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お念仏を申す生活法話

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木々の剪定をしていただきました

2024-07-25
 お盆を迎えるにあたって
境内・中庭の木々の剪定をしていただきました。

 手の届く範囲のことは何とかできても
木が大きく高い所の剪定は
専門の方におまかせしてお世話になります。

 猛暑の中の作業で大変ご苦労さまでしたが
さすが専門の方です。
 ただ大きく伸びた木を切るのではなく
周囲とのバランスを考えて要領よく
覆い茂っていた木々をすっきり剪定していただいて
見違えるようになりました。

 すっかりきれいに剪定された光景を前にして
ずっとこのままであってほしいと思うのですが
木々も生きものですから思うようにはいきません。
 ここは日頃から気をつけて
自分にできることをさせていただきましょう。

 今回のことで
何でも専門の方に頼むのが一番だなと思ったことと
木々の剪定はただ要らない小枝を
切って捨てるのではなく
剪定することで木々本来のいのちを活かすことだと
思い知りました。

 阿弥陀さまのお慈悲
南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
「われにまかせよ、そのまま救う」と
欲の心怒りの心愚痴の心いっぱいの
煩悩にまみれたこの身をそのまま受け入れ
お念仏申す身にお育ていただき
お浄土の仏さまにしてくださいます。

「お念仏申してくれよ」と喚んでくださる
阿弥陀さまのおはたらきにうながされて
今日一日もお念仏申しいのち輝かせて
生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.25)

お念仏申されるように生きましょう!

2024-07-24
 
 この世の中のことは
自分の思い通りにならないことが多くあります。
 というか、思い通りにならないことばかりだと
嘆く人もいるのではないでしょうか。

 少しは思い通りに行けば良いのでしょうが
思い通りに行かない悪いことが沢山あります。

 ここでいう良い悪いは
自分の都合でいうところの良い悪いですから
私が思い通りに行って良かったと
笑いが止まらない時には
自分の思い通りに行かなくて
すぐ隣りで泣いている人がいるということです。

 良い人がいれば悪い人がいるということ
これが真実まことの仏さまのものの見方です。

 仏さまの教えを聞いて
真実ありのままを
そのまま受け入れたらいいのでしょうが
「はいそうですね」と中々素直に受け入れられません。

 良い時には自惚れて有頂天になり
悪い時には反省するのではなく
周囲に当たり散らし怒り腹立ち妬むような
私たちではないでしょうか。

 親鸞聖人は「凡夫とは、われわれ人間のことであるが
欲は多く、怒り・うらやみ・
ねたむ心もやむことなく湧いて
いのちの終わるときまで
とどまらず・消えず・たえぬのであると
善導大師は水火二河のたとえに教えられている」と
『一念多念文意』(現代語訳)に述べられています。

 阿弥陀如来はこの私を「煩悩具足の凡夫」と見抜かれ
見捨てることなくいつでもどこでも寄り添って
「われにまかせよ、必ず救う」と
南無阿弥陀仏と喚んでご一緒くださいます。

 法然聖人は日々の生活のなかで苦悩し迷う人びとに
「この世は念仏の申されるように生きなさい」と
いつも仰せだったと言われます。

 歳を重ねて様々なことに出あう中で
お念仏申して一日一日を大切に
何事も阿弥陀さまにご相談しながら
心豊かに生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.24)


Nobody is perfect 完璧な人間は誰一人いない

2024-07-23
 パリ五輪が目前に迫って
日本のメダル獲得有望種目を中心に
連日テレビ新聞で報道がなされています。

 4年に一度の五輪です。
これまでに金メダル絶対と言われた選手が
むなしく敗退していった姿を
私たちは何度も目にしてきました。

 生身の人間がすることであり
その時どきの体調や精神面のコンディションなど
色んなことが左右しての結果です。

 周囲の期待に押しつぶされるように
思うような結果を出せない選手がいます。
 結果は結果として
どんなに才能がある選手でも
日頃の鍛錬がないと栄光を勝ち取ることはできません。
 
 みんなが金メダルというわけにはいきません。
多くの選手は失意のうちに競技を終えますが
その人その人で精いっぱい
練習を重ねての結果ということで
すべての選手に敬意を表します。

 「Noboby is perfect
(完璧な人間は誰一人いない)」です。

 このことは五輪選手だけでなく
私たちが人生を生きるなかで
どんな人にも言えることです。

 人間に生まれて生きることは
老いていくこと病んでいくこと
そして死んでいくことと
日々刻々と変化する生死の身を生きることで
一瞬たりとも自分の思い通りに完璧に
コントロールできるものではなく
まさにコントロールできない迷いのなかに
生まれては死に生まれては死にを繰り返していると
仏さまは私たちを見抜かれたのです。

