「人生は苦なり」
2018-05-25
お釈迦さまは「人生は苦なり」と説かれます。
何かマイナスイメージなことを最初から聞くと、仏教を聞くのが嫌になりそうですが
「人生は苦なり」という真実から仏さまの教えが始まるのです。
人生とは私の日々の生活です。
昨日の生活でもあり今日の生活でもありまた明日の生活でもあります。
苦というのは思い通りにならないということです。
人生の主役はこの私、人生は私の思い通りにならないというのです。
私の周りのものが思い通りにならない、私の言うことを聞かない、言う通りにしない、反発するということです。
こういうことってお互いに日常茶飯事にあることで
何度も何度も経験するなかで私たちは自分なりにうまく対処して生きています。
ところが歳を重ねるなかで一番といっていいほど思い通りにならないものがあったことに気づかされます。
私の一番思い通りにならないものがどこにあるのか。キョロキョロ周りを探すのではありません。
実はこの私自身が一番思い通りにならないものだと仏法は説かれるのです。
そういう意味で、仏法に遇うということは本当の自分にあうということ、自分自身に向き合うことなのです。
仏さまがおっしゃることです。
あなたはその身その心を煩悩にからみとられて生きていますよと。
何か私たちは自分のことは自分が一番よく知っていて
自分のことは自分の思うようにできると思い込んでいるところがありますね。
ところが実は私たちは煩悩にとらわれ縛られて自分のことでありながら自由自在に生きることができないと
仏法は説かれるのです。
そのことが周りのものが自分の思い通りにならないという見方になるということですし
そしてもう一つこの身このままが思い通りにならないのです。
この身ということは、生きるということです。
生きるということは、老いるということ、病むということ、そして命を終えていくということです。
いつまでも若くありたい、健康でいたい、長生きしたいと思っても、これはどんな人でも待ったなしの事実なのです。
このことに本当に向き合わなければならない時が必ず来ます。
若い時分は、若さや健康にまかせて自分自身のことと受け止め考えることがなかったのではありませんか。
それがこの身の事実として思い通りにならないことに気づかされるのです。
大きな不安を感じ苦悩します。
将来の不安です。一体これからどうなるのか。もっというとこの命終えて死んだらどうなるのかという不安にもなります。
明日のいのちもおぼつかないという苦悩のなかに、仏さまのご縁をいただきます。
仏法を聞いてくれよといわれます。私たちの仏法は南無阿弥陀仏、阿弥陀さまのご法義です。
ナンマンダブツとお念仏を申してくれよと阿弥陀さまはおはたらきです。
ナンマンダブツとお念仏を申したらそうした悩み不安がすべて解消するのでしょうか。
ナンマンダブツとお念仏申すなかに「私がいるよ。大丈夫だよ」と阿弥陀さまのおよび声を聞き
南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲のなかに共々に生きることができるのです。
お念仏申すなかに私たちは思い通りにならないことに向き合っていくことができるのです。
誰しも苦悩の状況から逃げたいですよ。でも逃げても逃げても何の解決にもなりません。
この阿弥陀さまのご法義がすごいのは、私がどんなに逃げても逃げても逃げても、どこまでも私を追って追って追いかけて
最後は南無阿弥陀仏のお慈悲の中に摂め取って救うてくださるというおはたらきなのです。
どうぞナンマンダブツとお念仏申し南無阿弥陀仏のお心を聞くなかで、
日々の生活、今日の一日です。思い通りにならないことがたくさんたくさんありますが
ナンマンダブツとお念仏申して生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.25)
