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お念仏を申す生活法話

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再び佐々木投手

2022-04-18
 先週の月曜日にプロ野球ロッテの佐々木朗希投手が
28年ぶりに完全試合をしたお話をしましたが
昨日は中6日の予告先発でテレビ中継があって
ついつい最後まで観入ってしまいました。

 「令和の怪物以上の怪物」と実況されていましたが
本当に凄いですね。
 相手投手までも「ワクワクして楽しかった」と
言わせるまでに圧巻でした。

 何と8回まで一人のランナーも出さない
パーフェクトピッチングを続けて
9回佐々木投手はマウンドに上がらず
2試合連続の完全試合達成は成りませんでした。

 両チーム無得点で球数も100球を超えてと
昨夜のスポーツ番組や今朝の新聞の解説をみても
総じて正しい判断だったと
好意的に受け止められています。

 球場につけかけた満員のファンやテレビ観戦の人の
大きな期待はあったと思います。
 2試合連続の完全試合なんて
とてもとても考えられない
夢のまた夢のようなことですから
歴史的な瞬間に立ち会いたいという思いはわかります。

 佐々木投手のことをずっと傍で見てきた
監督コーチはじめ球団関係者のその時の判断です。
 人間ですから限界があります。
どんなにすごい球を投げていても
球数が増えれば当然球速も落ちてくるし
無理をして後々肩を壊し故障して
早く引退する選手が
今までも何人もいました。

 科学の力です。
これまでの積み重ねがデータとなって
その選手に合ったトレーニング体力づくりをしてきて
今年でプロ3年目の20歳です。
 まだまだこれから大記録に挑戦するチャンスは
いくらでもあるということです。

 佐々木投手のエピソードで思い出すのでは
夏の高校野球岩手県予選の決勝戦です。
 準決勝で佐々木投手が完封勝ちして決勝に進出
あと1勝で甲子園出場が決まるという試合でしたが
監督は決勝戦に投げさせなかったのです。

 当時は賛否両論ありましたが
今になって思えば
将来を考え連投して故障を防ぐためにという
監督の英断でした。

 スポーツ根性論が言われる時代がありました。
今できることを100%否120%出してとにかく頑張れ
後悔しないようにとにかく頑張れといわれたものです。

 頑張れと言われて頑張っても
頑張れない私がいます。
 私たち個々の能力はそれぞれ違って
限られたものです。

 阿弥陀さまのお救いのご法義を重ねて思います。
「あなたをそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきのご法義です。

 私たちの能力にかかわらず
すべてのものをそのまま救うというのです。

 私たちがこれまで歩んできた人生の道行き
生活ぶりは人それぞれに違います
 野球選手もそれぞれ能力が違い
野球の楽しみ方も違います。
 プロ野球選手になって活躍する人もいれば
歳を重ねる中に野球を楽しむ人生を送る人もいます。

 阿弥陀さまは人それぞれの違いを超えて
今ここに生きるこの私をいつも見守ってくれて
「我にまかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のお喚び声となって
私と共に生きてくださる
仏さまになってくださったのです。
 
 私が私がと頑張って生きてきた私たちですが
私のすぐ傍で私のことをいつも思うてくださる方々に
支えられ生かされて生きてきたのですね。

 「どんなことがあっても私が一緒だから大丈夫」と
南無阿弥陀仏のお喚び声を聞かせていただき
今日一日もお念仏申して生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.18)


<おでかけ法話会>の試みです(2015年アーカイブ)

2022-04-17
 昨日は大分市のコンパルホールで
法話会のご縁をもちました。
 ずっと夢のように描いていた
初めての企画試みです。

 浄土真宗のお寺は聞法の道場と言われ
お念仏のご法座を開く大きなつとめがあります。
 お念仏のみ教えを私が聞き
あなたに伝えるご縁であり
お寺そしてご門徒皆さんのお家の
阿弥陀さまの御仏前のご縁です。

 現代社会のあり方を思うとき
お寺やお仏壇の存在は私たちの日々の生活の
異空間になっているようです。
 葬儀や法事に御仏前に座るご縁は
まだまだ残っているものの
日常お寺やお仏壇にお参りすることは
殆どないのではないでしょうか。

