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お念仏を申す生活法話

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思いがけない訪問者(2013年アーカイブ)

2022-05-07
 ゴーデンウィークの連休最後の昨日
エホバの証人の女性信者二人が訪ねてみえて
「お話を聞いてください」ということでした。
 ご門徒皆さんのお家にも行かれているお話も聞きますが
自ら信仰する教えを伝える訪問伝道という布教活動です。

 お昼の11時前で法事があることを伝え
少しお話を聞いてチラシを置いて帰って行かれました。

 チラシに真理とは何かということについて
真理を知って私たちは色んな不安や迷い恐れから
解放されると書かれてありました。
 逆に私たちは真理を知らないが故に
迷いのなかにあるというんですね。

 エホバの証人はキリスト教の分派と聞いていますが
仏教がいっていることと変わりません。

 お釈迦さまは真実の真理の仏法を覚られて
仏さまに成られ私たちに仏法を伝えお勧めです。
 如実知見といって
物事の真実そのままをありのままに知れと教えます。
 お釈迦さまが開かれた
お覚りの境地です。

 この世の事象を真実ありのままに知ることで
悩み苦しみ迷いから解放されるということですが
これを邪魔するものがここに居るというのです。
 それがこの私だと仏法は教えます。
どこまでも自己中心に物事を見て思い考え生きる私です。

 自分の思い通りになったらなったで有頂天になり
そのことに満足することなく
もっともっとと欲を張る私がいます。
 思い通りにならなかったら腹が立ちます。
他者を傷つけ損なう私がいます。
 真実本当のことを知らない愚かな私だと
煩悩具足の凡夫と見抜かれたのが
真実真如の阿弥陀如来です。

 阿弥陀さまは真如の世界から
南無阿弥陀仏とこの迷いの世に来てくださって
ご本願のおはたらき一つで私たちを一人残らず
「まかせよ救う」とそのまま摂取不捨くださるのです。

 お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
この人生を生き抜かせていただき
命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいて
阿弥陀さまと同じ南無阿弥陀仏の仏に成らせていただく
仏教浄土真宗のみ教えです。

 エホバの証人のお方にも仏教浄土真宗のお話が
一緒にできたらと思います。

 それにしてもこのお寺にまで伝道に来られるとは
尊いことですねと言って
一つだけお願いがありますとお話しました。

 皆さんがお家お家を訪問して
チャイムを鳴らしても出てこないお家や
玄関は開けたけれども顔を見るなりピシャっと
戸を閉める人もあると思いますが
人それぞれにものの見方考え方が違うということで
気分を悪くしないでくださいと言いました。

 宗教の勧誘にどう対処したらいいのか尋ねられたときに
私は「うちは浄土真宗だから結構です」と
はっきりお断りしてくださいと言っています。

 宗教はこの私の問題で
私が聞かせていただくことです。
 今日もこうしてお朝事のご縁をいただくなかに
仏法に遇わせていただきます。

 朝起きてこの時間に
通勤通学の準備をされている方
朝ご飯を作られている方
まだ眠っている方と
色々あると思いますが
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきになかに
それぞれ生活ぶりは違いますが
お浄土への人生を共々に歩ませていただいていることを
今日もこうしてお朝事のお勤めをし
南無阿弥陀仏とお念仏を申して有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.5.7)


六字のうちに住む

2022-05-06
 今はゴールデンウィーク中ですが
今日は6日の金曜日で平日です。
 先週の4月29日「昭和の日」から長いお休みの人で
明後日日曜日までの10連休といいますが
今週2日の月曜日と今日6日の金曜日は平日ということで
今日は子どもも大人もいつもの時間に朝起きて
通学通勤する人が多いと思います。

 2日3日とお休みが繰り返し続くなかでの
平生の日常は勉強に仕事にと
ちょっと気が抜けたような感じでしょうか。

 お仕事でしたら有給休暇をとって
長期の旅行をする方もいらっしゃると思いますが
コロナ禍でままなりませんし
何か中途半端にダラダラと時間だけが
過ぎ行くようなことにもなりかねません。

 朝起きて始まる日々の日暮らしです。
こうしてお朝事のご縁をいただける有難さを思います。
 皆さんそれぞれ決まった時間に起きて
朝の支度を済ませてお寺にお参りです。
 生活ぶりはそれぞれ違いますが
今日もこの時間定刻に御仏前に一堂揃いました。

