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お念仏を申す生活法話

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この命終えて帰るところがある安心

2022-07-27
 昨日は戸畑の教学寺の前坊守の葬儀で
円光寺のご門徒皆さんからも
御仏前にお供えをいただきまして
誠にありがとうございました。

 恙なくお葬儀のお勤めができて
夕べには白骨となり教学寺の御尊前にご安置して
還骨のお勤めをさせていただきました。

 今はコロナ禍ということもあり
お寺関係ご門徒有縁の方々のお参りは少なかったものの
いろんな思い出をもった親族縁者がお参りでした。

 いい年輩の方が多く
「久しぶりね。元気にしていた」などと言葉を交わし
悲しいご縁のなかにも賑やかな雰囲気がありましたが
葬儀が終わると皆さん
潮が引くように帰って行かれました。
 私たち家族5人もそれぞれの家に帰りました。

 日頃中々会えない者同士が葬儀のご縁で再会し
そしてそれぞれ帰って行きます。
 久しぶりに会えて賑やかに談笑し
また別れ行く寂しさに何かもの悲しい思いが募ります。

 今日も皆さんとお朝事のご縁で会うことができました。
日々の生活ぶりはそれぞれ違いますが
南無阿弥陀仏の大きないのちのご縁つながりのなかに
共々に生かされて生きている有難さを思います。

 帰るところがある有難さです。
それはこの命終わってもそうです。
 今生に仏さまのご縁をいただき
お念仏申す身にお育ていただいて
同じお浄土に帰って行けるのです。

 人の命終えてこの目に懐かしい姿を見ることも
懐かしい声を聞くこともかないませんが
私のこの口から出てくださるお念仏の声となって
これからもお念仏の中に共に生きてくださると
聞かせていただきます。

 「私のことを思い出すときはお念仏申しておくれ」と
いつでもどこでもご一緒してくださる
仏さまとなってくださったと
またお念仏申させていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.27)


お念仏のお同行からの便り(2013年アーカイブ)

2022-07-26
 昨日あるお念仏の同行から
お手紙をいただきました。

 今度次男さんが結婚することになって
相手の娘さんを初めてお家に連れて来られた時の
お話が書かれてありました。

 お家にあがって直ぐお仏壇にお参りして
手を合わせてくださったといいます。
 次男もその横に座って
一緒に仏さまにお礼をしていたということです。

 その光景に大変感激して
その思いを素直にその方が娘さんに言ったそうです。
 すると娘さんから
「これはおばあちゃんがいつもこのようにしていたから」と
当り前のようにさせていただきました
という返事だったといいます。
 そのことを聞いてまた感激したとありました。

 何か当たり前のようですが
今はこの当たり前が当り前じゃないというか
特別なことのようになっています。

 それこそ他所のお家の仏間に入って
仏さまを背にしても平気というか
何とも思わないという感覚といいますか
その人が善い悪いということではなくて
その立ち居振る舞いが自然にできているという
清々しさ美しさがとても素敵だなと思うのです。

 お家の中心に
お仏壇をご安置させていただきます。
 お仏壇の真ん中に
浄土真宗の御本尊の阿弥陀如来さまです。

 お家の主の阿弥陀さまご先祖有縁の仏さまに
まずご挨拶を申してお家の方にご挨拶するということが
身についていることの麗しさです。

 私が言うと我田引水のように聞こえるかもしれませんが
皆さんの普段の日暮しのなかで
そういうことに出あえたら
何とも清々しい思いになるのではないでしょうか。

 私が私がと自己中心に生きているお互いですが
そういうなかで仏さまが中心の大きな世界を
つくってくださったということです。

 私たちは自分を中心に
自分の思い通りにしたいやりたいと欲の心を起こし
思い通りにならないと怒る心が起こります。
 仏さまから見ると
何とも愚かな私であります。

 その私をそのまま救うてくださる仏さまが
阿弥陀如来さま南無阿弥陀仏の仏さまなのです。
 阿弥陀さまご先祖有縁の仏さまを
お家の中心にいただくことによって
何をしでかすかわからない私だけれども
「この道を来い」と喚んでくださるお念仏の道を
歩ませていただけるのです。

