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お念仏を申す生活法話

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今牛若丸

2025-02-05
 華麗なショートの守備で
「今牛若丸」の異名をとった
プロ野球阪神タイガースの吉田義男さんが
お亡くなりになりました。

 1985年に阪神が初めて日本一になったときの監督で
バース・掛布・岡田の甲子園バックスクリーン
三連発のホームランは
今も語り草になっています。

 私は西本願寺近くの宿舎のフロントロビーで
その時のテレビ中継を観ました。
 大勢の人が集まって大歓声を上げていました。
対戦相手は阪神の宿敵巨人です。
 関西で圧倒的に阪神ファンが多く
4月のことでしたが
もう優勝したかのような大興奮状態でした。

 この年は私の人生で大きな転機の年でした。
宗派機関の大分教区教務所に勤めることになり
その日は全国の新任職員研修の初日でした。

 お寺に生まれ育った私ですが
本格的に宗義や勤行作法の勉強をしたわけでもなく
キャリアといえば仏教青年会の活動ぐらいで
寺関係で縁故の人も殆どなく不安でしたが
ただ思いばかりは大きく強くあって
今思い返せば「まあ何とかなる!」と
怖いもの知らずの思い上がり一直線でした。

 あれからちょうど40年です。
今年は昭和100年、戦後80年、阪神淡路大震災そして
オウム真理教の地下鉄サリン事件30年と
大きな節目の年になりますが
この3月には住職継職法要を控えて
私にとって新たな転機の年になりそうです。

 これまでの人生を振り返るとき
幾度となく人生の岐路があり
その都度人生の選択をして
今こここの私を生きています。

 まさに選びの人生というか
「よかった」「悪かった」と
「たられば」で思い返す人もあると思いますが
これまでいろんなことがあったけれども
今の私があることを愛おしく思えるのは
これも「いい歳になった」ということでしょうか。

 「ようこそ あなたと ナモアミダブツ」と
お念仏のみ教えに遇わせていただき
あなたに遇えて本当によかったです。

 これからも人生の岐路に度々出くわすことですが
南無阿弥陀仏とお念仏申して阿弥陀さまにまかせて
大きなお慈悲の中に往生浄土のお念仏の道行きを
ご一緒させていただける有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.5)

他力のお念仏の仏道の旅

2025-02-04
 人生を旅にたとえて言われます。
歳を重ねて旅を続けていくなかに
一緒に旅する人も違って
見える風景も変わってきます。

 学生の頃は
ぼんやりした夢を持ちながらも
行くあてのないその日暮らし的な
のんびりした旅だったでしょうか。

 社会人になって
こうしてこうしてこうなってと
社会の仕組みの中で具体的計画的に
生活を積み重ねていく旅だったでしょうか。

 そして仕事を終えて今
あなたの人生の旅は
どこにいてどこを目ざして旅していますか。

 仏教は転迷開悟の仏に成る道を説きます。
成仏という確かな目的のある旅です。

 親鸞さまは9歳で出家し比叡山で20年間
仏道修行に励みましたが
仏の悟りを開くことができないばかりか
到底救われようのない煩悩を抱えたわが身に
悩み苦しむ悶々とした日々を送っていたといわれます。

 そして29歳のときに法然さまに出会い
どんな人もただ念仏一つで救われるという
専修念仏のみ教えに出遇われたのです。

 親鸞さまにとって
たった一度の人生の大転換でした。

 自力で学問修行を積んで
この世で悟りを開く仏道ではなく
法然さまが説かれる専修念仏の仏道は
阿弥陀仏が本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩を抱えたまま浄土に救われ仏に成る
他力のお念仏の仏道でした。

 自己中心の思いはからいで生きて
思い通りに行かないなかで苦悩し迷う人生の旅ですが
「まかせよそのまま救う」南無阿弥陀仏のおはたらきで
煩悩具足の凡夫の私をそのまま摂め取って
お浄土に連れて往ってくださる
他力のお念仏の仏道の旅と聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏と喚ばれて往く人生の旅を
あなたもご一緒しませんか!

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.4)

「一字違いですが」※転載

2025-02-03
 住宅事情の変化で
欄間だとか、違い棚とかいった言葉も
あまり聞かなくなりました。

 長押(なげし)もそうですね。
和室の壁面を囲んでいいる化粧材で
これを利用して
ハンガーやカレンダーを吊るしたりしたものです。

 特に仏間の長押は
亡き人の遺影を掲げるのに利用されてきました。
 長押と天井の間に
お葬式で使用した写真額が都合よく収まるのです。

 都市部ではあまり見かけなくなりましたが
長押にズラリと曾祖父さん曾祖母さん
お祖父さんお祖母さん
それにお父さんお母さんが並んでいて
そのお家の歴史を物語っていました。

 その最近では珍しくなった
長押に写真を飾っていたあるお宅なのですが
あるときお参りしてみると、写真がありません。
 どうしてかと尋ねてみると
ときたまやってくるお孫さんが
「なんだか見られているようだ」と
怖がって仏間に入らないからだそうです。

 なるほど、写真の眼が気になるのでしょうね。
写真は大抵、正面を見ていますから
「見られている」と感じるのは無理もありません。

 でも、亡くなった方は仏さまですから
「見ている」のではなくて
「見守っている」のです。
 「見る」と「見守る」は
一字違いだけれど大違いです。

 きっと仏さまとなられたおじいちゃんは
ときどき訪ねてくる孫の成長を喜んで
見守られているでしょうに。

 写真を外す前に
そのことをお孫さんに聞かせてあげたらよかったのにと
ちょっぴり残念な気がします。

  ※菅純和 著「仏事の小箱」
       ー『御堂さん』2025年2月号より ―

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20205.2.3)

ゆっくりゆったりしませんか!

