仏さまのものの見方を聞かせていただきましょう(2011年アーカイブ)
2022-06-11
昨日は時間があって
久しぶりに別府の公共温泉に夫婦で行きました。
入浴券を買って受付で
ロッカーのキーをもらいました。
ピンクと白のキーでした。
私が白の方を取ろうとしたら
受付の方が「男の方はピンクです」と言われました。
「えっ」と思っいました。
というのはピンクといったら女性だと
勝手に思い込んでいたのです。
色分けです。
小さい頃から物事を色分けして見る見方が
どこかに身についているのですね。
私の思いはからい先入観です。
私たちはこの目でものを見ていますが
この目で見る私のものの見方に問題ありというのが
仏さまの教えです。
どこまでも私が私がと
自分を中心にしたものの見方です。
私たちは日常些細なことも
自己中心の見方で物事を見ては
善し悪しを判断していませんか。
自分に都合の好い人は善い人で
都合の悪い人は悪い人といったものの見方です。
人と人とが織りなす私たちの社会人間関係で
人と人とが真正面から向き合って物事に対処し
より良い関係にもって行くことが理想ですが
これが実に難しいということです。
何が邪魔をしているのかというと
自分は正しくて周りの人が間違っているという偏見
自分を中心としたものの見方にあると
仏さまは教えます。
仏さまのみ教えに
私たちはすべて等しく阿弥陀仏のお慈悲の中に
生かされて生きているもの同士と聞かせていただきます。
ところが人と人との関係で
あいつが一緒じゃ嫌だとか
逆にあの人が一緒だったら良いとかってことが
ありませんか。
お互い自己中心に生きるもの同士が
ああやこうやと朝から晩まで右往左往して
ぶつかり合ったり仲良くなったりしているのです。
どんな人もみんな等しくそのまま救うと
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えです。
仏さまのものの見方を聞かせていただいて
阿弥陀さまのお慈悲の中に
共々に生かされて生きてまいりましょう。
今日は東日本大震災が起こって
3カ月ということです。
1万5千人の方がお亡くなりになり
8千人の方が未だに行方不明で
今も毎日捜してらっしゃるといいます。
そして9万人という方々が避難所で
不自由な生活を強いられているということです。
数字のマジックを思います。
数字を見てたくさんの数だから大変だという見方は
注意しなければなりません。
そこに一人一人の人生があったということです。
避難所でも一人一人の生活があるということです。
私たちの日暮しは本当に思い通りにならない
ままならないものですが
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きているもの同士
お互いに私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.6.11)
阿弥陀さまの楽しみ
2022-06-10
今日10日の御文章さまは『易往無人章』です。
「浄土へは往き易くして人なし」と
お経さまに説かれてあります。
浄土真宗は南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
迷いの私が阿弥陀さまのお浄土に生まれて
さとりの仏に成らせていただく
往生浄土の真実のご法義です。
阿弥陀仏の本願を聞くままに
阿弥陀仏の真実信心をいただけば
どんな人も往生できるということで
往き易いお浄土なのですが
信心を得る人がまれで
お浄土には人がいないというのです。
この私のことを言われているのです。
煩悩に振り回されて苦悩し迷う私に
仏法を聞いてお念仏申す身になって
わが浄土に生まれて来いよとの
阿弥陀さまのお勧めです。
お浄土には人がいないといって
阿弥陀仏が今現在もお説法をされており
先に往かれた仏さま方が仏德讃嘆のお念仏を申していると
聞かせていただきます。
私たちの日常生活で
誰もいない何も知らない分からない所に行くのは
不安ばかりで何の楽しみもありません。
私たちの日々の楽しみは
いろんなご縁で人に会うことではないでしょうか。
あなたに会える楽しみがあって
生きていけるといってもいいのではありませんか。
このお朝事もそうです。
お同行のいつもの皆さんに会える楽しみですが
何といってもご本尊の阿弥陀さまに会える楽しみです。
お浄土を極楽というのは
極めて楽しい世界ということでしょう。
先に往かれた懐かしい方々に会える楽しみ
俱会一処の世界です。
阿弥陀さまの楽しみです。
阿弥陀さまはお立ち姿になって
南無阿弥陀仏と私たちを喚んでくださり
この私が座る席まですでに用意されて
待ってくださっているのです。
昼も夜も四六時中ずっとずっと以前から
私がこの世に生まれる前から待っているというのです。
待ちくたびれて横になることも休むこともなく
「あなたを待っているよ。私に会いに来ておくれ」と
お浄土から喚んでくださるご縁に遇って
今日のお朝事のおつとめです。
お念仏のご縁であなたと私が会う楽しみです。
私のことをいつも思うてくださり
私が往き生まれるお浄土を用意され迎えてくださる
阿弥陀さまのお寺で共々にお念仏申して
今日一日を始めさせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.10)
念仏者の佇まい
2022-06-09
今日9日の御文章さま『数珠章』の中に
「念仏者の風情」という言葉がありました。
念仏者の姿その行い日々の生活ぶりです。
往生浄土の念仏者の佇まいといただきます。
今日の御文章さまには
吉崎の御坊にお参りする念仏者を見ていると
数珠を持つ人がないということですが
数珠を持たなくても浄土往生のためには
