本文へ移動

お念仏を申す生活法話

どんなことがあってもそのままお前を必ず救うと南無阿弥陀仏のお心おはたらきです

 34年前の1985年に熊本で起きた松橋事件の再審裁判があって無罪が確定したということです。
殺人罪で13年の懲役刑を受け収監されて、今その方は85歳です。51歳の時でした。
 
 冤罪(えんざい)です。罪がないのに罰せられるということです。
誰が裁き罰するのか。人なんです。裁判官も人、検察官も弁護士も人、警察官も人、みんな人なんです。
 人と人との関係のなかで裁きがあり処罰されるのです。その人のこれからの人生が大きく決定されるということです。
最高刑は死刑です。死をもって罪を償うといいますが、罪がないのに死刑になった方がこれまでいなかったのか
ちょっと考えただけで恐くなります。
 
 警察や検察の仕事は罪をつくることではありません。
罪を明らかにして公正に裁かれる裁判制度があって社会の秩序が守られるのです。
 被害者の遺族感情としては加害者に罪を償うというより極刑に処してほしいということでしょうが
自分がその場に立ってみないとわからないことだと思います。
 
 ただこの私が加害者になりうることもあるということです。
歎異抄に親鸞聖人が「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし」と仰せられたとあります。
 自分が善い人だから罪を犯さないのではないんです。
悪い人だから殺人を犯すということでもありません。
 いろんな縁が重なりあって、人を一人いや百人殺すことだってある業をこの私が持ち合わせているということです。
そういう私を阿弥陀仏さまは罪業深重の凡夫と見抜かれて「我にまかせよそのまま救う」とおはたらきなのです。
 
 善いことをしなさい悪いことをしてはいけないよと言われても
善いこと一つできない「さるべき業縁のもよおさばいかなる振る舞いもすべし」私を見抜かれ悲しまれたお心で
スーッとお立ちになり南無阿弥陀仏と私のところに来てくださって「我にまかせよ必ず救う」と喚ばれてあるのです。
 
 そのこと一つ聞いてくれよとおはたらき通しなのです。
聞いて善いことができ悪いことができなくなるのではありません。
 この身を生きる限りはこれからも縁あらばいかなる振る舞いもすべしこの私と聞かせていただきます。
煩悩具足の凡夫の身と知らせた上での阿弥陀仏さまのお救いです。
 
 南無阿弥陀仏のお心で必ず救うとおはたらきです。
この私を悪人と知らせた上でそのまま救うというんです。
 私阿弥陀の言うことを一つも聞かない悪いことばかりするお前だからもう知らないと見捨てるのではなく
そのまま救うとはそれほどまでの深い深い大悲、大きな悲しみの心おはたらきだということを
また我が身のこととして聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.29)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
0
7
2
2
3
8
TOPへ戻る