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お念仏を申す生活法話

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臨終のご尊顔

2022-06-01
裏戸の庭のお花たち(2022.6.1.6:00)
 今日から6月水無月です。
水が無い月と書きますが
これから梅雨に入って雨水を見ることが多くなります。

 裏戸の庭の花壇に今紫陽花が満開できれいです。
紫陽花はこの雨の時期に合います。
 雨でうっとうしい心をほっと癒してくれる
お花のはたらきです。

 今朝早く電話でお葬儀の連絡がありました。
実はこの1ヵ月20日余りお葬式がありませんでした。
 昨日この前のお葬儀の満中陰のお勤めがありましたが
満中陰が済む頃にお葬儀ができることが
これまでもありました。

 ご門徒有縁の方のご縁です。
大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょう
とお取り次ぎさせていただきます。

 この人間界に命恵まれて
生きて命終えていく私のいのちの物語です。
 元気で長生きしたいと思い
身近な人にいつまでも長生きしてほしいと思うのは
人の情ですが
到底かないません。
 どんな人もいつか必ずこの命を
終えていかねばならないのです。

 この後臨終勤行にお参りさせていただきます。
お勤めの後でお顔を拝見させていただきます。
 皆さんいいお顔をしています。
本当にいいお顔です。

 こんなことを思います。
私たちは日々自己中心に自分の思いはからいで
お互い生きています。

 皆が自分の思い通りに生きていければいいのですが
ままなりません。
 自分の思い通りに生きて笑う人がいれば
そのすぐ傍で泣く人がいるといった具合で
喜怒哀楽のそれぞれの人生です。

 笑う時もあれば泣く時もある
喜ぶ時もあれば怒る時もあります。

 悔しい思い悲しい思い嬉しい思いが
そのまま顔に出ます。
 隠しても何かの拍子にぽろっと顔に出るのが
私の本当のすがたです。
 ままなりません。

 その思いはからいがすっとなくなったお姿が
臨終のご尊顔だと見させていただきます。
 仏さまのお顔そのままです。

 今日も皆さん手を合わせて
ナンマンダブツとお念仏申しましたね。
 ナンマンダブツとお念仏申すお顔は
仏さまのお顔です。
 ただずっとそのお顔のままではありません。
日々の生活の中に私の様々な思いが出てきます。

 お念仏申しましょう。
ナンマンダブツとお念仏申すなかに
隣の人もみんな仏さまの大きなお慈悲のおはたらきに
共々に生かされてあるんだなと聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.6.1)


私のいのちの一大事の用事です

2022-05-31
 昨日お寺のご院家さんのお葬式に
お参りさせていただきました。

 少し早めに行ってご遺族とお話したことですが
「御無沙汰しております」で始まりました。
 コロナ禍ということでもありますが
もう2年それ以上も会っていないということです。

 そんなに長い時間お話をすることではありませんが
何かふっと落ち着きますね。

 悲しみのご縁です。
「大変お世話になりました」とお礼申し上げ
先に往かれた方を仏さまと仰いでいける
仏さまのご縁といただきます。

 先に往かれた仏さまが私たちのことを思うて
人と人のつながりご縁をつくってくださるのです。

 懐かしい人に会いました。
もう30年も40年も前のことで
一緒にお仕事をしたり活動したりという方です。

 今はネットの社会ですから
携帯で電話すればすぐ声が聞こえることですよ。
 でもこれが中々どころじゃありません。
何か用事がないと連絡も電話もできないということです。

 何か用事です。
悲しみのご縁ですが用事です。
 仏さまがつくってくださる
大事な用事です。
 世間の用事ではありません。
この私のいのちの一大事の用事です。

 仏さまが南無阿弥陀仏とおはたらきくださって
この私にお念仏申してくれよとおはたらきです。

 人と人が出会いと別れを繰り返す
私たちの日々の生活ですが
共々にお念仏申して
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
今もそしてこれからもずっと
生かされて生きて往ける有難さをまた思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.31)


日々阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて生きる有難さです

2022-05-30
 昨日はずっとテレビでスポーツ観戦でした。
プロ野球セパ交流戦から日本一を決めるラグビーに
バスケットにそしてカーリングと白熱したゲームばかりで
面白くついつい観入ってしまいました。

 その中で競馬の祭典ダービーがあり
3年ぶりに6万人を超える大観衆で盛り上がりました。

 武豊騎乗のドウデュースが優勝しました。
武豊といったら私が若い時分から活躍している
日本競馬界のレジェンドです。

 53歳ということで
ダービー制覇の最年長記録だそうです。
 初めてのダービー制覇が29歳といいますから
四半世紀第一線で活躍しているということです。

 インタビューの姿雰囲気も
若い時分と変わっていません。
若いです。

 ジョッキーの頂点に立つわけですから
他のスポーツもそうですが
日頃の鍛錬があり努力の積み重ねがあって
超一流の活躍ということです。

 そこで思ったのは
武豊さんがいつまでも若い若いと思っている
私がいるということです。
 自分もまだまだ若いと思っているのです。

 ところが実際はもういい歳なのです。
「歳をとったなあ」と実感することが多くなりました。

 武豊さんが53歳ならばその年齢差はずっとそのままで
私たちも歳を重ねているということです。

 今日はお寺のご院家さんのお葬式にお参りします。
私が若い時分にお世話になった方ですが
よく知っている方のお葬式が多くなりました。
 私の同年輩の方もいらっしゃいます。

