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お念仏を申す生活法話

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閑散とした平生のご本山でお念仏申して安心です(2013年アーカイブ)

2022-02-27
 一昨日昨日と会議があって
久しぶりに京都のご本山にお参りさせていただきました。

 法要の時にお参りするときとは違って
御堂や境内が大勢の人で埋め尽くされている
ということではありません。

 親鸞聖人の大遠忌の法要が終わって
山門前に立てられていた案内板や仏旗も一切ありません。
 大遠忌法要前に10年間御影堂の修復工事があり
大屋根を覆うように大きな素屋根がかかっていましたが
今はありません。

 いつもの平生のご本山の佇まいのなかに
大きな御堂が二つ
向かって左側は親鸞聖人のご真影さまをご安置する御影堂
右側が阿弥陀さまをご安置している阿弥陀堂です。

 両堂にお参りしてご真影さま
阿弥陀さまにお礼をさせていただきました。

 御堂に入りましたら
3人4人とお参りの方がいました。
 正面から何やら声が聞こえます。
私も正面の方に行ってお礼をしましたが
お正信偈さまをお勤めされていました。

 ご門徒の方だと思います。
自分の耳に届くくらいの声で棒読みです。
 声を張り上げていることではありませんが
確かにお正信偈さまでした。

 尊いことだなと思いました。
平生日々の生活の中でお念仏申す営みです。

 特別なときにだけ阿弥陀さまは
お立ちになるのではありません。
 日々の生活の中に阿弥陀さまはいつでも
お立ちくださっているという有難さです。

 特別こうしたからこうするという
おはたらきの仏さまではありません。
 いつでもどこでもどんな状況の中でも
阿弥陀さまは「まかせよ救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで
私を喚んでくださっているのです。

 親鸞さまは90年という長いご生涯のなかで
いろんなことがあったと思いますが
平生日々の生活のなかに
お念仏申して生きて往かれました。

 阿弥陀さまがいつもご一緒ですと
お念仏申して安心して
私たちが生きて往けることを
身をもって教えてくださいます。

 お念仏申して安心して老いることができる
安心して病むことができる
そして安心して命終えていける
尊いいのちを今日もこうして
生かされて生きて往けることを有難く思います。

 ご本山は法要行事がありますと
両堂は満堂になって境内にまで人があふれます。
 日々のお念仏申す生活のなかに
志をもってご本山にお参りされた人たちです。
 その人人がそれぞれのお家お家に帰って行かれて
日常の生活に戻られます。
 お念仏申す生活です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.2.27)

在宅で緩和ケアです(2010年アーカイブ)

2022-02-26
 昨日<緩和ケア>がテーマの講演会があって
聴講させていただきました。

 ご講師は大分県で最初にできた緩和ケア専門の
「大分ゆふみ病院」初代院長さんで
去年大分市内に在宅の緩和ケアクリニックを開業された
山岡憲夫先生です。

 緩和ケアの病院は
治療を尽くして病気を治すという病院と違い
末期の患者さんの総合的な痛みをとることで
安らかな最期を迎えることを促すことを
主なお役目にする病院です。

 入院して1カ月かその前後に
亡くなっていかれる方が多いと聞きます。

 その患者さんが最期に何をしたいのかというと
「家に帰りたい」という方が多いといいます。
 家に帰って人生の最期を
終えていきたいというのです。

 医療設備やスタッフが整った専門の病院で
医療を受ける利点はたくさんありますが
いろんな工夫を重ねて
在宅での医療が少しずつできるようになったといいます。

 在宅での医療は
お医者さんが患者さんのお家に診療に出向くことで
今現在90人の患者さんがいて
講演会の当日も午前中に6人
講演会の後に2人と
毎日時間から時間に休みがない状況だと思います。

 講演会で在宅ケアを実際にしていくなかで
本当にいいなあと思ったと
自宅ケアのすばらしさ有難さをお話くださいました。

 あるおじいちゃんの診察に行ったときに
お孫さんがわいわい家の中を走り回っているといいます。
 その時おばあちゃんが「静かにしなさい」と
注意するそうです。

 おじいちゃんがいておばあちゃんがいてお孫さんがいる
日常普段の生活の風景です。
 病院に入院すると病人だけれども
在宅で家に居るとやっぱりおじいちゃんなんですと
お話されました。

 ある50代のお母さんのお話で
高齢出産で子どもさんが小学生といいます。

 このお母さんが在宅での緩和ケアを希望したのは
子どもを朝「行ってらっしゃい」と見送って
帰ってきたら「お帰りなさい。今日どうだった」と迎える
日常生活の中に
子どもにとって病気のお母さんだけれども
お母さんはお母さんとしての役目を
最後まで果たして命を終えていきたいということでした。