2025-02-02
 お正月に年賀状が届く楽しみがありますが
今年は随分減ったように思います。
 昨年の郵便料金の大幅な値上げが
大きく影響していると思いますが
全国的に去年の34%減で
3年前に比べると半分以下になったという報道です。

 お歳暮やお中元の減少ということもあわせて
虚礼廃止やコスパという考え方がいわれます。
 ネットで即座につながる現代社会にあって
紙媒体が敬遠されるということなのでしょう。

 今年届いた年賀状の数通に
「誠に勝手ながら本年をもちまして
賀状による年頭のご挨拶を
失礼させていただきます」と書かれてありました。
 諸事情を鑑みて、年賀状終いということです。

 現代はデジタル化社会といわれます。
パソコンやスマホが日常生活の主要アイテムとなり
メールやLANEで瞬時に人と連絡が取れ合い
必要な情報や品物もすぐ手に入るようになって
大変便利な世の中になりました。

 タイパといわれる時間の効率化が進み
時間が圧縮されてのんびり自由に過ごせそうですが
ある調査では
「一日が24時間では足りない」と感じる人が6割
「時間に追われる」人は7割に達し
「心情を表す言葉」「最近の生活を表す言葉」の1位が
それぞれ「イライラ」「ばたばた」だったそうです。

 電車や道の通りでスマホ片手に小さな画面を見たり
手を忙しく動かしている人を見かけることが
当たり前のようになりました。

 日々の生活の中で幾多の情報が
洪水のように氾濫するなかに
大きな流れに吞み込まれ振り回されて
自分を見失っているようなことがないでしょうか。

 このような状況だからこそ
敢えてぼんやり立ち止まり
自分を見つめる時間を大事にしたいと思うのですが
どうでしょう。

 お念仏のご縁をいただきませんか。
御仏前に座り南無阿弥陀仏とお念仏申しましょう。
「われにまかせよ必ず救う。
いつでもどこでも私が一緒だよ」と
阿弥陀さまのお心おはたらきを
聞かせていただきましょう。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
あなたも私も皆共に生かされて生きていると
いのちの尊さ有難さを見つめ
阿弥陀さまのお慈悲の中に
ゆっくりゆったり日暮らしさせていただきましょう。

   ★『ようこそ月報』2025年2月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.2)

「鬼さんこちら、念仏申さる方へ」(2月のことば)

2025-02-01
 今月2月のことばは
「鬼さんこちら、念仏申さる方へ」です。

 目隠し鬼という伝統的な子どもの遊びで
目隠しをした鬼役の子どもが
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」と
手をたたいて逃げ回る
子どもをつかまえる遊びがあります。

 明日2月2日は節分の日で
昔から「鬼は外、福は内」と豆まきをします。
 災いをもたらす鬼はみんなの嫌われもので
外に追い出され
福をもたらすものを内に呼び込もうというものです。

 鬼といい福といい
自分にとって都合のよいものを福といい
都合の悪いものを鬼といって
峻別し排除するということで
豆まきをする人は福か鬼かというと
どうでしょうか。

 どんな人も分け隔てなく救う
阿弥陀さまが豆まきすると
「福は内、鬼も内」ということで
福も鬼もみんな一緒だよという
阿弥陀さまのお慈悲のお心おはたらきです。

 さて「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」です。
目隠しされた鬼さんが
鬼を呼ぶ声と手の鳴る音を聞いて捕まえようとしますが
何せ見ることができませんから
聞こえてくる音声をそのまま信じるしかありません。
 つかまらないようにあちこち逃げ回るわけですから
音声を信じてそのまま進んでも
スルリと逃げられる始末で
疑い心もでてくるかもしれません。

 「鬼さんこちら、念仏申さる方へ」は
阿弥陀さまのおよび声
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 「まかせよ救う」のおよび声に
そのまままかせて往くところは阿弥陀さまのお浄土で
お念仏申して往けばいいのです。

 鬼の心をもった私です。
自己中心の煩悩具足の凡夫の正体です。
 「鬼さん」と言われて
自分のことと聞こえてこない人には
阿弥陀さまのおよび声は届いているのでしょうか。

 「鬼さん」と聞こえてきたときに
南無阿弥陀仏とこの口から
お念仏が出てくださるのです。
 もう随分ずっと前からこの私を目当てに
喚び通しに喚んでくださっていた
阿弥陀さまのおはたらきでした。

 いつでもどこでもどんなことがあっても
決してあなたを見捨てない
摂取不捨の南無阿弥陀仏のお救いでした。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.2.1)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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