しあわせということ
2024-09-05
「しあわせ」を漢字で書くと
皆さんはどう書きますか?
「幸せ」と書く人が一般的だと思いますが
私より年輩の方は「仕合わせ」と書いていたそうです。
「幸せ」というと
心が満たされたときに感じる
自らの願いが達成された喜びであり
達成できなかったときの「不幸」と
表裏一体のものです。
みんなが幸せになればいいんでしょうが
私たちが生きる世の中の仕組みは
幸せな人がいて不幸な人がいる
喜ぶ人のすぐそばで涙する人がいるというのが
この人世の実相ありのままのすがただと
仏法は教えます。
さて「仕合わせ」です。
中島みゆきさんのヒット曲『糸』に
「縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと 呼びます」
の歌詞があります。
ここでいう仕合わせとは
幸福感を表すものではなく
縦の糸と横の糸が一枚の布を織りなすように
その成り立ちを表す言葉として
あなたと私の出逢いでいえば
めぐりあわせとでもいうべきものです。
元々は「~し合わす」ということから
「仕+合わせる」と
さまざまな事が仕え重なり合って
物事は成り立っているという意味で
良いことも悪いことも全て含めて
「しあわせ」ということだそうです。
縁起の仏法の理です。
網の目のように縦横に張り巡らされた
幾多の縁によって
私たちは生かされ支えられ生きてきて
これからも生きていくという真理の法です。
あなたと私が営む私たちの社会です。
私一人で生きているのではありません。
私一人では生きていけないのですが
私の都合で思い通りにいくと良かったと
自分の手柄のように喜んで有頂天になり
思い通りに行かないことがあると
他者の責任にして怒り腹立ち妬みます。
自分だけの幸せを追い求めて
本来の仕合わせの意味が見えにくくなりました。
私たちはお互いに良くも悪くもつながって
たくさんの仕合わせに支えられ生きているのです。
私たちのお念仏のご法義は
南無阿弥陀仏のご縁つながりで
あなたも私も皆共に
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
生かされて生きていると教えていただきます。
この世の中のことは
良くも悪くもどんなことがあっても
お念仏申して自他共に心豊かに
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.5)
朝の食卓
2024-09-04
私の朝の食卓です。
この十数年来毎朝決まって
パン食で野菜ベーコン卵のワンプレートです。
特に野菜は種類も豊富でいっぱいです。
レタスキャベツが定番で
妻が家庭菜園で作った
季節の旬のものをいただきます。
今朝はとりわけ賑やかでした。
オクラにモロヘイヤのねばりもの
シソそしてバジルの香りが彩を添えて
食欲をそそります。
高齢になり体調を崩したこともあって
野菜中心の食事を心がけていますが
いつも食卓に並ぶのは
私の健康を案じて「これを食べなさい」と
決めて調理し出してくださったものばかりです。
「いただきます」と合掌し
多くのいのちをいただいて
今日一日もお念仏申して始めさせていただきます。
「まかせよ救う」と阿弥陀さまが決めてくださった
南無阿弥陀仏のおはたらきに
「おまかせします」と申すお念仏です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.4)
愛は地球を救うのか?
2024-09-03
今年の24時間テレビのテーマに注目です。
「愛は地球を救うのか?」でした。
1978年(昭和53年)から47年続く
この時期恒例のテレビ局の企画番組で
広くしょうがい者問題を取り上げ
福祉の充実をはかる募金活動を全国ネットで行い
車椅子や身障者の送迎車両を贈るなどの
実績を積み重ねてきました。
当番組については当初から賛否両論ありましたが
昨年集まった募金を
スタッフが不正流用する事件が起こり
番組の存続を含め内容全般が再検討されて
従来の「愛は地球を救う」から
今回のテーマ設定になったようです。
「愛は地球を救う」に
「はて?」と疑問符が付きました。
自他共に生きる私たちの社会にあって
愛とは他を慈しみ思いを寄せる行為で
「善いことをしましょう!」と
誰もが「そうですね」と頷くことです。
では、善いこととはなんでしょうか。
具体的にこれこれこういうことと
すぐ思い浮かべることがありますが
仏教では愛は煩悩だと教えます。
愛憎とか愛欲といわれます。
愛と憎しみは表裏一体のもので
愛は縁によって憎しみにひっくり返るのです。
そして愛すれば愛するほど
憎しみは深くなるといわれます。
愛欲です。
愛の正体です。
愛するといって自分の思いはからいそのもので
他もまた同じように思いはからって生きていますから
自他の思いはからいが全く一致すればよいのでしょうが
まずあり得ません。
一致するといって
その時だけのものであり
多少なりともどちらかが譲歩したり我慢して
後々不平不満が残るものです。
自他一如の仏さまのさとりの世界からいうと
私たちの迷いの世界の根本的な原因こそ愛の正体です。
とはいっても
あなたと私がつくる私たちの社会は