 連休中に何をするかといって
外に出かける人もあれば家で用事をする人もあったりで
時間の過ごし方はそれぞれ違います。

 私のことでいったら
これまでに読んだ本をランダムに読み返しています。

 お念仏を喜んで生きた妙好人について書かれた本で
山口下関沖六連島のお軽同行を紹介します。

 妙好人といって特別な人ではなく世間一般の方ですが
波乱万丈な人生とまではいいませんが
生活ぶりはいろんな問題を抱えて悩み生きた方が多く
お念仏のご法義に遇って
力強く往生浄土の人生を生き抜かれます。

 お軽同行も家庭的に大変なご苦労があった方ですが
「鮎は瀬に住む 小鳥は森に わたしゃ六字のうちに住む」と
うたを詠まれています。
 鮎は川の瀬に住み小鳥は森の中に住むように
私が住む居場所は六字のうちだというのです。

 南無阿弥陀仏の六字です。
阿弥陀さまの大きな慈悲にまかせて
住まいさせていただく有難さです。

 いろいろと大変なことがある人生だけれども
私の居場所はここだと私が決めたのではなく
阿弥陀さまが私のために用意をされ決めてくださった
南無阿弥陀仏のお慈悲の中に生かされて
命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に
生まれさせていただける大きな安心のなかに
今日一日を日暮らしできるというのです。

 ゴールデンウィーク皆さんそれぞれに
過ごし方は違います。
 日々の生活ぶりが違う私たちですが
同じ六字のうちに住む私たちは
今日もこうして阿弥陀如来のお家から
お念仏申す生活を始めさせていただける有難さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.6)


「まかせよ救う」の親心

2022-05-05
 今日は子どもの日の祝日です。
コロナ禍ですが各地の行事が段々と再開されています。

 玖珠町の童話祭です。
大きなジャンボこいのぼりが有名です。
 三年ぶりに登場ということで
先日テレビで大きなこいのぼりの中を
走り回る元気な子どもの映像が流れていました。

 こいのぼりは大空に泳ぐものとばかり
思っていましたが
こんな楽しみ方もあるのですね。

 五月の空にこいのぼりです。
青空に悠々と泳ぐこいのぼりに
子どもたちの明るい未来を重ねて思います。

 こいのぼりが泳ぐのは
そこに風のはたらきがあるということです。
 私たちのこの口から出てくださるお念仏です。
そこに阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきが
届いているとお念仏の先人は喜び味わわれました。

 先人は阿弥陀さまを親さまと仰いでゆかれました。
親さまと慕う私は仏の子です。
 阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきを
親子の関係に喩えてくださっています。

 親は子どもの成長を願って一生懸命かかりきりです。
いつも子どものことを気にかけ心配している親です。
 ところが子どもはというと
「親の心子知らず」の言葉のように
親に真正面から向き合おうとはせず
背中を向けているのが子どもでしょうね。

 「抱かれて ありとも知らず 愚かにも
我反抗す 大いなるみ手に」(九条武子)
の歌を思い起こします。

 反抗まで行きませんが
親の言うことを聞かない子どもがここにいます。
 では親は親の言うことを聞かない子どもに
愛想をつかしてもう知らないと放り出すのかというと
阿弥陀さまの親さまは
反抗するこの私をこそ救わずにはおかないというのです。

 そういう子どもが心配で心配でたまらず
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と何度も何度も
声をかけてくださっているのです。

 阿弥陀さまの親心です。
「我にまかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 阿弥陀さまのお救いに何も条件はありません。
こうしたら救うてやるとか救わないとかではなく
あなたのいのちそのまま救う親がここにおるぞと
ずっとずっと南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきをいただいて
この口から南無阿弥陀仏が出てくださいます。
 「まかせよ救う」の親心に
「おまかせします阿弥陀さま」と応えて往ける
お念仏の世界です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.5)


困った時に「助けて!」と言える社会

2022-05-04
 生活困窮者を支援するNPO法人の代表で
牧師さんの新聞記事を興味深く読みました。

 長年様々な支援活動に携わり
いろんな人に接するなかで
今の社会は困った時に「助けて!」と
声を上げることが難しい社会だというのです。

 外から見るとそれなりの生活ぶりをしていて
人それぞれの困難な生活実態がわかりにくいといいます。

 自ら声をあげることの難しさは
その牧師さん自身の体験にあるというのです。
 子どもが中学生の頃いじめにあって
死を思い詰めるまでの状態になったときに
「助けて!」と周囲に言えなかったといいます。

 対人援助をやってきてしかも牧師で
世間的にたすける側の人ということが
あったといわれます。

 私のことに引き当てて言うと
「助けて!」と声をあげることは
自分の弱みを周囲にさらけ出すようで
恥ずかしいと躊躇してしまうのかもしれません。

 何も問題ないように振る舞っても
何の解決にもならないことで
状況はますます悪くなるばかりです。

 何か頑張って自分を飾っている私がいます。
自己中心の思い込みやはからいが
実は自分自身を苦しめているというのが
仏さまの見立てです。

 グチコレという活動があります。
京都の町中で道行く人の愚痴を聴く活動です。
 最初は全く寄り付かなった人が
一人二人と集まってボチボチ話をされることに
耳を傾けひたすら聴き続けるのです。

