阿弥陀さまから開かれたこの道を往きましょう
1月31日です。早いもので今年も一か月が過ぎます。
慌ただしく過ぎ行く日々のなかで受験生にとっては大変な思いで毎日日暮ししていることと思います。
今は幼稚園からお受験があるということですが
私たちの頃は高校入試が人生の最初の難関でした。
15の春といいます。
ただ志望校に合格する人ばかりではなくて、思い通りにならなかった結果に失意の涙を流す人もいます。
振り返り見れば私たちの人生は受験をはじめさまざまな選択の繰り返しです。
2月のことばは「回り道も えじゃないか あなたに遇えた おかげさま」です。
自分の思い通りに我が人生を選んで行ける人は一人もいないのではないでしょうか。
人生の岐路に立ち右に行こうか左に行こうかそれともと戸惑うなかに不安をおぼえる私です。
それで結果自分の思い通りにならないことにぶち当たり
何か回り道をしているような人に後れを取っているような不安のなかに一層迷いが深まります。
私が歩むこの道は一つ道です。この道で人との出会いがあります。
この道だからこそのあなたとの出会いです。ご縁としかいいようのない不思議な出遇いです。
あなたに遇えたこの道は私が独りではなくあなたと一緒に歩く道でした。
私の人生この道は後戻りできない、やり直しはできません。
でもあなたに遇えてよかったおかでさまと見直し喜んでいける人生でありたいと思います。
あみだくじです。出発点から線が次々あってゴール目指して進んでいきます。
私たちの人生もこのあみだくじのようなものだと思います。
まっすぐ行こうと思ったら突然横棒が入って左右どちらかに行かねばなりません。
そしてまたまっすぐ行こうと思ったらまた横棒と、右に行ったり左に行ったりということです。
あみだくじのあみだは阿弥陀如来のことで、室町時代からあった当時のあみだくじは放物線状のものだったそうです。
それが阿弥陀さまの後光のようだったという由来です。
阿弥陀は無量という意味ではかりない無量の光ということです。
阿弥陀九字の南無不可思議香如来の名号のすべてのものを摂取の光明におさめとって捨てないというおはたらきです。
無量の縁のなかに生き放っておいたらどこに行ってしまうのかわからないこの私を目当てに阿弥陀九字はあるのです。
それぞれの人生を歩む私たちですが、結局は阿弥陀如来の後光発するところに還っていけるのです。
何度も何度も迷うなかにも振り返ってみれば一つの道だった
それも自分が切り開いていく道ではなくて阿弥陀さまから開かれたお念仏の道だったといただきます。
この人生いろんなことがあったけれどもどのこと一つすべてが南無阿弥陀仏のあなたに遇わせていただくご縁でしたと
ナンマンダブツとお念仏申してお浄土参りをさせていただきます。
今日も右に行こうか左に行こうか迷うなかにも阿弥陀さまがご一緒されるこの道を生きて往きましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.31)
