「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」
昨日別府別院の初法座のご縁にお参りさせていただきました。
佐賀の方からご講師がみえてご法話お聴聞させていただきました。
ご法話のご讃題は礼讃文といってどの仏教聖典にも大抵載っている御文で
「人身受け難し今すでに受く仏法聞き難し今すでに聞く」でした。
人身というのは人の身この人間に生まれるということは本当に難しい中にできてこの私が今ここにあるということです。
そして人間に生まれても仏法に遇うことはこれほど難しいことはないというのです。
お釈迦さまの譬え話に、ガンジス河という大きな川の河原の無数にある砂を手にすくい取ってお弟子さんに
「人間に生まれるというのはこの河原のすべての砂の中のこの手にしたこれぐらいなものだよ」と言って
そしてその砂を指先だけに残し払って
「人間に生まれたなかでも仏法に遇うことはこの指先の砂ほどに有難いものなんだよ」と教えられたといいます。
人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さとを譬え話で
人間に生まれる確率は年末ジャンボの1等10億円の宝くじが100本100回当たるようなもので
1回当たるのも甚だ難しいなかでこれほど難しいことはないとお話されていました。
そして人間に生まれたなかで仏法に遇わせていただくということです。
私たちは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道六つの世界を輪廻してこのたびは人間に生まれたということです。
この六道すべてが迷いの世界ですが、人間世界に生まれた意味は仏法に遇えるご縁をいただくということなのです。
お釈迦さまがこの人間界に生まれ出てくださったということです。
私たちと同じ人間の身を生きおさとりを開かれて仏に成られます。
そして仏法を説かれお経さまとして私たちに伝えてくださってあるということです。
お釈迦さまは迷いの人間世界に生きる私たちに
仏法に遇って今度こそは六道の迷いを超えて仏の世界に生まれて来いよと願われています。
人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さを思います。
仏法に遇うために人間に生まれさせていただいたといただきます。
今ここにこの私が仏法のご縁に遇うことができたことを有難く受けとめて
これからもお念仏申すなかに日々生活させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.9)
