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お念仏を申す生活法話

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お念仏申す心意気(2010年アーカイブ)

2022-04-30
 毎年4月28日29日は三佐の野坂神社の春の大祭で
昨日一昨日と太鼓山車人形山車の曳山車で
いつもは静かな町内が青年衆の熱い心意気で
大いに盛り上がりました。

 祭りが済んで夏が来ます。
祭りは季節の節目の神事で
各地で春夏秋の祭りがあります。

 日本は元々農耕社会で
春に田植えがあって
秋は稲刈り収穫の時期を迎えます。
 五穀豊穣、国家安泰を願うなかに
民衆の日々の日暮しがありました。
 大きな願いのなかに
共々にこれからも生きていこうという心意気です。

 その心意気が一つ祭典という形になり伝統となって
今の私たちに伝わって来ているということです。

 その時代社会を生きる者の心意気です。
私たち一人ひとりの心意気が一つ形となり
地域の生活になっているのです。

 私たちのことでいえば
お念仏のみ教えに遇わせていただくなかで
共々に生きる心意気です。

 何か念仏者の私がと力が入りますが
私がというより仏さまの心意気です。
 私たちの阿弥陀さまのお心おはたらきを
南無阿弥陀仏と聞かせていただくなかに
お念仏を申す私の心意気です。

 親鸞聖人は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と
おっしゃっています。
 阿弥陀さまの仏法お念仏のみ教えが広まっていくなかに
本当に世の中が安らかで穏やかで平和になってほしいと
南無阿弥陀仏の心意気です。

 阿弥陀さまの仏法に遇って
この私がお念仏を申す身にさせていただくことが
人間に生まれて生きることの肝要と
何度も何度もご縁ご縁に
私たちを喚んでくださっているのです。

 今日もお念仏申す心意気をもって
日暮しさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.4.30)


この私一人の阿弥陀さまのお救い

2022-04-29
 今朝ポストから新聞をとるのに
厚くて重くてえっと思いましたが
折り込み広告が沢山入っていました。

 今日からゴールデンウィークということで
ストアや食事処などいろんなお店の広告でした。

 これからはペーパーレスの時代という話です。
ネット社会になって紙媒体が少なくなるということですが
やっぱりまだまだ紙の広告です。

 30ほどのお店の広告でした。
一人が全部のお店に行くわけではないし
どのお店にも行かない人が圧倒的多数です。

 でも広告全てが無駄かというと
広告を出すことで店の宣伝になり
お客さんを見込めるわけです。

 大きな網をうって魚をとる漁法で
古典的にこれからもあるのではないでしょうか。

 昨日今日と野坂神社の春の大祭で
三年ぶりに神事が行われる予定でしたが
神社関係者がコロナ感染濃厚接触者になり
急遽中止になったということです。

 まだまだコロナ禍の真っ最中ですが
曳山車の運行は三年ぶりに再開ということで
昨日は町内に太鼓山車人形山車が10基並びました。

 このゴールデンウイークで
全国各地の催しが再開し人出が多くなりそうです。
 それに伴い感染者も増えてきそうですが
一年前二年前のようなことではないようです。
 ワクチンをうって検査して
十分お互いに感染対策を徹底した上で
私たちの日々の生活があるということです。

 お寺もまたコロナ禍のなかで
二年間あってそしてこれからもあるわけです。
 本当に私たちが必要なことは何かということを
問われ考えさせられる時間であったと思います。

 阿弥陀さまのお念仏のご法義は
大網をうって一網打尽にするお救いではありません。
 「十人は十人ながら百人は百人ながら」と
今朝の御文章に拝読させていただいたように
一人でも漏らす者はないと
この私のために立てられたご本願のお救いであり
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 阿弥陀さまがこの私を本願を信じ
お念仏申す身にしてくださって
南無阿弥陀仏とご一緒です。
 お念仏の声となって私に寄り添い
そのまま私の隣の人に子や孫の世代につながって
お念仏の声が伝わって行くのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.29)


