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お念仏を申す生活法話

この私を煩悩具足の凡夫と知らせてそのまま救うてくださる阿弥陀仏さまです

 阿弥陀さまはこの私のことを煩悩具足の凡夫と見てとられました。
煩悩といって何か特別な時にふっと出てくるものではありません。
具足というのはこの身も心もいつも煩悩まみれというのです。
 
 昨日まで三日間京都に行ってまいりました。
大分からソニックに乗って小倉で新幹線に乗り換えて京都に行きますが、途中でソニックが20分ほど遅れました。
「人影を見かけたので確認をしています。しばらくお待ちください」というアナウンスがありました。
何度か同じ放送があって、間もなく動くのではないかと思って20分が経ちました。
 
 小倉での乗り換え時間が18分でした。
しばらくして「小倉で次の新幹線に乗られる方はご乗車できませんので窓口でその次の新幹線に変更をお願いします」と
放送がありました。えっと思いました。
 
 本山での会議の1時間ほど前に京都に着く予定で電車に乗りました。
新幹線のぞみは1時間に2本あります。それで次ののぞみでも会議には間に合うだろうと
窓口でチケットを変更して新幹線乗場に行くと「次の新幹線は博多小倉間10分の遅れです」とアナウンスがありました。
 
 えっこれは大変、京都に何時に着くのか会議に間に合うのか、いくら思ってもどうしようもありませんが
それからは再々時計を見ながら何度となくどうしよう困ったと心配と不安でいっぱいになりました。
 そして腹が立ってきました。
私には全く非がないのに何でこんな目に合わないといけないのか、JRは何をしているのかなどと
そこらじゅうに恨みつらみをぶつける始末です。
 
 平生自分の思い通りにいっている時は至極当たり前のことと
周りに感謝する気持ちもなく涼しい顔で振る舞っている私たちです。
 ところが何か自分の思わないことがちょっとでも起こったら心の中はもうイライラが募ります。
そして怒りです。顔は冷静を装っていますが心の中はまさに周りを責めたてる鬼の様相です。
 
 いつも順調にいくのが当然でちょっとでも歯車が違うと怒りになる。
本当に見事ですね。
 私たちが持ち合わせる三毒の煩悩です。
貪欲、欲の心です。瞋恚、怒りの心です。そして愚痴、愚かな心です。
 
 京都に会議の5分前に着いて間に合いました。
結果だけでいったらよかったということですが
本山に着くまでの時間それこそ私の心は煮えたぎった鬼の心のそのまんまでした。
 
 どこまでも自分中心の思いを振り回す本当に愚かな私がいます。
もっと余裕をもって早い電車で行けばよかったということです。
 この世のことは無常の沙汰で、何が起こるか分かりません。
自分の思い通りにいっていることが偶々なことで思い通りにならないということが真実なのです。
 
 その真実に気づくことなく気づこうともせず自分を中心に生きる私を
阿弥陀仏さまは煩悩具足の愚かな凡夫と見られたのです。
 
 そんなことでは駄目ですよ、こうしなさいと私に注文をつける阿弥陀さまでしたら
私が救われていく行き場がありません。
 阿弥陀さまは愚かな凡夫と知らせてそのまま救う仏さまになってくださったのです。
愚かな凡夫と知らされてお念仏を申すなかにそのまま救われて往くんですね。
 
 欲の心怒りの心愚かな心を暇なくおこすこの私を憐れんで
そのまま抱き取ってくださるアミダさまがいてくださるから、私の居場所があるのです。
 お念仏申させていただくところ、ここです。
煩悩具足の凡夫が生まれ往くところ、阿弥陀さまがこの私のためにお浄土を用意してくださってあることを
ナンマンダブツお念仏を申すなかに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.21)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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