 最後の文面に
「息子は本当にいい娘さんと巡り会えて幸せやなあ」と
書いてありました。
 その幸せはそのまま
そのお父さんの幸せでもあると思いました。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.7.26)

看取りの声かけ

2022-07-25
 一昨日の23日に坊守の母で
戸畑の教学寺前坊守が往生されました。

 私もすぐ駆け付けました。
やすらかなお顔の戸畑のお母さんでした。

 通夜葬儀はどこのお寺も忙しい土曜日曜をさけて
今日のお通夜で明日のお葬式です。

 昨日は日曜日で法事の予定が午前と午後にあり
その間の午後1時にお葬式が入って
お礼参のお勤めが済んだのが夕方5時半頃でした。
 それから急いで平松さんに散髪を
してもらいに行きました。

 バタバタと忙しい日々の生活の中で
大切な方とお別れする悲しみのご縁です。

 5月末に容態が急に悪くなり入院して
意識が殆どないなかで
リモートでの一週間に一度の面会でしたが
本当に有難いなあと思うのは
お寺で生まれ育って
仏さまのご縁に遇わせていただいたことです。

 住職の長男がリモートで声をかけると
その声に反応するというのです。
 娘の坊守が行って声をかけると
反応するといいます。

 声かけです。
いつもの日常の声かけです。

 いよいよ最期の看取りです。
もう危ないということで病院から連絡があり
すぐ長男が行って声をかけたそうです。

 看取りの声かけです。
「お浄土でまた会おうね」「お浄土で会おうね」と
いつもの声で何度も何度も言ったそうです。
「後から往くから迎えてくれよ」と
「教恵も往くから迎えてくれよ」と言ったそうです。
 お母さんの目から
涙が流れたといいます。

 平生日頃の声かけです。
日頃から声かけが出来ている出来ていたということです。
 お念仏の声かけです。
お念仏の声のおはたらきの中に
私たちは共々に生かされて生きているのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
私たちはこの人生を生き抜いて
命終わる時にそのままお浄土に
生まれさせていただけるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申して
「往ってらっしゃい」と
お浄土に見送ることができるのです。
「往ってきます」と見送られるのです。

 阿弥陀仏が「あなたの命そのまま引き受けた
必ず救う」と南無阿弥陀仏のおはたらきで
私たちのために用意をしてくださっているお浄土に
先に往く者も後に遺る者も
確かに確かに往生させていただくと聞かせていただきます。

 俱会一処のお浄土で「また会いましょう」と
お念仏の声かけがつながります。

 住職がポツンと言いました。
「お念仏に遇えてよかった」と言いました。

 この人生を生きてきた中にはいろんなことがありますが
自分の都合でものさしで善いとか悪いとか言って
日暮らししている私たちお互いです。

 有難いことにこの人の世に命を恵まれ
尊いご縁があって仏さまのみ教えに遇わせていただき
お念仏を申す身にさせていただきました。

 いろんなことがあったけれども
「この人生本当によかった」と
お念仏申して往生浄土の人生です。

 私たちもすでに歩んでいる
往生浄土のお浄土への人生ですが
これからも思い通りにならないいろんなことがあります。
 どんな状況にあっても阿弥陀さまがご一緒の人生です。
「この人生本当によかった」と
人の命は終えますがそのままお浄土の仏さまとなって
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださるのです。

 「いつも私が一緒だよ。
どんなことがあっても
あなたを見捨てることはないから大丈夫
安心してあなたはあなたの命を精いっぱい輝かせて
一緒に往生浄土の人生を生きて往こうね」と
懐かしい戸畑のお母さんの声が聞こえてきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.7.25)


お念仏のおはたらきに生かされて継続は力なり(2010年アーカイブ)

2022-07-24
 大相撲の横綱白鵬が45連勝で
大鵬の記録に並んだということです。

 ずっと勝ち続けるということには
大変なプレッシャーがかかるといいます。
 勝ち負けは裏表で勝ちがあれば負けがあるということで
いつかは負けるがそのいつかはわからない
自分の力でもって相手を制することはできても
相手があるということでままなりません。