 実は私もそういう歳になったのです。
何があってもおかしくない歳です。
 蓮如上人の「往生の死期もちかづくかとおぼえ候」
御文章のお言葉が思い起こされます。

 諸行無常の理の中に
日暮らしさせていただいていることの実感です。
 南無阿弥陀仏のおはたらきの中に
生かされてあることの有難さです。

 今日もこうしてお念仏を申して
日暮らしを始めさせていただきます。
 若くても老いてもどんなことがあっても
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に
お参りさせていただける有難さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.30)


南無阿弥陀仏「あなたがいるから生きて往ける」(2013年アーカイブ)

2022-05-29
 昨日挟間町のお寺さんで
大海組仏教婦人会の総会があって
ご法話お聴聞させていただきました。

 「あなたは生きる価値があると思いますか」と
アメリカ、韓国、日本の子どもたちに聞いたところ
アメリカは60%、韓国は20%、日本は6%が
価値があると思うと答えたといいます。

 日本では94%の子どもが
生きる価値を見いだせないでいるという結果です。
 その原因は今の教育にあるといわれます。
親は子どもに日常どう言っているのか
「何々しなさい」と命令し
「何々してはいけない、駄目だ」と
言っているというのです。

 つまりは
「そんなことしているから駄目、こうしなさい」と
子どもの有り様を否定することになっているとの指摘です。

 今の私を喜べない、自信を持てないということです。
それで生きる価値があるとは思わない
ということになるのでしょう。

 私たちの阿弥陀さまのお救いは
条件付きのこうしたらこうなったら救ってあげる
という救いではありません。

 南無阿弥陀仏のおはたらきで
そのまま救うというのです。
 あなたはあなたのままでいいんだよ
というおはたらきです。

 お釈迦さまが生まれて初めて発した言葉は
「天上天下唯我独尊」です。
 あらゆる世界のなかで唯我独り尊しと
言われました。

 私だけが尊くて
私以外は尊くないということではありません。
 みんな一人一人が「天上天下唯我独尊」なのです。
「天上天下唯我独尊」という
世界でたった一つの命を恵まれ
「天上天下唯我独尊」の命を生きて
命終わる時そのまま阿弥陀さまのお浄土に
往生させ成仏させていただける
阿弥陀さまの大きな願いがかかった
尊いいのちなのです。

 「私がいつも一緒だから大丈夫
決してあなたを見捨てないよ。
恵まれたこの命を精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往こうね」と
そのまま救うとお立ち姿の阿弥陀さま
南無阿弥陀仏のお名号となって
私と共に生きてくださる
仏さまになってくださったのです。

 「あなたを独りぼっちにしないよ」と
この私を喚んでくださり
いつでもどこでも阿弥陀さまから見護られ
思われているということです。

 「あなたがいるから生きていける」と
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.5.29)


還暦の同窓会です(2012年アーカイブ)

2022-05-28
 一昨日の土曜日(5月26日)に別府で
高校時代の還暦の同窓会があって出席しました。

 18歳で卒業して42年ぶりに会う方が殆どで
42年も経つとお互いに誰が誰かわかりません。
 3年の時のクラスごとに受付があり
名前と写真を入れたネームプレートをもらって首にかけ
やっとお互いに「いやあ、あなたか」ということでした。

 お互いですけれども本当に皆さん変わっています。
42年経つんですから変わりますよね。
 42年です。
お互いいろんなことがあったと思いますが
生きてきたということです。

 もうひとつ思ったことは日頃ということです。
日頃の生活でいいますと
私はお寺という同級生の皆さんとは
ちょっと違った環境で生活をしていますから
日頃の会社や仕事の関係は殆どありません。

 教育関係のつながりであったり
医療関係のつながりもあるでしょうが
そうした日頃の社会的な関係がありませんから
本当に42年ぶりに会ってもわからないし
話しの仕様がないのです。

 今度は小学校の還暦の会をしますが
小中学校の同級生の関係つながりは
高校の同級生とは大分趣が違うような気がします。

 小中高の学生時代を共にした仲間です。
それこそ東京大阪に出ていった人には大分は古里ですね。
 古里に帰って来て人に会う。
その人はひとつには同級生ですよね。
 懐かしい人と再会して
また生活の場に帰って行きます。

 帰って行くその生活の場は違いますが
お互いに「また頑張っていこう」と
生きる力をいただけるのが
同窓会かなと思ったりします。

 このお朝事のご縁です。
お朝事もある意味同窓会です。
 同じお念仏のみ教えにつながった
同じお浄土への人生を旅する私たちは
お念仏の同行です。

 お念仏の同行の同窓会です。
毎日が同窓会です。

 毎朝こうしてご一緒に
御仏前にお参りさせていただいて
生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏を申して生きて往こうと
生きる力をいただいて
今日の一日を始めさせていただける
お朝事のお勤めと有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2012.5.28)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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