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お念仏を申す生活法話

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仏事の相談色々です

2022-03-28
 土曜日の大きな風と雨で
境内の枝垂れ桜が少しずつ散っています。
 あらためて見ると
今年はよく花をつけていて
晴れると鮮やかだなと思います。
 春本番です。

 昨日は日曜日でご法事が二件あり
二件とも併せて納骨のご縁をおつとめしました。
 一件は円光寺墓地で
もう一件は初めてお参りする墓苑でした。

 民間の会社が入って
きれいに整美されており
様々なニーズに対応できるように
いろんなタイプのお墓がありました。

 一般的に見られる
「〇○家之墓」お家の先祖代々のお墓ですが
それぞれ異なる形のものだけではなく
全く同じ規格のお墓が大きな区画にたくさんありました。

 昨日納骨されたお墓は私が初めて見るタイプでした。
八件のお家のお墓を寄せた八角形の集合墓で
真ん中に樹木が植えられていました。
 各お家別々にお墓の納骨室があり
お遺骨が4つ入るということです。

 同じタイプのものが同じ敷地にいくつもあって
「家族葬のお墓」と命名されていました。
 今はお墓まで家族葬といわれますが
ご先祖というより家族という括りで
喪主の父母そして喪主夫婦で4人のお遺骨かと
想ったりしました。

 戦後社会の構造変革で家族の形態が随分変わり
今戦後生まれの世代が父母の葬儀の喪主をつとめるなかで
これからのお墓や仏壇の継承が
大きな問題になってきています。

 よく聞く話で
「子どもには迷惑をかけたくない」と言われます。
 親からお墓や仏壇を継承したのはいいけれど
これからのことを考えて
自分の代で一つ始末して
子どもたちのことは子どもたちで
考えたらいいというのです。

 言われるところは分からないでもありませんが
という話です。
 ここはよく子どもさんと話し合っておくことが大切です。
子どもに話しても仏事のことは今は関係ない話で
取り合ってくれないということでしょうが
親の思いを話しておくことです。

 子どももこれから歳を重ねてくると
お墓や仏壇仏事のことを考えることになります。
 ご先祖を偲ぶなかで
仏事についても見方考え方が変わってくると
私もこの歳になって思います。

 昨日は午後からお墓のことで
ご門徒の方が相談にみえました。
 自分の実家のお墓とお仏壇を
今のお家のものと二件継承している方です。
 二件とも同じ浄土真宗の本願寺派ですが
高齢になって二つのお家共みることができないと
墓じまいの相談でした。

 色々お話を聞くなかで
「実家の父母の遺骨を
今の家のお墓に納めてもいいんですか」と言われました。

 二件のお家のお遺骨を一つのお墓に入れるのは
いけないと言われますが
一方のお家の継承者がいないという事情を踏まえて
私は「いいですよ」とお答えしました。

 ただ子どもさんとよく相談してください
と言いました。
 子どもさんにとって実家のお父さんお母さんは
血のつながったおじいちゃんおばあちゃんで
他人ではありません。

 これからお墓や仏壇のあり方葬儀や法事のあり方
仏事のあり方が変わってきます。
 それぞれのお家の事情が異なり
よくお話を聞いてご相談させていただくことです。

 お寺でそうした仏事のご相談ができて
安心してもらえるようなご提案をさせていただきたいと
あらためて思ったことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.28)


一蓮托生(2015年アーカイブ)

2022-03-27
 一蓮托生という言葉があります。
元々仏教のことばで
死後極楽浄土の同じ蓮の花に生まれることで
転じて
事の善悪に関わらず仲間として行動や運命を共にすること
と辞典にあります。

 フランスで飛行機の事故が起こり
操縦士の一人が故意に墜落させたとの報道です。
 150人の尊い命が失われたといいます。
人それぞれに日々の生活があり人生があったと思います。

 まさに飛行機は一蓮托生のいわれのとおり
乗ってしまったらどうしようもない
操縦士にすべてをまかせるしかありません。
 危ないと思っても脱出することができないし
飛行機自体に不備があって事故に遭うこともありますが
何ともやりきれない今回の事態です。

 一蓮托生の元々の意味です。
泥田の中に清らかに咲く蓮の花は極楽浄土の花といい
お念仏の人がお浄土に生まれることを意味します。

 蓮の花は茎から出たもので
それぞれの花の根っこは一つにつながっているのです。

 お念仏につながった私たちの根っこが
阿弥陀さまです。
 私たちの浄土真宗のご法義は
阿弥陀さまの本願念仏南無阿弥陀仏のおはたらきで
どんな人も阿弥陀さまのお浄土に救われて往く
という教えです。

 南無阿弥陀仏の大いなるいのちのつながりのなかで
生かされて生きている私たちです。
 たくさんの人に支えられ
大自然の恵みの中に生かされている私たちでもあります。

 この大自然が災害をもたらすこともあります。
まさに善くも悪くも生かされて生きているなかにあって
わが身の上に何が起こるかわからない
誰を信じていいのかわからないことです。

 だからからこそ一蓮托生と
何を依りどころに生きて往くのか
本当に救われるとはどういうことか
お念仏のみ教えに聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2015.3.27)

