お家お家のご法事の雰囲気(2010年アーカイブ)
2022-08-21
皆さんのお家にお参りをすると
お家お家で雰囲気というのがあります。
特にご法事にお参りしますと
ご法事にお参りされるご親族の方を含めて
仏間に入った時の雰囲気です。
あたたかくお迎えしてくれる雰囲気もあるし
さらーっとした冷めた雰囲気もあります。
ご一緒にお正信偈さまのお勤めをしますが
部屋が割れんばかりの大きな声で
お勤めをされるお家もあれば
お配りした聖典をめくる音が微妙に聞こえてくるような
シーンと静まり返った雰囲気のお家もあります。
ご法事の主役です。
ご法事にはいろんな主役がありますが
主役の一人が施主です。
ご法事を取り仕切る大事なお役目の方で
そのお家の中心人物です。
その施主という方の心構え心得というものが
大きくご法事の雰囲気を良くも悪くも醸し出します。
お勤めの後ご法話をさせていただきますが
お聴聞の姿勢をみても
そのお家お家で雰囲気が違います。
ご法事は仏法聴聞の大切なご縁ですと
仏さまのみ教えを聞いていただきたいのですが
何かざわざわ気ぜわしい雰囲気を感じます。
次のお斎の準備ということもあるのでしょうか
施主の方が立って奥の方に行っただけでも気になるのに
お配りした聖典を回収し始める
お茶を持ってくる御布施を持ってくると
立ったり座ったりを繰り返す始末です。
御布施はあらかじめ仏さまにお供えして
お勤めが終わった後に施主から僧侶に
お礼の言葉を添えて手渡しで差し上げるものです。
何かそわそわざわざわして
ゆっくりゆったりお聴聞する気配がありません。
一方で本当によくお聴聞できているなあと
感心するお家もあります。
僧侶と門徒ということで
僧侶が読経する人話す人で
門徒はただじっと聞くだけの人ということではありません。
僧侶門徒の区別なく
私たちは同じ如来さまのお弟子です。
如来の本願念仏の救いの法を聞かせていただく
お互いであると
皆さんどうぞ心に入れて
ご法事のご縁に共に遇わせていただきたいものです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
日頃から仏さまの素敵な雰囲気をいただけるような
お念仏よろこび申す私にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.8.21)
朝飯前のお朝事のご縁です」(2009年アーカイブ)
2022-08-20
朝飯前という言葉があります。
朝ご飯を食べる前ということですが
朝食をとる前のわずかな時間でもできるような
たやすい簡単なことという意味で
「そういうことは朝飯前だ」などと
使われます。
学生の勉強時間に夜型と朝型があるといいます。
夜勉強する方がいいのか朝する方が効果的かということで
夜の方が勉強ができる否朝の方が勉強が進むといわれます。
私たちの一日の生活をみると
段々と歳を重ねるなかで
夜は早く寝るようになり朝早く目が覚めるようになります。
それが自然の摂理であり
ご飯を食べた後は眠たくなるのもそうで
昼ご飯を食べた後のお寺のお聴聞のご縁で
こっくりこっくり気持ちよさそうに
居眠りをされる方がいらっしゃいますが
これも自然の摂理なのでしょう。
ご飯を食べて満腹になると
血の循環がよくなって
こっくりこっくり眠たくなるそうです。
自然の摂理からいうと
昼は目を覚ませはたらいて夜は眠る時間であって
夜物事を考えたりするより
夜十分睡眠をとって朝ご飯の前に物事を考える方が
いい考えが浮かぶのではと思います。
そういうことは朝飯前だというのは
どうやこうやと思い悩み考えていたことが
朝目が覚めて朝ご飯を食べる前に
ふっと思い浮かぶ思い当たるというように
いただけます。
このお朝事のご縁も
いってみたら朝飯前です。
じゃあ簡単なことかというと
いやいやこれは大変なことです。
でもこの大変なことが
朝飯前に簡単なことになるところに
仏さまの大きな大きなおはたらきを思います。
本当に有難いことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2009・8・20)
仏さまのお給仕(2015年アーカイブ)
2022-08-19
仏さまにお給を仕します。
朝一番に仏さまにお仏飯をお供えすることから
私たちの日々の生活が始まります。
お供えしたお仏飯は
下げてそのままいただきます。
仏さまのお慈悲をいっぱいいただきます。
「いつでもどこでも私があなたと一緒だから大丈夫」と
お念仏の声となって私に寄り添ってくださる仏さまです。
「今日も一日よろしくお願いします」と
今朝もお仏飯をお供えしながら思いました。
よろしくお願いしますといって
私からお願いすることではないというのが
私たちの浄土真宗のご宗旨です。
私が願う前に
阿弥陀仏さまの方から願われているというのです。
私たち人間の願いと仏さまのは願いは
根本的に違います。
今日はこんなことがあるからこうしてください
こうなりたいこうありたいという特別な思いをもって
「どうかよろしくお願いします」と
私のところに力が入ると間違うといいます。
私の願い通りにいけばそれはそれでいいのでしょうが
願い通りにいかないと
それこそ神も仏もあるものかというのが
私たちの神仏に対する願いのようであります。
よろしくお願いしますとは
「いつでもどこでも阿弥陀さまが一緒だよ」と
