お念仏申して今できることをさせていただく
2022-07-01
7月に入りました。
早い梅雨明けで朝から暑いですね。
今朝一番に本堂の戸を開けると
東の空から太陽がガンガン照りつけます。
危険な暑さという表現で
熱中症に気をつけてくださいということです。
昨日は祥月命日のお参りがありました。
毎年のご縁です。
若くしてご主人にお別れになったことで
仏さまのご縁をいただき
ずっとお仏壇とお墓を守ってこられました。
お勤めの後でお茶をいただきお話になります。
歳を重ねる中で年々話題が変わってきて
昨日は終活の話になりました。
いいお歳になってお墓をどうするか
お仏壇をどうするかという心配です。
誰が後を見てくれるのかということですが
子どもさんはいるものの心配なのです。
親の心配、子どもが心配ということです。
その時になったら
何とかなるようになるということですが
ああやこうやと考えては悩むのですね。
そういうなかにあって祥月のお命日のご縁です。
祥月命日やお盆のお勤めをされていることは
子どもさんもよく知ってる分かっていることです。
親の後ろ姿を見て子は育つといいますが
子どもは親のしていることを見ています。
親は今できることを精いっぱいさせていただくことしか
できないのです。
ああしなさいこうしなさいといって
思いは親子でも違います
夫婦であっても違います
兄弟であっても違います。
ただ私たちは同じ中心をいただいていることの
有難さです。
お仏壇です。
お墓です。
お仏壇にお墓にお参りして
手を合わせて南無阿弥陀仏とお念仏申すことができる
有難さです。
先に往かれた仏さまが命がけでつくってくださった
祥月命日のご縁です。
お念仏を申して共々に
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.1)
お浄土からの便りです
2022-06-30
昨日思い立って
私が住職を継職して始めた
寺報『ようこそ』の整理をしました。
偶々コロナ禍に重なって
この2年半ほどお休みしていますが
年3回の発行で46号まで続いています。
ご門徒皆さんだけではなく
仏法のご縁に遇ってほしいという思いで
広く有縁の皆さんにも発信しています。
お寺関係の方ばかりでなく
小中高大学の友人知人先輩諸氏も多く
読後の感想を手紙やハガキで返信してくださる
楽しみがあって発行を続けて行く励みにもなりました。
私が30代40代の頃大変お世話になった
先輩方の便りをあらためて読み返すと
本当に有難いです。
丁寧に封書にしたためられた文面には
「いつも送っていただきありがとうございます」と
御礼の言葉とともに感想が書かれてあり
「お体を大事にしてください」と書き添えてあります。
私より20歳以上も年輩の方々で
もうすでにご往生されている方がいらっしゃいますが
若い私の体調を気遣ってくださる有難さです。
その中の一人はお寺の坊守さんで
県内でも遠方の方でもうしばらくお会いしていません。
文面には近況も書かれており
高齢になって体が思うように行かない様子です。
文面には何度も「会いたいですね」と綴られ
「でも難しいですね」とあって
「お浄土でまたお会いしましょうね」と
書かれていました。
お念仏のご法義に遇うということは
「この身は思い通りにならないけれども
阿弥陀さまのお浄土で
また会えることを楽しみにしています」
と書けるんですね言えるんですね。
その坊守さんはすでにご往生されていますが
南無阿弥陀仏のおはたらきでお念仏申すなかに
今も会えています。
「元気にしていますか」
「暑いですね」
「少しずつできることをやっていきましょう」
「どうかお念仏を申すなかに
今日一日もこれからも阿弥陀さまと
私も共々にご一緒させていただきましょう」と
今日もお便りをいただいて
いつも思われていることを
お育てをいただいていることを
有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.30)
梅雨が明けました
2022-06-29
昨日九州北部地方の梅雨明け宣言がありました。
6月11日に梅雨入りしてわずか17日間の梅雨で
6月中の梅雨明けは観測史上初めてといいます。
えっ何と早いなとびっくりしますが
ここ数日大変暑い日が続いています。
大分だけではありません。
日本全国至る所で連日真夏日になり
関東地方は梅雨明けが九州より早く
連日35度以上の猛暑日が続くということです。
まさに異常気象ですが
近年の猛暑大雨といった状況を思うと
何かこれが当たり前になっている恐さです。
毎朝6時前にお仏飯をお供えして
本堂正面の戸のカギを開けるのですが
今日は左右の戸を全開にしました。
夜間ずっと締め切っていた中に
今もそうですが
外から風がスーッと入ってきて心地よいです。
こんなに暑いと日中は家の戸を締め切って
クーラー冷房の恩恵を受けていますが
これも電力不足ということになります。
梅雨が明けると夏休みという
これまでの日々の営みでしたが
今日は朝から夏休みといった天気です。
これから7月8月9月と真夏に入りますが
どんな夏になるのか不安です。
暑い中にも自然の営みの中に
私たちは生きています。
暑かろうが寒かろうが
晴れの日も曇の日も雨の日も風の日も
阿弥陀さまはスーっとお立ちの仏さまに
成ってくださいました。
「いつも私が一緒だよ」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちを見守ってくださる
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
今日も暑い日になりますが
体調に十分気をつけて
お念仏申して生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.29)
お寺を中心にお念仏のお同行が共に生きる
2022-06-28