 私たちも日々生活も実はそういうことの繰り返しを
続けるということで大変なことです。

 継続は力なりといいますが
続けていく過程においてどうしても私に力が入ります。
 私がという力ですが
そこにいろんな不安や苦しみ悩みが起こってきます。

 継続は力なりという力は
おはたらきのことです。
 続けていくことによって
大きな力おはたらきに生かされてあるということです。

 私たちは生きています。
実はこの生きていることも生き続けているわけですが
生き続けていることについて力が入ります。
 力が入るときがあるんですが
そのとき苦しみ悩み迷いのなかにあると思ったりもします。

 生かされてあったと
今朝目が覚めて本当に生きていた生かされてあったと
気づかせていただけるというのが
そこに大きなおはたらきがあるということなのです。

 今日もこうして皆さんとお朝事のお勤めができました。
このお朝事も毎朝続けるということですが
続けようと力が入ると苦しみ悩みがでてきて
中々難しいことになってきます。

 皆さんとご一緒にお朝事のご縁をいただいて
生かされてあったと気づかされれば
まさに継続は力なりで南無阿弥陀仏の
大きなおはたらきのなかに共々に生かされてあると思い
今日も一日生き抜かせていただけることです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.7.24)


お朝事のご縁にお寺に帰る(2011年アーカイブ)

2022-07-23
 お浄土はこの命終えて帰る処
私のいのちのふるさとと聞かせていただきます。

 ふるさとには帰るといいます。
旅をして家に帰る外出して家に帰るといいます。
 家とは自分が住んでいる私の家元居た所ですが
お浄土には私はこれまでも行ったことはないし
私の家ということではありません。

 阿弥陀さまのお家です。
その阿弥陀さまのお家に帰るというのです。
 外出して家に帰るということでいえば
日々お浄土に帰るということです。

 お浄土は阿弥陀さまのお家です。
阿弥陀さまは今現在お浄土でお説法をされていると
お経さまに書かれてあります。
 阿弥陀さまのお説法はお念仏のみ教え
私たちすべての生きとし生けるものを救い取るという
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 この阿弥陀さまのお浄土からのお念仏のおはたらきを
私たちは日々聞かせていただくのです。

 私たちの日々の生活をちょっと振り返ってみても
毎日いろんなことがあります。
 ちょっとしたことで傷ついたり振り回されたりと
苦しみ悩むことがたくさんあります。

 この苦悩の中に惑い迷うこの私をみそなわして
お念仏のおはたらきで一つ処に帰らせていただく
阿弥陀さまのお救いです。

 私はそれがこのお朝事のご縁といただいています。
お朝事は日々の生活今日一日の出発点です。
 お念仏申しお浄土からのおはたらきをいただいて
昨日までの生活を振り返り
今日の一日を始めさせていただきます。

 南無阿弥陀仏のおはたらきをいただくなかに
私たちは今日一日をまた生きていくことができると
これがお念仏のご法義の力おはたらきです。

 お浄土の阿弥陀さまの智慧と慈悲のおはたらきです。
智慧の光に照らされ慈悲の心おはたらきに生かされて
阿弥陀さまがいつもご一緒してくださることで
決して独りじゃないということです。

 今日もたくさんのお朝事同行がお参りです。
一人じゃありません。
 先ほど「おはようございます」と
互いに声をかけあっていましたね。

 この声南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「われにまかせよ必ず救う」
「いつも私が一緒だから大丈夫だ」のお念仏の声に
支えられ励まされて
私たちは日々の生活をさせていただいていると
阿弥陀さまがいらっしゃるこのお寺の本堂に
帰らせていただくのです。

 お寺は私たちの心の古里
帰るところだったのですね。
 これからまた今日の一日が始まります。
皆さんはそれぞれお家に帰ります。
 家に帰って今日もまたいろんなことがあると思いますが
お念仏を申しつつ共々に生かされて
また明日の朝このお寺に帰ってきてください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.7.23)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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