日頃から聞かせていただくなかに
「ようこそありがとうございます」という思いで
「よろしくお願いします」ということです。
今日の一日日々の日暮しのなかに
南無阿弥陀仏とお念仏を申して生きて往ける生活を
させていただける有難さを
お仏飯をお供えしながら
「よろしくお願いします」とお伝えしたことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2015.8.19)
「心に信心を唇に念仏を」(2014年アーカイブ)
2022-08-18
昨日NHKの特集番組で
作曲家の吉田正さんのことを放送していました。
吉田さんは終戦後も長くシベリアに抑留され
その後日本に帰って来て
それからの活躍は周知のことであります。
大作曲家です。
私が小学校の頃から
ヒット曲をたくさん作られて
今もカラオケで懐かしく歌います。
吉田さんは戦時中上官の命令で軍歌を作ったそうですが
戦後その軍歌を一切歌うことはなかったといいます。
厳しい抑留生活のなかで作曲し
仲間と一緒に口ずさんだ歌が披露されていましたが
仲間たちの証言もあって
今の世に残していこうという取り組みもあるようです。
「心に太陽を唇に歌を」といわれます。
それこそ歌は人を勇気づけ楽しませることでもありますが
生きる力を与えるのが口ずさむ歌ではないでしょうか。
軍歌というと戦意を高揚する勇ましい曲調で
その場の一体感を鼓舞するものが多く
私もよく歌ったものです。
あるお念仏の先人が
「心に太陽を唇に歌を」ということで
私たちの南無阿弥陀仏のご法義でいうならば
「心に信心を唇に念仏を」と言われました。
心に信心を唇に念仏をとは
「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお心おはたらきが
私の心に届いて唇からお念仏が出てくださるのです。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまがいつでもどこでも
この私にご一緒してくださる力強いお念仏の声です。
お念仏の声に励まされて
私たちは色んなことがある人生だけれども
この一日をこの人生を生き抜くことができるんだよと
教えてくださったのが親鸞聖人です。
「心に太陽を唇に歌を」と歌うように
どうぞ念仏を申して一人でも多くの方と共々に
お念仏の合唱ができれば
平和な世の中になるのではないかなと思ったことです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2014.8.18)
お経のレンタル?(2012年アーカイブ)
2022-08-17
先日のお盆参りのご縁で
若い人とお話をする機会がありました。
友だちから聞いた話ですがということで
今はお経がレンタルになっているんですねという話です。
「えっお経がレンタル?」と聞き返すと
お葬儀のご縁に
日頃お寺との付き合いがないお家で
そのまま送るのは忍びないと
お経の一巻でもあげてほしいということで
葬儀社が仲介に入り
お坊さんを紹介してもらうというのです。
まず「お宅は何宗ですか?」と聞かれるそうですが
言われてみてはっとするといいます。
仏教というのは分かるけれども
何宗というところまで知らないところが殆どで
どうしようかということですが
「どの宗派でも何宗でもいいですよ」と言われるそうです。
例えば浄土真宗だったら浄土真宗のお経を
浄土宗、曹洞宗、臨済宗だったらこのお経をと
いろんな宗派によって
お坊さんが対応してくれるといいます。
かくしてレンタルなのです。
ただそのお経のレンタルはお葬式だけのことで
お葬式が済んでその後の七日七日のご縁のお勤めは
一切ないそうです。
送る方はお経をあげたからということでしょうが
送られる方は死んだらおしまい
ということになってしまいます。
年回のご法事もありません。
ご縁ご縁に親族有縁の皆さんが集まることもないのです。
死ということに二つあると言われます。
一つは人の命を終えるという死です。
もう一つはその人のことを忘れてしまうという死です。
私たちのこの命は私一人でどうこうという
命ではありません。
父母のご先祖から恵まれた命です。
この世に生まれて赤ん坊からすぐ
この私になったのではなく
いろんな人たちいろんなものの命に育まれて
今ここにこの私が生かされて生きているのです。
お経には仏さまの教えが説かれてあり
私たちの仏教浄土真宗の教えを聞かせていただくと
この人生を生きるなかもまた人の命終えた後も
南無阿弥陀仏のおはたらきで阿弥陀さまのお浄土に生まれ
仏さまのいのちとなってこれからもつながっていくと
教えていただきます。
お葬儀のご縁は
大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま先に往かれた仏さまのご縁といただきます。
仏法を聞いてお念仏申す身になっておくれと
後に遺った有縁の人に仏法聴聞のご縁を
開いてくださるお葬儀のご縁です。
仏法聴聞のご縁に遇わせていただいて
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先に往かれた仏さまと共々に
お念仏申して往生浄土の人生を
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.8.17)