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お念仏を申す生活法話

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ギャップイヤー(2013年アーカイブ)

2022-05-22
 昨日テレビのニュースで
ギャップイヤーということを知りました。

 ギャップイヤーとは学生が大学への入学前在学中卒業後
就職するまでの時期に留学やインターンシップ
ボランティアなどの社会体験活動を行うため
大学が猶予期間を与える制度だそうです。

 東大の学長さんが入学式の祝辞に
「大学生活のなかで休学していろんな社会活動に
時間を有意義に過ごすのもいいことだ」と
言われたといいます。

 つまりは一、二年ほど大学を休んで
ボランティアとか職業体験の学習をする時間も
大事だよというわけです。

 何か魅力的な提案だと思うのは学生本人ですが
親にしてみたらこれまで順調に歩んできた人生の道を
踏み外すような提案でとても考えられないと思います。

 日本の社会には
小学校に6年中学校に3年高校に3年そして大学にと
中学高校を卒業して就職される方もいますが
一つ敷かれたレールに乗って学校教育を受けて
立派な社会人になるという
一つの人生の成功モデルがあります。

 それを一つ回り道をしなさいというわけですから
親は真正面から反対するのではということです。

 自分をより深く見つめる時間を
もちましょうということです。
 長い人生の中で回り道というけれども
そうした体験を踏まえて生きていくことが
豊かな人生につながるというのでしょう。

 今拝読の御和讃は「大経讃」といって
親鸞聖人が真実の教といわれた
「大無量寿経」のお心を讃嘆する御和讃です。

 大経に説かれる阿弥陀仏のご本願48願のなかの
第18願は阿弥陀仏の真実他力の念仏往生の願で
どんな人も南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
分け隔てなく救われて往く道が説かれてあると
親鸞さまは他力の念仏をすすめます。

 その48願のなかで今日拝読の御和讃は
第19願第20願を讃嘆する御和讃でした。

 第19願は諸行往生の願で
自力で善根を修め浄土に生まれて
さとりを開こうとする仏道で
善行を積むことをすすめます。

 第20願は自力の念仏往生の願で
お念仏申して浄土に生まれてさとりを開く仏道で
称名念仏をすすめます。

 この第19願から第20願そして第18願と
これを三願転入といって
親鸞さまの比叡山でのご修行は
まさに第19願第20願のご修行であり
29歳の時に比叡山を下りて法然聖人に出遇い
第18願の他力念仏のご本願に遇われたといわれます。

 三願転入と往生浄土の仏道を歩む
一つのコースみたいですけれども
仏道を歩むのはその人人であり
人人それぞれにいろんなご縁があって
親鸞さまにとっては
「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」と
よき人法然さまの仰せにしたがい
南無阿弥陀仏にそのまま信順して
お浄土への道を歩んで往かれたということです。

 回り道であっても道草しても
往く先は阿弥陀さまが決めてくださった
お浄土一処と聞かせていただき
それぞれの人生それぞれの歩みですが
お浄土への人生をお念仏申して共々に
歩ませていただきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.5.22)


人間に生まれて南無阿弥陀仏のご法義に遇わせていただく(2010年アーカイブ)

2022-05-21
 今日5月21日は新暦の親鸞聖人のお誕生日です。
旧暦では4月1日といいます。

 誕生日は人それぞれ違いますが
皆さんも私もこの人間界に誕生しました。

 お釈迦さまは生老病死の四苦とおっしゃって
生苦とは生まれる苦しみです。
 苦の元々の意味は思い通りにならないということで
生まれるということは思い通りにならないというのです。

 あの人のように生まれたかった
こんな人だったらよかったのになどと思っても
あの人ではなくこの私でした。

 この私を今日もこうして生きています。
老病死といいますが
私たちは日々変化して生きているというのです。

 昨日の私、今日の私、明日の私と
それぞれ違って同じではありません。

 この私を生きて死んでいきます。
この命終わって人間死んだらお終いといいますが
私たちは生死の迷いを繰り返して
この命終わっても次に人間界と同じ
地獄餓鬼畜生修羅人間天上の六道のどこかに生まれ
ずっと迷いの境涯を輪廻転生していくと仏法は教えます。

 生まれ変わるのです。
でも私の思い通りに生まれ変われるものではなく
迷いの世界に生れて
生死の迷いの苦しみから逃れることはできません。

 親鸞さまは生死の迷いを超えて生きて往く道を
法然さまから南無阿弥陀仏の仏道と
お聞かせいただきました。
 阿弥陀仏の本願を信じ念仏申さば
浄土に生まれて仏に成る浄土真宗のみ教えです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この迷いの人生を生き抜き
命終わってそのままお浄土に往生して
阿弥陀仏と同じさとりの仏に成らせていただくのです。