念仏の声を子や孫に

2022-04-28
 昨日は満中陰四十九日のご縁にお参りしました。
家族8人のお勤めでした。
 施主のお母さんのご縁で
子ども孫曾孫の三代総勢8人です。

 皆さんご一緒にお正信偈をお勤めしました。
子どもの声が聞こえてきます。
 4歳の曾孫さんが大きな声で
ナマンダブナマンダブとお念仏申されます。

 もう一人の1歳になったばかりの曾孫さんは
おばあちゃんに抱っこされて手を合わせています。

 このたびのご縁でお仏壇にお参りするように
なりましたと言われます。
 大切な家族とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁をいただける有難さです。

 日々の生活のなかで「ばあばにおまいりしようね」と
お仏壇の前で手を合わせナマンダブナマンダブと
お念仏の声が出るようになったのですね。

 先に往かれたお方を
仏さまと仰いでいけるということです。
 死んだら仏ということではありません。
死んだらお終いではないのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれ
後に遺った私たちを護り救うてくださる
仏さまに成ってくださったと
日々の生活のなかで仰いでいけるのです。

 近くのお墓に納骨に参りました。
これからはお墓にもお仏壇にもお参りされて
お念仏申して先に往かれた仏さまがご一緒です。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。

 有縁の方が亡くなってのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただくなかに
これまでも阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされてあったと聞かせていただきます。

 今はコロナ禍ということもあって
葬儀も法事も家族だけの少人数のご縁が多くなりましたが
仏さまのご縁は人数の問題ではありません。
 その人人が仏さまのご縁をいただいて
お念仏を申す身にお育ていただくことが
先に往かれた仏さまの大きな願いと
お取り次ぎさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.28)

昭和の人間

2022-04-27
 朝から凄い雨になり
6時の梵鐘を撞きに雨と雷が轟く中を
傘をさし駆け足で鐘楼間を往復したことです。
 雷ってあまりいいものではありません。

 昨日車を運転中にラジオで
「あなたにとって昭和のものって何ですか?」と
聴取者の声を聞いていました。

 今月29日が昭和天皇の誕生日で
「昭和の日」の祝日です。

 昭和の時代を思い起こします。
昭和から平成になったのが1989年でした。
 私が37歳で平成が34年ですから
昭和の時代の方が長く
これから令和の時代をどれ程生きるか分かりませんが
昭和を超えることはまずないでしょうから
私はすっかり昭和の人間ですね。

 特に子どもの頃青春時代に昭和を生きた思い出は
これから一層懐かしく思い出すことでしょう。

 昭和といって終戦後の昭和です。
高度経済成長もあって
日本が一番輝いていた時代とも形容されます。
 昭和の時代を生きて平成令和と
私たちの生活は大きく変わりました。

 アナログからデジタルへと
大きな括りでいわれます。

 昨日のラジオでなるほどなと思ったのは
電話機の変わり様です。
 昭和の電話はダイヤル式でしたが
プッシュホーンになり
今はスマポで登録していたら
ボタン一つで相手につながります。

 通信手段も今はネット社会で大きく変わり
これからも変わって行くでしょう。
 コロナ下でリモートでの通信が
画期的に進みました。

 これから益々ペーパーレスの時代になるといいますが
私の周囲はまだまだペーパー頼みの日常です。

 お寺からご門徒さんへ
毎月の寺通信や法要行事の案内は全て紙媒体です。
 三佐地区は各班のお世話人に配ってもらいますが
地区外のご門徒には2カ月に一回郵送しています。

 この郵送が今ままならない事態になっています。
これまでは今日いっぱいに投函すれば
明日には先方に着いていた郵便物が
明後日なるというのです。
 そして土曜日の配達が無くなりました。

 ゴールデンウィークのこの時期
郵便物が思うように届かないということです。
 今週金曜日が29日の祝日で
昨日投函すれば28日に着くのですが
今日の投函になると最短で来週の月曜日5月2日か
3日4日5日の連休後の6日になってしまうのです。