 核家族でお仏壇の無いお家で生活している人が多く
古里を離れてお手次のお寺は距離的に遠くなりました。

 そこで考えました。
お寺に皆さんが参られるのを待つのではなく
こちらから出かけて行こうと思い立ちました。

 大分の町中<大分市コンパルホール>を会場に
毎月一度の仏さまのご縁をいただこうと
昨日初めて<大分まちなか法話会>の
お念仏のご法座を開きました。

 ご本尊の阿弥陀さまをご安置した
小型のお仏壇をお供してのご縁です。

 円光寺報『ようこそ』を発信している
ご門徒有縁の皆さんに呼びかけて
昨日は15名の会になりました。

 他のお寺のご門徒さんも
私の学校時代の友人も参加してくれて
お互い初めての者同士もあって
これからの展開が大変楽しみです。

 昨日は大分駅ビルのオープンの日でした。
何かが始まる何かを始めようと
大分町中からお念仏の声をお届けしたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2015.4.17)

★「大分まちなか法話会」は現在も毎月第3金曜日に
 大分市コンパルホールで続いています。
 ご案内詳細はHPでご覧ください。

 

新たな試み工夫です(2015年アーカイブ)

2022-04-16
 昨日は別府別院の報恩講に
お参りさせていただきました。
 16日の今日が御満座で
昨日は大逮夜というご縁でした。

 報恩講は毎年親鸞聖人の御命日をご縁に
私たち浄土真宗門徒がお勤めさせていただく
最も大切な親鸞聖人のご法事です。

 大逮夜はお通夜のお勤めの習わしで
夜を通して親鸞さまのご遺徳を門徒衆で偲ぶものです。
 ご本山では通夜布教といって
翌日の朝まで夜を通して全国の布教使の方々が
次々にご法話お取り次ぎをされるご縁があります。

 昨日は初夜勤行の後で
親鸞聖人のご一生を説かれた『御伝鈔』の御文を
拝読いただきました。

 お寺の報恩講には向かって左余間に
親鸞聖人のご一生を絵に描いた
『御絵伝』をご安置します。
 
 この『御絵伝』とあわせて『御伝鈔』を
ご門徒中で拝読させていただくのが
先人から伝えられてきた御正忌報恩講の習わしです。

 一年一度の有難いご縁ですが
見ても読んでもわからないことが多く
お説教で聞きなさいということですが
昨日はパソコンのプロジェクター機能を使って
大きな画面に御絵伝を映し分かりやすい説明を添えて
『御伝鈔』を拝読させていただいたことです。

 工夫です。
今の時代今の人に伝えていく工夫です。
 昔からこうしていると
昔流儀のことを続けていても
人に伝わりにくいものがたくさんあって
今もそしてこれからの時代にも
どんどん遅れていくようなことです。

 このお朝事は先人が伝えてくださった
仏法聴聞お念仏のご法座の尊いご縁です。
 今日16日は親鸞さまの御命日で
毎月16日には常例法座をお勤めしています。
 皆さんのお家にも月参りやご法事の
お念仏のご縁があります。

 昔から伝えてこられたことを
今まで通りに続けていくことも大事ですが
工夫して新たに取り組むことも大事です。
 時代社会のあり方が変わる中で
お寺のあり方も変わっていく新たな試み工夫です。

 今日は大分の駅ビルがオープンということです。
新しい時代の幕開けを予感します。

 私たちは新しいものにすぐ心ひかれますが
駅ビルも一日で新しくなったわけではありません。
 古い時代があって昔からの伝統のなかに
先人のご苦労があって新しいものです。
 その時代時代に工夫があったと思います。

 これまでの歴史と伝統を訪ねていくなかに
いよいよお念仏のみ教えが一人でも多くの皆さんに
伝わるように工夫して
できることから実践させていただきたいと思うことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2015.4.16)


