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お念仏を申す生活法話

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念仏の声を子や孫に

2022-04-28
 昨日は満中陰四十九日のご縁にお参りしました。
家族8人のお勤めでした。
 施主のお母さんのご縁で
子ども孫曾孫の三代総勢8人です。

 皆さんご一緒にお正信偈をお勤めしました。
子どもの声が聞こえてきます。
 4歳の曾孫さんが大きな声で
ナマンダブナマンダブとお念仏申されます。

 もう一人の1歳になったばかりの曾孫さんは
おばあちゃんに抱っこされて手を合わせています。

 このたびのご縁でお仏壇にお参りするように
なりましたと言われます。
 大切な家族とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁をいただける有難さです。

 日々の生活のなかで「ばあばにおまいりしようね」と
お仏壇の前で手を合わせナマンダブナマンダブと
お念仏の声が出るようになったのですね。

 先に往かれたお方を
仏さまと仰いでいけるということです。
 死んだら仏ということではありません。
死んだらお終いではないのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれ
後に遺った私たちを護り救うてくださる
仏さまに成ってくださったと
日々の生活のなかで仰いでいけるのです。

 近くのお墓に納骨に参りました。
これからはお墓にもお仏壇にもお参りされて
お念仏申して先に往かれた仏さまがご一緒です。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされて生きているのです。

 有縁の方が亡くなってのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただくなかに
これまでも阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされてあったと聞かせていただきます。

 今はコロナ禍ということもあって
葬儀も法事も家族だけの少人数のご縁が多くなりましたが
仏さまのご縁は人数の問題ではありません。
 その人人が仏さまのご縁をいただいて
お念仏を申す身にお育ていただくことが
先に往かれた仏さまの大きな願いと
お取り次ぎさせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.28)

昭和の人間

2022-04-27
 朝から凄い雨になり
6時の梵鐘を撞きに雨と雷が轟く中を
傘をさし駆け足で鐘楼間を往復したことです。
 雷ってあまりいいものではありません。

 昨日車を運転中にラジオで
「あなたにとって昭和のものって何ですか?」と
聴取者の声を聞いていました。

 今月29日が昭和天皇の誕生日で
「昭和の日」の祝日です。

 昭和の時代を思い起こします。
昭和から平成になったのが1989年でした。
 私が37歳で平成が34年ですから
昭和の時代の方が長く
これから令和の時代をどれ程生きるか分かりませんが
昭和を超えることはまずないでしょうから
私はすっかり昭和の人間ですね。

 特に子どもの頃青春時代に昭和を生きた思い出は
これから一層懐かしく思い出すことでしょう。

 昭和といって終戦後の昭和です。
高度経済成長もあって
日本が一番輝いていた時代とも形容されます。
 昭和の時代を生きて平成令和と
私たちの生活は大きく変わりました。

 アナログからデジタルへと
大きな括りでいわれます。

 昨日のラジオでなるほどなと思ったのは
電話機の変わり様です。
 昭和の電話はダイヤル式でしたが
プッシュホーンになり
今はスマポで登録していたら
ボタン一つで相手につながります。

 通信手段も今はネット社会で大きく変わり
これからも変わって行くでしょう。
 コロナ下でリモートでの通信が
画期的に進みました。

 これから益々ペーパーレスの時代になるといいますが
私の周囲はまだまだペーパー頼みの日常です。

 お寺からご門徒さんへ
毎月の寺通信や法要行事の案内は全て紙媒体です。
 三佐地区は各班のお世話人に配ってもらいますが
地区外のご門徒には2カ月に一回郵送しています。

 この郵送が今ままならない事態になっています。
これまでは今日いっぱいに投函すれば
明日には先方に着いていた郵便物が
明後日なるというのです。
 そして土曜日の配達が無くなりました。

 ゴールデンウィークのこの時期
郵便物が思うように届かないということです。
 今週金曜日が29日の祝日で
昨日投函すれば28日に着くのですが
今日の投函になると最短で来週の月曜日5月2日か
3日4日5日の連休後の6日になってしまうのです。

 投函から一週間10日も係るとなると
自分で持って行った方が早く確実ですが
数が多くちょっと大変な作業になります。

 便利な時代社会のなかで
不便を感じることも多々あって
とにかく先手の対応が要るということで
何か追われる気分です。

 デジタル世代の人からみると
時間の無駄経費の無駄すべて無駄に映ることも
あるのでしょうね。

 ただ昭和の人間にとって
紙媒体は手元に残って安心です。
 無駄といわれても大事なものです。

 私たちの生活は昭和から平成令和へと
大きく変わってきました。
 確かに便利になりましたが
ある意味不便になったこともあります。

 お寺もこれから変わっていく中で
本当に何を大事に伝えていくのかと
あらためて思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.27)