お寺の本堂の屋根は目立って
高くて大きいです。
周囲のどこからも見えるということで
地域の中心に位置するのがお寺です。
ところが今は町中に行きますと
ビルにお寺が囲まれて屋根を見ることが
難しくなっています。
高層ビルが立ち並ぶ東京大阪などの大都市では
ビルの谷間にお寺があるといった状況で
お寺自体がビルになっているという話です。
昔のお寺やお宮の風景には
お堂や社に大きな木が植わっていましたが
車社会の今は木を切って駐車場になっています。
本堂の造りも機能的になってきています。
三階建て四階建てのお寺のビルには
お寺に住まいする者の住居があり
本堂と集会所そして納骨堂があります。
効率がいいとか採算が合うとかいう
今の現代社会のものの見方になると思いますが
従来のお寺はそういう見方でいうと
本当に不便で無駄が多いということになるのでしょうか。
お寺には階段があり座布団に座ってなどと
バリアフリーという考え方から遅れているという話です。
ただ大事なことはビルのお寺でも昔の本堂でも
そこにお参りする人がいるということで
お寺に人の姿が見えないことは
お寺が風景そのものになってしまっていることで
寂しく思います。
私が小さい頃のお寺です。
お家に車もそんなになかった頃です。
おばあちゃんが乳母車を引いて
ぼつぼつお参りしていたことを思い出します。
この時期でしたら
汗をふきふき階段を上がり本堂に入って
御仏前に座り阿弥陀さまにお念仏を申しお礼をして
お参りのお同行に「ようこそお参り」と
お互いに声をかけ合っていた先人のお姿です。
現代のように
ものが豊かで便利な生活ではなかったけれども
お念仏の先人はゆっくりゆったりと安心して
日暮らししていたのではないでしょうか。
そのお念仏の生活の中心に
お寺があったということです。
お念仏のお同行と一緒に安心できる居場所が
お寺だったということです。
お寺にいつもお参りできないけれども
お寺の大きな高い屋根を見て手を合わせお念仏申して
安心して日々の日暮らしをおくっていたことでしょう。
お寺には人がいます。
お念仏申して生きる人がいます。
その中心に仏さまがいらっしゃるという
大きな安心です。
老いも若きも男も女もどんな人も
お寺の阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲の中に
共々につながって生かされてあるなかに
この私も安心して日暮らしさせていただける
お念仏申して生きる生活です。
懐かしい話をしているのではありません。
今の話です。
皆さんようこそお参りなさいました。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.28)
親鸞さまが生きた時代
2022-06-27
日曜日の夜大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を
毎週楽しみに観ています。
昨日は源頼朝の死で終わり
ドラマも前半の鎌倉幕府の成立から
いよいよ北条氏の執権政治へと展開していきます。
ちょうど親鸞聖人が生きた時代に重なることでもあり
大変興味深いです。
頼朝の死は1199年ですから
親鸞さまが26歳で比叡山で仏道修行されていた頃です。
29歳で比叡山を下りられ
法然聖人の専修念仏門に帰依されます。
そして6年後の35歳の時に念仏停止の法難に遭って
法然さまは四国に親鸞さま新潟国府に流罪になります。
その念仏停止令を出したのが
朝廷の権力者後鳥羽上皇でしたが
後鳥羽上皇は1221年に
鎌倉幕府の執権北条義時追討の院宣を出して
日本史上初めての朝廷と幕府の間に承久の変がおこり
圧倒的な兵力の幕府軍が京都に攻め入り勝利をおさめ
武家政権が確立されたという
ドラマの後半のハイライトになります。
結果後鳥羽上皇は隠岐の島に流罪となり
朝廷の権力は無力化するわけすが
当時親鸞さま48歳で鎌倉に近い関東北部の
常陸茨城や下野群馬で家族と共に生活するなかで
多くの民衆にお念仏のみ教えを
布教伝道されていたといわれます。
親鸞さまの著述には
こうした世事について書かれたものはありませんが
まさに権力闘争に明け暮れる時代社会を
お念仏申して生きていたということです。
当時の人々は戦乱だけでなく自然災害や疫病飢饉で
明日をも知れぬ困窮した日々を送っていたいうことです。
親鸞さまはそうした民衆に
お念仏のお救いの法を説かれて行かれました。
どんな人も南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
救われるというみ教えです。
火宅無常の日々刻々と移り変わるなかを
私たちの先祖も生きていたということです。
どこでどういう生活ぶりで
生きていたかはわかりませんが
この私の命があるということは
戦乱の鎌倉の世に私の先祖がいたということです。
現代のような
ものが豊かで便利な世の中ではありません。
それこそ今日一日の生活食べることに困窮する生活です。
そのなかを生きてきたということは
ある時は悪事をして生き延びてきた命だったと思います。
先祖が殺されていたらこの命はありませんからね。
仏法で罪悪生死の凡夫といいますが
罪や悪を重ねて生まれては死に生まれては死にと
迷いの境涯を繰り返し経巡ってきた
その結果が私が今ここにあるということです。
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法
「そのまま必ず救う」南無阿弥陀仏のおはたらきは
鎌倉時代の親鸞さまの当時もお釈迦さまの当時も以前も
いつも変わらずそうだったし現代の今もそうなのです。
迷いの境涯に沈んで苦しみ悩む凡夫は
変わらずここにいます。
私が生きる人生のドラマです。
阿弥陀さまを中心にお念仏申す生活のなかに
今日も生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.27)