 お念仏を申して今こここの私を
お浄土への人生を生かされて生きて往くのです。

 昨日の私と今日の私は違いますが
今日のいのちに生まれたということです。
 明日のいのちに生まれて往くということです。
南無阿弥陀仏のいのちを生きているのです。

 こんな私は嫌だあの人のようになりたいと
思う私がどこかにあるかもしれませんが
私のいのちをそのまま抱き取ってくださる
南無阿弥陀仏の大悲のおはたらきの中に
私は私でよかったといえる人生を
全うさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきをいっぱい頂くなかに
今日の私に生まれさせていただきました
今日の私を生き切ることができましたと
お念仏を喜び申して生きてまいりましょう。

 生きることは老いることで病むこともあります。
そして最後はこの命終えていかねばなりません。
 そのことだけをいうと
これほど苦しく辛く悲しいことはありませんが
どんな状況にあってもいつも阿弥陀さまがご一緒です。
そしてこの私を慈しみお育てくださる
ご先祖有縁の仏さまがいらっしゃいます。

 お念仏申してこの人生を共々に生かされ生き切って
いよいよ阿弥陀さまのお浄土に
生まれさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏の有難いご法義に遇わせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.5.21)


自己中心のものの見方思いはからい

2022-05-20
 昨日ラジオから聞こえてきたお話です。
私たちはこの世に生まれてこの方ずっと
いろんなことを学習しながら社会生活を営んでいます。

 小さい頃は親や学校の先生に学ぶことばかりですが
歳を重ねて人生の様々な経験を積む中で
自分が習得してきた知識が幅を利かせてくるという話です。

 何でも「はい」と受け入れてきたことが
自分の知識を理屈にして自己主張するようになります。
 これは人間としての成長であり
社会に生きる者として大切なことですが
個々それぞれものの見方が違うことで
お互いに相入れないことが多くなり
苦悩の原因にもなります。

 私たちの行動を裏付ける知識てものをいうのが
自分の経験知だという指摘です。
 私の知識の全体を10とすればその7割が経験知で
3割は人の話を聞いたり本を読んだりして学ぶことですが
殆ど身に入ってこないといいます。

 新たな知識を身につけようと
人の話を聞いたり本を読んだりしても
身に入るのはよくて1割で
私たちは経験値を土台にした自己中心のものの見方で
物事を考え行動しているということで
どこまでも自分勝手なのです。

 それでうまくやって行くんですが
歳をとってくるとこの考え方がすごく硬くなるといいます。
 硬直して柔軟な思考ができなくなるのです。
仏教でいういよいよ自分の思いはからいに
とらわれてくるということです。

 円滑な人間関係の邪魔をするのです。
自分の成功体験を持ち出しては
ああでもないこうでもないと
言わなくてもいいことまで言ってしまう始末です。

 嫌われます。
世代間のギャップが生じ特に若い世代からは
煙たがられます。

 本来は年寄の知恵は先人から伝えられた宝もので
重宝がられるものですが
若い人から言わせると時代遅れということです。

 まさに諸行無常の道理で
時が移り変わっていくなかに
過去のことに執着して結局は時代に取り残されるのです。

 だからこそ学ぶ姿勢が大事になって
くるのではないでしょうか。
 積極的に社会に関わりいろんな人に出会う中で
謙虚に素直に聞かせていただく柔軟さです。

 仏法聴聞させていただく有難さです。
御仏前に座り首を垂れて素直に
阿弥陀さまの言うことを聞かせていただきましょう。

 南無阿弥陀仏のお心一つです。
「我にまかせよ必ず救う」といつでもどこでも
この私に寄り添っておはたらきです。
 私の生きる依りどころ死して帰るところ
生死の帰依処がある安心有難さです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき
大きないのちのつながりのなかに
私たちは共々に生かされているのです。
 今日一日もお念仏申して
生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.20)


4630万円の話題

2022-05-19
 4630万円の話題で
今テレビ新聞がにぎやかです。

 今日の朝刊で当事者の青年が逮捕されて
〇○容疑者と実名で報道されていました。

 これって事件かなと思ったりします。
元はというと山口県の阿武町で
役場が個人名義の通帳に4630万円を誤って
振り込んだことに端を発します。

 当事者が何も要求していないのに
気がづいたら自分の通帳に4630万円もの大金が
振り込まれていたのです。

 世間の常識という言い方で
税金から支出された公金でもあり
分かった時点で即刻返金するのが
当たり前だといわれます。

 皆さん大方が納得するところですが
一旦自分の通帳に入ったお金ですから
お金の出し入れは当事者の判断です。

 ある意味迷惑な話が降ってきたわけで
いろんな経過があって結局は犯罪事件になり
逮捕されてこれから裁判ということです。

 いろんな縁が重なり合ってあれよあれよの展開になり
どこでどう結末をつけるのかわからない事態に
なってしまったということではないでしょうか。

 今分かっていることは4630万円が振り込まれた通帳に
現在は6万円ほどしか残っていないという事実です。
 当事者は全額返済の意思表示をしているそうですが
今回のことで職場を辞めて今は無職ということもあり
所有財産もないことで
全額返済は現実的には難しいといわれます。