歴史は繰り返す

2022-04-26
 歴史は繰り返すといいますが
昨日のNHK『映像の世紀』を観て思いました。

 100年前に「スペインかぜ」とよばれた
感染症が世界的に大流行した歴史の事実です。
 当時は第一次大戦の最中でまずアメリカの軍隊で流行し
軍隊の移動で感染が世界中に広がったということです。

 スペインの国王が感染し全世界に発信されたことで
スペインかぜの俗称がついたということですが
後々インフルエンザの新型ということが分かります。

 原因不明のまま対処法もなく
手洗いマスク密を避ける対策に終始し
3年間で世界の人口の3分の1の5億人が罹患して
おさまったといいます。

 当時は感染症対策のワクチン開発はなく
スペインかぜの経験からその後
ワクチンの開発研究が進んだということです。

 今は新型コロナウイルスの大流行パンデミックで
まさにスペインかぜから100年後
歴史は繰り返すです。
 ワクチンも治療薬もできましたが
まだまだ収束とまでは行きません。

 もう一つ歴史が繰り返すというのが
パンデミックで世界中を巻き込む
社会の大きな不安に乗じて
第一次世界大戦の敗戦国ドイツに台頭したのが
ヒットラーのナチスドイツです。
 ヨーロッパ各地を侵攻していき
第二次世界大戦が起きるという歴史の事実です。

 今の世界の状況はどうでしょうか。
コロナ禍のなかでのロシアのウクライナ侵攻と
重なるところがあるのではないでしょうか。
 ロシアとウクライナの問題だけではなく
もうすでに世界中を巻き込む事態になっており
私たちの日本も例外ではありません。

 広く宗教の立場から見ると
数日前にキリスト教の大事な行事の一つ
イエスキリストの復活祭が
世界各地のキリスト教の教会であり
東方正教会のロシアやウクライナの教会でもあって
ロシアの大教会ではプーチン大統領が参列した映像が
世界中に発信されました。
 一方ウクライナでも世界の平和を願って
復活祭が行われたということです。

 同じキリスト教で平和を願う神聖な行事ですが
ロシアとウクライナでは正教会でも違うといいます。
 教えは同じはずなのに
教会を構成する人によって変わる違ってくるのです。
 真実まことの宗教をも変えてしまう
人間の恐ろしさ愚かさです。

 私たちの浄土真宗という教団についても
西本願寺や東本願寺などを本山とする分派があり
四百年以上も前から引き続いて
今も組織として分かれています。

 同じ浄土真宗のみ教えですが
その教えを聞く人人の思いはからいで違ってくるのです。
 宗教をも自分の都合に合わせて
利用する立場の人がいるといったら
言い過ぎでしょうか。

 宗教は
キリスト教では神と私
仏教では仏と私
浄土真宗では阿弥陀仏と私の
あなたと私の二人称の関係です。

 私が阿弥陀仏の本願の仏法に遇わせていただき
仏法の鏡に映る私をそのまま見せていただくのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
煩悩具足の凡夫の身を
そのままお念仏申す身にお育ていただき
往生浄土の仏道を歩ませていただくのです。

 阿弥陀仏の仏法
真実まことの南無阿弥陀仏は変わりません。
 変わるのは誰か、この私です。
どんな私か、自己中心のはからいをもって生きる私です。

 この自我のはからいこそがまさに
この私を苦しめ悩ませ迷わせている無明煩悩であり
仏さまの一番の心配事なのです。

 自己中心の思いはからいで
他を傷つけ戦争をも引き起こす私たちです。

 歴史は繰り返すといわれます。
今も私たちは歴史の真っ只中にあるのです。
 お念仏のみぞまことと
お念仏申して今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.26)


弥陀の本願の船に乗せていただく

2022-04-25
 北海道知床半島で観光船が遭難し
乗船していた26名中10名がお亡くなりになり
残る16名の方が行方不明で捜索中というニュースです。

 風が吹き波も高く地元の漁船も出航を見合わせる中
岩が多く座礁する危険がある難しい海域に
なぜ観光船は出航したのでしょうか。

 船を出す出さないは船長が決めることで
船に乗る乗らないは乗船する人が決めることです。
 万全の安全を確認して船を出すのでしょうし
船に乗った以上は船にまかせるしかありません。

 阿弥陀さまのお救いを
弥陀の願船と船に喩えられます。
 「弥陀にまかせよ必ず浄土に送りとどける」の
阿弥陀さまのお喚び声に応じて
船に乗って船にすべてをおまかせです。

