「ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」
今拝読させていただきました毎月19日の御文章さま「末代無智(まつだいむち)章」です。
「聖人一流(しょうにんいちりゅう)章」とともに日常よくいただく皆さんもご存知の御文章です。
この「末代無智章」を臨終勤行で拝読させていただきます。
最後に「ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」とあります。
臨終勤行は人生の終わりに臨み今までお育ていただいたお家のご本尊(阿弥陀如来さま)に
最後のお礼をするお勤めのことですが
実際には命終の後に僧侶が故人に代わってお勤めをします。
命終の後のお勤めに「いのちのあらん限りは」と御文章を拝読させていただくのは
悲しみのなかにご一緒に臨終勤行のお勤めをされた有縁の方々へ
先に阿弥陀さまのお浄土に往き仏さまに生まれてくださったお方のお説法と聞かせていただきます。
この人の世に命をいただいた上はどうか仏法に出遇ってくれよ
どうかお念仏申す身になって往生浄土の道を歩んでくれよと
「いのちのあらん限りは称名念仏すべきものなり」とお念仏をお勧めなのです。
臨終勤行から始まってお通夜お葬儀七日七日の中陰と仏さまのご縁をいただきます。
仏法を聞いてお念仏申してくれよとの仏さまの大きな願いのなかに私たちの日々の生活があることを有難く思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.4.19)