 大きな不安と背中合わせに生きていることで
苦しみ悩みが尽きない私に
阿弥陀如来は「まかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏と喚んでくださり
「いつも私が一緒だから大丈夫安心して
共に生きて往こう」とおはたらきです。

 お念仏申して安心して
私にできる精いっぱいのことを
させていただきましょう。
 その人それぞれの人生であり
唯一無二のあなたのいのちの金メダルです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.23)

火葬待ち

2024-07-22
 7月19日NHK朝のニュースから
昨年全国で亡くなられた方が
これまで最高の159万人になり
これからも年間150万人の死亡者が見込まれる
多死社会にあって
首都圏を中心に火葬待ちの状況があるとの
レポートです。

 年間1000件ほど葬儀を請け負う葬儀社では
3割ほどが一週間待ちで
これまで最長13日の火葬待ちがあったといいます。

 火葬場が込み合う状況はどうすることもできず
火葬までドライアイスで対応しますが
今はご遺体を冷蔵庫で保管するホテルもあるそうです。

 火葬までお別れの時間をゆっくり共有できる
ということですが
こんなに長くなると
ご遺族の心境も複雑なものがあるようです。

 家族葬という葬儀のあり方が
首都圏から全国に一気に広がって
今は一般的になった大きな理由が
この火葬待ちにあります。

 遠方の親族縁者に何度も集まってもらう不便があり
家族だけで葬儀を済ませ
初七日に始まる中陰のお勤めも
葬儀の際に式中初七日なるものをお勤めすることで
後は満中陰のお勤めになるそうです。

 仏事の簡素化簡略化です。
こうした傾向は私たちの地方にもすぐ伝わって
今は従来の葬儀をお勤めしないで
亡くなって直ぐ火葬場に送る直葬が
増えているといいます。

 自治体公設の火葬場で火葬されます。
諸般の事情があるのでしょうか
以前は昼の1時の葬儀でその後の火葬が通例でしたが
同じ時間に火葬が重なりパンク状態になり
今は火葬の時間が先に決められて
葬儀の時間が決まることになっています。

 葬儀のあり方が問われます。
誰もが火葬されて遺骨と遺灰になることで
「人間死んだらゴミになる」と
受け入れられるものでしょうか。

 一人の人間がこの世に生まれて生きて亡くなっていく
共にいのちの尊厳を讃えあう葬儀の厳粛な営みです。

 大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきます。

 人間死んだら終いではなくて
お念仏申して往生浄土の人生を生きて
命終わるときそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏に成ると
浄土真宗のみ教えを聞かせていただきます。

 その人の生きざま死にざまがどうであれ
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
生きても死んでもお慈悲の中と
今日一日も共々に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.22)

わが人生の目的

2024-07-21
大きないのちのつながりのなかに共々に生かされて生きる
 日々歳を重ねていくなかで
ふと立ち止まりため息をつくことってありませんか。
 何かと忙しい時はすっと経って行った時間が
今は何かむなしく過ぎ去っていくようです。

 お釈迦さまは
この人生の実相を生老病死といわれました。
 人間界に生まれた私たちは
どんな人も老いて病んで死んでいくという
本当のことですが
そのままわが身のことと聞こうともせず
どこまでも若くて健康で長生きしたいと願い
努めて生きています。

 身近な家族との別れがあり
友人知人有縁の方の訃報に接することも
多くなりました。
 私もそういう歳になったということですが
まだまだ大丈夫と頑張って生きています。

 はて? 私は何のために
この人間界に生まれ来て生きているのでしょうか?

 お釈迦さまは
生死流転(しょうじるてん)の迷いに苦悩する私たちに
生死の帰依処となる真実さとりの仏法を
開いてくださいました。
 仏法を依りどころに生きてくれよとのご教示です。 

 私たちはこの仏法に遇うために
人間界に生まれ来て生きていると教えて
仏法聴聞を勧めてくださるのです。

 人それぞれに思い通りにならない私たちの人生も
すべては仏さまの大きなお慈悲の中に
生かされてある人生と聞かせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきのご縁をいただき
この世に生まれ仏法に出遇い
お念仏申す身にお育ていただき
人の命終えてそのままお浄土の仏さまとなって
あなたも私も
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされて生きて往けるのです。

 私たちの人生は
それぞれに良いも悪いもある人生ですが
「お念仏に遇えて本当によかった」とお念仏申して
ご一緒に往生浄土の人生を生きてまいりましょう。

 お念仏聴聞の尊いご縁に遇わせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.7.21)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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