「後生の一大事 命のあらんかぎり ゆだんあるまじき事」

2022-04-15
 今日は90代の親御さんのお葬儀のご縁で
喪主の子どもさんが私と同年代の方です。

 昨日は60歳70歳になっての終活の話をしましたが
私の終活であり親の終活でもあります。
 老いて病気になったときのこと
そして亡くなったときのことです。

 いかに生きるかということについては
楽しく考えをめぐらすことがあっても
いかに死んでいくのかということは
私はもとより家族のことについても考えたくありません。

 まだまだ先の話ということですが
いつか必ずその時が来て
大切な家族と別れこの私が命を終えていくという
避けて通れない本当のことなのです。

 「後生の一大事 命のあらんかぎり ゆだんあるまじき事」
蓮如上人の時代に生きた赤尾道宗さんが
浄土真宗門徒の心得を伝えてくださった言葉です。

 後生の一大事です。
「死んだらどうなる?」
いつか必ずその時が来ますが
その備えはできていますかということです。

 臨終の床についている方も最期の最後まで
頑張って生きようとしますし
家族の思いもそうですが
その時が来ます。

 その時が来たら慌てます。
臨終の時から葬儀まで長くて三日
今日明日中に葬儀の段取りを決めないといけません。

 決まったお寺の門徒檀家のお家でしたら
その心配はありませんが
その時からお導師のお寺を決めるとなると大変です。

 今日お葬儀のお家は
生まれた実家が円光寺の門徒というご縁で
初めて門徒になっていただき
お寺とのご縁が始まります。

 お寺のご縁は仏さまのご縁で
ご先祖有縁の仏さまからいただいたご縁と
そのままいただきましょうとお話しますが
戦後生まれの私たちは
私が主体の個人主義の社会にあって
自己中心に生きることが身について
先人が私たちに伝えてくださったことを
そのまま聞き入れていただくことが
難しくなったように思います。

 今も昔も南無阿弥陀仏のご縁つながりのなかに
共々に生かされて生きてあるということを
今こそ聞いていただきたいと思うのですが
その今がバタバタする間際になってのことでは
当面のことにとらわれて中々決めることができず
後からこんなはずじゃなかったと
後悔することになりかねません。

 終活といって日頃から心がけて
ご縁ご縁に聞いておくことが大切なのですね。
 「後生の一大事
命のあらんかぎり ゆだんあるまじき事」と
このお朝事のご縁も
お念仏お聴聞させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.15)


久しぶりに本屋さんに行く

2022-04-14
 久しぶりに本屋さんに行きました。
お店に入るとすぐ特設コーナーに
「今人気の本ベスト10」の本が並べてありました。

 パッと見た感じですが
終活に関するタイトルの本が目につきました。
 仕事を終え70歳になり80歳になって
人生の終い方を考える年頃です。

 死と向き合いこれからの人生をどう生きるのか
待ったなしの私の課題です。

 この前亡くなった石原慎太郎さんの遺作がありました。
医師から余命宣告を受けて
「以来、私の心境は引き裂かれたと言うほかない」
「事ここに及んで私が神仏にすがることは
その苦しみだけは何とか軽減してもらえまいか
ということだけだ」
「私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせる。
私自身の死を私自身の手で
慈しみながら死にたいものだ」と
揺れ動く心境のなかにも
石原さんらしい記述がつづられています。

 作家であり政治家として
周りを黙らせてしまうような強気で威勢のいい発言が
多く印象に残っていますが
死と向き合う中で不安も垣間見えます。

 死は誰しも未体験のもので
いつか必ずこの身に起こるものです。
 死を体験した人がいてこの世に生き返ってきて
死後の話をしてくれたら少し安心でしょうが
「死んだらどうなるのか」と
いくら考えても答えはでるものではなく
この社会からいなくなるということであり
かわいい孫や曾孫の成長が見えなくなること等々
そこだけスポットを当てて考えたら
やっぱり死にたくない長生きしたいと思うのが
私たち生身の人間の情です。

 石原さんと同じ作家で誕生日も同じ
五木寛之さんも人生の終活について
これまでに何冊も本を出されています。

 五木さんは浄土真宗の教えにも精通されていて
親鸞さまや蓮如さまの御一生をテーマにした本も出版し
仏教浄土真宗の見方で人生の終い方を書かれていて
興味深く読ませていただいています。

 私も皆さんも人生の終い方を考える歳になりました。
「死んだらどうなるのか」「これからどう生きるのか」
人生の根本的なテーマに
真正面から教えてくださるのが仏教です。

 今日の御文章さまにも拝読した「後生の一大事」です。
後生とは生きた後ということで
死んだらどうなるのかの解決が
仏教の一大事だというのです。

 後生の一大事の解決こそが仏教だと
蓮如上人はズバリ仰せなのです。
 親鸞聖人は南無阿弥陀仏のおはたらき一つのお救い
後生の一大事の解決だとお示しです。

 それは法然聖人の教えでした。
誰もがみんな等しく念仏一つで救われる
専修念仏の仏道です。

 念仏一つで救われるといって
念仏したら何か自分の思い通りのことができる
病気が治ったり金回りが良くなったり受験合格したりと
念仏が救いの条件ということではなく
阿弥陀さまのお救いの確かさを聞かせていただくことで
南無阿弥陀仏の仰せに順いまかせるというのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申してそのまま
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声が聞こえてきます。
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声に
「おまかせします阿弥陀さま」と    
御礼のお念仏を申させていただきます。

 南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のおはたらきの中に
今日は一日雨の予報ですが
「雨の日には雨の日の生き方がある」と
雨降りのような人生の道行きの中にも
お念仏を申して生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.14)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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