他力の信心一つで十分ですとのお示しです。
そして「真実信心を獲得したる人は
必ず口にも出しまた色にもそのすがたはみゆるなり」
(真実信心をいただいた人は必ず口に念仏を称え
またふるまいにも信心を得ている様子が表れるものです)
といわれています。
『蓮如上人御一代記聞書』には
「おもひ内にあればいろ外にあらはるるとあり」と
蓮如さまは「念声是一」の文言を味わい
「信をえたる体はすなはち南無阿弥陀仏なりと
こころうれば、口も心もひとつなり」と
心におもうことがそのまま
声になって出るとのお示しです。
今日も皆さんご一緒に
南無阿弥陀仏とお念仏申せましたね。
南無阿弥陀仏のお念仏の声が
出てくださるといわれます。
出てくださるといって
口をつむんでいたら声は出ません。
お腹に力を入れて口を開けることで
声が出るのです。
私が声を出すことでお念仏申せたのですが
お念仏が出てくださるというのは
私が阿弥陀仏を念ずるおもう前から
阿弥陀さまがこの私のことをおもうてくださる
南無阿弥陀仏のおはたらきが
今こここの私に届けられてこの口から出てくださる
他力のお念仏ということなのです。
阿弥陀さまから念ぜられ思われているのです。
「南無阿弥陀仏とお念仏を申しておくれ。
われにまかせよ必ず救う」と
お念仏のお喚び声が届けられ聞こえてきて
そのまま色に出てお念仏申す姿になるのです。
念声是一の念仏者の佇まいです。
日々色々と思いはからい
煩悩に振り回されて生きている私ですが
いつでもどこでも阿弥陀さまのおはたらきは
この身に満ち満ちてくださると聞かせていただきます。
お念仏を申して往生浄土の人生を歩ませていただく
念仏者の佇まいです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.9)
親のよび声が聞こえて私の口からお念仏が出てくださる
2022-06-08
昨日33回忌のご法事のご縁をいただきました。
子どもが施主で勤める親のご法事です。
お勤めの後でお茶をいただきながら
いろんな話になりました。
私と同年輩の方で
お互いいい歳になったということです。
親が亡くなったほぼ同じ歳に自分がなって
親が言っていたことしていたことを
思い起こすようになったといわれます。
若い時分は親の言うことに
「わかっとるわかっとる」と言い放って
聞く耳を持たないというか
反発することさえあったと振り返ります。
いつも同じことの繰り返しのようなことも
耳障りなことも耳に入って来ていたのでしょうね。
親が亡くなってそれも歳を重ねていくなかに
親の言うことが聞こえてくるというのです。
お念仏の声です。
阿弥陀さまは私がこの世に生まれる前から
「わが名をよんでおくれ。われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のお念仏の声となって
この私のことを思い取り喚んでくださって
ご縁ご縁に私たちの耳に入ってきているのです。
今皆さんが称えるお念仏は
皆さんが始めたお念仏ではありません。
お念仏の大本は阿弥陀さまのお慈悲のお心から
発せられたもので
皆さんのお父さんお母さん
おじいちゃんおばあちゃん
親戚のおじちゃんおばちゃん
お寺のご院家さん坊守さん
そうした有縁の方々のお念仏の声で届けられ
わが身に聞こえてきたんですね。
阿弥陀さまの親さまの喚び声が聞こえてきて
私のこの口からお念仏が出てくださるのです。
南無阿弥陀仏の他力のおはたらき
阿弥陀さまのお手回しの有難さです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.8)
阿弥陀さまが決めてくださったお念仏の朝活です
2022-06-07
健康雑誌の新聞広告の見出しに
健康増進に朝活が紹介されていました。
朝の活動です。
体操をしたり歩いたりと体を動かすことのなかに
声を出すことが書かれてありました。
朝一番に声を出すことが健康に良いというのです。
できたら腹の底から大きな声でということですが
皆さんのお家で大きな声を出していたら
近所の人から「何かあったの?」と心配されますよね。
ところがこのお寺のお朝事です。
大きな声を出してもえっと思う人はいません。
初めて聞く人はえっと思うかもしれませんが
この隣近所の方にとっては
朝一番にお寺から声が聞こえるということが
日常いつものことで
逆に声が聞こえないと
「お寺はどうなってるの?何かあったのではないか」
などと憶測を呼ぶことにもなります。
声を出す声を出せることは有難いことですが
この声も歳と共にかすれて小さく出ないようになります。
声を出すことも全身を使っての活動です。
お寺でお朝事のお勤めをする朝活です。
お朝事の時間に間に合うように
朝早起きしてお寺にお参りしないといけません。
何時に起きて朝の支度をしてという
段取りも全て決まってきます。
最初は決めてしないといけないことでしたが
何度もご縁をいただいくなかで
阿弥陀さまが決めてくださったお念仏の朝活と
私にできる精いっぱいのことをさせていただこうと
思うようになりました。
皆さんとご一緒に声に出して
お朝事のお勤めお念仏を申すなかに
今日の一日を始めさせていただきます。
健康のために何々をするというと
どうしても私のところに力が入りますが
お寺の御仏前に座ってみると
阿弥陀さまがお念仏申すこの私にしてくださって
そのままお浄土への道すがらをご一緒してくださると
有難くいただけます。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
今日の一日も阿弥陀さまの大悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.7)