
メダルを取ってほしいと応援します。
 一方他国のライバル選手には
転んでほしい失敗してほしいと観ている私がいます。
 いやですね。
 
 競技自体を何も知らない者が色々言って
日本のメダルはいくつだとか
結局はメダルを取ったか取らなかったかで
その選手の扱い方が全然違ってきます。
 本当に身勝手な私たちだと思います。
 
 では当事者はどうなのでしょうか。
ライバル同士でいつもいがみ合っているのでしょうか。

 500mの全選手の出走を終えて
金メダルが確定した小平選手が
韓国のイサンファ選手と健闘をたたえ合う場面が
とても感動的でした。
 
 お互いにベストを尽くした結果が
金メダルと銀メダルということです。
 確かに選手は高みをめざしますが
それは全ての選手に言えることで
お互いの実力も知りつつ競技しているのですね。
 
 イ選手は母国開催の期待を一身に背負って
この競技に集中してきたことを
小平選手はよく知っていたからこそ
五輪新記録で走ってメダルをほぼ手中に入れたと
歓喜に沸くスタンドに観客に静寂をよびかけ
次のレースのイ選手の走りに注目するように促したのです。
 
 競技を終えて泣き崩れるイ選手を
抱きかかえるようにして
小平選手がかけた言葉が
「あなたを今も尊敬してます」でした。

 その後の記者会見で
「ライバル以上の友人です」と言われました。
 本当に素晴らしいと思いました。
お互いに尊敬しあい
相手のことをよく知っているからこその言葉です。
 
 小平選手のいのちの物語です。
長野の大学を卒業しどうしても師事する先生のいる
長野で競技を続けたいと就職活動をするなかで、
病院の先生が声をかけてくれて今があるといいます。
 
 小平選手は自らを求道者といっていました。
固い信念を貫いて自分の人生を切り開くといいますが
決して自分一人の力ではない
そこに家族をはじめたくさんの方々の
サポートがあったからこそですと
感謝の言葉が何度もでてきました。
 
 このいのちの物語はオリンピック選手だけではなく
私たちも一人一人いのちの物語を紡ぐんでいるのですね。
 今もいのちの物語を生きているのです。
私一人じゃない、いろんな人にたくさんのいのちに
支えられてあるということです。
 本当にお互いに尊敬しあえる友人に会うということは
人生の大きな宝ものです。
 
 私たちは阿弥陀さまのお念仏のお仲間です。
阿弥陀さまのお慈悲の中に
南無阿弥陀仏の大きないのちの物語を
今日も一日お念仏を申して
お互いに敬い合い励まし合い支え合って
生かされて生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.20)

わがいのちの物語(2016年アーカイブ)

2022-02-19
 今日2月19日は私の伯父さん
藤並昭円さんの祥月命日です。

 昭和23年のご往生で
私は会ったことがありません。
 写真でみますと
丸眼鏡をかけてとても温厚な感じです。

 円光寺の長男に生まれ
17世を継職する立場にありましたが
28歳で亡くなりました。

 二男は有縁のお寺に入寺しており
三男の父が急遽円光寺の住職を継ぐことになったのです。

 だから今私がここに居るということは
この昭円さんのご縁なくしてはないというか
私たちのいのちの不思議を思いはかります。

 こうしてこうしてこうしたらこうなるという
私の思いを超えて<わがいのちの物語>です。

 この物語の主人公は私ですが
私がつくる物語のようで
私がどうこうできるものではなく
ただただご縁といただきます。

 ご縁といって
私たちは仏さまのご縁といただける有難さです。
 仏さまのご縁をいただいた
わがいのちの物語です。

 私たちは人間としてこの世に生まれ
老いて病んでそして死んでいきます。
 これが私の人生ですが
仏さまのご縁に遇わせていただくと
この世に生まれてくる前もあったし
死んだら終いでもない
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きていると聞かせていただきます。

 今日のお話でいったら
昭円さんは私にとってかけがえのないご縁のある方で
今もこうしてつながっていると
仏さまとなって私たちを見守り
必ず救うと阿弥陀さまのお手伝いをしてくださってあると
聞かせていただきます。

 ご先祖有縁の仏さまの南無阿弥陀仏のご縁につながって
今こここの私を生きているのです。

 人のいのちの物語は命終わる時に完結しますが
同時に仏さまの無量寿のいのちとなって
永遠にわがいのちの物語は続くのです。

 南無阿弥陀仏のいのちの物語です。
人それぞれにその人生の歩みは異なりますが
みんな南無阿弥陀仏のいのちにつながって
生かされて生きているのです。

 どうかしますと私が私がと自己中心に生きて
この命は自分のものだから
自分勝手にしていいなどという私がいますが
しんどいですね。

 私一人の命じゃなかったと
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
安心して生きて往けたら
いいですね。

 実は今日の日のことはどこかに忘れていました。
ふと気がついて喚鐘を撞く前に
過去帳を調べてまいりました。

 昭和23年2月19日藤並昭円さんが28歳でご往生されて
今ここに私が居るということ
何とも不思議ないのちのご縁をいただいて
今日こうして皆さんとお朝事のお勤めができて
昭円さんのことを偲ばせていただき
南無阿弥陀仏とお念仏申させていただいたことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2016.2.19)


新聞のコラムを読む楽しみ

2022-02-18
 北京オリオンピックが終盤になり
日本選手の活躍もあって
テレビの前から離れられません。

 今朝の新聞のコラムに
カーリングのことが書かれていました。

 地元紙のコラムですが
私たちの日常的な生活感でもって
「ああそうやな」と共感できるところが多く
楽しみに読んでいます。

 カーリングを見始めると
3時間近くがあっという間に過ぎていると
私が思うようなことを書かれていて頷かされます。
 一投ごとに変化する試合展開に
目が離せない面白さがあります。

 4年前の平昌五輪も銅メダルを獲得する活躍ぶりで
日本中が大いに盛り上がりました。
 コミュニケーション力やチームワークが
特に求められる競技で
「そだねー」とか「もぐもぐタイム」という言葉が
当時の年間流行語大賞になりました。

 あの時実は掲示伝道のことばに「そだね-」を拝借して
「『まかせよ救う』のよび声に『そだねー』と念仏申す」と
書かせていただきました。

 阿弥陀さまの「まかせよ救う」南無阿弥陀仏のお喚び声に
「おまかせします阿弥陀さま」と応えることで
「そだねー」とお念仏申させていただくと
したためました。

 南無阿弥陀仏のお心おはたらきにまかせるということで
阿弥陀さまの本願念仏のお心を
聞かせていただくことが肝心要です。

 今こここの私をめあてに
「まかせよ救う」のお喚び声が聞こえてきて
「そだねー」とお念仏申させていただきます。

 いつでもどこでもどんな状況にあっても
「私がいつも一緒だから大丈夫安心して
あなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
生きて往きましょう」と
私のいのちをそのまま引き受けてくださり
お念仏申すなかにお浄土への人生を
共に生きてくださるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申す日々の日暮らしの中で
阿弥陀さまのお慈悲に生かされるよろこびに
安心してほっこりさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.18)


円光寺
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