 いろんな悩みを抱えた人の声心の叫びです。
どうかすると相手の思いを聴くなかに
つい自分の意見を言ってしまう私ですが
否定も肯定もしないでただ聴き続けるといいます。
 
 自分の思いを話して聞いてもらえることで
少し心が楽になることもあるでしょうし
人と人とのつながりができることの
安心もあるでしょう。

 全く知らない初対面の人と人との関係ですが
家族や友人という関係のなかでも
お互いに分かっているようで分かっていない
日常的な人と人とのつながりが薄くなっている
今の社会のあり方をみるようです。

 そうした私たちの社会ありのままの私を思い取って
そのまま救うと寄り添ってくださる
南無阿弥陀仏のお慈悲のおはたらきです。

 お念仏申して私が背負う困難な課題が
一変に解決することではありません。
 南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくなかに
今私にできることをさせていただくことです。

 一人の苦悩する人として牧師さんの活動に考えさせられ
今日一日も生きて往こうと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.4)


仏法と憲法

2022-05-03
 今日は憲法記念日の祝日です。
現在の「日本国憲法」が1947年に施行された日で
種々の法律の基になるのが憲法です。

 法律は私たちが社会生活を営む決まりルールで
日頃は意識しないものでも大変重要です。

 知床の観光船事故はルールがあってないような中で
起こったことが次々明らかになり
重大な問題になっています。
 ロシアのウクライナ侵攻はまさに掟破りの凶行です。
他国を武力で侵略する行為は
どんな正義の理屈を重ねても
決して認められるものではなく
多くの人が殺傷され建物が破壊される様は無法地帯です。

 仏教は仏さまの教えですが
真実の真理である仏法が説かれてあります。
 仏さまとは直接的にはお釈迦さまのことですが
お釈迦さまによって覚られたのが仏法です。

 仏法と憲法法律などの世間法との大きな違いは
世間法は人間がつくった法規きまりであり
歴史が移り変わりその国地域も違いますから
その時々その所々で変わるのが世間の法です。

 一方仏法は時空を超えた永遠普遍の法です。
十方衆生ありとあらゆる世界の
生きとし生けるものすべてを
分け隔てなく平等に救うとおはたらきの
南無阿弥陀仏は究極の仏法です。

 自分の思いはからいをもって自己中心に生きる私たちに
人間の愚かさありのままの相を知らせそのまま救うと
阿弥陀仏の智慧と慈悲のおはたらきです。

 今朝の御和讃に
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
 塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」
(阿弥陀仏が仏になってから
 すでに十劫の時を経ていると説かれているが
 果てしなく遠い過去よりも
 さらに久しい仏でいらっしゃる)とありました。

 いつも拝読の御和讃の最初には
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり」
(阿弥陀仏は仏となってから
 すでに十劫の時を経ておられる)とあります。

 阿弥陀仏の本願名号のお救いを説かれた
『仏説大無量寿経』のお経さまに
阿弥陀仏は十劫の昔に仏となったと明かし
実は十劫以前の遥か久遠の昔から
南無阿弥陀仏と止むことなく
はたらき続いていると示されるのです。

 南無阿弥陀仏の仏法のおはたらきは
お釈迦さまがつくられたものではなくて
遥か遠い久遠の昔からのもので
お釈迦さまはその真実の法を覚られたのです。

 仏法は誰彼が自分の都合の良いように
作り変えていくものではない
無量無辺のあるがままの真理の法です。

 仏法の前には誰しも平等で
仏の大悲の中に共々に生かされて生きているのです。

 あなたと私が共に生きる私たちの社会は
あなたと私の思いが交錯するなかで
互いに自分の思い通りに生きることはできません。

 自己中心にそれぞれの思い価値観が異なる私たちは
共に向き合うこともあれば
背中合わせになることもあります。

 阿弥陀仏の仏法は
生きとし生けるすべてのいのちをそのまま救う
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 私と同じようにあなたにも等しく
南無阿弥陀仏の仏法がおはたらきで
あなたと私は同じ南無阿弥陀仏のいのちに
つながっているのです。

 価値観の違う者同士が共に生きる社会は
価値観の違いを排除するのではなく共有することで
自他共により豊かに生きることができるでしょう。

 お念仏申して
南無阿弥陀仏の仏法に聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.3)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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