今求められているお坊さんとは?
2018-08-30
昨日は公聴会といって年に一回ご本山から総局が各教区を巡回して宗務の方針について述べ意見聴取する会がありました。
教区・組の役職者を中心に僧侶だけでなくご門徒の方も出席されました。
多くの協議事項のなかで、10年20年後の日本社会で求められるお寺僧侶について有識者会議から答申があり
それを受けて僧侶育成体系プロジェクト委員会より具体的な取り組みに関する提言がありました。
聞き方によっては理想的なすばらしいお坊さん、スーパー僧侶になりましょうという提言でした。
期待される僧侶ってどんなお坊さんなのでしょうか。
お勤めが上手にできる、ご法話もうまい、僧侶として立ち居振る舞いがきれいで生活ぶりも完璧であるというお坊さん。
ほれぼれしますね。でも私のことでいったら穴があったら入りたい気分です。
私たちのご開山親鸞聖人はどういうお坊さんだったのでしょうか。
私たちと同じ人間に生まれさまざまな苦悩に生きるなかで阿弥陀如来の本願念仏のお救いに遇われたお方です。
90年のご生涯はすごい長寿ですが、長生きすればするほど思い通りにならない悲しい出来事に多く直面しながらも
お念仏申してお浄土への人生を歩まれたご生涯を想います。
本願念仏のお救いは救われようのない凡夫をこそ必ず救うとおはたらきです。
凡夫といって他の人のことではなくこの私のことといただかれたのが親鸞さまです。
煩悩具足罪悪深重の凡夫とまでいわれました。
完璧な人間とはほど遠い、パーフエクトなお坊さんではなかったのではないでしょうか。
私たちはそういう親鸞さまにあたたかい魅力を感じるところでもあります。
どこまでも救われようのない悪人をこそ目当てに必ず救うとの南無阿弥陀仏のおはたらきです。
そこにこの私が救われていく唯一の道があると親鸞さまが身をもって示してくだされ私たちも救われていくのです。
このお寺に住まいする僧侶寺族が問われていることです。
ご門徒衆がお寺のご院家さん坊守さんをどう見ているのかというと色んな見方があると思います。
完璧なご院家さん坊守さんであってほしいとどこかで思われているかもしれません。
しかし完璧であるがゆえに近寄りがたい中々お話もできないご院家さん坊守さんだったらどうでしょうか。
ご院家さん坊守さんも皆さんと同じ人間です。苦悩を抱えて生きています。
そういうお互いが日常生活のなかでつながり寄り添って顔と顔を合わせてお話をするなかで
阿弥陀さまのご本願のお救いに共々に遇うていくのです。
お念仏の大きな大きなつながりのなかに人と人とがつながりお念仏申して共々にお浄土への人生を歩ませていただきます。
お念仏申す日暮しのなかでご院家さん坊守さんそしてご門徒皆さんそれぞれにお手伝いさせていただく役割があることを
また教えていただきます。
いろんなお坊さんがいらっしゃいます。それこそ事件問題を起こしてニュースにもなるお坊さんもいます。
いろんなお坊さん人それぞれを目当てに必ず救うとおはたらきの南無阿弥陀仏のご法義です。
こういうお坊さんになりましょうと理想を語ることもいいですが
自分のこの身を通してお念仏のご法義を聞いていかないと
自分のことはどこかに置いて他の人のこと他のお坊さんのことを批判し責めるような見方になってしまうと
それこそお念仏のご法義がもったいないなと思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.30)