一瞬たりとも止まることなしに動き続け
ずっとこれからも変化して行きます。
自分中心の思いはからいで行う
私たち煩悩具足の凡夫の行はどこまでも
「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎の如くなり
修善も雑毒なるゆへに 虚仮の行とぞなづけてる」
(悪い本性を抑えることなどできるはずもない。
その心はまさにヘビやサソリのようであり
たとえ善い行いをしても、煩悩の毒が混じっている。
だから、その行いはいつわりの行と呼ばれている)
※『正像末和讃』愚禿悲歎述懐より
と教えていただいて
お念仏申して善いと思うことは
今私にできることを
精いっぱいさせていただきましょう。
愛が地球を救うといって
地球をわがもの顔に私たち人間がしている行為は
それぞれの都合で開発と戦争の
造作と破壊の繰り返しで
結果温暖化が進む地球環境の問題は待ったなしです。
日進月歩の科学技術の進歩で
私たちの生活は豊かで便利なものになりましたが
根源的な生死の苦悩の解決はないままに
人間中心の思いはからいで迷いを繰り返す私たちに
果たして本当の愛はあるのでしょうか。
一方で愛は偽善で偽ものだといっても
地球上には幾多の課題が現存し
生活に困窮している人がたくさんいるなかで
小さな力であっても今私にできることを
させていただくことがいよいよ大事だと思います。
どこまでも人間の思いはからいでする行為は
全ての人に喜んで受け入れられることではありませんが
お念仏申してさせていただきましょう。
お念仏申して阿弥陀仏の浄土に生まれて仏と成り
この迷いの世に還って来てすべての衆生を救う
南無阿弥陀仏のおはたらきをさせていただくことこそが
浄土の慈悲真実の愛であると聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.3)
セミの抜け殻
2024-09-02
台風10号の接近で
先週のゴミ収集が無くなり
今日月曜日はゴミステーションが
家庭ゴミと屋外のゴミでいっぱいです。
木の葉が落ちて周囲に舞い散り
朝早くから境内の桜の木の下で落ち葉拾いをしました。
落ち葉の中にセミの抜け殻をいくつも見つけました。
この夏も桜の木にセミがとまって
賑やかに鳴いていましたが
9月になってセミの季節も終わりのようです。
セミは幼虫時代を何年も土の中で生きて
脱皮し成虫になって10日ほど外の世界で生きます。
七高僧の第3祖中国の曇鸞大師は『浄土論註』に
「蟪蛄(けいこ)は春秋を知らず、
伊虫あに朱陽の節を知らんや
知るものこれをいふのみ」
(蝉は春秋を知らない。
ゆえにこの虫は、どうして今の朱陽(夏)が
夏であることを知りえようか。
今しか知らないものは今も知らないのである)と示され
生まれてから死ぬまでの世界しか知らない人間も
短い時間を精いっぱい生きている蝉と同じではないかと
教えてくださっています。
私たちは前生に生死(しょうじ)の迷いの世界を
何度も何度も経巡ってきて
このたびは人間界に生まれて来ました。
仏法聴聞して後生の一大事を解決し
阿弥陀仏のお浄土さとりの世界に生まれ往く
今生であってほしいと
親鸞さまは阿弥陀仏の本願念仏のみ教えを
私たちにお勧めです。
セミの抜け殻を手に取って
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきを思い
お念仏申させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.2)
「あて所に尋ねあたりません」
2024-09-01
このたび小学校の同窓会を思い立って
同級生に案内を送りました。
直接手渡しできる方を除いて
日頃交流のない50人の方への郵送ですが
連日次々に「あて所に尋ねあたりません」とスタンプされて
案内の封書がそのまま14通も戻ってきました。
前回は12年前のことで
その時の住所で投函したのですが……
12年の間に何かあったのかなどと
勝手に想像します。
60歳を過ぎてちょうど退職する時期に重なり
家を転居したということでしょうが
気になります。
家を中心とした家庭生活ですが
今は核家族で親の家、子の家、孫の家が違うなかに
家を守るという意識がなくなってきています。
また高齢になると生活の利便性を考えて
高齢者住宅やマンションに転居する方が多くなりました。
お寺のご門徒のお家の状況を見てもその通りで
家を転居して仏壇じまい墓じまい寺離れといったことが
当たり前のように起こっています。
お寺の私たちからいうと
これからのお寺の存続について不安が募ります。
お寺はこれまで門徒檀家さんに支えられてきました。
お寺の本堂諸施設の建築はじめお寺の護持全般を
門徒檀家さんにお願いしてきたものです。
お寺の私たちは葬儀や法事日々のお参りの
法務収入をたよりに生活してきました。
門徒が減り法務収入が減って
日々の生活に窮する事態にもなります。
お寺をめぐる社会環境が急激に変わって行きます。
お念仏のご法義繁盛はもちろん
これからのお寺のあり方を長期的に考え
僧俗共に今できることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.1)