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お念仏を申す生活法話

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お念仏のネットワーク

2022-07-06
 KDDIの通信システムが故障して
昨日86時間ぶりに全面復旧したというニュースです。

 3日と14時間のことですが
今のネット社会では数時間の通信障害でも
大混乱になるということで
今回はKDDI 関連の方にとっては
大パニックの様相でずっと不安だったと思います。

 現代社会は世界中がネットでつながっていて
こちらが追いつけないほど
日に日に便利なネット社会になっています。

 何も持たなくてもスマホ一つあれば
全ての情報が即座に入手でき
買い物にも旅行にも行けるし
ほぼ生活すべてのことができるという仕組みです。

 ところがこの便利な社会も
一つシステムが故障すると
全く裏返しの不便な生活になるということです。

 今回のことで注目されたのが
公衆電話の存在です。

 私が若い頃は公衆電話は至る所にあり
町中で緊急の連絡を要する時は大変助かったものですが
今回スマホが使えないということで
緊急に家族や友人に連絡するのに重宝されたといいます。

 ただ数が少なくどこにあるのかスマホで探せず
探し当てていざ使おうとして小銭がなかったなどの
後日談が報告されています。

 便利な生活を当たり前のように享受してきて
一転してままならない生活に遭遇するということです。
 本当に便利で豊かな安心できる社会生活に
なっているのかなと思います。

 今ここに居ながらにして自由自在に
友人や家族仕事関係の人に連絡を取り合えることは
緊急の場合は本当に便利で安心できますが
ライン友だち同士で一日に何度も連絡を取り合う中で
返事がこないとか遅くなると
不安に思ったり腹が立ったりということを聞きます。

 遠方にいる家族でも
昔は「連絡がないのが元気で生きている証」とも
言っていましたが
緊急時には連絡がつくような手段工夫を
前もってお互いで考えていたことです。

 私たちは自分の日々の生活で精いっぱいです。
今も昔もそうだと思います。
 不安な中につながっている安心ということですが
何か今は通信システムだけが広がりつながって
私たちお互いの大事な根っこが見えなくなっている
ということではないでしょうか。

 私たちのお念仏の世界は
お念仏につながったお念仏のネットワークの社会です。

 阿弥陀さまが一方的に発信くださるネットワークです。
私たちがお互いに連絡を取り合う
ネットワークではありません。

 阿弥陀さまの発信につながった私たちはそれぞれ
阿弥陀さまが発信してくださることを受信する
南無阿弥陀仏の仏法を聞かせていただきます。

 お念仏のネットワークに登録しないと
私が何かをしないとつながらないシステムではなく
もうすでにつながっているのです。
 そのことを聞いてくれよというのです。

 お念仏のネットワークは
私たち人類の歴史と共にできてきたものではなくて
親鸞聖人お釈迦さまそれ以前から
ずーっとできているつながっているのです。

 阿弥陀さまが発信される南無阿弥陀仏のみ教えです。
聞いてくれよ聞いてくれよと
お念仏の声となって
今日も発信し続けておられます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.6)


真実信心を勧め本願を疑うことを誡める

2022-07-05
毎日すてきな朝食をいただきます(2022.7.5.7:30)
 今日から御和讃が最初に戻りました。
「弥陀成仏のこのかたは」で始まる
御和讃から拝読しましたが
和讃全体の第三首目になります。

 この前に二首の御和讃があります。
冠頭讃といって
「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」の
<三帖和讃>全体の序文という意味で
全体のお心が集約されているといわれます。

 第一首目は
「弥陀の名号となへつつ 信心まことにうるひとは
   憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」
(真実の信心を得て
 阿弥陀仏の名号を称える身となった人は
 常に本願を心に思いおこし
 仏のご恩に報いようとするのである)と
次に第二首目は
「誓願不思議をうたがひて 御名を称する往生は
   宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞときたまふ」
(思いはかることのできない阿弥陀仏の誓願を疑いながら
 名号を称える人の往生は
 浄土の宮殿の中で五百年の間
 むなしく時をすごすことになると説かれている)です。

 阿弥陀仏の真実信心を聞信してくれよと勧め
ご本願のお心を疑うことを誡めています。

 信を勧め疑いを誡めることは
「三帖和讃」全体の底に流れている
親鸞聖人の大事なお心といただき
これから53日間ご一緒に
「三帖和讃」を繰り読みさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.5)

お休み時間の有効活用です

2022-07-04
坊守さんの家庭菜園に立派なキュウリが生りました(2022.7.4.8:30)
 今日は月曜日で
三日ぶりのお朝事のご縁です。
 1月末から土曜日曜のお朝事のお勤めをお休みして
半年が過ぎました。

