聞というは仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし
浄土真宗は聞の宗教といわれます。
お寺は聞法の道場といいお聴聞が肝要と勧められます。阿弥陀さまのご本願を聞くことです。
親鸞聖人は「仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし」とお示しです。
仏願とは仏さまの願い、阿弥陀さまが起こされたご本願です。
生起というのは、なぜご本願を起こされたのかということです。
本末とはその結果どうなったのかということです。
何故ご本願を起こされたのかというと、そこに迷いの衆生、苦悩する私たちがいたということです。
この衆生をすべてもらさず必ず救うというご本願を建てられ永い永い間ご修行を積まれてご本願を成就し
阿弥陀如来さま南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったということを聞かせていただくのです。
疑心あることなしとあります。疑い心なくそのまま聞けよといわれるのです。
阿弥陀さまのお救いはそのままのお救いといいます。そのこと一つそのまま聞かせていただくのです。
浄土真宗のみ教えはキリスト教とよく似たところがあるといわれます。
キリスト教では天国に昇天するといい浄土真宗ではお浄土に往生するといいます。
キリスト教は罪ある者を悔い改めて救うといい浄土真宗は罪ある悪人を目当てに救うといいます。
ただ根本的に違うのはキリスト教の神は創造主といって私たち人間を造ったといい私たちは神に成ることはできません。
一報浄土真宗のご本尊の阿弥陀さまは私たち人間がつくったということができるというお取り次ぎをいただきました。
阿弥陀さまが何でご本願を建てられたのかということです。
五濁悪世に迷い苦悩する衆生私たち人間がいたからこそのご本願なのです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちを摂め取ってくださり阿弥陀さまのお浄土に生まれさせ
阿弥陀さまと同じさとりの仏さまにしてくださるのです。
お念仏申すそのままに南無阿弥陀仏のお心おいわれを聞かせていただきそのまま救われて参りましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.11.20)