 報道だけで言うのも不確かでよくないのですが
普通に働いて暮らしていた青年を
犯罪者にしてしまったようなことで
役場をはじめ社会の対応が気になります。

 人と人とが織りなす社会にあって
本当に真摯な対応ができていたのでしょうか。

 24歳の青年にお金の返済を迫るのに
お母さんを同行したといいます。
 立てこもりなどの凶悪事件で犯人を説得するのに
お母さんや家族がということは
実際の事件やテレビのドラマでもありますが
お母さんに説得してもらったら
うまく行けるとでも思ったのでしょうね。

 真摯で誠実な対応とはとても思われません。
町長は「町民の税金であり全額取り戻す」と
語気を強めて発言していますが
事の重大さを思ったら町長自らの対応もあったはずです。

 テレビの情報番組が一斉に取り上げることで
全国的な大きな事件になり
当事者の個人情報も面白おかしく扱われる始末です。
 大勢の世論の力を借りて当事者を責め立てているようで
誰が被害者かなと思ったりします。

 親鸞さまの『歎異抄』のお言葉
「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし」
を聞かせていただきます。
 縁が整えば
どんなことでもしかねない私だということです。

 今回のことは4630万円が自分の手元に
届いたことから始まります。
 思っても見ないことが
現実にこの私の身の上に起こったのです。

 我が身に引き当てて
私だったらしっかり対応をしたいと思いたいですが
その時どきの縁次第で
どういうことになるかわかりません。

 私たちの社会生活のなかでも
こんなこともあるかなと思います。
 みんな真面目に頑張って生きているなかに
ポクッと4630万円が手元に入ってきて
常識があればということですが
その常識ということが問題だと
仏さまの教えに聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.19)


金仏壇のいわれ

2022-05-18
 昨日入仏法要のご縁をいただきました。
大切なご家族が亡くなられて
初めて円光寺の門徒として
お葬式をさせていただいたことです。

 まだお家にお仏壇がないということで
七日七日のお勤めのなかでお仏壇を申され
入仏法要をお勤めさせていただいたことです。

 昨日お仏壇に初めてお参りさせていただきました。
浄土真宗のお仏壇の特徴である金仏壇です。

 今は紫檀黒檀や家具調のものが多くなりました。
 入仏法要というように
肝心要はご本尊の阿弥陀仏さまをお迎えすることですから
紫檀黒檀のお仏壇でもいいわけです。

 金仏壇はキラキラしていて
現代的な家に合わない落ち着かないという声も聞きますが
浄土真宗のお仏壇は金仏壇ということの意味です。

 浄土真宗のお仏壇は阿弥陀仏さまのお浄土
おさとりの世界を表すものです。
 光明無量の阿弥陀仏さまのお浄土を
無量光明土といいます。

 無量という量ることができない
私たち人間の思いはからいを超えてはたらく
光明の世界というのです。

 阿弥陀さまはお浄土から無量の光明を放って
私たちを摂め取って捨てないおはたらきを
してくださってあるのです。

 私たちは太陽の光電器の光の中にあって
物事を見て日暮らししています。
 どんなに視力の良い人でも
暗闇の中では物事を見ることができず
闇の中で迷い不安になります。

 仏さまの光明というお徳智慧のはたらきです。
光に遇うことで知らされる世界です。
 仏さまの智慧の光でこの私のすべてありのままを
そのまま見せてくださいます。

 私たちの目は外を向いていますから
外のものは見えますが
自分自身の顔を見ることはできません。
 ましてやこの心の中を見ることはできませんが
その心の中までもありのままに見せてくださるのが
仏さまの智慧の光明のお徳おはたらきです。

 見せてくださるということは
そこに光が届いているということで
もうすでに私たちは光の中に
摂め取られているということなのです。

 阿弥陀仏さまの大きなお慈悲の中に救われてあると
お浄土の光明のおはたらきを
金仏壇ということで教えてくださってあるのです。

 お家の中心に阿弥陀さまのお仏壇をご安置し
御仏前にお参りする日暮らしをさせていただきましょうと
ご法話お取り次ぎをさせていただきました。

 お浄土は俱会一処(くえいっしょ)の世界と
お経さまにいただきます。
 お仏壇の御仏前にご家族有縁の皆さんがご一緒です。
この目には見えませんが
お念仏申すなかに
先に往かれたご先祖有縁の仏さまもご一緒です。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
共々に生かされてあることを有難く思います。
 まさに俱会一処のご縁に遇わせていただいて
安心してお念仏申す生活をさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.18)


円光寺
〒870-0108
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