 毎朝お朝事にお参りされる皆さんは
この土曜日曜の朝をどのように過ごされていますか。

 今は陽が開けるのが早くなり
日中はすごい猛暑ということで
外のことを朝早く済ませる方が
多いのではないでしょうか。

 昨日一昨日といつもより早く起きて
土曜日は臼杵の石仏辺りの蓮を観に行きました。
 蓮の花は朝早く開くと言われているので
5時前に出て6時には着きました。

 お朝事のお勤めをすることでいえば
今までは行けなかったことで
ゆっくり楽しんで観賞できました。

 昨日は本堂の前のソテツの剪定をしました。
これも朝早くしないとすぐ暑くなるということで
6時前後に作業しました。

 お休み時間の有効活用です。
いつもはできないことも
工夫して行うということです。

 朝の時間は本当に貴重です。
いつもは仕事や学校に行くのに逆算して
少しでもゆっくり睡眠をとり
起きてからは分単位の朝の支度です。

 早起きして朝の時間にゆっくり自分時間を
有効活用する人もいるでしょう。
 特にこの夏の時期は涼しい朝のうちに
できることがたくさんあるのではないでしょうか。

 その貴重な朝の時間に
皆さんとこうしてお朝事のご縁に遇わせていただきます。

 一人の自分時間ではとても続くことではありません。
頑張って続けようとして中々難しいことです。

 皆さんとご一緒のお念仏のご縁だからこそ
南無阿弥陀仏のおはたらきで
今日もこうして御仏前に座らせていただけたのです。

 朝一番に皆さんが本堂に入られ
ピンポーンとチャイムが聞こえて
私にスイッチが入ります。

 今日は週の初めの月曜日です。
あっという間に今年も半年が過ぎました。
 月日の経つことの早さを思うことですが
今日も一日生きる時間をいただいたことです。
 お念仏申して共々に阿弥陀さまのお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.4)


南無阿弥陀仏の他力にまかせて生きる(2014年アーカイブ)

2022-07-03
すっきりとソテツの初夏の装いです(2022.7.3.9:00)
 大分合同新聞に毎日連載されている
五木寛之さんの『親鸞』がいよいよ最終章です。
 今日のところでいいますと
親鸞聖人が90歳の頃ということですから
ご往生がもう間近ということです。

 五木さん流の親鸞さまのとらえ方がとても興味深く
人間味あふれる親鸞さまが身近に想われて
いいなと思います。

 歳とともに力がどんどん抜けてくるような
親鸞さまの生きざまです。

 まさに命終わる時のご様子です。
「なごりをしくおもへども
 娑婆の縁尽きて
 ちからなくしてをはるときに
 かの土へはまゐるべきなり」
(この世に執着して名残を惜しんでいても
 この世の縁が尽きて生きる力がなくなり命終わるとき
 お浄土へまいらせていただくのです)と
『歎異抄』のお言葉を重ねていただきます。

 私たちは若い頃は特に何をしようこう生きようと
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
生きて生きて生き抜くぞと力が入ります。

 そんな私たちがみんな幸せに
日暮しできたらいいのでしょうが
お互い自分を中心とした思いのなかで
それが言葉になり行動になって
人と人とが支え合うのではなく
逆に傷つけ合うこともたくさんあります。

 それでも頑張って頑張って頑張って
生きるこの私なんだと
日々の生活を振り返って思います。

 頑張ってはぶつかり悩み苦しみ惑う私を
阿弥陀仏さまはしっかりあたたかくご覧になって
南無阿弥陀仏の六字の名号となって
私のところに来てくださり
「まかせよ救う」とおはたらきです。

 「そんなに頑張らなくていいんだよ
私がいつも一緒だから私にまかせて
あなたができる精いっぱいのことを
させていただこうね」とやさしく仰せです。

 阿弥陀さまの他力のおはたらき
南無阿弥陀仏一つにまかせて
ご信心をいただきお念仏申す身にさせていただくのです。

 今日一日もいろんなことがあると思いますが
お念仏申して私にできることを精いっぱい
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2014.7.3)


七夕飾りの願い事(2013 年アーカイブ)

2022-07-02
臼杵石仏辺りの蓮のお花畑です(2022.7.2.6:30)
 昨日1日は円成会の月例会のご縁で
皆さんで昔を思い出しながら
七夕飾りを作りました。

 短冊にしたためた
皆さんの願い事を見ました。

 今一番気になることでしょうか
健康のことが多くありました。

 次にお寺のことです。
「仏法ひろまれ」と
一人でも多くの人がお寺にお参りして
お念仏のご縁に遇ってほしいという願いです。
 有難いことです。

 そして社会の平和を願い
東日本大震災からの復興や原発を無くしてほしいなど
様々な願いが書かれていました。

 若い頃の願いでしたら
自分中心に自分のことばかりの願いでしょうが
段々と歳を重ねていくなかで
願い事の中身も変わってくるようです。

 これまでの人生を振り返り
さまざまな経験を積むなかで
自分の思い通りに行くこともあったでしょうが
失敗することもたくさんあったと思います。

 それらの経験を踏まえて
人生を見直すことができるのも
私たちが歳をとるということなのでしょう。

 ただ歳をとっても気づかないわからないことも
たくさんあります。

 仏さまはそんな私たちに
仏法に自らのあり方を聞いてくれよと
仏さまのご縁に遇ってほしいと願っているのですが
仏さまのご縁に遇うことの難しさです。

 歳をとっても自分のことで精いっぱい
生きることで精いっぱいというのでしょうか
お寺参りにお誘いしても
「今は忙しいからいつか必ずお参りします」と
体よく断られます。

 厳しいことを言うようですが
「仏法には明日はない」と言われます。
 諸行無常の仏法の理で
私たちはどんな人も無常のこの身を生きており
明日の命があるかどうかもわからないというのです。

 いつか明日でもと先延ばししても
結局は仏法に遇わずじまいに命終われば
これほど空しいことはないというのです。

 仏さまに反発するように逃げ惑う私を追いかけて
阿弥陀さまは仏法に遇って
お念仏を申す身になってほしいと
南無阿弥陀仏のお名号になって
喚び通しに喚んでくださっているのです。

 お念仏のご縁に遇って
思い通りにならない人生のあり様を
この身の上に思い知らせてくださり
「人間に生まれて仏法に遇えて本当によかった」と
お念仏申す身にさせていただいたことを
有難く尊く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.7.2)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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