わが身の遺骨の行方(2010年アーカイブ)

2022-03-26
 壊死は生体の一部の組織や細胞が死ぬことで
病気で足の細胞が腐っていき切断しなければならない
事態になった方のお話です。

 切断した足をどうするのかということで
病院が処理してくれるのかと思っていましたが
ゴミと同じなんですね。

 今は必要がなくなった家電製品をゴミに出すのに
どこでも捨てていいのではなくてお金がかかります。

 この場合もそのまま医療機関が
引き取ってくれるのではなく
こちらがお金を払って火葬するといいます。
 火葬すると遺骨になって遺ります。

 わが身のことに引き当てて思います。
私の身体の一部が火葬されて遺骨になるのです。
 殆ど灰になるわけである意味ゴミですが
わが身のことです。
 私の目に見える私の遺骨です。

 亡くなった方は火葬されます。
火葬して全ての遺骨を骨壷に納めることはできません。
 そこで火葬場には収骨場があって
骨壺に納めきれない遺骨が集められるといいます。

 ゴミに出すような感覚がよぎりますが
私の家族や自分自身のことでいうと
ちょっと考えてしまいます。

 ある著名な方が「人間死んだらゴミになる」と言われて
話題になりました。
 見方によってはゴミかもしれませんが
遺骨はその人を偲ぶよすがです。

 私たちの先人は大切な方の死を悼み
遺骨を壺に納めて家々のお墓にご安置し
故人を偲ぶよすがとしてきました。

 今は遺骨を海や山に散骨したり樹木に埋めたりと
いろんな埋葬法が流行りつつありますが
わが身のことです。

 わが身の遺骨が見えるところにある
そしてわが身はまだ生きている
というなかにあって
遺骨をゴミとして捨てられるかということです。

 阿弥陀さまはこのわが身のありのままを
そのまま丸ごと引き受けて
南無阿弥陀仏のおはたらきで救ってくださる
仏さまとなって
いつでもどこでもこの私に寄り添い
ご一緒してくださっていることを
また頼もしく聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.3.26)

お念仏の人生に勝者も敗者もありません

2022-03-25
 今日からプロ野球が開幕するということで
ビッグボスの日本ハム新庄新監督が注目の的です。
 大相撲の春場所はいよいよ終盤戦で
優勝争いが見逃せません。
 昨夜遅く日本のサッカーワールドカップ出場が決まった
というニュースがオーストラリアから届きました。

 暗いニュースが多い中にも
スポーツの話題で何かほっとし元気になります。
 ただこのスポーツもひいきのチームが
勝つといいんでしょうが
負けたときは何かモヤモヤ観が残ります。
 そうした勝ち負けに執着するものの見方価値観が
私たちのなかにあって苦悩の原因にもなります。

 この人生も勝者敗者ということで言われますが
私の思いはからいでこの人生を見たら
最後はみんな敗者で終わると仏教は教えます。

 どんな人もこの世に生まれて人生を生きるとは
老病死といって老いて病んで死んでいくということで
聞きたくないけれども私の本当のことなのです。

 お釈迦さまは生老病死の四苦を説き
この人生は苦なり
思い通りにならないと明かします。

 いつまでも若くありたい健康でいたい
長生きしたいという
私の思いはからいは見事に打ち負かされるのです。

 生老病死のわが身の事実を
そのまま仏さまのみ教えに聞かせていただき
お念仏申す身にさせていただいて
この苦悩の人生を生きて往けるのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われる
浄土真宗の仏教です。
 老いていく病んでいく命終えていく中にも
阿弥陀さまの「まかせよ救う」のおはたらきのなかに
私たちはこの命を輝かせて生きることができるのです。

 野球もサッカーも相撲も
勝者であっても敗者であってもどんな人も
この私のことと聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.25)


花一輪一年一生の命です

2022-03-24
 昨日大分の桜の開花宣言がありました。
大分の気象台の標本木の桜の花が
5輪咲いたら開花宣言ということで
前の日が4輪だったそうです。
 九州では最後の開花宣言になりました。

 桜が咲いて本格的な春になるということです。
お寺の境内の枝垂れ桜がいつの間にか
ほぼ満開になっています。

 桜の木に花が咲いて満開になることは
毎年のことですが
新型コロナウイルスが発生して
この二年間は本当に早いなあと思います。
 何か一昨年の桜去年の桜そして今年の桜が
一緒に入り交じっているような感じさえします。

 日々の移ろいです。
桜の花といって去年と同じ花は一つもありません。
 桜の木の幹は変わりませんが
その年年に咲く桜の花はみんなそれぞれ違います。
 花一輪一年一生の命を生きるです。

 私を花にたとえるならば
今は何分咲きでしょうか。
 もうすでに満開を過ぎて
散り行く準備に入っていますかね。

 南無阿弥陀仏の幹をいただく有難さです。
真実変わらない南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちの花はそれぞれ違いますが
お念仏のいのちの花を精いっぱい輝かせて
今ここを生きて往けるのです。
 
 お念仏申す人に成っておくれと
私たちのいのちの幹
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 今日も一日
お念仏の花を咲かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.3.24)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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