 果たしてこの船にまかせて大丈夫かと思ったら
不安が募ります。
 この船に乗らなくても別の手立てがあるならば
どちらにするか考え悩みます。

 こうした私たちの不安や疑心を見抜かれた上で
阿弥陀さまは私たちが一人残らず救われる手立てを
南無阿弥陀仏と本願成就して
何度も何度も「我にまかせよ必ず救う」と
喚び通しに喚んでくださっているのです。

 「私が一緒だから大丈夫だからまかせよ救う」と
わが船に乗れと喚んでくださっているのです。

 阿弥陀さまの願船を前に不安な私はどこにいるのか
この迷いの世界です。
 自力のはからいに右往左往する私が
どこまで行っても迷いの世界であり
この人間の命を終えても
どこか分からない迷いの世界を順次経巡っていくと
仏法に聞かせていただきます。

 親鸞さまは生死の迷いを超えて
この私がさとりの仏の世界に往き生まれる仏道は
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
弥陀の本願を信じ念仏の船に乗せていただくことだと
法然さまからお聞かせいただき
念仏のみぞまことの本願の船に乗られて
私たちにもお勧めなのです。

 命終えてどこに行くのでしょうか。
阿弥陀さまのお浄土に連れて往ってくださると聞いて
本願の船に乗せていただく一つで
私の浄土往生は決定されているのです。

 船に乗る乗らないはその人が決めることですが
本願の船に乗る乗らないと迷う私を
南無阿弥陀仏のおはたらきでそのまま乗せてくださる
他力のお救いです。

 悪天候の中を座礁の恐れがある海域に
船を出すことが危険なことは
これまでの経験や知識からしてわかることで
どうして出航を思い止ませなかったのか
船長はじめ責任者の判断がわかりません。

 阿弥陀さまの本願の船に乗って往くお浄土は
私たちの知恵や経験でわかることはできません。
 誰しも行ったことがないお浄土であり
私のところで判断することは実は無いのです。
 ただ乗る乗らないの私の自力のはからいを捨てて
阿弥陀さまの他力のおはたらきにまかせる以外にないのです。

 仏法聴聞させていただいて
阿弥陀さまの真実まことのお心に疑いがなくなるときに
「おまかせします阿弥陀さま」と
お念仏申してそのまま本願の船に乗せていただく
南無阿弥陀仏のお救いの法です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.4.25)


多様な価値観の社会に共に生きる(2018年アーカイブ)

2022-04-24
 今学校の授業内容が大きく変わってきています。
昨日放送のNHK『クローズアップ現代+』は
ちょっと衝撃でした。

 学校で道徳の時間は今までもありましたが
今年から道徳が教科になったということで
国語算数理科社会と同じように
評価の対象になるといいます。

 この道徳の評価はその人の価値観
ものの見方考え方を評価することにつながり
どのように評価するのかされるのか
一つのものの見方考え方に導くような危険性が
以前から指摘されてきました。

 今の社会は多様な価値観の社会で
一つの物事を見るにもいろんな見方があります。
 いろんなものの見方をもった私たちお互いが
人それぞれのものの見方を尊重しつつ
共に生きる社会でありたいとの理念のもとで
多様性の社会のなかの道徳が
学校教育に求められるということです。

 昨日の番組では学校の現場での
実際の授業が公開されました。
 先生はこういう方向で授業を進めたいということですが
大方の生徒が先生の意図する意見を言うなかで
一人の生徒が皆とは違う考えを発表したのです。

 その時の他の生徒の反応です。
「えっそんなこと考えてるの」
「皆こう考えるのに、それは違うんじゃないおかしいよ」
といった意見です。

 大勢の中でその子の意見が聞いてもらえないことで
その子が涙を流すんです。
 「何でわかってくれないの」と
やりきれない悔しい思いです。

 そこは先生がその子に寄り添って
フォローしていましたが
その子の意見も聞けばなるほどと分かるんですね。
 いろんな見方があるということです。

 共に生きるという視点での方向も大事ですが
もう一つ大事なことはただ一人の少数意見であっても
一人一人の意見を大切にしていくということです。

 こんな意見もあるものの見方もある
ということを知る学ぶということです。
 こんな意見もあるよと聞いていく姿勢が
非常に大事だと思います。

 多数意見に飲み込まれて
みんな同じ方向に行ってしまう
疑いを許さないということになると
大変な社会になると思うなかに
仏法のものの見方考え方を
知ってほしい聞いてほしいと思います。

 十方衆生生きとし生けるものすべてを
分け隔てなくそのまま救うとおはたらきの
南無阿弥陀仏の仏法です。
 仏法を聞いて共に敬い認め合うなかに
お互いが生かされて生きるお念仏の社会を思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.24)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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