 投函から一週間10日も係るとなると
自分で持って行った方が早く確実ですが
数が多くちょっと大変な作業になります。

 便利な時代社会のなかで
不便を感じることも多々あって
とにかく先手の対応が要るということで
何か追われる気分です。

 デジタル世代の人からみると
時間の無駄経費の無駄すべて無駄に映ることも
あるのでしょうね。

 ただ昭和の人間にとって
紙媒体は手元に残って安心です。
 無駄といわれても大事なものです。

 私たちの生活は昭和から平成令和へと
大きく変わってきました。
 確かに便利になりましたが
ある意味不便になったこともあります。

 お寺もこれから変わっていく中で
本当に何を大事に伝えていくのかと
あらためて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.27)


歴史は繰り返す

2022-04-26
 歴史は繰り返すといいますが
昨日のNHK『映像の世紀』を観て思いました。

 100年前に「スペインかぜ」とよばれた
感染症が世界的に大流行した歴史の事実です。
 当時は第一次大戦の最中でまずアメリカの軍隊で流行し
軍隊の移動で感染が世界中に広がったということです。

 スペインの国王が感染し全世界に発信されたことで
スペインかぜの俗称がついたということですが
後々インフルエンザの新型ということが分かります。

 原因不明のまま対処法もなく
手洗いマスク密を避ける対策に終始し
3年間で世界の人口の3分の1の5億人が罹患して
おさまったといいます。

 当時は感染症対策のワクチン開発はなく
スペインかぜの経験からその後
ワクチンの開発研究が進んだということです。

 今は新型コロナウイルスの大流行パンデミックで
まさにスペインかぜから100年後
歴史は繰り返すです。
 ワクチンも治療薬もできましたが
まだまだ収束とまでは行きません。

 もう一つ歴史が繰り返すというのが
パンデミックで世界中を巻き込む
社会の大きな不安に乗じて
第一次世界大戦の敗戦国ドイツに台頭したのが
ヒットラーのナチスドイツです。
 ヨーロッパ各地を侵攻していき
第二次世界大戦が起きるという歴史の事実です。

 今の世界の状況はどうでしょうか。
コロナ禍のなかでのロシアのウクライナ侵攻と
重なるところがあるのではないでしょうか。
 ロシアとウクライナの問題だけではなく
もうすでに世界中を巻き込む事態になっており
私たちの日本も例外ではありません。

 広く宗教の立場から見ると
数日前にキリスト教の大事な行事の一つ
イエスキリストの復活祭が
世界各地のキリスト教の教会であり
東方正教会のロシアやウクライナの教会でもあって
ロシアの大教会ではプーチン大統領が参列した映像が
世界中に発信されました。
 一方ウクライナでも世界の平和を願って
復活祭が行われたということです。

 同じキリスト教で平和を願う神聖な行事ですが
ロシアとウクライナでは正教会でも違うといいます。
 教えは同じはずなのに
教会を構成する人によって変わる違ってくるのです。
 真実まことの宗教をも変えてしまう
人間の恐ろしさ愚かさです。

 私たちの浄土真宗という教団についても
西本願寺や東本願寺などを本山とする分派があり
四百年以上も前から引き続いて
今も組織として分かれています。

 同じ浄土真宗のみ教えですが
その教えを聞く人人の思いはからいで違ってくるのです。
 宗教をも自分の都合に合わせて
利用する立場の人がいるといったら
言い過ぎでしょうか。

 宗教は
キリスト教では神と私
仏教では仏と私
浄土真宗では阿弥陀仏と私の
あなたと私の二人称の関係です。

 私が阿弥陀仏の本願の仏法に遇わせていただき
仏法の鏡に映る私をそのまま見せていただくのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
煩悩具足の凡夫の身を
そのままお念仏申す身にお育ていただき
往生浄土の仏道を歩ませていただくのです。

 阿弥陀仏の仏法
真実まことの南無阿弥陀仏は変わりません。
 変わるのは誰か、この私です。
どんな私か、自己中心のはからいをもって生きる私です。

 この自我のはからいこそがまさに
この私を苦しめ悩ませ迷わせている無明煩悩であり
仏さまの一番の心配事なのです。

 自己中心の思いはからいで
他を傷つけ戦争をも引き起こす私たちです。

 歴史は繰り返すといわれます。
今も私たちは歴史の真っ只中にあるのです。
 お念仏のみぞまことと
お念仏申して今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.26)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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