 家族や大切な方を亡くされる。
これほどの悲しみはありません。
 何でこんな病気になったんやろうかと
それこそ自分を呪い人をも恨むという
心境にもなるといわれます。

 緩和ケアをしていくなかで
最期を家族や大切な人と共に過ごし
生きる意味を考えさせていただくことにも
なるといいます。

 一週間に1人2人とその人人の死を
看取っていくといわれます。
 先に逝く人と後に遺る人の最期のご縁に
緩和ケアの先生が立ち会うことの意味です。

 翻って私たちお坊さんは亡くなってから
後のご縁になります。

 死と向き合うことは実は生と向き合うことで
私たちの日常生活の中にこそ仏法は届けられなければと
考えさせられたご縁になりました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.2.26)

見るがいい!われらが人間の愚かなすがたを!

2022-02-25

 今朝のどの新聞の一面も大きく
「ロシアがウクライナ侵攻」の見出しです。
 テレビのニュースも連日ウクライナ情勢に
関することばかりです。
 果たしてロシアのメディアは
今回の事態をどのように伝えているのでしょうか。

 ウクライナ国内の親ロシア派の人たちを
守る自衛のための戦争であり
責任は全てウクライナ欧米諸国にあると
「正義は我にあり」とばかりに
プーチン大統領は高らかに言い放ちました。

 戦争の口実は何とでも言えることで
これまでも名だたる世界の指導者から聞いた言葉です。

 ネット社会の今は世界中が瞬時につながる時代で
その人人の思惑はともかく
今の現実確かな事実はそのまま映像で入ってきます。

 明らかにおかしな理不尽なことが
今この地球上で起こっているという事実です。

 正義のための戦争とか平和のための戦争とか
どんなに言い繕っても
戦争は所詮地球環境を破壊するものであり
人々の日常生活を一方的に奪う暴挙でしかありません。

 軍事施設限定の攻撃で
一般市民に被害を及ぼすものではないといって
軍人であろうとなかろうと人殺しがほめたたえられ
人々は家を失い故郷を追われ
大切な人を亡くして路頭に迷うのです。

 戦争をして何か良いことがあるかといって
何も良いことはないと
これまでの歴史が何度も何度も繰り返し教えているのに
この地球上で戦争のない日は一日もないと言われるように
人間は戦争を繰り返してきました。

 仏さまが救いのめあてとする
十方衆生の一握りの人間がわがもの顔に
地球の絶対的な支配者であるかのように振る舞い
同じ地球に共に生きる無数のいのちを殺し傷つける様は
罪業深重の愚かな凡夫のすがたです。

 戦争は人間同士を敵味方に分断し
互いに正義を主張し合って殺し合うのです。
 戦争に正義はなく
勝ったものも負けたものもありません。

 これまでの歴史的な経緯や国と国との関係など
自分に都合の良い理屈を並べ主義主張を展開しても
戦争になったら
今回のように強大な軍事力をもった国が
堂々と他国を侵略することで
世界の人びとはただただ無力感を味わうばかりです。

 戦争は怨み憎しみを深く遺します。
戦争の歴史はそうした怨み憎悪の連鎖です。

 お釈迦さま
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば
ついに怨みの息むことはない」と教えられます。
 戦争で解決するものは一つもありません。
戦争に勝って安心ではなく
愈々不安の中に苦悩していくのです。

 プーチンさんだけの話ではありません。
世界のリーダーといわれる大国の指導者たちです。
 強い口調で非難の大合唱ですが
どれだけ本気に自らの命をかけるほどに
外交交渉をしてきたのでしょうか。

 それぞれの自国中心の思惑が垣間見えてきます。
具に見るがいいですよ。

 戦争の当事者だけではありません。
罪業深重の凡夫こそこの私だと知らされます。
 自己中心の思いで生きては
周りの人を傷つけている様は
実に私のことです。

 強大な権力をもち武力をもつと
本当のことが分からなくなるのでしょうね。
 これほど怖いことはありません。
化けの皮をはがされた愚かな人間
私の本当のすがたです。

 見るがいいです。
愚かな人間のすがたを具に見ておきましょう。
 見るがいいです。
我が心根です。

 そしてこの私を見守ってくださって
そのまま丸ごと引き受けてくださる
仏さまがいらっしゃることを
仏法に聞かせていただきましょう。

 愚かな凡夫の私のすがたを見た時に
「悲しいね」って大悲の涙を流して立ち上がり
南無阿弥陀仏と私のところに来てくださって
そのまま抱きしめてくださる仏さまです。

 お念仏申して阿弥陀さまのお慈悲のお心おはたらきを
聞かせていただきましょう。
 南無阿弥陀仏のお心にかなう
私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.25)


継続は力なり

2022-02-24
 お寺からホームページを発信しています。
開設して5年8カ月になりますが
昨日でアクセス数が5万回を超えました。

 多いのか少ないのかわかりませんが
ありがたいことです。

 始めた頃は一日に4回か5回ぐらいのアクセスで
半年程経ってネットに詳しい方に
ホームページを立ち上げてこんな回数ではという思いを
愚痴をこぼすように言ったら
「すごいじゃないですか」と言われました。

 1回でも2回でもアクセスがあることが
すごいというのです。
誰かと確かにつながっているということです。

 別に回数を誇ることではなくて
一人でも多くの方に見て読んでいただく思いから
始めたわけですからね。
 ただ欲が出るんですね。
欲が出て悩み苦しみ迷うのです。

 とにかくできるだけ日々発信しようと
自分なりに工夫し続けるうちに
アクセス数が徐々に増えてきて
今は40回とか50回、多い時には70回前後の日もあります。

「継続は力なり」という格言です。
小さい頃からよく聞かされました。
 私という人間は生来の怠けものですから
何事も続かないのです。
 だから先人は「継続は力なり」と
自分たちの失敗経験も踏まえて
続けていたら何かいいことがあるよって
教えてくれたんでしょうね。

 このお朝事もまた
継続は力なりと力をいただきます。
 この力は皆さんそれぞれ
色んな受け止め方があると思いますが
逆に私に力が入ると継続が難しいのです。

 私が私がという力です。
しないといけない続けないといけないと
頑張って頑張ってと
私に力が入ると継続すら難しくなるということです。

 継続は力なりといただく力は
お念仏のご法義を聞かせていただくと
阿弥陀さまの本願力なのです。

 私が私がと頑張っては悩み苦しみ迷う
私のことをいつも思うてくださり
「必ず救うまかせよ」とご一緒くださる
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
お念仏相続させていただけるのです。

 仏さまのご縁をいただいて
こうして御仏前に座らせてもらって
お念仏申す身にお育ていただいたのです。

 今日も一日色んなことがあるけれども
お念仏申して阿弥陀さまの大悲の中に
私にできる精いっぱいのことをさせていただいて
私一人じゃなくて隣の人も隣の人もみんな一緒に
生かされて生きて往きましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.24)


そして「今日は何の日?」

2022-02-23
 昨日2月22日はニャンニャンニャンの<ねこの日>で
今日2月23日は語呂合わせで<富士山の日>だそうです。

 誰が考えるのでしょうか。
とにかく毎日が何かの日で賑やかです。

 今日は天皇誕生日の祝日で
いつもと違う朝の時間をゆっくり過ごしている方も
多いのではないでしょうか。

 令和の時代の天皇誕生日です。

 昨日私と同年輩の皆さんがたくさん集まる場所で
「昭和天皇の誕生日はよかったな」という声が
聞こえてきました。

 昭和天皇の誕生日は4月29日で
5月の連休に重なることで
ゴールデンウィークという
まとまった休みが続くということです。

 70歳代の方々です。
高度経済成長期の日本社会の最前線で
頑張って頑張って働いてきた世代です。
 若い時分は週に日曜日だけの休みで
家でゆっくり体を休めるということだったと思います。
 家族でどこかに行くとか
自分の趣味を見つけて広げるとかの
心の余裕もないなかに
まとまった休みは本当に有難かったと聞こえました。

 平成の天皇誕生日は12月23日で
学校が冬休みに入る前でした。
 このたびの令和の天皇誕生日は2月23日で
前後にそうした休みがありません。
 昭和平成そして令和と生きてきて
「昭和の天皇誕生日はよかったな」ということです。

 さて今年は昭和何年かご存知ですか。
年回のご法事をお勤めさせていただく上で
今は昭和何年と頭に入っていないと都合が悪いのです。

 今年は昭和97年です。
だから50回忌のご縁のお方は
昭和48年にご往生されたという計算です。

 平成でいったら平成34年です。
令和が始まる令和元年は5月1日から始まりました。
 その年の1月から4月までは平成31年で
令和の天皇誕生日は今年で3回目になります。
コロナ禍にずっとかかって
今年も天皇誕生の祝賀行事はほぼありません。

 そうしたなかにあって私たちの日常生活
日々の営みです。
 皆さんにとって今日は何の日と言われたら
家族の記念日を思うのではありませんか。

 それぞれの誕生日ということでしょうし
ご先祖有縁の大切なお方のお命日ではないでしょうか。

 お命日のご縁に阿弥陀さまの御仏前に座らせていただき
お念仏を申して御礼をさせていただける
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きている仏さまのご縁と
有難くいただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.2.23)


円光寺
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TEL.097-527-6916
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